幽霧の中2
「おっ、シャルが死んでる」
「死んでない……」
御影を家に泊めた翌日の昼下がり。雲行き怪しい天気だなと思いつつ、私はいつものカフェまでやって来た。組み紐で髪を結い、お気に入りのワンピースとカーディガンに袖を通して臨むのは、大親友ユーリとの定期お茶会である。
でも実際はテラス席のテーブルにどろーっと溶けて、ユーリに(茶化し込みで)心配される始末。こうなった原因は暑さではない。そんで体の不調でもない。
今の私の思考を占めるのは――もう察して!
「どした。話してみんさい」
「ウーン」
「唸ってるなぁ~」
「絶対喋んない? 特に泉さん」
「おうよ。わたしはガードが固いぞシャルよ。ドンと来い!」
威勢良く胸を張るユーリ。私は頼もしさに感激しつつ、自分の腕に顔を埋めた。そして聞かせる気の無い声量でこう言うのだ。
「…………ちゅう、された」
「どひゃーっ! 接吻ですかっ」
私が重い頭を上げて頷くと、ユーリは「へ~」とにやにやする。たまらない気分だ。今もこの体に、気持ちの良い『気持ち悪さ』を感じる。こんなの一人で秘めてられる気がしない。
ということで、かくかくしかじか事情を噛み砕いて伝える。ユーリはすぐ話を飲み込んでた。むしろノリノリだ。
「ほう。シャルのイケメン彼氏の御影さんか」
「違うわ! ただ仲が良くて、喧嘩とか食事とかデートとかやって、たまにガチで語り合う人!」
「それが彼氏なんだぜ」
「やかましい」
「んで? 神様が戯れに町に下りてきた時にある娘に一目惚れして、その子を懐に呼び込むために愛する人の全てをそっくりそのまま模倣して唇を奪い、実際心を掌握しかけているという構図? なにそれ萌えるねえ~」
一息でコレだ。恐ろしい。顔から火が出そう。
「んあ~難儀ぃ!」
「まーまー、ノーカンでいいと思いやすぜ。人間じゃないじゃーん」
「そ、それはそうね」
「やはり水神さま封印説はデマってことすかね」
「おねんねて。いや……なんか神域では顕現できるみたいよ」
「おや? シャルなんで封印の件知っておるの」
「あ、えっと、巫の友達に聞いた」
「さいですか。まあなんでもよいがね。神様の執着系溺愛……」
「……もう聞いてないわね」
ユーリが再び妄想に入り始めて置いてけぼりにされてしまったので、私はこのタイミングで改めて疑問を整理することにした。
ひとつ、水神さまが私に月夜見の水を飲ませたがらなかった理由。わからん。もうこっちも飲む気は失せちゃったし、ああして止めてくれたおかげで頭を冷やせて良かったとは思うけど。そういえば、本物のほうは「まさか月夜見の水を飲んだのか?」ってすごく不安げに聞いてきたっけ。どっちの意見なんだろう。
ふたつ、水神さまは何故御影の姿に変身したのか。こんなん骨抜きでしょ。あいつこそが『私の求める相手』だとでも言いたいのなら、否定はできない。
みっつ、私が水神さまに「ここにいて」と願った理由。霊とか超能力とかファンタジーの類いは昔から大好きだけど、水神さまなんて全然信じてないのに。
…………それって、なんでだっけ?
思いっきり矛盾してる。なんでこんなのがまかり通ってるんだろう。
幼い頃の心象風景には、いつも霧が立ち込めている。ひどく朧気で簡単に思い出せないのだ。両親との日々は私にとって最も大切な思い出のはずなのに。
移民の子孫であるからか、私はそこそこ貧しく、買い与えられるものもほとんど無かった。でも私は満足していた。物欲の代わりに『知ること』に餓え、小さな頃から月鏡の図書館に埋もれる日々を過ごして、欲を満たしたのだ。
幼い頃はあちこちを冒険して、頻繁に超常現象を経験していたのを覚えてる。好奇心でやらかしても何故か九死に一生を得ただとか、北の神殿で水神さまらしき人(結局御影だったけど)に出逢っただとか。不思議なことは身近にあって、あの時確かに、私は未知の存在に――水神さまに期待を寄せていた。
そこから急転直下で水神さまを信じなくなったのは何故なのだろう? わかるのは、何か決定的な出来事があって、私はその衝動をぶつけるように猛勉強をして司書になったということだ。
「水神さまは私や私の家族を救済してくれなかった」。漠然とだけど、強烈に刷り込まれたように信じてる。そう、漠然と。
私は過去を忘れたいタイプだ。だから大切なことも忘れてしまったのだろうか。




