吟遊詩人ですが歌いません。
「アニラ・ベント・アルラエル伯爵令嬢!貴女との婚約は破棄とさせていただこう!」
会場に響き渡る声にざわりと一瞬大きく空気が揺れた。豪奢なパーティ会場には色とりどりの衣装に身を包んだ所謂高貴な紳士淑女達の視線が、対峙する何処かの令息とたった今声高に名を告げられた令嬢へと向けられる。
「クロード」
「…なんだい?私の愛しい月の小鳥」
「あれは最近の流行りというものなのかな、以前も何処かで見た記憶がある光景なんだけど」
「余興だろう、この私の7700と22歳の生誕祭の、さらにまだまだ前夜祭だ。気の利いた道化達が私を楽しませてくれようとしているんじゃないかな?」
多分、と適当な相槌をしながら毅然とした態度で迎え討つ令嬢を眺めていた。騒ぎの中心へと人々の視線が向かった隙に、玉座の裏の幕から姿を見せる小さな少年が可愛らしく着飾った身体を、玉座のあろうことか肘掛けに乗せてこくりと手にしたグラスを口にする。
「…君はもうちょっと、今自分がいかに紳士淑女の皆様の誰の目にも止まっていないという事実に気づくべきじゃないかと思うんだよ」
「私の愛しい月の小鳥はなんでこう私にだけ辛辣なのか」
「……以前から思ってるけど、月と小鳥はまったく交わらない存在だからね」
月夜に小鳥は歌わないよ、と少年は手にしたグラスを傾ける。そんな呆れた口調に玉座に座る金髪の青年はおかしそうに笑った。
クロード・リ・シャーナ・アルラム・カイダイ。現光の国の王であり、唯一の王族である。光と闇の国の王は肉欲で子をなすことはない。光と闇の境にそびえる世界樹から生まれ、きっちり100年の刻を生き、世界樹へ還る。そしてまた世界樹から生まれるのだ。人ではなく、光と闇の欠片。
傍らに座る小さな少年がつまらなさそうにちらりと視線を向けるとそれはそれは嬉しそうに眦を下げる。ミニハットを白金の髪に乗せてこてりと首を傾げる姿はまさに神の作り上げた最高傑作だ。
通常ならば衝動的な生き物である子供は公子公女のお披露目でもない限りこのような場には連れ出されることはない。
ましてや少年は傍らの玉座の男の血縁ですらないというのに最側近ですら立つことない場所で当たり前のように寛いでいた。
「そんな顔をしないでくれないか。もう二度と外には逃がしてあげられなくなってしまう」
肘掛けに乗せた細い少年の腰に軽く腕を回すと胸元へと意味ありげに唇を寄せた。
「…アッシュ、stay」
瞬時に膨らむ殺気にため息混じりに制止の言葉をかけると玉座の裏の影がぴくりと声に応えて動きを止めた。
「クロード、あまりアッシュを揶揄うな。僕でも時々止められない」
「だったらもう少しまめに顔を見せておくれ。君がいなければ私は退屈で死んでしまう」
その言葉に少年はビクリと小さな身体を震わすと少しだけ声を落として遠い目をした。揺れる葡萄の液体を見つめて小さく呟く。
「……僕は、ただの―――――ゃないか…」
ふ、と少しだけ少年の瞳が悲しげに揺れると攫うように影から大きな腕が小さな身体を抱き上げた。
玉座に座る青年は薄く笑って手にしたグラスを掲げると優しく祈るように少年へと乞う。
「歌っておくれ、私の為に」
❀❀❀
「ん…、もう着いたの…」
白銀に輝く大きな狼は、その背で寝ていた少年が目を覚ましたのに気づいたのかそっと身をかがめた。年の頃は5つから6つ。まだまだ母の手がなければ生きられないような子供が可愛らしい仕草で細身の身体を伸ばすととん、と1人で地に降り立つ。
この国に足を踏み入れるのもいつぶりだろうか。やかましい程の便りにうんざりとしながらもやってきてしまった。
「普通、誕生日パーティの招待状を1年前から10日に一通送り続けるかなぁ…」
1年に1回しか行われないはずの誕生日に1年前からである。どれだけ信用がないのか。いや、多分ここまでしなければ自分は今この地にいないとは自覚があるが。
「久しぶりだし、どうしましょうか。少し散策する?宿屋でも探そうか?」
「しばらくいるのか…」
低く、澄んだ低音が答えた。いつの間にかあの大きな狼は姿を消していて、代わりに長身の剣士がそっと小さな身体を抱き上げる。
「ふふ、黒の好きで構わないけど、どうしたい?」
「……あいつは好かん…」
「相変わらずだなぁ、まぁ少し様子見てからにしましょうか」
よしよしと指にからむ銀髪を小さな手で撫でてやると、長い前髪に隠れた端正な顔がうっとりととろけた。すり、と目を閉じて頬を寄せる男に小さな少年はくすくすと笑う。
「…おまえが望むなら、俺はなんでも構わん」
「…僕はね、小さな生き物達が可愛らしい営みを見せてくれるなら、なぁんでもいいんです」
小さな少年とは思えない、酷く達観した表情を見せる白金髪の子供は、青年の腕に抱かれて足元に広がる光の街並みを見つめた。
まだ日の高い昼下がり、多くも少なくもない雑踏の中をゆっくりとショーウィンドゥを眺めながら歩いているとまだ幼さの残る声が後ろから呼び止める。
「ねぇ、お兄さんは宮廷騎士さま?」
深くフードを被り、マントで身体を覆った子供連れに声をかける少女。年は16.7といったところか。胸に白い花を飾っているのが印象的だが何処にでもいるそばかすの少女だ。
「…剣も持たない子供連れに騎士だなんて、ふふ…どうしてそう思ったんです…?」
「亜空ポーチでしょそれ。剣なんかいくらでも隠せるじゃない。騎士にだって子供くらいいるだろうし、それよりお兄さん凄い所作が綺麗…、って君…」
青年ではなく腕に抱かれた小さな子供が答えたと気づいて少女は戸惑った。
「こんにちは可愛らしいレディ。僕はシエル・シャン・アラルエヴィ、彼は…守り…、護衛?のアッシュ・レイル・黒耀。騎士様をお探しなんですか?」
「あたしは…、マルル…。というか、城勤めの役人なら誰でもよかったんだけど…、えーっとご主人は君の方って事なの」
「主人というわけではないのですが、この子は僕の大事な…」
少し考える素振りを見せたかと思うと じ、っと小さな手に抱き込まれた黒髪の青年を物言いたげに見る。
「…今更言い淀むな。構わん」
「可愛いペットです」
「……は?」
「可愛い可愛い僕の愛玩…」
「聞こえなかったわけじゃないから!強調いらないから!」
言わせねぇよ!?とばかりに思わず止めた。
フードに隠れてはいるが揺れる黒髪は素直で、紅紫の瞳は美しい。よく見れば前髪に隠れた精悍な顔は綺麗といっていい。殆どの女性の目には魅力的にうつるだろう。長身で長い手足、マントに包まれた体躯も程よい筋肉に包まれていて文句のつけようがない。え、ナニコレ美味しそう。
この男が年端もいかない子供のペット…。
「あんた、どっかの大富豪の息子か、もしくは貴族かなんか…?」
「ふふ…、いいえ?ただの旅の吟遊詩人です」
「はぁ?吟遊詩人、って。君が!?ちゃんと歌えんの」
「歌いませんが」
「…吟遊しないの」
「しないですね」
にこにこと答える大人びた子供に返す言葉をなくす。
「それより、お城勤めの人間を何故お探しなんです?」
「…はッ、違うなら、いいの邪魔したわ、ごめんなさい」
我に返り立ち去ろうとする少女ににっこりと答える。
「んー、役人ではありませんが、あのお城には非常に面倒な事に近々参る予定ではありますよ」
❀❀❀
「僕は思うんですよね。貴族とか、平民とか一体なんの区別なんですかね」
近くのカフェのテラス席でカラリと涼し気な氷の音を立ててグラスの中の吸い筒を回す。
「いいじゃないですか門をたたいたら好きに開けてやれば」
「そんな簡単にいけばお城どころか平民の家だって強盗仕放題じゃないのよ、なんなのよあんた」
「なるほど、君は頭いい。そして僕はただの吟遊詩人です」
「歌えないのに」
「なんか旅人っぽくないです?」
にっこりと笑う顔がいやちょっと待って半端ない。よくよく見れば恐ろしい程の美貌なんだが。
そう、美貌と言っていい。
まだ幼い子供ゆえに気づかなかったが、淡い白金の髪は絹糸のようで、白い肌に蒼みがかった透き通る翡翠色の瞳。まつ毛長い、まつ毛長いよなにこれスプーンでも乗っちゃいそう。大人になったらどうなってしまうのだろうかとそら恐ろしささえ感じる美しさだ。1人で歩いてなどいたらもう一瞬で人攫いに群がられてるでしょこれ。取りあいで掻っ攫われているあたしならそうする。
「おい、見すぎだ。減る。」
隣に座ってさっきからあれやこれやと少年の世話を焼いていたアッシュが羽虫を見る目で言うのに、残念な大人を見る目で返してやる。何いってんだこいつ…。大体従者とは言えさっきから甲斐甲斐しすぎないか。
「ふふ、で。どうして君はあのお城に関わる人を探しているんです?狙いはやはり強盗なんですか」
「人聞き悪過ぎ、初対面の人間に遠慮もなにもないわね。あそこでもうすぐ大きなパーティがあるのよ」
「あぁ知っています、王の生誕祭でしょう。一応その為にこの街へやってきました」
「はぁ?歌えない平民の吟遊詩人があんなところへ何をしによ」
「呼ばれたので」
ずっと笑顔を浮かべたままだ。本当に食えない子供。だけど何故だか強く言えない、抗えない空気…?オーラのようなものがある。本当に平民なんだろうか。おそらく何処かの大商人の御曹司といったところだろう。纏うマントも旅人とは見えない上質なものだし、連れている従者もおそらくは腕の立つ剣士だ。パーティのついでにお忍びで城下町散策でもしていたのだろうか。
「そこに…、魔剣聖が来るって…噂が」
「へぇ…?」
可愛らしい人形のように小首を傾げる。
「どこからまたそんな噂が。で、マルルはその方にご用事があると」
「本当なの!?」
「さぁ?」
ぐっと言葉に詰まった。何だか調子が狂う。小さな少年と話してるはずなのにだんだんこの子につられてしまう。そうだ、こんな子供が知るはずもないのだ。あの伝説の行方を。
「大陸にたった一人の剣聖。しかも精霊に愛された精霊主の剣聖でしょう?」
「そう、知ってるんだ?お城の近衛兵だって人達が噂してたの」
「そりゃあ、まぁ。小さな子供でもおとぎ話のように聞かされるのでは?ふぅん、近衛兵が…王がご招待でもなさったのでしょうか」
「風の、風の精霊主だって聞いたから、頼みたいことがあって…会いたい」
「会いたい人に自由に会えたら、それは幸せな事でしょうね」
代々大陸一の剣士に捧げられる、2つの王国と5つの帝国の2人の王と5人の皇帝が認めて初めて与えられる《剣聖》の称号。
今の剣聖は今までにはない稀有な存在である。やはり大陸に5人しか存在しない精霊主の1人だという。
5つの元素、それぞれに存在する精霊のうち、風の精霊に愛された剣士。つまり精霊術も操る魔剣聖だと言う事だ。おまけに亜人なのかもう100年を超える年月その座に就いている大剣聖である。
「あんな伝説みたいな人、探して見つかるもんなんですか?噂もただの噂でしょう」
「この大陸のどこかにはいるんだよ!会える確率だってあるはずじゃない!おまけにこの国にやってくるって言う可能性があるんだから!」
「はぁ…、まぁそれはそうなんでしょうが。凄いですねぇ…」
「何がよ」
「ふふ、なんでも。でもなんでその伝説を探しているんです?」
「……君に言う必要ないでしょ。でも時間が、無いんだもん」
「…隠すんだ?」
にっこりと何だか意地悪そうな顔で頬杖をついて伺うように首を傾げた。ダメだ可愛い無条件降伏しそうになる。
カラカラと吸い筒を回してアイスティーを口に含むと少しだけ考えてシエルが交換条件を提示してきた。
「そうですねぇ、では理由を教えてくれたら生誕祭までの2日、探すのを手伝ってさしあげてもいいですよ」
だってほら、自分達は城への出入りも可能なのだから。
人間が現れた目安は聖書を参考にしましたが、実際現代では大体縄文時代。