心の丈
ひととおり大笑いしたあと、私は泣き笑いの涙をひいひい言いながら拭い取って、『彼』に軽く謝った。「ほんとだよ」と私を睨みつける表情はむすっとしていて全く怖くない。また噴き出しかけるのをギリギリで堪え、水を飲んでようやく一息ついた。
「まじか~~あ。全然結びつかねえ。怖……」
「酒入るとさ、『御影公慈』を演じられなくなっちゃうんだ」
「キャラ作ってたんかいっ!!」
「はは、人をあまり近づけたくなくて。素を晒すのも好きじゃないし」
柔く笑う仕草は見慣れない。若干寒気がするのは生理的な恐怖の反応か。でも、人間味に溢れたこの話し方や表情、嫌いじゃない。むしろ好きだ。
「あっはは、今も違和感やばいわ。役者すぎるでしょ、あんた」
「でもあれが普段の俺でもあって……ちょっと、いやかなり最低なことも口走る。癖になってて」
「おっと許されると思ってる? 殴るわよ」
私が右の拳を振り上げるフリをすると、彼は怯えたように目を閉じ、白手袋の両手で控えめに顔をガードしてきた。
「に、二カ月会えなかったこと。謝らせて」
…………そんなことを言われたら黙って腕を下ろすしかない。謝罪すれば殴られずに済むんじゃないかとか、思考回路が単純すぎる。いつもなら余裕綽々の態度で『殴ってみろ』とか煽ってきそうなのに。今の彼は甘っちょろくて子供みたいで、私は不本意ながら折れてしまった。
「は〜あ。なにか言いたいことがあるのなら、特別に聞いたげるわ。しょうがない」
「うん……」
「言ってみてよ」
私は強気に背を押してやる。すると、目線を深く沈めながら、彼はぽつりぽつりと語り始めた。
「……これまで暁には散々寂しい目に遭わせた。もう合わす顔も無かった、けど、俺は君に会いたいと思ってしまった」
「なんで、そんな急に」
「君と出逢ってから、ずっと悩み続けてたんだ。俺と関わりを持てば君は不幸せになるだろうから、逃げることばかり考えてた」
「…………」
「遠征中、旧友に発破かけられて。やっと結論が出て、俺の本心に気づけた、みたいな。いざ喋ると、穴があったら入りたいくらいだけど」
私に『会いたい』。
氷のような態度の裏でこんな心境だったなんて信じられない。イメージが崩れて幻滅するどころか『なんて面倒で愛しいのか』と思ってしまうのは何故なのだろう。
私は十分幸せなのに。不幸せじゃないかとかウジウジ悩んで、馬鹿なやつ。
今なら私だって素直になってもいいかも。そう感じ、呟く。
「ありがと……」
「え」
「あの時、変な輩から私を助けてくれて」
鳩が豆鉄砲を食らったような顔をする彼。やがて、ほっと息をついて表情を綻ばせた。
「……いいんだ。俺以外の人間に触れてほしくないだけだから」
「お、重い……!」
「ああ。そりゃ幻滅するだろうね、本当の俺を知ったら。だからこんなに踏み込ませたくなかったんだ」
「幻滅なんてしてねーけど。へえ、そゆこと。嫌われたくないくせに、嫌って欲しいとか言ってたの。へえ」
「もう赦してくれよ」
「これまでの分も倍にして返してくれるくらい、私に尽くすなら別に赦すけど?」
いや、女王様か。思わず偉そうな言動をしてしまい、恥ずかしさでぶわっと体が熱くなった。私を深く見つめる彼の冥い瞳の奥が、揺れ動いた気がした。
「約束は守る、よ……」
甘い声を最後に、彼が目を閉じた。さっきまでは右隣にちゃんと座っていたのに、身体がぐらつき、そのままこちらへ倒れ込んでくる。グラス一杯でこの様なら、やはり相当弱いんだろうとか能天気に考える私。
しかし既に頭がいっぱいで、咄嗟に動く私の手足ではなかった。動いたとしても支えきれていなかっただろう。非力だからとかじゃなく、彼に触れるのがなんだか怖くて。
トス、と左腕を差し出して彼を受け止めたのは、私ではなかった。多分。
というのも、記憶がない。きっと酒のせいで眠ってしまったのだと思う。私は気がついたら家のベッドの上にいた。誰かが運んでくれたか――自力で帰ったのかもしれない。
頭の中のもやの奥で、誰かの白く長い髪がばさりと揺れた気がした。




