幕間✧これから出会う
高い岩山がそびえる山あいで爆発音に似た爆音が響き渡る。岩の崩れる音、木々が折れ、葉ずれと崖から落ちていくのに鳥たちが逃げ惑う気配。
「なぁ、あんなチビがちゃんと守ってやれんのか?」
「主、お裾が汚れておりますよ」
「これ、あいつの方がすぐ死なね?なんか守る前にその辺で喰われて死なね?」
「主、ほつれも。帰城しましたらすぐお着替えもいたしましょう」
一体彼奴等何なんだ、わけがわからないまま追い回されて理不尽に攻撃されている。何とか目はくらませて隠れてはいるが全く諦めて立ち去る気配がない。
「おーい、コラわんころ。隠れたって無駄なんだよ、でてこい」
長い黒髪が美しい絶世の美女だ。口が悪すぎるが乳が腫れている。あれは母と同じ女ってやつだ。
しつこい。俺はただ狩りに出た兄達の代わりに母の手伝いで樹の実を拾っていただけだ。
「…無駄だって言ったろ」
「わあぁぁあ!何なんだよおまえ!」
くらませてない!
いつからいたのか背後、至近距離から声がして咄嗟に飛び退く。
「息遣いが隠せてねぇ、気配は丸裸、ちっとも隠れてねぇんだよ。そんなんで生き残れんのか」
ハァハァと息を切らし、ズタボロに痛めつけられた姿でキッと睨み返す3才程の小さな少年。何でこんな目にあわされているのか理不尽である。
「呑気にこんなところでお子様満喫しやがって、後悔すんぞ〜?可愛い可愛い大事なもん、無くしちまうぜぇ?」
にやにやと意地悪な笑みを浮かべて見下ろしてくる女に何のことかわからずただただ逃げ惑う。地を這う影が追いかけてきては次の瞬間には女が目の前に現れる。生まれてからずっとこの岩山で親兄弟とだけ生きていたアッシュにとっては見たことのない驚異でしか無かった。
「仕方ねぇ、持って帰るか」
「主、簡単に犬猫を拾ってはなりません」
「すぐ野に返すから」
「仕方ありませんねぇ」
仕方なくない!
一体何が起きているかわからない。まだ両親からのぬくもりが恋しい幼子だ。マーナガルムという種族ゆえに多少身体能力が高く、幼少期の成長が早いがまだまだ歯も生えそろわない子供である。
「父君と母君にご挨拶だけしてまいります」
スッと真っ黒な男が消えた。
これきり父にも母にも兄弟にも会うことはなかったが、この時黒い男が自分の生い立ちを家族に明かし、家族は悲しみはしたが納得するしかなく、自分を探さなかったのだと後々知る事にはなる。
「はなせッはーなーせー!」
「テメェのためだっつぅの。泣いて有難がれクソわんころが」
無理矢理自分を連れ去って来た女は無造作に岩肌の見える山の上に放り投げた。
「さーて、まずは小手調べだ。…上がってこい」
にやりと口角を上げて笑ったかと思ったら女は子供を高さ700ftはある崖から何の前触れもなく蹴り落とした。
「…ッ、ぇ 」
「ほら、何とかしませんと死にますよ」
いつの間にか一緒になって逆さまに落ちている黒い男が茶でも飲んでいるかのような呑気さで子供にアドバイスをする。
いやアドバイスと言っていいのか分からないが、にこりと笑うとスィと消えて小さな笑い声だけが残った。
そうだこのままじゃ自分は死ぬ。落ちて死ぬ。わけもわからないままあんな女に殺されるのだ、そんなの我慢ならないだろう!
ギッと歯を噛みしめるとしなやかな白銀の狼の姿に変わり、ありったけの力で岩肌に爪を立てガリガリと削りながら落下スピードを落とすと何度か岩の足場を蹴って眼下に見えた木々へと飛び移る。衝撃がでか過ぎて何本か枝を折りながらも地面スレスレまで衝撃を殺したが殺しきれず地面に叩きつけられた。
「ぐ、ク…ッぅぅ、ぃ……ッぁ 」
「おや生きてますね。腕と足は折れましたか、まぁこんなものでしょう。登ってきなさい、逃げるのは無駄です」
わけもわからないまま地獄のような毎日が始まった。
❀❀❀
「お前はなぁ、テメェの全部をかけて守らなきゃならねぇオンナに出会う。絶対だ」
「そんなのわかんないじゃないか。俺が守りたいって思わないかもしんねぇじゃん。そんなの面倒くさいもん」
「はっははッバァカ!テメェ、全部吹っ飛ぶぜ。頭吹っ飛んで夢中になる。恋をして誰にも触らせたくなくなる、愛して大事で壊さない様に触るのも怖いんだ。んで、おかしくなるくらい幸せにしてくれるオンナだ」
「ダフネはそんなまだわかんないことの為に俺にこんな事してんの。メーワク!山に返してくれよ」
「絶対オレに感謝すんだからなテメェは、後で吠え面かくなよクソわんころ」
「だから誰なんだよそいつ!」
剣を教え、鍛え、日々『いつか出会うオンナ』の話をする。
地獄のような責め苦を繰り返すクセに、1日が終わると綺麗に怪我も疲労も何もかもを治される。
寝起き飲食する場所はものすごく大きくて綺麗な場所で、優しい人達がお世話をしてくれるのだが、それ以外が酷すぎる。家に帰りたいのに泣いても怒っても暴れても返してくれない。ただ俺のためだと言っては酷い事をする。
ダフネはこんなにガサツだが闇の女王と言うやつらしい。7500と47才だと言っていたが見た目は20才にも満たなく見える。大体この位で止まるのだと言っていた。
そして馬鹿みたいに強い。普段はいけ好かない黒い男から意地の悪い特訓をさせられているのだが、たまにやってきては殴るわ蹴るわ斬りつけるわ酷いオンナだ。
おかげで早々に俺の中でオンナって生き物は守るものって認識は消えた。
「…また逃げようとしてますね」
「ッうわ、…ッステラ」
「無駄だと申し上げていますのに」
仕方ない犬ですねぇと首根っこをつかんでつまみ上げる。
「離せよ!」
キンッと月色の瞳が光った。ふわりと柔らかく風がゆっくりと二人を囲んだかと思うと小さなかまいたちが黒い男の腕に傷をつける。
「ん、これは」
「来い、レンブラント!」
鈴の音の様な少女の声とともに可愛らしい精霊が現れたかと思うと、優しくアッシュを抱きしめて黒い男から攫って消えた。
「おやおや、精霊に気に入られましたか、いつの間に。しかも風の精霊は少々厄介か」
ふむ、と気配を追う。これは…、随分面倒な、いやむしろ都合がいいのか?それとも運命とやらなのか。追うか見るかと逡巡する。
が、すぐに主のもとへ飛んだ。
「…ッ、はぁッはぁッ、…はぁッ」
初めて彼奴の手から逃げられた。まだ油断はできないがこのまま逃げ切れば家に帰れる。
まぁ実際は家に帰れば待ち伏せされるのだが、まだ幼いアッシュにはそれがわからない。
連れ去られたのは闇の国という国らしい。自分が生まれたのは空の国という国の霊峰の麓だ。
でもついこないだ懐かれた精霊が連れてってくれるというから信じてみようかと思った。
そうだ、帰れる!
「ねぇレン、俺ここからどっちが家かわかんないんだけど、本当に帰れるのか?」
「どこかにかえっちゃうの?」
「ん…、わぁ!」
「わァ!」
精霊と話していたはずが目の前に笑う子供がいた。え、え?誰だこの子、いつの間にここに居た?というかここは、何処だ?
何だかとてつもなく大きな樹の壁から伸びるうねった根っこの上に隠れるように座っていた。
傍に居た無邪気な子供が小首を傾げて俺に向かって話しかけてくる。
「きみ、おなまえは?」
「アッ…、シュ…・レイル・…黒耀…」
「こく、…よ?」
「黒くて綺麗って事だよ…」
「…クロ ちゃん?ふふ…しろいよ、きれい」
あぁ、嘘だろ。全部、理解 した。
髪をくしゃくしゃかき混ぜられながらぼんやり見つめる。精霊が一人増えている、何だか楽しそうにキラキラ笑っていた。どうやらレンブラントはこの精霊に惹かれてここへ飛んできたらしい。
「あの子は君の精霊?」
「はい、りりぃろーずっていいます、ぼくのおともだちです」
「じゃあ君の名前は?」
「ぼくはしえる。しえる・しゃ、ん?ありるえびぃ?」
笑った。あぁ、可愛い。
すぐに分かった、この子は俺のだ。
誰にも触らせたくない、愛しい、大事だ、触ったら壊れないだろうか、隠して、俺のものにしたい。
「ねぇシエル、俺のものになって」
絶対守る。何からも俺が守るから、手を取って抱きしめて乞い願えば、きょとんと零れそうに大きな瞳を見開いて俺を見つめた。
「おやおやこれはこれはこのマセガキめ。いきなり私の可愛いシエルにプロポーズですか、油断なりませんねぇ」
「おいちょっと待てルシウス。これ男じゃねぇのか」
「うん、私の息子が心配のあまり男の子で造ってしまったんだけど、可愛いだろう?」
「クッソ可愛いが…、何か微妙に嘘ついた事になっちまった…」
「わぁぁあ!」
「わーぁあ、あはははッ」
大きな幹に手をかけ二人の王が二人の子供を覗き込んでいた。いつの間に!驚きのあまり咄嗟にシエルを腕に庇った。絶対取られるもんか!さり気なく後ろでにこにこ控えている黒い男に腹が立つ。
「ダフネ、なんですかこの犬っころ。末恐ろしいガキですね…」
「ほら見ろクソわんころ。本当だったろうが、恐れ入ったかザマァ見ろ。そして感謝しろ」
俺達は、世界樹の根元で出会った。
それが樹なのだと認識するのも難しい程の大きな大きな樹の下で。
あれから流石にその年での二人旅はダメだと10数年程光の国と闇の国で交代で育てられた。だって離れたくなかったから。
シエルには10才位の頃、月の雫だった頃の記憶が戻ったようで、ある日いきなり泣いて、泣いて、泣き腫らすから必死になって抱き締めてキスをして撫でてなだめたのを覚えている。
自分にはそんな記憶は欠片もなかったから、ひたすらこんなに泣かす太陽って奴が憎たらしくて仕方がなかった。
普通に成人するまで二人で育ち、二人になる条件として光の王と闇の女王に加護を無理矢理押し付けられて…。
今思えば、俺に記憶を写さなかったのは太陽なりの優しさだったのだろう。
それでも俺は彼奴を許さないけれど。
❀❀❀
「黒、これは流石にやり過ぎでは」
「やり過ぎじゃない」
ぐるぐるにヴェールに巻かれ、目も口も見える場所が何処にもない。ヴェール越しに視界も確保されているし不便は無いのだが、外から見たら異様ではなかろうか。
「お前の見目は人間には毒だ」
「なんでですか」
「そんな姿で歩きたいなんて言うからだろう」
「えぇ…、そんな姿って、身も蓋もないな…」
「………俺が、誰にも見せたくない」
ヴェール越しに口づける。
悔しいがダフネ、全部アンタの言った通りだった。
今はもう居ない先々代の闇の女王に負けを認める。
あの憎たらしい程強いオンナには、アイツが消える迄一度も勝てなかった。例え今、伝説だの最強だの言われていても、これだけはもう変えられない唯一の真実だ。
そして、この守れる力をくれた事は確かに感謝していて、結局俺は今でもあのオンナにだけはどう頑張っても勝てないのだ。
他に娯楽があれば仲が良い神様。