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にくゑ-本編-  作者: 匿名希望
第六章 清音
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間章 あゆみ

 村長の宴の夜。

 あゆみは清音の家の塀の影に身を潜めていた。


 今夜なら清音が動くかもしれない。男衆が村長宅に集まり、女たちも家に引っ込んでいる。清音にとって自由になれる貴重な夜。


 そんな予感は的中した。


 屋敷の門がそっと開き、清音が姿を現す。月光に照らされたその横顔に、あゆみの胸は高鳴った。美しい。今夜も見ていられる。


 だが次の瞬間、あゆみの表情が凍りついた。


 清音が向かった先――梓の家。


 (また……また梓なん?)


 胸の奥で黒い感情がとぐろを巻く。

 清音が戸を叩き、梓が現れる。二人が言葉を交わし、そして――手を取り合って歩き出した。


 嫉妬が体中を焼く。

 なぜ梓なのか。なぜいつも梓なのか。


 あゆみは息を殺し、二人の後をついていく。

 月明かりに照らされた二人の影が、仲良く並んで揺れている。時々清音が梓に微笑みかけ、梓が嬉しそうに応えるのが見える。


 (わたしが欲しかったもの……全部、梓が持っていく)


 足音を忍ばせ、木陰から木陰へ。

 慣れた尾行の技術で、二人に気づかれることはない。


 やがて二人は川沿いの道に入り、洞窟へ向かっていく。


 ――禁域。


 普通なら躊躇する場所だが、あゆみの足は止まらない。

 清音への愛は、掟よりも強い。


 洞窟の入り口で二人が消えるのを確認すると、あゆみもそっと中へ足を踏み入れた。

 ひんやりとした空気が頬を撫で、滴の音が反響している。


 奥から灯りがもれている。

 あゆみは壁に身を寄せ、息を殺して聞き耳を立てた。


 洞窟の反響で声が歪む。

 断片的にしか聞こえないが、清音の声が響いてくる。


「掟は……ただの決まりごとじゃない……全部祈りの形……もし乱れれば……"あれ"が目を覚ます」


 にくゑ様の話をしている。

 清音の秘密を、梓だけが聞いている。


 (なんで梓なん……なんで梓にだけ……)


 爪が手のひらに食い込む。


 そして――


「私、清音のことが――好き」


 梓の声が洞窟に響いた瞬間、あゆみの世界が真っ白になった。


 告白。

 梓が清音に告白している。


 血の気が引く。

 手足が震え、視界が揺れた。


 清音は……どう答えるのだろう。

 まさか、受け入れたりしないだろうか。


 反響で聞き取りにくいが、清音の声が返ってくる。


「……応えたい。でも、今はできないの」


 拒絶。

 清音は梓を受け入れなかった。


 あゆみは安堵に膝から崩れ落ちそうになった。

 けれど同時に、怒りも湧き上がってきた。


 ――よくも清音に告白なんかして。

 ――身の程を知りなさいよ、梓。


「嫌いとか、そういうことじゃない。むしろ……だからこそ」


 清音の優しい声が続く。

 丁寧に、傷つけないように梓を諭している。


 (清音は優しすぎる……あんな子に構わなくていいのに)


 その後も二人の会話は続いたが、あゆみにはもう聞く気になれなかった。

 重要なことはわかった。

 梓は告白して、断られた。


 やがて灯りが消え、二人が洞窟から出てくる気配がした。

 あゆみは急いで外に出て、木陰に身を隠す。


 清音と梓が現れた。

 梓の表情は沈んでいる。告白に失敗した顔。

 清音は……いつもより優しげに見えた。


 二人は川沿いを歩いて村へ戻っていく。

 あゆみは距離を置いて後をついた。


 分かれ道で、二人は短く目を合わせて別れた。

 清音は自分の家へ、梓は一人でとぼとぼと歩いていく。


 あゆみは立ち上がった。

 清音への想いで胸が満ちている。今夜、清音は梓を選ばなかった。それだけで十分。


 でも、梓には一言言っておかなければ。

 身の程を知らせてやらなければ。


 あゆみは梓の行く手に立ちはだかった。


 校舎へ続く道の角。

 月明かりに照らされ、梓が足を止める。


「……梓。こんな夜更けに、どこ行っとったん?」


 低い声。責めるでもなく、けれど逃がさない響き。

 梓の胸がぎゅっと縮んだ。言葉を探すが、喉がからからに乾いて出てこない。


「あ、あの……」


 答えを曖昧に濁すと、あゆみの視線が鋭くなった。

 その瞳は、月明かりの下で氷のように冷たい。


「清音と……一緒におったんじゃろ?」


 胸の奥が跳ね、呼吸が乱れる。

 図星を突かれても、梓は首を横に振ることしかできなかった。


「……なんも言えんのじゃね」


 あゆみは小さく吐き出すと、唇を噛みしめた。

 その横顔には怒りとも哀しみともつかない影が揺れ、梓はただ立ちすくむしかなかった。

 夜風が二人の間をすり抜ける。遠くで宴の名残がかすかに響いていた。


 あゆみは梓の震える姿を見つめながら、胸の奥で笑っていた。


 ――清音はあんたなんか選ばんよ。

 ――清音が選ぶのは、わたしじゃけん。


 きっとそうだ。

 今夜がその証拠。


 梓なんて所詮、よそ者。

 清音の心を理解できるのは、生まれた時からずっと見つめてきた自分だけ。


 二人は夜の中、ただお互いを見つめ合っていた。


 清音を誰にも渡すものか。

 あゆみの監視は続く。


 その時、角を曲がった先に月明かりの影が二つ浮かんだ。

 美穂と――健太。


「……美穂ちゃんと健太くん? こんな夜更けに、どこへ行くの」


 梓の声が静けさを破る。

 あゆみの瞳が、一瞬だけ興味深そうに光った。


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