神がそう造ったから
「地上に住む神は彼奴だけだと思っていたな」
「僕もです」
「ん?何だ、我以外にも天を追放された神が居るのか」
「そうじゃないですけど」
ぐいと酒を煽って熱い息を吐きだすと空になった枡を指で弄んで笑った。
「我は此処に住むと言うよりは追い出された。母を恋しがって堕ちたのだ。神ではある、神格も神気もそのままよ。だが、神としての魂は高天原に置いたままだ。堕ちた我だけがここにいる」
「貴方の全部では無いということですか」
「まぁそうだな。意識と身体だけと言うべきか…、俺は今も高天原の宮で眠ったままよ」
「意識と身体が揃ってたら全部じゃないのか」
「魂がない…、随分堂々とした神の屍ですねぇ」
「屍か!はははははッ言い得て妙なものよなぁ!」
機嫌がいいのだか元々がこうなのか、酒のせいもあるのかよく笑った。
「この国は実質姉上が治めておるしな、何かあれば戻らねばならぬが大事ない間は好きにさせてもらっている。黄泉通いもしておるし、存外間違ってもいない」
「お母様に会いに?」
「あぁ、一人黄泉で暮らしているな。神の魂の抜けたこの身体ならば通いやすくもあってな、つい先日潜った時はあちこちに出来た穴から魍魎が這い出ているとか、深層の神が目を覚ましたとか、何やら色々申しておったわ」
ピクリとアッシュが反応するのにシエルがこの話は適当に切るのがいいかな、と苦笑する。
「ひょっとして地獄谷の穴から通ってました?」
「おぉ、そうだ。ご存知か」
「すみません、塞がっちゃいました」
「なんと」
それは少々参ったとうんと首をひねる。少しだけ思案してちらりと視線をよこすと手にした枡を置いて向き直った。
「何故貴女はそれを知っている?見たのか」
「そうですね、正確には塞がるのを見ていました」
「塞がるのを?」
「太陽の怒りに打たれてあの洞穴は塞がれました。開け直したら怒られますよ」
「ぬぅ、絶対神殿か。それは致し方なし、まぁ黄泉へ行くだけなら柘榴の森からでもゆける、よいわ… ん?太陽だと、本当にお前ではないのか」
「人違いだと言っているだろう」
ついでのようにちらりと視線を残すのにわざとらしくにっこりと微笑んでみせる。
「…いや、それでも構わん… 我がそう心に決めたのだ。貴女は貴女だ、珠玉の記憶を呼び戻してくだされた貴女だ」
「神の恋心とは厄介なものですねぇ」
「うむ、時折自由な人間達が羨ましいぞ。今は愛しい妻もいるしな!」
隣で微笑む女性の肩を抱き寄せ笑う神との会話に、一人話から取り残されていたサレアが気になったのかおそるおそるそっと声を掛ける。
「ね、ねぇ。地獄谷の穴が塞がったって…本当なの」
「あぁ、そう言えばあの時守姫様にも話してなかったですね。先日神の怒りで塞がれました。だんだんあの山の瘴気は薄れていくと思いますよ」
「元々あってはならん道だ。多少は減らした方が世のためだ。あんな物があるから死人に会えはしないかと馬鹿なことを考える人間が出てくる」
「そうか、あの辺りは定期的に私が結界張らないと人里に影響でるし、麓も人間が住めなくて荒れていたんだ。よかったよ」
通常ならば黄泉の道のまわりは大概は瘴気が溢れ始め魑魅魍魎が這い出ようとするとともに地上の魔物たちも惹かれて集まってくる。穴の大きさに比例するが人が住める地ではない。
「この大陸には何か所かあんな道がありますが、一番大きいのは闇の国の北の端にあるやつでしょう」
「全部塞ぐと何処に道が開くかわからんから彼処だけは奴が管理する代わりに開けたままにしてあったな」
「基本的には外からしか開けられないし外からしか閉められぬからなぁ全部蓋をすれば意図せず破裂するようなものだ」
無理矢理開けて這い出てくるのはある程度上位の神のみ。そうそうある話ではない。誰の意図もせず開くのは事故のようなものだ。
「へぇ…私は火の国にあるあそこしか知らなかった」
「光の国以外の国に一か所ずつあったかな、今回ので火の国は消えましたけど」
「うむ?いや、確かついこないだまで光の国にもあったはずだが…はて」
「そんなわけはありませんが…、あぁもしかしてそれで彼が彼処で何かしたのか」
知らなかった現状の話がいくつかはいり、疑問だった事由のいくつかが繋がった。なるほど、無かったはずの死の国への道が先日まで開いていたのなら誰かが故意に開けたのだろう。それを塞ぎに愛する人のかわりに星が動いたと言ったところか。
「正確ではなくても遠くないでしょうね」
「クロードに弱みを握られたようなもんだからな、少しは働けばいいんだ」
「…貴女方は何やら色々と背負い込んでいるのだな」
意外と聡いのに驚く。本能だけで生きてそうな印象だったのに。
「貴方、脊椎反射だけで生きている人だと思ってました」
「間違ってもおらんな」
「威張るな」
「ははは、よし参ろうか。櫛名田、ちと空ける。留守は任せたぞ」
「畏まりましたわ」
呆れたようにアッシュが息をつく。
ぐいと最後まで枡を煽ると膝を叩いて腰を上げた。ごきごきと首を鳴らして傍で酒をついでいた女性に笑って告げると珍しい横開きの扉をスタンと開けてこの国独特の庭へと出た。
「急ぐのだろう、送るぞ。姉上の気配は高天原へ昇っておるしもう大丈夫だろう。何故か兄上も一緒にいるらしいのが気になるところではあるが…」
はて、と首を傾げるがすぐにまぁいいかとばかりに腰に手を当て体を伸ばした。自由ではないといいながら充分自由な神だ。
「やはり月読尊様が回収してくださったのですね」
「うむ、そのようだな。さて参ろう我が女神。何処へ飛べば良い」
「…だから僕は人間で男だと言ってるでしょう」
「地獄谷だ、彼女を送り返さねばならん」
「おぉ、穴のあった場所か。そういえば人の娘ごが一人いたなぁ、あれか」
思い当たったように空を見上げる。
庭先へと降りると全員の履物を揃えて引き寄せると手を招いた。まだ明け方といえど随分明るくなった外でぱんっと手を打つとふわりと風が巻く、庭に降りてきた全員を包むのを板でできた降り口に立って櫛名田と呼ばれた女性が優しく手を降って見送ってきた。
「旦那様をお借りしますね」
「どうぞお好きなように」
ほほ、と微笑む彼女はいつものことだと言っていた。
「…君、あまり細君様にご苦労かけるものではありませんよ」
「おぉ、耳が痛いな。まぁあれは出来た妻だ、わかっておるよ大切にする」
一応聞こえぬように潜めて少し照れたように言うのが存外可愛らしかった。
風に巻かれて運ばれる。数呼吸の後に少しばかり見覚えのある岩山に降り立った。
「ふむ、このあたりではなかったかな」
「気配がありませんね、山を降りたのでしょうか」
「多分麓の私の屋敷へ帰ったのかも、ここにはあくまでユーリィの為にいただけだから」
「なる程、解決したのだから留まる理由はありませんね、降りてみましょう」
少し考えていたアッシュが軽くシエルの身体を止める。
「俺達は此処で別れたほうがよかろう」
「ぇ、どうし…」
あ、と思い出す。そうだ自分はまだこの姿のままだった。
「そうですね、あまりよろしくない。僕たちはこのまま闇の国に向かったほうがいいかな」
「え、どうして。お礼もしたいし今夜くらいは屋敷に泊まって行きなよ。私達姉妹しかいないから、気兼ねもいらない」
「貴女は精霊の加護があるから大丈夫でしょうが、妹さん達に害があってはいけません。少しの間ならともかく、あまり長居は出来ませんから」
「害だなんて…」
まだ彼らの言っていることは分からないことが多いがお礼位はしたかった。だが何となく感じる寂しそうな気配に強く出るのを憚られる。
「わからんだろう、俺のシエルは誰より美しい。これは贔屓だとか思い込みだとかそんな話じゃない。神がそう造った」
「僕は人の心を思いがけなく乱します。それでもこの身体で生まれた時、大方の戒めからは解かれましたけど…過信して痛い目にあったことは何度かありますのでね」
「…戒め、か。なる程」
「お前はわからなくていいぞ」
「まぁ、分かったわけではないよ。だが我が女神の話せぬしがらみというものがあるのは理解した」
シエルが苦笑で返すのに聞きはせぬと軽く手を振る。
「いつでも変われる時は然程危機感もなかったのですけど、自分の意志で子供になれないというのはなかなか不安定な気持ちになるものですね。元々は普通に過ごしていたはずなのにな」
「まだかかりそうか」
「たぶん、あと7…、いや10日かかる…かな。ちょっと怒りに我を忘れました」
「…姉上の失態か」
「お仕置きはしましたからもう怒ってはいませんよ」
「すまなかったな、詫びに望みの場所までちゃんと送り届けよう」
「あの馬鹿に加護を頼めばすぐにでも戻れるが…お前は俺が護る、そんな顔をするな」
「ふふ、そんなに不安そうかな」
抱きしめられながら残念そうな顔をするサレアににっこりと笑って向き直るとふわりと手を差し伸べて水の精霊を呼び出す。
「出てきて、炎の君。お名前は?」
ゆらりとサレアの肩口が揺れて10代半ばくらいの少年の精霊が現れる。
「ぅわ、私以外がルーファウスを呼び出すなんて初めてだよ、凄いね君」
「ルーファウスか、いい名前だね。リリィ」
キラキラと笑って火の精霊に寄り添うと頭に綺麗な水の髪飾りをつけてやる。何をつけられたのかわからなくてキョロキョロと頭上に目をやっていたが、精霊は笑うリリィにどうでもよくなったのか一緒になって遊びだした。
「力が戻ったらまた折を見て顔を出します、それはそれまでの約束。中途半端にお別れをしてしまうのを守姫様たちにもお詫びしておいてください」
「そっか、それなら仕方ないね。残念だけど約束してくれるなら引き下がります」
ありがとう、と笑うと軽く住まいのあとを確かめてから小さな荷物を整えて下山の準備をする。
途中までくっついていたリリィがキラキラと周りを一廻りして戻ってきた。
「ちょっと里帰りをしたらまた挨拶に来ますよ。まずは3人揃ったのもお久しぶりでしょう、ゆっくり懐かしんでください」
「そう言えばそうだった、ありがとう。ほんとに恩に着るよ」
「いえ、ただ神様達に巻き込まれてちょっと騒ぎにあっただけですから。こちらとしても申し訳なかったです」
サレアが軽く手を振ると同時に風が3人を包んだ。
女神のような人が微笑む。ゆるりと影が揺れて空気に溶け込むように3人が消えた。
「…なんだか、まだ夢の中にいるみたいだな…不思議な人たち…。さて、まずは姉妹の再会と整理か」
小さな風だけを残して消えた幻に目を細めて突然訪れた平穏に、少しだけの寂しさと、不思議な心の残像と、たくさんの喜びを胸に 暫く暮らした山をあとにするのだった。




