イタコノイド4
斬罪霊宅の玄関前でうつ伏せに倒れる黒い着物の若い男。自らの首を絞めていた彼に忌避感を抱きながらも近づいていく。
息をしていないのだろう。目視ではあるが首や手の脈、胸部の動きからそう判断する。人様の家の前で自殺とは気味の悪い男だ。
苦い顔をする俺を他所に事解は男の顔へと胸に抱えた人形を近づける。青い瞳にフリルのついた喪服。事解曰く、人の魂を取ってしまうというフランス人形の鎹ちゃん。
「扇ちゃん。彼の目を開けてくれませんか?」
一体何をするのか。苦い顔をより一層強くしながらも彼女に従い男の瞼を指で開く。皮膚は柔らかくて反発もなくすんなりと動かせる。熱を持たない瞼の下から開き切った瞳孔が彼方を見ている。
事解はその目に鎹ちゃんの青い瞳を覗かせた。
「鎹ちゃんの目は霊宝カヒコでできていましてね、封魂の力があるのです。そして勿論、封じた魂を返すこともできるのですよ」
「……霊宝? とにかくこいつの魂を封じることで自殺を止めたってことか」
「さすが、物分かりがいいですね」
しかしそうなると魂を入れれば死人も蘇るということになる。それなら祖母に魂を入れれば今起こっている問題、俺を本物の菊理扇だと断言させることも可能だろう。そう口を開きかけたが、事解は心でも読んだのかこの考えを否定する。
「とはいえ封じて返すだけ。抜け殻に本人以外の魂を入れることもできませんが」
だがそれならば祖母の魂を入れればいい。霊能力者である彼女なら祖母の霊も見えていることだろう。そう考えたところで目の前の男が言っていた言葉を思い出す。「もう消えている」。普通に考えれば成仏したということだが、何故だか別に意味がある気がした。
そんなことを思案する俺を他所に事解は自分の霊能力をひけらかす。
「そしてもう一つ。私の霊能力は交魂。簡単に言えば魂の記憶を読み取ることができます」
そう言って事解はにまりと笑う。その言葉の意味するところは彼女が俺の過去を知っていることへの答えなのだろう。彼女と会った時にした立ちくらみのようなものも鎹ちゃんに魂を取られたからであり、そこで記憶を見られたというわけだ。
「なるほど、それで? 名尾騙を知ってどうしたい? 脅す……いや、それはないのか」
事解が俺を脅すならもっと早くから脅していたはずだ。それどころか彼女は俺がうっかり偽名を口に出そうとしていたのを遮り助けてくれたようにも思える。一体彼女の目的は何なのか。いつのまにか男の死体は寝息を立てて、事解はすくりと立ち上がると訝しむ俺に向き直った。
「扇ちゃん。取引しましょう」
「取引?」
「ええ取引です」
取引。そんなことをしなくても俺には人に言えない罪があるのだからそれをネタに脅せばいい。俺は手となり足となり事解の想定外の働きをしてみせるだろう。そう眉を顰めれば事解はくすくすと笑った。
「だって、脅しが通用するのは一つの顔に拘っている人だけでしょう?」
なるほど。事解という人間は意外にも悪に精通しているようである。例えばどこかの社長が汚職を働いていれば圧倒的な権力がない場合、それをネタに脅すことは簡単である。それはその社長に未練がましい地位があるから。一方で俺のような根無草は脅しが通用しない。本当の顔が壊れたとしても変面のように顔を変えて何事もなかったように生きていくだろう。それを彼女は理解しているのだ。
だが、だからこそ尚のことわからない。
「俺が裏切らないとでも?」
脅しに屈しないということは取引に応じる必要もないということ。そして俺は詐欺師だ。嘘と裏切りの専門家だ。素直に応じるわけがない。
「ええ……と言いたいところですが、それは無理でしょう。私から扇ちゃんに与えられる報酬は一つもありませんので」
いくら詐欺師といえども取引の最後に報酬が与えられるとなれば素直になるかもしれない。ただしその報酬が喉から手が出るほどのものなら。しかし、事解にはそれがない。取引材料は俺の過去のみ。それもバラすならバラせというスタンスを取られている。ならどうするか。事解は困ったように目を伏せ、決意したように目を開く。
「……とはいえ一つだけ、これは五年前、私が紐ちゃんの記憶を覗いた時に知った過去。……正確には扇ちゃんのお母様、瀬織真矢さんのことですが……」
……今更だ。今更、そんな過去に興味はない。それなのに、そのはずなのに、どうしてか知りたくなってしまう。母の死の真相を。
十五年前、母はこの家で亡くなった。腹から流れた真紅の血溜まりにその身を埋めていた。殺されたのだ。当時、この家には俺と母、そして祖母が暮らしていたが、母が死んだ時、俺と祖母は同じ部屋にいたため外部の犯行だと俺たちは思った。そして、もしかすると母はその人物の顔を見ているかもしれないとも。
その頃には祖母の仕事のことも知っていたので祖母に母の霊を降ろしてくれと懇願した。祖母は少し渋ったが降霊術を行ってくれた。だが、「お母さんは事故で死んだのよ」母の霊を降ろした祖母はそう言った。嘘だ。母の死体は誰がどう見ても他殺にしか見えない。それでも母は、祖母は同じ言葉を繰り返す。その見え透いた嘘に憤慨した俺は家を飛び出してしまったのである。
初めは母を殺した犯人を見つけようと考えてもいたが、この十五年のうちに復讐心は途絶え、己の利益だけを求めるただの嘘つきになってしまった。
今更事実を知ってどうするというのか。だいたい祖母の記憶にそこまでの情報があるのか。それでも俺は――。
「わかった。取引をしよう」
その言葉を聞いた事解は安堵した表情で頬を緩ませる。
「はぁよかった。これがダメならもう永遠に鎹ちゃんの中に封じるしかないかと」
……確かにその脅しをされると首を縦に振らないわけにはいかない。
「それで? 俺に何を望む?」
「私が求めるのは1つ。この家のどこかにある霊宝千引岩を譲って欲しいのです」
霊宝。人形の目の宝石もそうだというが、聞けば、霊力を持った石や岩のことらしい。売ればかなりの額になりそうだが、今回は取引。裏切り掠めるような真似はしない。
「それで、その岩はどこにあるんだ?」
「わかりません」
俺は事解の言葉に疑問を呈す。
「祖母の記憶を覗いたってさっき言ってなかったか?」
「ええ。ですが、千引岩の在処はこの斬罪霊宅の所有権とともに継承されていくもの」
「つまり?」
「つまり斬罪霊宅は紐ちゃんの所有物ではないのです」
では誰の物なのか。その答えは簡単で俺の母なのだろう。俺が事解なら菊理家のみならず白山家の記憶も見ているはず。となれば彼女が会ったことのない俺の母、瀬織真矢に所有権があるということ。その所有権とやらが公的のものなのかは知らないが、祖母の遺言は今度は俺が所有権を手にすることになっている。
なるほど、だいたい話が見えてきた。事解は霊宝を手に入れたい。しかし霊宝を手に入れるにはこの家の所有権が必要で、その所有権は菊理扇が相続することになっている。だから俺に譲ってくれと取引を持ちかけた。だが、問題もある。道陸女夫率いる道陸衆が偽の菊理扇を用意してきたこと。さらに本物の菊理扇には霊能力があるという阿保みたいな遺言書。――と、ここで嫌な予感がして事解に確認する。
「なあ……もしかして、偽扇って霊能力者か?」
「偽扇ちゃんがどうかは知りませんが道陸はそうですね」
道陸衆は日本各地を練り歩く修験者みたいなもの。その信仰は山ではなく山彦にあり、言葉に魂が宿ると考える者たち。特に道陸女夫の言霊は強力であり、その力はすでに身をもって体験している。
いつまでも日差しの強い玄関前で寝ている黒着物の男が自らの首を絞めたのもその言霊の力によるものだと言う。
「道陸ほどではないでしょうが、偽扇ちゃんも同じ言霊の力を有している可能性はありますね」
「……となると俺が本物と認められるには、偽扇の本物の霊能力を偽物にして、俺の偽物の霊能力を本物に見せる必要があるということか」
無理と諦めたくなるがそうもいかないだろう。そもそも俺がここに帰ってきたのだって祖母の遺産目当てなのだ。方法がそれしかないのならそうするしかない。詐欺師なのだから正々堂々嘘を吐かなければ。
「まあ、言霊一人相手ならやりようはある」
「残念、一人ではないよ」
突然背後から声がした。誰だと振り返るが長い廊下の先には誰もいない。再び玄関に目を移せば二人の男が立っている。一人は目の焦点の合わない男。
「かと言ってそう何人も来ることはない」
そしてもう一人は腕に大量の血痕をつけた白髪の男。
「誰なんだ、あんたら」
「僕は菊理扇。そしてこの子も菊理扇」
「菊理扇……そう。そう。そう。僕、俺、僕、僕僕僕が菊理扇僕こそが菊理扇なんだ!」
白髪の男は困ったように笑って謝った。
「あー……すまないね。どうやらこの子は精神が壊されているらしいんだ」
「あなたが壊したんじゃないんですか伊賦夜坂遥遥」
事解は嫌悪を露わにそう言った。どうやら白髪の偽扇、伊賦夜坂遥遥とは友達ではないらしい。
「言い掛かりだよ事解パラミィ。それから僕は菊理扇だ。他にも何人かいたけど皆んながそう言った」
「言わせたの間違いでしょ」
言わなかったのはこの子くらいだと伊賦夜坂は再び困ったような顔をする。
「さて、そろそろ日も暮れてきた。通夜が終われば明日は葬式。そして明後日には弁護士が来るだろう。さあ扇君この三日で、斬罪霊宅の所有権、いや、霊宝千引岩を賭けて僕ら三人の霊能力者を偽物にしてごらん」
伊賦夜坂はそう高笑いし錯乱男とついでに道陸の男も連れて通夜の会場へと向かって行った。
「……なあ、事解」
彼らがいなくなってから事解に尋ねる。
「俺を本物にするために協力してくれるんだよな」
「ええ、もちろんです」
じゃあと幾つか頼み事をして、あるところに電話をかける。
そんな下準備をこなし、通夜も葬式も菊理扇が四人もいることを風梓に笑われながらもつつがなく過ぎていった。