TAXI
冴えないタクシー運転手が巻き込まれる人生で最高の日
まさか、まさかまさかまさかまさか。
遂に、遂に遂に遂に遂にこの時が。
口元が緩みそうになる。
涙が滲みそうになる。
興奮した身体が熱い。
最高の気分だ。
タクシー会社に転職して早十数年。
人生も折り返しを迎えていつの間にやら50代。
客を乗せる、降ろす、客を乗せる、降ろす、たまに嫌な客を乗せる、降ろす、の毎日だ。
身体も服も生活もくたびれている。
このまま変化のない人生を送って、後悔しながら一人で死ぬものだと思っていた。
休憩のため適当な場所でタクシーを停める。
前に停まっている車をぼんやりと見つめながら昼飯のコンビニ弁当を食べていると、男性が布で包んだ何かを抱えながら慌ててその車に乗り込んだ。
バラバラ死体かな、などと不謹慎なことを思ったそのとき。
いきなり窓を荒々しく叩かれた。
ビックリして顔を窓に向けると、30歳前後の女性が急いだ様子で身振り手振り俺に何かを伝えようとしていた。
どうやら後部座席に乗せろ、ということらしい。
嫌な客か、と内心ため息をつき嫌々ドアを開ける。
その瞬間乗り込んで来た女性が叫んだ。
「前の車を追ってください!!!」
そうして今に至る。
タクシー会社に転職してから何百回も空想した嘘みたいな状況を今体験している俺は喜びでいっぱいだった。
酔っ払いにふざけて前の車を追えと言われたことは何回かあるが、女性にはそれらとは違う真剣さと危機感を感じる。
運転は昔から好きだし、俺の名前も車っぽいし、優良ドライバーとして表彰されたこともある。
大丈夫だ。問題ない。
映画『TAXi』は全シリーズ観た。
マリオカートも昔は得意だった。
行ける。行くしかねえ。
あいにく道がそれなりに混んでいたので相手の車もスピードが出せず規定速度は守れた。
ヘマをする訳にはいかない。
ここが俺の人生のハイライトなんだきっと。
後部座席に落ち着かない様子でいる女性に色々聞きたいところではあったが、話に気が逸れて前の車を見失うことはしたくないので無言でタクシーを走らせる。
前の車が左に曲がったときにあっと思った。
ここなら裏道を行けば追い付ける。
ハンドルを切り人通りのない細い住宅地の道を走り抜けたとき、目の前に追っていた車が見えた。
ターゲットは慌てて車を止め、布を抱えながら外に飛び出した。
「ありがとうございます!」
お釣りはいりません、と女性は一万円札を俺の前に投げ、あっという間にタクシーを降り男を追いかけ走って行った。
「あ、あのっ!警さ…つ、は…、…………」
こうして走り去って行く男女を見つめながら、俺の人生のハイライトは呆気なく終わりを迎えたのだ。
数ヶ月後、俺はまたいつもの日常に戻っていた。
あの出来事の直後は心臓が高鳴り、夢ではないかと頬をつねったりニュースをチェックした。
俺の運転技術に感動した女性が実は秘密組織のメンバーで仲間にならないかと勧誘に来るかもと期待していたが、当たり前にそんなことは全くなかった。
俺はまた客を乗せる、降ろす、客を乗せる、降ろす、たまに嫌な客を乗せる、降ろす、の毎日だ。
適当な所でタクシーを停めて、ぼんやり外を眺めながら昼飯のコンビニ弁当を食べていると、コンコンと窓を控えめに叩く音がした。
あの女性だ。
俺はタクシーから降り、お互い軽く会釈する。
「あの、轟さん、ですよね?」
女性は俺を探して他のタクシー運転手に情報を聞き回っていたらしい。
聞けば、追っていた車の男は女性の元旦那で、ヨリを戻さないならと子供を誘拐し逃げたので咄嗟に俺のタクシーで追いかけた、とのこと。
「おかげさまであの男は捕まりました。子供も無事戻って来てくれたので、一言お礼が言いたくて。」
女性はベビーカーの中にいる我が子を愛おしそうに見つめる。
俺もその小さい命を見つめた。
「ぶーぶー」とタクシーを指差してはしゃぐ赤子は可愛い。
俺の人生のハイライトは終わったが、この親子を救えたと思えばまぁ、悪くないか。
親子と別れた後、俺は久々に清々しい気分でタクシーを走らせたのだった。
清々しい気分の筈だった。
「おいおっさん、そいつ寄越せよ。ドア開けろ。」
後部座席ですいませんすいませんと俺に謝る中年男性と、気まずそうに俯く特攻服を着た男子をミラー越しに見る。
勘弁してくれ、俺の人生のハイライトはもう終わったんだ。
真夜中の公園近く。タクシーを囲む沢山の暴走族。
息子を暴走族から抜け出させたいと奮闘した父親がチームの怒りを買い、追われた末に逃げ込んだのが俺のタクシーだった。
ドアを開ければこの親子は終わりだ。
だが逃げられればきっと何とかなる。
運転は昔から好きだし、俺の名前も車っぽいし、優良ドライバーとして表彰されたこともある。
大丈夫だ。問題ない。
映画『マッドマックス』は全シリーズ観た。
マリオカートも昔は得意だった。
行ける。行くしかねえ。
俺は二度目の人生のハイライトを無事駆け抜けられるよう祈りながらアクセルを踏み込んだ。
〈終〉