たまには一人で。
「さて、仕方ないから力が戻るまで大人しく里帰りしてようかな」
「なんだ、滞在すんのか。珍しいな」
近頃はステラがキースを離そうとしない為、仕方なく一緒に午前と午後を交互に光と闇の国を行き来して仕事をしているらしく、今は一人で執務をこなしていたベリルがどことなく嬉しそうに顔を上げた。
「パパも寂しそうですしねぇ」
「誰がパパだ。クロードに言えばすぐにでも戻してもらえるだろうに、説教がいやなだけだろう」
「何だかんだいちゃもんつけて暫く監禁されそうだからそりゃあヤですよ」
ステラが用意していった茶器に湯を注ぎ、自分で紅茶を淹れてみたのだがいまいち味が違うのに首を傾げながらカップを傾ける。
「…なんでこんなに味が違うんでしょうね」
「まぁ好きなだけいたらいいけどよ、その姿では城から出んなよ。世界樹までならいいがつい先日あそこに穴開けた馬鹿がいるからステラがいい顔しねぇ。塞いではあるが犬つれてけ」
「そう言えばアッシュの姿がありませんね。実家だと思って、過保護がゆるゆるだなぁ。散歩にでも行こうかな」
「…おい、俺の話聞いてたか」
聞いているようで聞いていないシエルが天気の良い空を見上げながらのんびりと今日の予定を考えていた。
アッシュは光と闇の国を一歩出れば片時もシエルを離さない。逆に言えばこの国の中にいる限りはクロードとベリルの二人によって絶対的加護が得られるのだ。たまには一人にもしてやろうとでも思ったのかもしれない。
「君が僕を守ってくれるんだからいいじゃないですか」
「その前提で動くのやめろ、先日嫁を攫われて今だに息子が俺に冷たい」
「おや、君が油断を?」
「そもそもステラが目を離すと思わねぇだろ、まさか嫁が拗ねて一人になるともな」
「…拗ねる…?宰相が…?」
「ベッドで上か下か迫ったらしいぞ」
「ッぶ…ッ …ッは…?」
飲んでいた紅茶を危うく吹き出しかけて堪える。今何といった。
「無体を働きすぎてキースが保たんから代わろうかとか何とか」
「あの男は馬鹿なんですか」
「頭はいいはずなんだがなぁ…」
「馬鹿でしょう」
呆れた顔で肩をすくめる。
番を手に入れた神というものがここまで愚かとは。しかし宰相も苦労する。
「まぁ、目の前でアレだけいちゃつかれて覗き見るのは控えていたらと言うところですかね」
「まぁそんなとこだ。そもそも彼奴の加護付きだ、死ぬことはねぇがまさか貞操狙われて攫われるなんて思わねぇだろ。ステラが一緒にいる時はあいつに任せるが、一人のときは仕方ねぇ…俺が護るよ」
「まぁ、あの方はどうにも惹かれる優しい空気がありますからね。…ていうか、ちょっと拗ねてるでしょう」
「うっさい」
「貴方は…、彼が一番可愛いですからね」
「…だからだろ」
一番の孤独をいつも傍で癒してくれていたのが星だ。昔はよく、ステラの胸でぼんやりと夜明けを眺めていたのをセリスの記憶から知っている。
欠片達にはともかく、ステラにとっても闇は絶対なはずだ。
「お嫁さん、虐めたらダメですよ」
「わかってるよ、クソ」
「しかし…、そうか キースがそもそも人だったからですかね、考えてなかったなぁ」
「肉欲に溺れるタイプでもないし、ひたすら擦り込んでるんだろ」
「まぁ、よくあの堅物の宰相に認識させて落としたものだと思いましたけどね。ニコニコステラを躱してる彼が僕は好きでした」
「なんて酷い妹だ」
「弟ですよ」
「俺には可愛いお姫様なんだよ」
「やかましいです」
こくりと残りの紅茶を飲み干すとカップを置いてソファを立つ。軽く伸びて窓の外を覗けば外は雲ひとつないいい天気だ。
「アッシュは何処へ出かけたんです」
「なんだ知らんのか」
「んー、聞いてませんね」
「朝ステラとなんか話してたがついて行ってはいないだろうしな、なんだよ淋しいのか」
「まさか」
意外と即答してシエルが笑った。
アッシュとシエルは似て非なる存在だ。セリスの残滓を盗み出して生まれたシエルと、明確にアルフの一部であるアッシュ。神の濃度が違うのだ。
存在するだけで光り輝き全てを狂わすセリスを薄めた存在がシエルなのだと言える。
そしてセリスが生まれてからシエルが生まれるまでの記憶をそっくり持っていると聞いたことがある。
だが月ではないのだ。
10才の時このコが哭き叫び、狂うのを見たときは神だと言うのに自分などなんと無力かと絶望したものだった。
傍にいるアッシュがただただ抱き締めているのを見て、決してこの二人だけは引き離すまいと、守ってやらなければと決めたのだ。
なのに。
「じゃあ買い物とかしちゃおうかな。パパお小遣いください」
「お前な…、金持ってるだろ」
「でもくれるんだ、あははは」
ごそごそと引き出しから子供のお小遣いにしては額の大きい白金貨を取り出して投げてやる。
淋しさの欠片も見せないで笑う愛娘に呆れた。
「ふふ、アッシュは一体何処で何をしているのやら」
❀❀❀
「えっと…、つまり…」
「あ、貴女がこんな事をしたってもうわかっているのよ…ぅぅう…」
「泣くなエリィ…、僕がついてる」
いきなりだ。いきなり目の前でおかしな茶番が始まったのだ。
同時にこの場にいた二人が思った。ひとりは直接それを見せつけられているかわいそうな赤毛の女、もうひとりは欠片もその二人もしくは三人には関わりのないアッシュだった。
ふわふわの栗色の巻き毛を可愛らしく飾ったそばかすの小柄な娘が、ブラウンの髪を引っ詰めた男の腕に守られて 赤髪の少女に向かって何やら二人がかりで責め立てている。
「サーシャ、君はいつもそうだ。親友のエラリアが優秀でみんなに愛されているからって嫉妬からこんな嫌がらせを続けるだなんて…、ずっと君の改心を祈ってこうして説得してきたが…さすがに僕ももう限界だよ」
「待ってシャルル、まず貴方は私の婚約者よね」
「…そうだが」
「なのに何故貴方は私の話を聞く前にいつもエラリアの話を聞いて、エラリアの全てを信じて私を責めるの?貴方が話を聞くべき相手は私であり、信じるべきなのも私であるべきではないの」
話が本当ならば女の主張は至極もっともであった。男は何故自分の婚約者でもない女を腕に抱いて愛するべき女に向かって敵意を向けているのだか。人間の考えていることはさっぱり分からなかった。
「またそんな家の話を持ち出して誤魔化そうとするなんて!」
「…誤魔化そうとなんてしてないわ。これは世間一般的から見ても真っ当な事よ」
「君は僕の婚約者だが、エラリアだって僕の大切な親友なんだよ!話を聞くのは当然じゃないか!」
「…そんな風にシャルルの心まで縛ろうだなんて…アレクサンドラ、貴女って人は…」
男の腕に肩を抱かれていた女はボロボロのリボンを握り締めて男の胸に顔を伏せて泣き真似を始める。いや、多分その場にいるアッシュ以外には本当に泣いているように見えるのだろうが、神の眼である自分に嘘など通じるはずもなかった。
「…親友と婚約者を同列に、ねぇ…。はァ…ねぇ、まず私は何もしていないわ。貴女達は私を何の罪で責めているの」
「僕がエラリアに贈ったリボンを嫉妬からめちゃくちゃにしたのは君だろう!」
「こんな事する理由があるのは婚約者の貴女だけなのよ!」
まず何故婚約者以外の女にそんなものを贈ったんだおまえは。
アッシュとアレクサンドラと呼ばれた女の心の声がピッタリと重なった。
「彼女は幼い頃からの僕の大切な幼馴染だ!君にとってもそうだろう…、なのに何故婚約者になった途端にそんな醜い所業を繰り返すんだ」
「……何もしていないわ」
「まだ認めてくれないの!酷い…、あんまりよサーシャ…」
「あぁ、泣くなエリィ…君がそんなに小さな胸を痛めて訴えているというのに…」
この茶番はいつまで続くのだろうか。
ここは広い闇の神殿の外れの外れだ。文官達が休憩に使う庭が近いためそこから内緒話でもしようと紛れ込んだ奴らだろう。はっきり言ってここでアッシュが顔を出すなどあり得ない、面倒くさいことこの上ない事態が目に見えた。
たまにはシエルにも自由な時間くらいあってもいいかと思い立ち、あの姿なら人前に出歩くことも無かろうと一人離れて昼寝をしていた。
…実はステラのあのべったりぶりを見て少し不安になったのもある。あれは、宰相に嫌がられたりはしないのだろうか。四六時中あの調子で宰相は逃げたくならないのだろうか。客観的に見た自分ははたしてどのように人には見えているのだろうか…、考えたこともなかったのだ。
一人にしてやれるとしたらこの国にいる今なら、そんな事を考えて一人でここに来たらこの始末だ。運がないにも程がある。
流石に何の気配もなく飛ぶのも難しい。
正直アッシュは自分の容姿に自覚がある。どんな人間の目から見ても輝くばかりの姿だろう、何せその姿は神なのだから。男も女も振り返り、女は夢中になって愛を強請るし、下手をすれば男ですらそんな目で見てくる奴だっている。嫉妬で睨まれる方がむしろマシなくらいだった。
そんな自分がこんな修羅場に姿を現すなどもはやどうなるかなど考えたくもなかった。
此処は大人しく人間達が消えるまで息を潜めているに限る。巻き込まれるなどごめんだった。
「じゃあ私が犯人だという証拠はあるの。いつも私がやった、私が悪いと貴女達は訴えるけど 全てエラリアが泣きついて主張しているだけじゃないの」
「君って人は!」
「他の誰がどんな理由でこんな事をするって言うの…、他の誰にも理由がないのよ?貴女以外にはね…。これが証拠よ!」
「一人で転んでおいて傍にいた私が突き飛ばした、ドレスが破れていたから私が嫌がらせをした、課題、レポートを私がしていなかったから奪われた。どれもこれも私には何の心当たりもないわ」
「…ッもういい、たくさんだ!君がこんなにも心根が腐っているとは思わなかった!」
「謝ってくれさえすれば私は許してあげるつもりだったのに!」
これはもうすぐ終わってくれるのだろうか。貴族達は暇なのか…?見る限りアカデミーの研究者、もしくは生徒達だろう。時折文官の手伝いの依頼がギルドに出ていたはずだ。胸の許可証代わりのバッヂをみるにおそらく女二人は依頼を受けて出入りしている外部からの手伝い、男はベリルからもらった襟章の色違いを着けているとみえた。
「婚約破棄だ!君のような性悪な心根の女性とはとても家を共に支えていけるとは思えない!」
「あぁ…シャルル、私の為にごめんなさい…」
女の口元がそっと笑いの形に歪むのが見えて、同時にこのいきなり始められた茶番は穏やかに終わってくれそうだなと気怠い頭で思ったのだった。




