個人企画に参加してみた ①と②それと③ +バンダナコミック01作品
黒髪の復讐者
企画参加作品ですがホラー系が苦手な方は無理をせずに、ブラウザバッグをお願いします。
ネットの発達し始めた頃に、黒髪の少女が入水し、自殺した話が盛り上がりを見せた。有力な都市伝説や怪談の中で、どこにでもあるような恋人に裏切られて亡くなり、怨霊となった‥‥そんな話だ。
同じように裏切られた黒髪の女性が、その少女の亡くなった海へと身を投げると、代りに裏切った相手を呪い殺してくれるという。オカルト話は好きだった。でもそんな裏切りにあうなんて、その話を知った私は思ってもいなかった。
────数年経って、その時が来た。長年付き合って来た彼に裏切られて傷ついた私は、気がつくと電車に乗っていた。海を眺めて心を落ち着けたかったのに、着いた頃には日が暮れていた。
「何をしているんだろう、私」
家には帰りたくなかった。元彼や浮気女の匂いの染み付いた部屋で、一人でいたくなくって、あてもないまま飛び出してしまったのだ。
「‥‥いい年してバカみたい」
私が一人ぼっちで呟く声を、拾ってくれる影は‥‥ここにはいない。
私の名は菊池里香。どこにでもいる普通の会社員。きめ細かで背中まで届くロングの黒髪が自慢だった。
「自慢だったのにな‥‥」
褒めてくれたのは元彼だ。でも同じ言葉を浮気相手に言っていたのだと知ってしまい、いまは悔しくて仕方ない。その艶のある黒髪もバッサリと切ってしまって、いまは肩まで届くかどうかになった。
私の唯一の自慢が、そんなくだらない理由で嫌いになる日が来るなんて思わなかったよ。元彼に浮気された事よりも、あの女と同類以下に見られた事がショックだったのかも知れない。
駅を降りた。とりあえず海辺まで歩く。異常気象で暑いはずの夏も、いまの私の心を燃やしはしない。街中よりも、海からの風で少し涼しく感じるおかげもある。
人気のない夜の海辺は、静かで不気味に思っていた。きっと私の中に可愛いらしい私でありたい心がいる。弱い自分を作り出して、自慢の髪と合わせて着飾っていたのだろう。
夏の夜の海は思っていたより怖くはない。でも彼らのように浮つく気にもならない。それほど綺麗な夜の海の景色ではなかったから。心と空気が重たいせいもある。冬の乾いて澄んだ空気の中ならば、もっと悲しい心が洗われたのかなと、波の音には癒されながらぼんやり思った。
コンクリートで固められた防波堤の遊歩道の塀から、海に向かって切り裂いた髪の毛の束をぶん投げた。髪の束は空中でバラけ、打ち寄せる波にのまれた。‥‥やっぱり失敗したかな。遊歩道についた街灯の明かりだけでは、海に消えてゆく髪なんて見えやしなかった。
街灯のついた自動販売機で冷えた微炭酸のレモン水を買う。キャップを開けるのに少し苦労する。ほんの少し昔の、些細な優しさを思い出してしまう。また心が沈みかけるが、シュワッとした冷たいレモン水を口に含み、さっぱり洗い流した。
ドラマのワンシーンのように、いかないものだと来てみてわかった。海へやって来て、いろいろと溜まったものを吐き出せばスッキリするかと思ったのに。でも現実はこんなもんだよ。現実逃避すらうまくいかない。スッキリしたのは、自分でカットした髪の毛、それに微炭酸のレモン水で洗い流した口の中だけだ。
これからどうするのか、考えないといけない事がたくさんある。元彼とは顔を合わせたくないのに、そうもいかないとわかっていながら逃げて来てしまったから。
アパートはもともと私が借りていて名義は私、家賃も私が払っていた。出てゆくのは私ではなく元彼の方だ。貸してばかりの借金も回収したい。遠慮する必要ないはずなのに、躊躇う。
「はぁ……戻りたくないなぁ」
憂鬱な気分に、ため息が出る。これから待ち受ける手間と苦労を思うと、面倒ばかりだ。私は傷つき、悲しんでいたはずなのに‥‥どうにでもなれって思って夜の海にまでやって来たのに。何故かこれからの事ばかりが頭をよぎるのだろう。
私は空になった微炭酸のレモン水のペットボトルを見つめる。喉を潤した事で、自分がまだ生きようとしているんだなと知ってしまった。
────だからやってしまった事が憂鬱なんだと思う。髪なんか気にせず、感情に任せて夜の海に飛び込んでしまえば良かったのだ。
「自分が死ぬ度胸はないとか、終わってる‥‥」
悪いのはあいつらなのに、どうして私が逃げなければならないの?
酷いのはあいつらなのに、どうして私が苦しまなければならないの?
あいつらは楽しんでいたのに、どうして私ばかり悲しまなければならないの?
闇夜に浮かぶ月と、波の音。暑い夏の夜でも、本当は綺麗なのだ。私の心が歪んでいただけ。素直になれず可愛くない性格だから浮気されただけ。
わかっているけれど、今更どうしようもない。もう全て終わった事だ。空のペットボトルを備え付けの自動販売機のゴミ箱に捨てて、私は海を背に防波堤の壁に座る。
「────かわろうか?」
不意に私の背中から、私の声がした。自己啓発の変わろうか‥‥私にとって替わろうか‥‥どっちの意味かわからない。わかるのは、見たら終わりの類の何かがいるのが感じられることだった。何故なら、背中側は海だから。
この手の類の妖怪とか、変質者の噂は聞いた事はある。人が立てない防波堤の壁ならば、妖怪の類がそこにいる。
私のように酷い裏切りを受けて、入水自殺をした黒髪の少女の話を聞いた事はあった。私が海へやって来たのも、そんな話を思い出して真似ただけかもしれない。
黒髪の少女は嘆きながら溺れ死んで、裏切った恋人を恨み、呪い殺したという。黒髪の女性が、生命と引きかえに彼女に願えば、憎い男を呪い殺してくれるという。
噂話は知っていたけれど、この海がその海だとは知らなかった。ただ……その程度で足りるわけない。黒髪の少女ごときの憎しみよりも、深く私は傷ついているのだから。
◆
電車に乗って海へやって来る前の時の事。私は会社に出かける前に、寝室の窓の鍵を開けておいた。アパートの一階角部屋。一応塀があって外から丸見えというわけではない。でも、そんな泥棒に簡単に入られるような真似は──普段なら絶対にしない。カーテンはいつも閉めっぱなしだから、鍵の開いている事は外からは見えても、中からは確認しないとわからない。
雨戸は元彼が居付いてから、夜寝る時まで閉めない事が多い。互いに夢中なあいつらは、不用心さなんて気にも止めないのはわかっていた。
私の部屋で私のいない間、私をバカにしながら、私の部屋ごと汚していることを知らないとでも思った?姿はなくても何気ない日常生活が答えを教えてくれる。痕跡を消すために、ゴミが片付けられていたり、消臭スプレーの独特の香りが鼻についたり。
何より唯一の自慢だった黒髪と違う黒髪が決定的だった。雑な彼は、同じ黒髪だからそこを気にしていなかった。それは私が一番褒めてもらいたいものを、本当はどうでも良かったと同義だ。そして薬をキメて寝込む元彼と違って女はわかっていて、わざと痕跡を残したのだ。
激しく求め合った後に交わされるセリフを聞かされる。自分の髪を残すくらい陰険なやつだから、私の部屋に録画か録音機材があるのを気づいている。結婚しているわけではないから、恋愛は自由だとでもいいたいのだろう。自由気ままな猫は好きだが、この泥棒猫は大嫌いだ。
だから元彼が寝入り、私が帰るまで、浮気女がほんの少し眠る瞬間に刺してやったのだ。私に見つかっても構わないと思っている図太い女の喉を一突きに。返り血を浴びないように被せた女の脱いだシャツが、あっという間に血に赤く染まる。何も知らない大好きな元彼の側で、死なせてしまったのが悔やまれた。
私は手を洗い、血痕を洗い流す。血液反応がどこまで残るかわからないが、台所洗剤をスポンジで泡だて念入りに水を流す。刺した包丁は元彼に事前に使わせてあった。ただプロの鑑識官に水道管の中まで調べられては終わりかもしれない。
疑いが元彼に向けられるといいなと願うばかりだ。そうなった時に、ベッドはどのみち買い替えるつもりだから問題なかった。防犯カメラの類はとっくにリビングに戻してあった。
雨戸を閉めて、窓の鍵を閉めた。私の暮らすアパートだから、普通に玄関から出て鍵を閉める。この時は悲しくて悔しくて、元彼に出来る復讐は、そんな事しか思いつかなかった。
◆
「私を食い殺し菊池里香として代わりたいというの? それよりも私が殺してやったあの女に成り代わって、元彼とあの女の身内を破滅させてよ」
もし私の背中で空中で張り付くように立つものが、噂の黒髪の少女だと言うのならわかるはずだ。呪い殺したいくらい、恨んだのだ。自分から死んでしまって、きっと後悔してるはず。だから黒髪の少女は噂になった。私も衝動で、あっさりと浮気女を刺してしまい後悔している。
受けた苦しみはこんなものではないはずなのに、感情が邪魔をする。裏切られたのは事実。でも一度でも愛した相手を、簡単に殺せなかった気持ちはわかるつもりだ。同じ失敗をした私だからわかる。
「……私がその恨みを本当に晴らす場を与えてあげる」
黒髪の少女に、話が通じたのかわからない。海へと投げ捨てたはずの、私の自慢の黒髪。それが何故か私の頭髪に戻っている。海水に濡れてベタつくのと塩臭い。荒波に濡れたわけでもないのに、背中側は服までびしょ濡れだ。
「‥‥あいつはまだ寝たままなんだろうね」
自慢の黒髪の代りに、わたしの復讐心を黒髪の少女は贄として持っていったようだ。もし噂が本当なら、今頃は眠る元彼の隣で死んだはずの泥棒猫が蘇ったことだろう。
私の自慢の黒髪‥‥これが突拍子もない状況を現実だと教えてくれる。帰りたくない憂鬱な気分が消えた私は、自宅のアパートまで戻って来た。
黒髪の少女はすでに元彼を起こし、連れ出してくれた後だった。私の部屋から二人の痕跡を消してくれていた。血の跡も匂いもない私の部屋。それでもベッドは穢されたままな気がして、買い替えようと思った。
強い復讐心を手に入れた黒髪の少女が、私の代りにどういう復讐劇を展開してくれるのか楽しみだ。罪を問われ身を滅ぼすのはあいつらだ。存分に恨みを晴らして、黒髪の少女の無念が果たされる事を祈る。
たぶん‥‥あの女の側でのうのうと眠る元彼の顔を、映像ではなく直接見てしまった時から、私の気持ちは壊れてしまったのだ。復讐を果たしてくれた黒髪の少女が、私の生命を奪いに来ても構わないと私は覚悟している。
◆
入水自殺をした黒髪の少女の噂は、その日を境にパタリと止んだ。元彼と、あの女と、あいつらの家族を巻き込んで、連日ニュースを騒がせていたせいだろうか。
動機が不明のまま二人の身内を惨殺しまくり、黒髪の復讐者は消息を絶った。もともと亡くなっていたのだから、当然だろう。
もっともそれは、黒髪の復讐者を世に解き放った私しか知らない事だ。そして黒髪の復讐者があの女の姿をして派手に事件を起こした事で、菊池里香が殺人の罪に問われる事もなかった。
◆
人の噂も七十五日というが、世を騒がせた黒髪の復讐者の動機がわからず仕舞いだったため、都市伝説界隈ではそれなりに噂と事件の検証が続いていた。伝説や伝承が勝手に作られ、語り継がれていく良い例かもしれない。
何故なら私のお腹には今、元彼との子供がいる。元彼との愛情はとっくに失った。でも愛していた気持ちは本当で、その時に出来たこの子には罪はない。
見たくもない顔に育つのかもしれない。それでも私は自分の子を愛すると決めた。幸い黒髪の復讐者が取り立てて、残してくれた財産が私のもとにある。
黒髪の復讐者は私のもとへとやって来た。産まれて来たのは私と同じ黒髪の美しい娘。わたしにはわかったよ。あいつらを始末し幸せになる事で、黒髪の少女の本当の復讐を果たしたいのだと。
あの黒髪は私のものと、黒髪の少女のものと混じっていたのだと、今頃気がついた。
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またしいなここみ様の純文学企画と、コロン様の菊池祭りの投稿作品となっています。