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いつ読むべきかわからない前日譚

 その日は夏の日差しが強さを増し、茹だり項垂れるゾンビを量産していた。そんな中、俺は冷房の効いたカフェでゆったりと寛いでいた。周りにはパソコンを開き作業をする人々。そしてそのほとんどは女性である。内装は明るく落ち着きがあり、周りをよく見渡せる。一つだけ文句をつけるなら店内スペースの狭さだろうか。ただそれを言っても仕方がない。何せここはとある会社の一階にある社内カフェだから。


「いま何時ぃ?」

「そうねだいたいね」


 左手に巻いた腕時計が指す時刻は午前十時と四十数分。約束の時間まであともう直ぐだと目の前の女に告げる。彼女の名前は此木芽衣。単なる仕事仲間。とは言ってもここの会社ではない。人には言えない秘密の仕事。Tシャツにキャップという色気のない彼女とはもうこの仕事をして五年になるのだろうか。


「弄り回して充電切らすなよ」

「切らすわけないじゃんカタルじゃないんだし」


 彼女はそう言って手元のカメラを俺に向け、パシャリと撮った。デジタル一眼レフカメラ。中古品でも数万は飛び、あまり使いたくはなかったが今回の設定上買うほか無かったもの。


「カタルじゃない。今は菊理扇だ」

「あーはいはい。「仕事でボロを出さないように」でしょ。わかってるって」

「あと写真も消せ」


 此木はカメラを弄りこれでいいでしょと空のフォルダを見せる。

 まったくと呆れながら最終確認をするように俺はスーツの内ポケットから名刺入れを取り出し、その中の一枚を机に置いた。此木はそれを手に取って小声で会話する。


「それにしてもよく見つけたよね。今を時めく大会社の社長には十五年前に音信不通で行方知らずになった従兄がいるなんてさ」


 投げ返された名刺を指で挟み、表を此木に見せつける形で格好つける。嘲笑。


「しかもそいつは今、雑誌記者をしていて偶然にも今日のインタビューで感動の再会を果たす」

「感動的ね」


 そんな偶然があるわけないだろうと鼻で笑う。


 さて、ここで自己紹介をしておこう。俺の名前は名尾騙。ただしこれは偽名である。そして本名は菊理扇。どこかの化粧品メーカーの社長の前から十五年前に消えてしまった実の従兄である。しかし、このことを知る者はいない。目の前の此木も俺の本名を知らないし、菊理扇を演じているのだと思っている。


 何のために演じるか? 勿論、騙すためである。


 俺も此木も詐欺師だ。人を騙し富を得る犯罪者。真っ当に社会で生きていけない者たち。それが善ではないことをわかっている。だからといって辞めることもできない。家族や友人だって騙せてしまう。そんな人間だ。


 さて、そんな俺たちが標的に選んだのは――。


「来た」


 首だけを動かし様子を探る。ロビーのエレベーターから降りて来たのは白い肩あきドレスの女。ここ『アワギハラ』の社長であり、今回の標的、白山梓月だ。


「やば、めっちゃ肌綺麗」

「……」


 此木が呟く。十五年前とは違い自信に満ちた様子も伺える。梓月は少し周りを見渡した後、手近な席に座った。彼女の側で控えていたスーツの女性はカフェの受付へと走っていく。


「こっちには気づかないか」


 カフェの奥に陣取った俺たちは入り口からは見えづらい場所にいる。おかげで離れてしまったが、それはそれで好都合かもしれない。ここの全ての席には盗聴器を仕込んであり、離れていても会話を盗み聞くことができる。社長を待たせた失礼な記者になってしまうが、面白い話が聞けるかもしれないとイヤホンを装着し、しばらく待つことにした。情報だって高値で取引される時代だ。約束の時間までまだ少し時間はある。


 といったもののそんなものは特に出ず、そろそろ話しかけようと此木とアイコンタクトを交わした時である。


 イヤホンから軽やかな音楽がなり、立とうとした体を硬直させる。何事かと振り返るまでもなく此木の電話をとるジェスチャーからそれを察する。出鼻を挫かれ、ため息を漏らし腰を下ろす。仕方なく電話が終わるまで聞き耳を立てて待つ事にした。


「もしもし、野瀬さん?」


 一眼レフより低性能で高価格な盗聴器は電話相手の声までは拾えない。だが梓月の応答と声の高低から会社外の人間、それも身内だとわかる。野瀬、聞き覚えのない名前だ。此木にも確認するが首を振る。残念ながらお互い標的の身辺調査を怠っていたようだ。


「えぇ! おばぁちゃんが!?」


 ガタンと大きな音を立てて、梓月が立ち上がった。店内の人間が驚き彼女に注目が集まる。自社の社長の慌てた様子に心配そうに見つめる社員たち。梓月はそんな視線に気づいた様子はなく電話を続ける。


「待って、落ち着いて。わかった懋坂の人たちに来てもらうよう電話するから」


 電話の内容は祖母のことだった。この慌てようさては何かあったか。十五年間、顔も見せてなかった祖母。今になって心配に思うこともなく、ただ、ある記憶が脳内を巡りやがて思考になっていた。電話を終えた梓月が慌ててカフェを飛び出し、此木が何をしているとテーブルの下で脛を蹴ってくるが、それどころではなかった。


 俺たちの祖母、菊理紐はイタコだ。死者をその身に降ろし、死者の言葉を伝える。もう二度と会えない人にまた会える。それが本当かは些細なこと。ただ、信じるものは金を払う。故人への愛が強ければ何度も、何度も麻薬のように。

 サンザイ山、北の山奥で。電波も通じない、買い物も一苦労。そんな山で八十を過ぎた老婆が酒池肉林を謳歌しているとも思えない。


 金があり金を使わない。その資産は如何程か。ここ数年破竹の勢いで伸びる化粧品メーカーと何十年も続くイタコの蓄え、どちらが金を持っているだろうか。


 ……いや、どう考えても化粧品メーカーだろ。俺は立ち上がる。


 そもそも祖母の資産なんて遺産という形で何割かは貰える。何故なら俺は()()扇。祖母の二人の娘の姉の方の息子だが、十五年前に母が亡くなって孫から祖母の養子になった。全部ではないが少なくもない。だから放っておいても遺産が手に入……らない……? 俺ははたと気づく。十五年音信不通の養子に遺産の相続権があるのだろうか?


 新たに思考が巡る。梓月のあの慌てよう。もしかしたらもしかすると祖母が死んだのかもしれない。ならば今すぐでも駆けつけなければならない。俺が生きていることを知らせ遺産の相続権を得なければならない。


 ――いや、違う。思考がさらに加速する。遺産を相続する必要はない。丸ごと手に入れればいいんだ。


 祖母は山に住んでいる。銀行なんてないド田舎の山だ。なら金は全て祖母の住むあの寺にあるはず。自然に笑みが溢れ、それを見た此木に気持ち悪いと言われる。


「何してんの? 社長どっか行っちゃったんですけど」

「悪い芽衣、この仕事は無しにしよう」

「は?」


 無理もない反応に今は謝ることしかできない。


「いや取材とかどうすんの」

「しづ……社長の様子からみても無理そうだ」


 なんだったら今メールで社長秘書から取り消しの連絡が来たと見せる。実に仕事が早い。此木は不機嫌になりながらも受け入れる。


「なら、カメラと盗聴器とかカタル待ちね」

「それは……」


 有無を言わさない強い眼光に押され仕方ないと了承する。


「あとアワギハラの化粧品、後でリスト送るから違約金として買ってね」

「いや、それは……」

「買ってね」


 有無を言わさない強い眼光に押されしぶしぶ了承する。何にせよ祖母の遺産さえ手に入れれば端金だろう。たかが化粧品なんて。俺はさらに社内カフェでスイーツを食べるという此木のために追加の会計を済ませて先に出る。さて、明日にはサンザイ山へと着くためにまずは準備に取り掛からなくては。

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