千古の遺言2
彼も私も時間を忘れて没頭するタイプなようで、気が付いたら日没前になっていた。元湖底からは、石碑の他にも石像の破片や割れた陶磁器、錆びた金属製の腕輪などが見つかった。御影曰く『神殿』のような宗教的施設の遺構が近い可能性がある、とのことだ。なにそれ滾る。
しかし、暗くなると視界が悪く危険だといい、今日の調査は打ち止めとなった。彼は明日もこの辺を歩くようだが、残念ながら私は仕事だ。こんなに休みたいと思ったことはない。
図書館前まで戻って来て、身長差のある私たちが向かい合う。やっぱり彼は存在感――華がある。女の子にモテそうだけど、ことごとくかわしてきたんだろうな。目に浮かぶ。
「どうした?」
「は? 別に見惚れてねーから」
「何故怒るんだ……」
「違うっての。あーあ、私もっとロマンに浸ってたかった。考古学ぅ……」
「ああ。遺物や文字を読み解き、滅びた文明を復元し、過去を生きた人に思いを馳せる。学問とは人のこれ以上ない営みだよ」
「想像が捗るわね。カイルの墓の場所とか、水神さまの秘密の祠とか。ファンタジーが絡んでも美味しい」
「ファンタジー? これは現実だが」
「代表格がなんで首傾げてんの。あんたこそでしょ」
魔法なんて無いはずの世界で、御影は浮世離れに存在する。摩訶不思議の擬人化だ。まあ私もだけど。
不意に彼が腕を組み、白手袋で顎に触れてこう発言する。
「そういや、10年以上前に北の神殿で会っていたな」
「!」
「巫装束を纏っていた僕の前に迷子の君が現れて……聞けば『不思議で綺麗だと思ったから』だと。そういう子供心に思うことも、大人になれど変わらないのか」
「あんたアレ、変な嘘ついてなかった? 俺は水神だ~とか。子供時代ずっと信じてたんだけど」
「…………覚えてるのか……」
御影が微妙な顔をする。私は最近身に付けた能力『心の記憶』のおかげで思い出したのである。
というか、彼も人生200年は越えてるのに、その一場面の会話を記憶してるんだ。嘘つきって、自分がついた嘘が何かわからなくなったり忘れちゃったりするって聞くのに。
「あんたこそ覚えてんのね~」
「ほんの悪戯心だ。お茶目だと思ってよ」
「開き直んな」
「水神設定なら子供でも理解しやすいだろうし、いたずらに怖がらせず済む」
「もしかして常習犯……」
「駄目か?」
「駄目か? って。どんな趣味よ」
「暇潰し。気分転換だな」
「最初の亡霊ムーブもその一環ってわけね」
「それに関しては違うかな」と御影は言葉を濁す。じゃあ結局は、私に正体を勘づかれず、本格的に関わらないための先手だったのだろう。そこまでするのは『不老の身ゆえに必ず訪れる別れ=出会いを嫌っているから』『自己嫌悪が酷くて自分の素を晒したくないから』『巫側の人間が移民の子孫と関わるのはまずいことだから』……ほんとにこれだけ?
それはさておき、御影が指折りで続きを話してくれる。天まで届きそうに高く、分厚い壁を破壊した私だけの特権だ。
「老いない、姿を誤魔化せる、必要以上に物事を記憶する。普通じゃない……出る杭は打たれるどころか粉々だ、人の世は。だったらいっそ、その気になったほうがマシだ」
「そんな……」
「ってのは冗談で、本当に単なる趣味だよ」
「おい。好きだわ」
何言ってんだマジで。私をからかう御影もだし、ぽろっと溢れた私の性癖もだし。ほら御影引いてる。私、冷たく見下ろされてる。
「嫌味か」
「これがマジなのよ。ドキドキする、すっごく良い」
「……御影という人間には似合わないが、生憎俺はそういう性格さ」
「それが魅力でしょ」
「そう言うの、君だけなんだよな」
彼がはにかみ、今度は美しい青眼を私に向ける。私はこの、氷のようなポーカーフェイスが崩れてしまう瞬間が好きだ。銀の前髪に指を触れ、ハアと息をつく様は絵になる。この人は本当に不安定でちぐはぐだ。
「時に暁、北の神殿にも古代文字が彫られてる場所があるんだ。今度読みに来ないか?」
「そうなの?」
「マイナーで難解なのと、統制の対象だったから解明が後回しになってる。君さえ良ければ」
「私一般人……じゃないか、ほんとに立ち入っていいの」
「職権だ。責任は負うよ」
「おお~、やりたい!」
「決まりだね」
「じゃっ、また今度ね。調査がんばれ」
「ああ」
「おやすみ~」
「またね」
*
惜しさも感じず別れたデート帰り。私はひとり、営業時間を過ぎた図書館の受付カウンターに寄っていた。服は言うほど汚れていなかったけれど、かなり歩いたので足はガクガクだ。明日あたりの筋肉痛が怖い。
私がここに来た理由。実は数日前に司書さん(職場の上司)に頼み込んで、国宝!……の複製を読ませてもらうことになっていたからだ。それは、渡来の王子カイルが水神さまに捧げたという愛書――今日見た石碑に書いてた『知』に該当すると思われるもの。月鏡の歴史のはじまりにして、神話の時代の貴重な遺物である。司書の対応が必要ということで、閉館後のほうが都合が良かったのだ。
それは特別書庫の奥の奥、三重の鍵がかかった棚の、古びた木箱の中に納められていた。この複製だって数百年前の物のはずなのに、汚れてはいるが革表紙付きで本の体裁がある。文字はやはり古代レダのもの。内容はただの創作物の冒険譚だった。心情表現や伏線は丁寧で面白いが、とにかく長く読みにくいので読む人を選びそうだ。一方で、多岐にわたる分野の詳しい知識や、心に響く言葉がいくつも織り込まれていることに気がついた。
つまりこれは、読めば読むほど発見があり、新たな一面を見せてくれる本。私の好みだ。カイルはご先祖だから、私と感覚が同じなのかもしれない。彼はこの本を読むとき、水神さまにあげちゃったとき、どんな心情だったのか。それを想うと心がえもいわれぬ何かに満たされる。
何度か司書の人に礼を言ってから、私は図書館をあとにした。へばりつくような体の疲れなんて、濃い一日の体験を思い返せば簡単に吹き飛んでしまいそうだった。




