素戔嗚の試練
「んー…、どのくらいで加護の力は戻るかな」
「数日中には戻るだろう、闇の国へ行くか」
「この姿で戻るのは嫌だな、ステラがうるさそう」
「まぁそうだろうな。じゃあ明日にするか」
熱い茶をゆっくりと嚥下しながら落ち着かない体をマントに包み直す。霊峰にはただの人間はいなかったからさほど気にはしなかったのだが今此処には二人もいるのだ。
「君、それが本来の姿なんだろう?なんでそんなに不都合があるのさ」
「まぁ色々と。僕の姿は人には毒なのだそうだから」
「まぁ…」
「ちっちゃな君も半端なく可愛いけどね!」
三姉妹が三様にシエルを見る。
「それより、何があったんです」
「あぁ…、突然だったな」
話を変えようとシエルが尋ねるとサレアが重々しく表情を変えた。
「私達はユーリィを岩戸から出そうとそれぞれで奔走してたのは聞いたんだよね」
「はい、2年前に閉じ込められたのでしたか」
「それにはこの国の神器が必要でね、この国の三柱がそれぞれ持ってるんだけど…、今は素戔嗚様の剣を賜る為の試練を受けてたとこだったんだ」
「そこでいきなり召喚を受けたということでしょうか」
「うん」
これはなかなか面倒な話になってきた。意図せず三柱の全員がこの話に関わってきたことになる。
まずは問題の女神。彼女をたった今人形に変えてきたところだ。
2番目の弟には目眩ましをさせた上に恐らくは姉の後始末を押し付けた。仲は良くないと言っていたからそのままにしている可能性もあるが。
3番目の弟からは自分達がではないが、天上の試練の最中に目の前から試練者をいきなり奪い去ったことになる。
「絡んでこないかが問題だなぁ」
「試練は必要なくなったけど、このまま放置もできないし一度私は戻らないと」
「試練は何をしているところだったのですか」
「火をかけられた麦畑から抜け出すところだった、かな」
「わぁ。なんですかそれ」
するりと赤く揺らめいて少年の精霊が顔を出した。
「この子がいるからそんな炎に私が焼かれることはないよ。ただいきなり掻っ攫われちゃってね…、ズルをしたような形になってるんだよ今」
「それは少しまずいですね」
精霊を撫でながら小さく苦笑する。三柱の試練はこの国の伝承にもある神の試練だ。何かを神に願う時、願った神から3つの試練を与えられ、その対価として願いを聞いてもらえると言う。願いは正しいものでなくてはならないし、試練は過酷なものであると言うから人がそれに縋ることは稀な事だった。つまりその試練に不正を行うなど言語道断なのだ。神を冒涜したことになるのだから。
「素戔嗚様がお怒りだといけないから、私は妹達が落ち着いたらすぐに戻らないと」
「それは…、僕達も証人として一緒に行きましょう。巻き込んだ詫びもあります」
「ん、何処かへ行かないといけないんじゃなかったのかい」
「目的も予定もない旅です。構いませんよ」
「それなら心強い。さすがに神の怒りは怖かったんだ」
「神共にはあまり関わりたくはなかったが、まぁ俺のせいみたいなものだし仕方がない」
小さくなれないシエルを神の元へと連れて行くのは正直気が進まない。だがさすがに一刻を争うだろう。
「私達はもう大丈夫だよ、ユーリィも外へ出れたし山も降りて屋敷に戻るから」
「恐らく天照大神様ももうここで悪さをすることはありませんよ。少なくともすぐに正気に戻るのは難しいでしょう」
「え…、君らなにしてきたの」
おやしまったと少しわざとらしく口をおさえた。
曖昧に笑ってマントを羽織り直すと厄介事はさっさと終わらせようと席を立つ。
「場所は?」
「東の端、イズモだよ」
「アッシュ、飛べる?」
「問題ない」
「では行きましょう、2人はすぐに山を降りなさい。今度こそ悪さをされぬように頼んでおきますから」
頼む?とシリサが首を傾げているとアッシュが闇夜に光り輝く大きな白銀の狼と変わるのに声を失った。
「乗って、今回は特別ですよ」
悪戯に微笑みながら肢体を低くしたアッシュにシエルがひらりと先に飛び乗った。手を差し伸べて背に乗るのを助けてやると、アッシュが残る2人に一瞥をくれてから軽く空へと駆け上がる。
「あやー…、やっぱあの男は女の敵だね。あの姿ですら、なんて綺麗なんだろ」
「……そう、だね」
あっという間に姿の見えなくなった風のような2人と姉を見送ってシリサが呆れたように感嘆の声を上げる。それに応えるようなユーリィの声に、おや と振り返ると久しぶりに再会した姉の美しい顔が火照って赤く色づいていた。
「あれ…、ユーリィ…。貴女まさか」
「何でもないのよ、この山の熱気に久しぶりにあてられただけ」
「……どっちによ」
「だから、何でもないの!」
ダメだよ、と心の中で姉を諌める。あの2人は人の手には余るのだ。決して心を寄せてはいけない存在なんだから。自分の微かに疼く胸を押さえつけながら自戒もこめて思う。
あれは神様でも御せない何かなんだから、と。
❀❀❀
「方向は合ってますか」
「えぇ、このまま真っ直ぐ。この速さならすぐだわ」
ものすごいスピードで空を駆けているというのに全く風の抵抗も揺れも感じない。何か目の見えないものに覆われているとしか思えなかった。
実際は風の精霊が全ての風を操ってそうしているのだけれど。
『降りるぞ』
シエルにだけ聞こえる声でアッシュが合図する。視線を下せばまだ炎の残る麦畑が半分以上焼け落ちて赤く揺れていた。
「あそこですね」
「凄い、ここまで普通なら10日は掛かる距離なのに。こんな一瞬なら直ぐに戻って良かった」
「降りますよ、素戔嗚様はどこでしょうか」
焼け野原の傍へと降り立つと2人を降ろしてすぐにアッシュがシエルを護るように抱き寄せた。
何せ此処にも神がいる、どんな相手であっても油断はできなかった。
「さて、神気は感じるのですがお姿がありませんね」
「素戔嗚様!試練の最中に申し訳ございませんでした!潔白を証明するためにただいま戻りましてございます!」
パチパチとのが焼ける匂いに鼻をこすりながら辺りを見回すが直ぐに姿を現す気配がない。試練者とは別の人間が現れたことに何かを思って様子を見ているのかもしれなかった。
「此度起こった事由の証人でございます、素戔嗚様 どうかお聞き届けくださいますよう」
一歩前へ出て静かに神へと語りかけるとざわりと空気が動き、炎を背に精悍な男が一人姿を現した。鋭い目と無造作にまとめた髪。これが素戔嗚なのだろうか。
「おのれらは何者よ、我の試練を己以外の力で抜け出すとは…、千に切り裂かれ獣に喰わせても文句は言わんな」
「貴方様の姉神が、我儘で連れ出しただけでございます」
「…なに」
ゆっくりと近づいてくる体は見上げる程大きく、長身のアッシュよりもまだ頭2つは高かった。
「おまえは」
「シエル。小さなひとつの人間でございます」
「…何故顔を隠す」
「……証人に顔は必要ありません、 …ッ…ぁ」
無造作にフードを取り払われて白金の髪が溢れ、翡翠の瞳が神を見上げた。白い貌が露わになり、見開いた視線が噛み合った瞬間に顎を捉えられ外せなくなる。
「…何だ、見覚えがあるのに思い出せぬ。こんな美しい女、忘れるわけもないというのに」
「…ッアッシュ、ダメ」
その腕を叩き落さなかったのが奇跡だった。
今此処でこの国の神とこれ以上の諍いを起こすのだけは避けたかった。
……いや、最悪もう起こしたあとなのだからとことんやってやっても構わないのだがそれは最終手段にしたい。
「僕は男ですよ」
「なに、誠か。ならば無理もないか…」
それは女ならばともかく、男は視界に残っていないということだろうか。不思議そうに首を傾げたかと思えば捉えていたシエルを離して試練者であるサレアへ視線を移した。直ぐにアッシュに抱き寄せられて護られるのに苦笑を禁じ得ない。
「試練者よ、話は誠か」
「偽りなく。突然召喚の光を受けて連れ出されました。御用の後、姉神様は何処かへと姿をお隠しになりその後は分かりません」
「ふぅむ」
どう確認しようか迷っているのか顔に手を当て考え込んでいるのに口を挟む。
「僕たちを追ってこられたのです」
「あん…?」
「人違いをされたようで、彼を探して追ってこられました」
「姉上が、人違い…?おまえは?」
本当に男の顔は一つも覚えていないらしい。アッシュの顔を見ても全く思い当たらないといった様子に天然なのだろうかと真剣に思う。
「アッシュ、ただの亜人だ。想い人に似ていると言われ追われた、人違いだ」
「姉上の想い人…、あの最古神のひとりか。あー…、そう言えばそんな顔をしていたかもしれんな」
まじまじと今度はアッシュの顔を覗きこみ考え込む。何だか大雑把な神だな、と思いながらアッシュの腕の中で見上げていると不意に視線を自分へと戻された。
「よかろう、それが真実であると証明出来れば試練の件は許そう。改めて試練を続けてやってもよい」
にやりと笑うと大きな体を起こして顎を指でゆるゆると擦る。試練はもういいのだが証明とは。
「何をもって証としますか」
「うむ、おまえ 我と子を作れ」
「………は…?」
シエルに視線を向けたまま神がいきなり爆弾を落としてくれた。投げつけてくれたといってもいい。咄嗟に抱かれていた腕を押さえつける。
「美しいな、気に入った。邪な心がなければ良い神が生まれるはずだ、それをもって示してみよ」
「宇気比と言うやつですか…」
ざわりとアッシュの視線に殺意が籠もる。当然そんな申し出は受けるわけにはいかなかった。宇気比による子作りは人のように体を交えるものではないとは言え、自分とアッシュ以外の神との子など彼が、彼等が許すはずもなかった。今この腕を一瞬でも離したら目の前の神は粉微塵に切り裂かれるだろう。
どう答えたものか。正直答えを間違えればこの国一つは軽く滅びる。
一人だけ状況を理解せずのんびりと構えた目の前の神と神だけが気づかぬ一触即発の空気に思い悩んでいると、それにサレアが気づいたようで慌てて間に入る。
「お、お待ち下さい。彼等は証人ではありますが、当事者は私でございます!証明は何としても私がしてみせますのでどうか!」




