頭に来た。
す、とすぐに荒らげた声を収めて神のように佇む。
「さぁ、この手を取ってたもれ。見よ、妾の姿。この眩き身体でもって迎えにまいったぞ」
「頼んでない」
「貴方様が愛でる為に磨き上げた身体じゃ」
「俺はお前の求愛など受けたことはないと言っているだろう」
「その姿が貴方様である何よりの証しではないか!」
面倒くさい、とため息をついたところで腕の中の人が小さく震えているのに気づいた。あ、と思う。これはいかんな、と思うがシエルに弱い自分にはどうする事も出来なかった。
「シエル、どうしたい」
「………この我儘娘、いい加減に黙らせたい」
「そうか」
「なんじゃ、何を申しておる」
「貴女の想いは尊くて、彼の想いはどうでもいいのかと言っていた」
「…ッ、そうは…言っておらぬ」
愛しい男をないがしろにしたのかと問われて慌ててただす。チラチラとアッシュの顔色を伺い恋する女の顔で縋った。
「そうではないのじゃ貴方様。片恋などとツラい想いをこれ以上して欲しくない。妾は身に沁みて知っておる…、あの月の小娘は貴方の腕には降りては来ぬのじゃ」
言うに事欠いて小娘と来た。
この、もはや何も感じる事すらできない程の悠久の記憶を、この女神は何一つ欠片ほども知らないのに。
「彼等は、ちゃんと想いあっている。片恋などではありませんよ」
「ふん、わっぱが何を分かった風な…妾は生まれ出でて八億の年月、ずっと…ずっと貴方様に焦がれておった。見つめておった。この気の遠くなるような想いを誰がわかるというのか…!」
きょとん、とシエルが目を丸くする。
8億年前といえばもうとっくに地上には生物があふれ、賑やかしくゆっくりとした刻を感じられるようになった頃ではないか。気が遠くなるどころか地上を眺めるだけで安らかになれたものだ。
一つも…、自分の記憶ではないのだけれど。
「アッシュ…、この我儘娘、何言ってるのかな」
「さぁ、それだけ彼奴を追っかけ回しておいて挙句に恥ずかしげもなく堂々と別の男に懸想してるんだ。俺には理解できん」
「そうですね、人の男に手を出そうというだけでもどうかと思うのですが…挙句にこれとは」
「何を言っていやる」
「愚かな女神を笑っていました」
「わっぱ!」
わざと見せつけるようにアッシュの首に腕を回して面倒くさそうに視線を流す。彼女はもはやシエルにとって敵でしかなくなった。
「わっぱわっぱとうるさいな…、確かに僕は君よりも少しばかり年下なのかもしれませんが君よりはこの世界の眩む時間を見ていますよ」
「は?少しばかりと言ったか。妾が生まれ出でてから八億の刻の足元にも及ばぬ塵芥が」
ぎゅ、と絡めた腕に力を込めて、眠るように、何処か空虚な瞳を静かに伏せて小さく囁く。
「では…その、塵芥が持つ記憶をほんの少しだけでも覗き見てみるか…」
ぶわりと神気が溢れ風が巻いて包んだかと思うと抱き上げられていた小さなシエルの身体が元の姿へと戻り、眩しいばかりの月の女神の姿を現す。
甘えるように胸に額をつけると眠たげに、静かに、その唇から透明な歌声が紡ぎ出された。
「おまえ…、おまえ!おまえは…!………ッ」
叫んだ直後にうっすらと天に顔を出した月の光が細い細い光の一粒の雨となって女神を貫いた。
「ーーーーーーーーーー……………ッ」
愛おしげに髪に唇を押し当てシエルを抱きしめていたアッシュがゆるりと瞼を起こす。
「何を見せたんだ」
「…セリスの、記憶の欠片」
ほんの、ほんの少しだけだ。
一粒の生命もなく、微かな音もなく、閉じ込められた空間で自らの分身の光に照らされるだけのほんの一千年の記憶だけを女神に焼き付けた。
そうだ、君の8億の刻に比べたらほんの瞬きの記憶だった。ほんの短い、一瞬の記憶だった。
「耐えられない、か」
一点を見つめて動かなくなった女神をアッシュの腕から見下ろして冷ややかに呟く。
この絶望の刻の中、一条の愛に救われて彼女は存在し続けたのだ。
だがその記憶だけは見せていない。
見せつけてやろうかとも思ったのだが、彼とのセリスの記憶は彼女の大切な宝物なのだ。欠片だって、砂粒程だって分けてなどやらない。
片恋などと笑わせる。お前が彼らの何を知っているというのだ。彼等は今の自分達でさえも及ばぬほどに愛し合い、想い合っている。お前如きが、僕ですらも隙間にも入り込む余地などなかった程に。
700万の刻、僕はそれをずっと見ていた。ただ人形のように、見ていたのだ。
「ねぇアッシュ…、君は億年 僕だけを愛してくれるの」
「世界が滅んでも、お前だけを想う」
満足気に肩口へと頬を寄せて微笑んだ。小さく、小さく『私も』と呟やいて。
「で、これをどうする」
「捨て置く」
「お前にしては珍しいな」
「…頭に来た。それだけです」
「ま、弟共がどうにかするか。じゃあ…」
「戻りましょう、巻き込まれた少女達が心配です」
ある意味同類である女神には目もくれずに人間の少女たちの元へと飛ぶという。こう言う人であれ神であれ同じものとして見るところはステラとよく似ている。やはり魂は姉弟ということなのだろうか。
❀❀❀
「あぁ…、すみません」
ゆるりと女が振り返った。
凛々しい顔、悔しげにも空虚にも見える無表情に涙の跡だけが残るがもう泣いてはいないようだった。
「誰なの…」
「…その惨状の元凶です」
「そう」
もう興味もないと言う顔で視線を戻す。
呻く少女たちの四肢から零れ落ちる赤い雫を必死に止めようと巻いた傍から真っ赤に染まる白い布を固く巻き続けていた。
岩屋になんとか運び込み、真っ赤に染まり続ける布の上で2つの肉の塊が蠢いていた。四肢を奪われ美しかった若々しい少女2人が見る影もなく真っ青な顔で、気を失うこともできないで呻いている。
「焔姫様ですか」
「えぇ、ごめんなさい。今忙しくて、この子たちに用事なら後日にしてもらえないかしら」
「リリィ、お願い」
キラキラと笑う少女が現れると空気が変わった。この子はいつもお願い事をすると本当に嬉しそうに応えてくれる。ちゅ、と先にご褒美だとばかりにシエルの頬に口づけてから岩屋の中へと飛んでゆく。驚くサレアの脇からヒョコリと顔を覗かせると2人の細いが確かに感じる呼吸を確かめてぱぁっと顔を輝かせた。大丈夫だよとこくこくと頷いて丁寧に傷口へと口づけていった。
「大丈夫、この子に癒せない傷はありません」
「巻き込んだな、謝る」
「あ、…ぁ ユーリィ…、シリサ…」
淡い光に包まれたかと思うとふわりと失った四肢が戻ってゆき、流れ落ち失っていた血液が身体に戻ってゆく。痛みにか真っ青だった顔にほんのりと赤みが戻りゆっくりと目を覚ます2人にその場にいた全員がほっと息を吐いた。
「……ん、…姉さん…」
「……ぅ…、ここは」
「ユーリィ!シリサ!」
まだ残る痛みの残滓に戻った手で無意識に手足を擦りながら覚醒しきってない頭を振って一瞬2人が考えている。記憶をたどるように逡巡していたかと思うと あっと顔を上げてシリサがこちらに向かって指差した。
「無事だったの!よかった!」
「ふふ、開口一番がそれですか、可愛い人ですね」
「…アレ、君は………だ、れ」
視線があった途端にシリサの息が止まる。
真近にシエルの姿を見てまともでいられる人間は少ない。しまった、と自分の姿を思い出してフードとマントを深くした。
「すみません、ちょっと今力を使いすぎてて戻るのに時間かかるんですが…」
「記憶干渉なんて使うからだ、すまなかった。姿は違うがシエルだ。悪かったな」
隠すように腕に抱き込むと、自分も白銀の髪を揺らしてアッシュが代わりに答える。これでもセリスに比べたらましなのだ。だが気をつけないとな、とマントを握る指に力がこもる。
「シエル…、シエルちゃん!?本当に?びっくり」
「…シリサ…、知り合いなの…あぁ姉さん、懐かしい顔…久しぶりだわ」
「2人とも、私が不甲斐ないばかりに…ごめん、痛かったろ」
3人が三様に懐かしみ、謝罪し、喜び、そしてまだ混乱していた。それはそうだろう、変わらぬ穏やかに日々を送っていたと言うのにいきなりこんな厄介ごとに巻き込まれたのだ。
「すみませんでした。ある意味僕達も巻き込まれたクチなのですが、貴女たちには余計に理不尽だったことでしょう…、僕からも深く謝ります」
「君のおかげで妹たちには大事なかったからいいよ、ありがとう。私はサレア、この子たちの姉です。代わって礼を言うよ」
優しげだが凛々しい、短い黒髪が印象的な背の高い女だった。何処か2人とも似た面影が確かにある。
「それに、私もつい逆らっちゃって。誰かを害するためだと思ったら素直に言うこと聞けなくてね、妹たちをこんな目に合わせちゃったのにあんた達は関係ないんだ。私のせい、本当にありがとう」
「驚いたでしょう」
血塗れだった岩屋をリリィに浄化してもらい、質素だがしっかりとした造りの椅子やラグに腰掛けて三姉妹が各々互いの無事を確かめ合う。お茶を出しながらシリサがまじまじとシエルを見るのに苦笑いを隠せない。
「それにしても、小さくてほんっっとにかっわいい子だと思ってはいたけど、…その姿はどうしたの」
「どうしたというか…、まぁ本来の姿と言うか」
「へぇ…凄いね、綺麗だねぇ…ユーリィより綺麗な人初めて見た」
「あまり見ないでくださいよ」
居心地悪そうにフードを深くしてアッシュの影に隠れる。珍しい様子にアッシュの方が驚いていた。
「おまえは最初からそうだが、ストレートだな」
「あれ、そう?ごめん、嫌だった?」
「構わんが、シエルはこの姿をあまり見られたくない。俺もな、そう見てやらんでくれ」
「そうなんだ、ごめんごめん」
「シリサとは顔見知りだったんだね、いきなり女神にここへ連れ戻されて脅されたもんだから何があったのかと…、あんた達も無事でよかったよ」
「ユーリィも外に出てるしね!」
「私も…気づいたら外にいて驚いたわ…」
「一体何があったの…」
驚くのも無理はない。恐らくこの数年の間、神の理不尽で姉妹の一人を奪われ、取り戻すために必死だっただろう。それがある日突然現れた女神に全てを壊され、奪われかけたかと思えばいきなり全てが解決したのだ。
「こう言うのも終わりがよければに含まれるのでしょうかね」
「無理があるな」
「やっぱり?」
困惑と喜びと入り混じった3人の久しぶりの再会に良かったのだか悪かったのだか、淹れてもらったお茶を飲みながら久しぶりに戻れなくなった体を持て余していた。




