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イタコノイド3

 理解の追いつかない状況に呆れにも似た恐怖を覚える。梓月も同じようで、チラチラとこちらを横目で見ては、黒着物の演技臭く古臭い喋りをする男を見る。

 それに気づいたのか道陸女夫も俺に目を合わせて人の悪そうな笑みを浮かべる。


「おやおや、もしやそちらが事解の。結局、貴女も用意したわけですねぇ」


 俺から目を逸らさずニタニタと気持ち悪い顔の道陸は言った。用意? 何を? 考えればわかる。俺をだ。正確には菊理扇を……か。

 菊理扇を騙る偽扇、俺を見て『貴女も用意した』という道陸。俺を本物と知らない道陸は俺が事解の用意した偽物だと思っているらしい。だが何故、菊理扇を用意する必要があるのだろうか。


「私は関係ありませんよ。彼は本物ですから」

「はは、そうですな。そうでしょうとも。ですが、それも本人に聞けばわかること。君、名前を教えなさい」


 そう道陸に言われると不思議と口が開いてしまう。


「菊理……扇……」


 道陸はそれを聞くと一瞬目を見開いた後、豪快に笑った。


「随分な役者だが、そうではない。そうではないなぁ。もう一つあるだろう。君のもう一つの名前を教えなさい」


 そう言われて背筋が凍る。焦燥が時を止め、思考を加速させる。


 十五年前この家を出た時、俺はまだ子どもだった。金もない頼れる人もいない。そんな人間が生きていくには法を犯すしかなかった。盗み、隠れ、また盗む。そうやって生きてくると次第に同じような人間と繋がりを持つようになる。人が増えれば盗み方も変わる。より欲深くより狡猾になってくる。そして欲は裏切りを起こす。今日まで笑い合った仲間が明日には自分を売るかもしれない。そんな世界では本当のことを言ってはいけない。名前すらも騙る必要がある。『名尾騙』偽名とすぐにわかるコードネーム。無数にある偽名の中で最も重要な名前。


 まさか彼は知っていると言うのだろうか。だとしても梓月たちには知られてはいけないのに、どうしてか自然と口が開いてしまう。


「なお……」

「彼が本物かどうか、判断するのは私たちではありませんよ」


 言葉が発せられるのと被せて、事解は俺を制止する。それに合わせて口を抑えた。自分でも何故名前を言おうとしたのか分からない。だが一先ず助かったと安堵する。事解は言葉を続ける。


「それにそちらの子は随分と訛りがありますね。偽物だとバレないよう舌を抜いては?」

「……ははぁ、十五年もあれば喋り方も変わるでしょう」


 道陸も口調に対して思うところはあったのか、フォローを入れれば偽扇はハッとした様子を見せた。それは自分が偽物だと公言しているようなものだが気づかないのだろうか。


「ふふ、可愛い人ですねぇ。妙子ちゃん、彼らを案内してあげてください」


 まるで自分が家主だと言わんばかりの豪胆さを待ち合わせる事解はくすりと笑う。対して野瀬さんは怒っているのかと思うほどの酷く冷めた顔つきで小さくゆっくりと頷く。


「まずは、紐様にご挨拶を」

「ふっ、紐様って。もう消えてるだろ」


 そんな馬鹿にする声が集団から聞こえ、野瀬さんは足を止め鋭い眼光で振り返った。


「黙れっ」


 そう言ったのは道陸女夫だった。唐突な変容。家が軋むほどの怒声。あまりにも大きな声に梓月は肩を跳ね上げる。それをからかってやろうとも思えぬほどに緊迫した空気が流れる。


「誰だ」


 集団を睨む。長の怒りを前に名乗れる者はいない。当然の反応だ。だが一人、おずおずと手を挙げる者がいた。その男の顔は恐怖に歪みきっている。


「私です」

「そうか死ね」

「はい」


 返事をした男は自分の首を自ら絞めた。腕にはかなりの力が入っているようで血管が浮き出ている。歪な音がする。悶え苦しんでいる。顔はみるみる紅潮し、呼吸しようと口を開く様はさながら餌を待つ鯉のようである。


 異様な光景に誰も動けず、動かずにいた。周りの黒着物たちが止める気配はなく、ただ無心でことが終わるのを待っているかのように見えた。俺も梓月も唐突で異質な行動に虚をつかれるばかりだった。ただ一人、事解はだから嫌いなんだと呟き、それと同時に男の体が崩れ落ちる。その様子を鼻で笑った道陸は何事もなかったかのように人のいい笑顔を見せた。


「……いやぁうちの者が申し訳ない」


 道陸が深々と頭を下げれば、それに続くよう集団の者たちが、偽扇が頭を下げる。異様な光景。人が死んだかもしれないというのに夢でも見ているのかと脳が認識を拒む。


「きゅ、救急車……」


 しばらく唖然としていた梓月が呟く。それを優しく止めるように道陸は言った。


「道陸の者は山に生まれ山に帰ります。彼はこちらが処理しましょう。それに――」


 道陸は事解に目配せしたかと思うと、その前にと言葉を続ける。


「さあさあ紐様の所へ案内してください」

「……こ、こちらです」


 何事も無かったかのようにとはいかず、野瀬さんは声も足も震わせてゆっくりと進む。そのすぐ後を道楽が、それについていく形で黒着物の集団が波のように動いてゆく。


 彼らが見えなくなり、思い出したかのように蝉が鳴き始めれば梓月は全身の力が無くなったように座り込んだ。


「何なのあの人たち……人が死んだかもしれないのにあっさりしているし……扇が二人いるし」


 梓月の目線だけが俺に向けられる。だがその目に疑いの色は無い。偽扇の訛りのおかげというわけか。梓月はただこの数分で起こったことを処理できていないのだ。受け止めることができないのだ。そしてそれは俺も同じ事。


「梓月ちゃん。大丈夫ですか?」

「うん。……いや、ごめん。ちょっとダメかも」


 梓月は事解の手を取り、ヨロヨロと立ち上がると覚束ない足取りで廊下を進もうとする。肩を貸そうかとすれば、すぐそこで休むだけだからと断られたが、そこで引き下がれるほどできた人間ではないので強引に彼女の腕を肩に回した。

 そして玄関からほど近い鳥が描かれた襖を開け、座布団に腰を下ろさせる。……玄関の男をどうするかと考えるが事解には大丈夫だと言われ、とりあえず放っておくことにした。


「ありがと」

「茶でも用意できたら良かったんだけどな」 

「ううん。いいよ、ここからじゃ冷蔵庫も離れも遠いからね」


 さてとと、ほんの少し落ち着き払ったところで、事解は話があると切り出した。


「本当は梓月ちゃんたちにはもっと早く言うべきだったのですが少々面倒な輩が来てしまいましたからね」

「何の話だ?」


 そう訪ねる俺を事解は真っ直ぐと見つめて答えた。


「紐ちゃんの遺産の話です」

「……!」

「実は紐ちゃんは遺言書を残しているのです」


 その内容は、娘の白山真弓に金融資産の七十五%を、家政婦の野瀬妙子に十五%を譲るというもの。そこに俺の名前はない。しかし貰えたとしても残りは十%。戸籍上は息子だというのにと露骨に肩を落とす。とはいえこれは仕方ないこと。十五年も音信不通の息子が見つかる保証もないのに大金を相続させないだろう。

 まったく、遺言書に書かれているなら仕方ないと納得する。それが何者かによって偽物にすり替えられるか、あるいは紛失する可能性だってあるが。


 よからぬことを企む俺を真剣な面持ちで眺めて、そしてここからが重要であると事解は言う。その目は信用を強く訴える目だった。信じているのだと裏切ればどうなるか。それに気圧されコクと頷く。


「残り斬罪山及び斬罪霊宅の所有権その他資産全てを息子、菊理扇に全て譲る」

「えっ」


 驚いた。いや驚かない方が無理がある。これはあまりにも貰いすぎと言ってもいい。お世辞にも良い別れ方をしていない祖母が俺に土地や家を譲るというのか。


 しかしこの好条件はある別の考えを生み出す。


「そっか、それで扇が二人いるんだ」


 どうやら菊理扇が音信不通であることをいいことに道陸は俺を騙り、祖母の遺産を手に入れようとしているかもしれない。その考えに至った梓月はさてはお前もかと俺を見る。


「俺は本物だぞ?」

「ええ、ここにいる扇ちゃんは紛う事なく本物ですよ」


 冗談まじりで疑う梓月に笑って返す。今日初対面の事解からも言質は取れた。


「……とはいえ、それを証明するには少々面倒な障害があるのですが……」


 いくら事解や梓月に本物であると認められても意味がない。全ては第三者である弁護士が菊理扇の真贋を判定するのだと事解は言う。ではさて、どうやって見抜くのか。その答えも遺言書に記されている。


『菊理扇には霊能力がある』


 たったの一文。それが本物の菊理扇を示す証拠であるという。霊能力。またも出てきた文言。これを聞き、本物の菊理扇である俺は困惑する。


「え、扇幽霊見えるの!?」

「……いや、どうだろな」


 曖昧な言葉で否定する。当然、俺には霊能力なんてものはない。幽霊どころかエクトプラズムだって見えやしない。それにそんなオカルトを未だに信じきれてすらいない。

 かと言ってここではっきり否定してしまえば、どこかで会話を盗み聞きする道陸衆にそれを録音され扇レースから脱落してしまう可能性だってあるのだ。


「ええ、扇ちゃんには霊感すらありません」

「……」

「なんです?」

「……いや、なんでもない」


 まあ、聞かれていたら聞かれていたでやりようはある。そんなことよりも、なぜそんな嘘が遺言書に記されていたのか。祖母の嫌がらせだろうか。否定はしきれず苦い顔を浮かべる。


「でも、なんで遺言書のことを事解さんや道陸さんたちが知っているの?」


 確かにそうだ。遺言書なんて、書いた本人あるいは代筆した人間にしか内容はわからないだろう。仮に事解が本当に祖母と友達だったとしても、道陸までが知っているのはおかしい。事解はそれはと口を開く。


「……実は生前に、ある霊能力者が紐ちゃんの魂に聞いたのです」


 またまたオカルトちっくな言葉。さては説明の難しいものをそれで濁しているのではないだろうな。オカルトを飲み込みきれず怪訝そうにする俺に気づいたのか、事解は悪戯を思いついたかのように笑う。


「カタル、あら間違えました扇ちゃん。霊能力はあるのですよ」


 ごめんなさいとわざとらしく謝る事解に顔を引き攣らせる。ここじゃ誰も知らないはずの俺の偽名を知っている、それだけじゃない。事解は俺の過去も知っている素振りだった。つまりはこれが霊能力、霊能力者なのだと言いたいのだろう。


 はぁとため息を吐く。


 ……受け入れるほかないのだろう。この世には科学で説明できないオカルトがあることを。……祖母が嘘つきじゃなかったことを。


「…………じゃあ、それでばあちゃんから聞いたってことか?」

「その通りです」

「……嘘……だったりはしないのか?」

「ええ、魂に直に干渉する交魂術。嘘をつけば閻魔様に舌を抜かれる程度では済みませんから」


 子供騙しの迷信。まさか閻魔大王が本当にいるわけがないが、それでも二枚舌なら一枚くらい抜かれても平気だろう。事解は壁掛けの時計を見て徐に立ち上がる。


「少し話すぎて疲れましたね。扇ちゃん、飲み物を取りに行きましょうか」

「……ああ、わかった。梓月は休んでてくれ。何かいるものはあるか?」

「ううん。大丈夫」


 廊下に出ると立ち止まる事解に話しかける。


「で? まだ話してないことがあるんだろ」

「さすがですね扇ちゃん」


 事解が俺の過去を知る理由、それに彼女の目的、祖母の友達だからと言って行動を共にするには彼女について知らないことが多すぎる。

 事解はくるりとこちらに向き直るとニッコリと笑う。


「ですがその前に玄関の彼をなんとかしませんか?」

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