sideroad✦恋花
ぱちんと袖のカフスを留め、今日の装いを完成させる。彼は触れられることを嫌う為いつも一人で全て整えていたと聞き、傍に居る様になってからはキースが身支度を手伝っていた。
黒いペリースを左肩に纏い、いつもの着けていたモノクルを外した白い貌はやはり彼も神なのだとわかる美しさだった。均整の取れた身体に黒の衣装を纏う。この神は着痩せするのかすらりとした細身の身体に長い足、意図せず見惚れてしまい着替えを手伝っていた手が止まるのをステラが気づく。
「なんだ、どうしたキース…、顔が紅い。具合が悪いなら日程は変えるか」
「…ッぁ、いえ…大丈夫です。……貴方に見惚れて…、いました」
「ん、なんだ見慣れているだろう。今更何か違ったか」
「装いが、あまりにお似合いになるから」
「……?纏う布切れが変わっただけだろう、おまえはこれが好きなのか」
「ふふ、貴方はおかしなところで無知になるのは何故なのでしょう」
くすくすと笑う顔をゆるく首を傾げて見下ろす。すり、と指の背で頬を撫ぜて促すと素直に顔を上げるのに触れるだけの口づけを落とした。
「行ってくる。さっさと終わらせて昼寝に行くぞ」
「…少しは緊張なさって下さい…」
「…なんだ、昼寝は嫌か。明るいうちに抱こうとすると怒るからだろう」
「早く行かれてください!」
「クク、怒った顔も愛しいな」
毎日これでは身が持たない。慣れろと言われてもこれがこの神達の普通なのだろうか。
クロードはそのあたりは淡白なようで、それこそ愛されている事を常に試しているように見えた。
『……試す隙もないのですが』
さらりと頬を撫でられ綺麗な指先が離れてゆく。あの神は執事などと擬態していたせいか所作も一つ一つが美しい。髪とモノクルだけでよくあの美貌を隠せていたものだと思う。
先に行く、と扉の向こうへ姿を消すのを見送ると 自分も光の国の王の代理としての責務を果たすために身支度を始めた。
コツコツと靴音を立てて長い回廊を歩く。
普段とは違う畏まった衣装を少しだけ窮屈に感じながら首の襟元へと指を差し込み緩めた。
今日は面倒なことこの上ないが、初めて表舞台に姿を出し、更に面倒な事に叙爵の任を受ける。
大公家を興すためだけに仰々しいことこの上ない、厄介な話だ。それならば国を興したときに一緒に興しておけばよかったな、とそよぐ風と日差しに目を薄めた。
と、同時にどこからか浮ついた黄色い気配を感じる。甲高い声とさわさわとこちらへ向けられる視線、小さな囁き。なんだ?と気配に振り返れば熱に浮かされたような顔の女どもがこちらを見ていた。
キラキラとした明るい金髪が陽に透け、限界まで引き絞った細い腰の辺りで揺れている。何処かの貴族の女だろう、ここは中庭に面した回廊だ すれ違う貴族もいるのだろうが…、あれは明らかに自分を待っていたと言う顔だった。何かを伝えたげな気配は感じるがもじもじとしているだけで特に話しかけてくる様子もない。
人間はよくわからん。
今までベリルの後ろに静かに控えていたときにはこんなことはなかったのだ。そういえばキースもこの装いに変えたら何やら反応が違っていたなと思い返す。この服には何かあるのだろうか。
用もないならよかろうとペリースを翻して立ち去ろうとすればやっと女どもが動いた。
「どうか…ほんの僅か、私共のためにその御御足をお止めくださいませ…、我が国に新しく輝く星…、大公閣下…。御無礼を承知でお祝いを申し上げます」
「……これは、わざわざ若輩の私の祝辞の為にこちらに…?」
「三大侯爵の一つ、カーティス侯爵が娘 マティリアにございます、閣下」
そういえばそんな家があった。
何度かベリルの背後で目にしていたはずだが、今目の前でドレスの端を優雅に持ち上げ礼をする女は自分を覚えてもいないようだった。
「…閣下、貴方様の胸に この祝福の薔薇を飾る栄誉を頂けませんでしょうか」
「…? 花……?」
手にした薔薇を見て思い出すのは花に愛された自分の伴侶の白い顔だけだった。あれは薔薇というよりは白百合のほうがよく似合う。ふ、と精霊どもに花だらけにされて笑っている姿を思い出して思わず笑みがこぼれた。
「……ッ あぁ…嬉しい…閣下…、失礼します…わ」
「……ん?」
その笑みを了承と取ったのか女が頬を赤く染めてそっと胸ポケットに薔薇を飾る。本来ならば自分よりも高い身分の貴族に自分から声を掛けるなど無礼極まりないのだが、叙爵前の今だけ許される抜け道なのだ。それでこんなところで待ち構えていたのだろう。
「……私の薔薇をお受けくださったこと……至上の喜びです。あぁ、閣下…また近いうちにお会いいたしますわ」
もう一度ふわりと美しいカーテシーを見せ、恥じらう顔を隠すように女は侍女とともに走り去る。
まぁ自分はまだ叙爵前のただの執事であるのだし、無礼な振る舞いだというのもおかしな話だからいいのだろう。しかし…
「なんなんだ、あれは…」
胸に揺れる薔薇の香が強いな、と思いながらキースが愛する花を無碍にする気にもなれず、そのまま広間へと踵を返した。
人目をちらりと確認してから闇に巻かれる。次の瞬間にはベリルの前にいた。
主も同じようにいつもとは違う装いで、その圧倒的な美貌を見せつけている。
「…やれやれ、面倒ですね」
「来たか、すぐ終わるから機嫌悪くすんなよ。お前の大事な精霊使いの為だか、ら…ってなんだその花。精霊使いか?」
ははーんとイヤな笑みでにやにやと近づいてくるのに鼻先を指で弾いて距離をとる。
「いってぇな、いいだろ! 見せつける為につけてきたんじゃねぇのかよ」
「何のことです、…この薔薇はなにやら祝辞だとかで貴族の女が勝手に着けていったものですよ。だれがこんなもの見せつけるんですか」
「……は? ちょっと待て、おまえそれ了承したの」
「……? してませんが。勝手に着けていったと申し上げましたでしょう」
「いやいやいや、そんなわけねぇだろうよ!どこの娘だよ!」
「はて…、確かカーティス、とか言ってましたか…」
「よりにもよって三大筆頭かよ…、お前何気に人間に興味なさ過ぎて貴族どもには疎いよな…」
呆れたように片手で顔を覆ってため息をついた。
下手をしたら既に娘があちこちに言って回っている可能性もある。薔薇を外して知らん顔でもすれば矜持を傷つけられたと騒がれてもおかしくない。
「おまえそれ…、想う相手がいます。って証だぞ」
「はァ、まぁおりますので間違ってはいませんね」
「違うわ!女が恋い慕っていますと薔薇を差し出したのに、自分も貴女を慕う想いがありますと応えたって事だよ。てっきり精霊使いが女避けに着けたのかと思ったら…」
「あん…?そんなわけがないだろうが、殺すぞ」
「俺に当たるな!あとそれ、今日は外せねぇぞ 余計厄介なことになる」
速攻薔薇に手を掛けようとするステラに先制して釘を刺す。
「何故だ」
「女の矜持を傷つけたとイチャモンつけられたら嫁にもらわないといけなくなるからだよ」
「あ…?」
「だから怒るな、わかってるから」
厄介な事を厄介な奴にしてくれたと髪をかき混ぜる。アッシュ以上に此奴は厄介なのだ。
何せ止められる奴がいない。自分でさえも此奴を怒らせたら止められる気がしない。
シエルに比べてキースはまだまだステラに対して抑止力がないのだ。盲愛ぶりは引けを取らないが、手綱を引けるほどのアドバンテージがないのだ。
『最悪…、セリスにしかどうにもできないだろうなぁ』
がしがしとその美貌に似合わず頭をかきむしりながらあれこれと対策を考える。大丈夫、大丈夫だ。
「まだ、想いがあります(勘違い)の段階だ、間に合う。この先ちょっとだけそいつに付き合って、やっぱ違った好きになれなかったからで破談にすりゃいい」
「なんだその面倒くさそうな話は」
「おまえが安易に面倒くせぇもん受け取ったんだろうが」
「………もうその家門を灰にしたらよくないか」
「よくねぇよ!一応貴族共の筆頭なんだよそこは!」
あれやこれやと言い合っているところへコツコツとノックの音が響く。
「…あの、どうなさったのですかお二人とも……」
言い争う声にそっと控えめに扉を開けて控室へと顔をのぞかせたのは渦中の恋人、キースだ。
白い公式礼装にところどころステラの色だろう、黒と金のラインと飾りをあしらった衣装に身を包んでいた。
「キース、来い」
「…え、どうなさ…っぁ……」
言うが早いか腕の中にさっさと捕まえている。こいつの『神の手』は相変わらず便利だなぁなどと現実逃避をしてしまう。
苛立ちを紛らわすように顔中に口づけをふらせ耳元に舌を這わせるのにキースがびくびくと身体を震わせて耐えていた。
「ぁ、ゃ……、ステラ、様……何、どうなさったのですか、ン…ッ」
「クソが、……こんなもの意に介す必要があるのですか」
「貴族どもの慣習だ、知らなかったお前が悪い」
「……ッ一体どうなさったので…、…ぇ、それ…は……?」
「あー、浮気じゃない浮気じゃない。わかってるとは思うが浮気じゃない。違うからな」
「冗談でもふざけたことを言うな」
胸の薔薇の香りに気づいて目に留まる。
これはあれではなかろうか、光と闇の国の貴族の間である恋花…、それを受け取ったと言うことは俗っぽく表現するならばいわゆる『お付き合いの了承』と言うことだ。
「…ステラさま…、これは…お受け取りになったと、言う事でしょうか」
「勝手に差して逃げただけだ、受け取ってない」
「…でも」
「……、ベリル」
あ、やばい。
これは完全に駄目だ、自分に対してこう来た時はもう駄目だと言うシグナルだ。
「これが毛ほども悲しむなら…貴様が止めても、…消すぞ」
「あーもう!キース、頼むから泣くな!泣かんでくれ頼む!」
「あ、いえ…。そんな、大丈夫…です」
一瞬よぎったちくりとした淋しさが吹き飛んだ。
「勘違いでも…、その令嬢には何度かお付き合いが必要なのでしょう…?」
「そんなものは必要ない」
「あるんだよ! ったく、おまえはよぉ…」
困った顔のキースを胸に抱き込んでこの上なく不満そうな息子に頭を抱える。
「当たり障りなく断らないと、マジで婚姻させられるぞ。…しくじったな、相手がキースだからと独り身のままだったのが仇になった」
この国で興す初めての大公位だ、実質神の右腕を公にするのだから貴族どもが放っておかないのはわかりきっていた。いずれ名だけを残してキースと共に隠す予定だったから失念していたのだ。
「はァ…、どうでもいい。俺に人間どもが何をすると言うんだ。面倒事になるのならば箱庭ごと消してしまえばいい」




