久遠の遺言
祭壇の間の石柱のすぐ傍に、淡い陽光を受けた背の高い青年が凛と立っている。
風を浴びた月色の髪が短くサラサラと流れ、貴族シャツの首元で紫の宝石が静かに光を放つ。細身の剣を腰に差した黒の燕尾、上質な白布ズボンの裾をロングブーツに入れ込んだ足元。麗しい立ち姿の柔い輪郭が、夢うつつと揺らいで見える。
今、体の奥から魂が叫んだ気がした。私はこの人を知っている、と。
「俺が見えてるかな?」
神秘の静寂を破り、青年が若くはりのある声を放った。どこか懐かしい語調で、遥かなる過去から私に直接干渉するかのように。
「もしわかるなら、あんたの血に刻まれた才能が……イストリアが目覚めたってことになるね」
イストリア。時の記憶。この力は心の記憶じゃなかった?
混乱と胸を締め付けるような感傷はどんどん加速していく。
「驚くなかれ。俺はこの地に遺された意思で、遺言だ。ずっと前からあんたを待っていた」
光の加減で無限に変化する色彩の瞳がこちらに向けられる。錯覚ではなかった。まっすぐに私を見ていた。
「あー、なにも時を遡れるのはあんただけじゃないよ。それ、俺の家系特有の能力だし」
青年が得意気に笑う。説明不足だと訴えてやりたくて喉を震わせようとする。でも相手はただの『誰かしらの記憶』であり、この特殊能力を使える私にとっては一方通行のメッセージだ。もちろん私の声はあちらに届かない。
「一応言っとくと……それってね、物に刻まれた魂の名残を読み取って、遡るように追体験する力なんだ。この広い世界、万物は想いを宿し、過ぎ去る時の一瞬を刻々と記憶していく」
……?
「あんたが神殿に来たってことは、あいつに何か危機が迫ってるんだね。いい? 月鏡は時を刻む湖だ。水面に触れたら、あんたが求める真実もわかるよ」
この青年は確かに私に語りかけている。何故、どうして。
「じゃ、託したよ。俺の未来の子孫」
――――瞼をゆっくりと開き、顔を上げる。
現実の私は、熊のぬいぐるみのように祭壇の間の柱に背中を凭れていた。傍らには片膝を立てた彼がぴったりくっついており、チョロい私は幸福感に胸が跳ねる。光を受けて煌めく白縹色の髪が、あのブロンドの青年とは対照的なものにも、どこか重なっているようにも思えた。
私の目覚めに気がついて、翳っていた彼の表情が安堵の色に塗り替わる。青藍の瞳にいつもの冷静さは無く、私が数分間も気を失っていたことを焦り調子に伝えてくれた。
「怪我は無いか。気分は? 迷走神経反射、熱中症……熱は無いね」
「ちょちょ、取り乱しすぎよあんた」
「これが正気でいられるか。ひとまず水を摂れ」
「……ん」
水筒を傾ければ、目の醒めるような冷たさが体の中を落ちていく。少し落ち着いた。
でも、私は倒れた原因に心当たりがあった。祭壇の間の石柱のひとつに触れた直後にぶっ倒れ、眠ってる間に『誰かしらの記憶』を見たからだ。そのせいか体に変な感じが残ってる――上書きしたい。
「よし。そろそろ行こっか」
「……」
「どしたの?」
「却下だ」
突然、断固反対の声音が振り下ろされる。私は非難を込めて「え~~!!」と力いっぱい叫ぶ。
「急になんでよ!」
「先刻のことも忘れたか」
「はあ??」
「人間は滅多なことじゃ倒れない。この天気も背を押してるぞ」
「どういうことよ」
「……ハア。君は自分の体調にさえ盲目なのか」
いかにも深刻な語り口で吐き捨てる。でも、鋭利で冷徹な目つきはかつて私を拒んだそれとは似て非なるような……? 訳が分からず文句を垂れていると、御影が私に目線を合わせてきた。
「今日は休みなよ。俺には今の君を連れ回せない」
ひどく靄然とした、穏やかな声音と目の色。三日月形の飾りがついた左耳の仄かな赤さ。もう既に私は二の句が継げない。
「……は、ハイ」
「良い子だ」
彼の柔らかな声に私の意志はねじ伏せられ、骨抜きにとろけてしまった。やっぱ悪魔だ。もし彼が女性に生まれていれば、傾国どころじゃ済まなかっただろう。
結局、再発も悪化もあり得るから後日病院に行けと薦められ、私は彼に家まで送ってもらったのだった。




