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月鏡の畔にて ~感情的な平民娘と神様めいた氷輪の青年が、真に心を許し合うまで~  作者: るり石
第4話 霞立つ湖

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揺れる水面


 その真冬の夜も『彼』を食事に誘った。

 待ち合わせ場所は図書館前。マフラーを巻いた私はかじかむ手を吐息で温めながら、遠景を眺めて彼を待った。やがて山の嶺に太陽が沈み約束の時間になると、空を呑み込むような夜の訪れが白いコートの装いの彼を連れてきた。

 料理店を既に予約してあることを伝えたとき、石みたいな堅い表情なのに目だけは嬉々としてた。わかりやすい。

 この頃にはもう、食事の誘いも却下されなくなっていた。私がしつこく言わなくなったからかもしれない。



 二人して温かい(いのしし)鍋をつついていると、遠くの席に座る店内の女性客らがほうとため息をついて、彼氏がイケメンだとか噂してるのが聞こえた。しかし当の本人は、それを横目に「下らないことを(のたま)ってるな」と小さく否定してしまった。



 そして、食後。


(やぶ)から棒の話と承知で問うが、君は僕の出自に随分関心を寄せているらしいな。何故なんだ?」


 湯飲みを手にした彼が真剣な声音で訊いてきた。その後お茶に口をつけて「熱っ」と小声で騒ぐ様子に少しときめきながらも、私はしっかりと文句を言う。


「なんでって。今から教えてくれんの? 前聞いても全然答えてくんなかったのに」

「……不思議でならないんだ。諦めなかった君が」

「隠そうとするからよ。逆に知りたくなるわ」

「よくある心理効果だな。僕からすれば君は、ただ秘密を暴くことに躍起になっているように見えたよ」


 ちょっと、かちんと来た。つまり何が言いたいのか?


「あのね、私はほんとにあんたが気になって――もう逃げるのもやめてよ。秘密にしたいのかしたくないのかどっちなのよ」

「……まだ言えない。君が知ったところで、何も得るものはなかろうに」

「はあ? 知ったら何か不都合なことでもあんのかよ!」

「あるから拒んでるんだ!!」


 彼の声が()えた空気を震わせる。荒々しく湯飲みを卓上に置いて、この机や椅子が揺れる。

『喧嘩』はこれが初めてだった。からかい遊びやコミュニケーションではない、心からの拒絶だった。


 叫びの余韻が去っていく。冷たい沈黙が通り、彼は目線を外して――消え入りそうに言った。


「……()が、君に釣り合う訳がない」

「いや、別にそんな、」

「現に俺は心を開けない、自分本位な愚か者だ。忘れたことにして己()()も騙してるけど…………『俺はここにいてはいけなかった』、そんな気しかしないんだ……」


『そんな自嘲はしなくていいのに』。さっきの怒号ですっかり頭が冷やされた私は、そう訂正するつもりだった。

 しかし、伏せた双眸には怒りが灯り、眉間(みけん)のしわは()(もん)を訴える。今まで全く見せなかった顔。彼の凍りついた心、それを垣間見てしまう。


「こんな奴なんて知らなくていい。どうか君は無知で居てくれ……!」


 喉から絞り出されたその叫びは本心だ。内に抱える闇だ。未熟な私はまだ踏み込んではいけない。きっと、彼の心に広がる夜に呑まれてしまう。

 それでも『あなたを知りたい』という想いが強まってるなんて、私は多分馬鹿を通り越した何かだろう。独りで抱えてないで、私にも感情を分けてくれたらいいのに――。


 次に青い目線は斜め下へと逸れていく。彼は左手で口許を覆うと、数度深く長いまばたきをした。


「……今のは僕だ。悪かった」

「私も、ごめん」


 私は彼を見つめたまま、大きく呼吸を繰り返す。目を離した瞬間に消え失せてしまいそうなほど、不安定で儚いものに思えたからだ。

 私たちはふたり揃って悄然(しょうぜん)としている。特に、彼は。


「……話したくないんだ」

「どう、して?」

「わからない。自分のことなのに、触れてはいけないような気がして。すまない」

「……」

「先の暴言は取り消させてくれないか。今日は妙な気分で、普段は言わないようなことも口を衝く。許してくれ」

「……うん。聞かなかったことにしてあげるわ」


 私はゆっくりと神妙に頷いた。

 彼は湯気の消えたお茶をゆっくりと口に含んで、自分自身を(なだ)めているらしかった。私は少し彼を(うれ)う。様子がいつもと違うせいだ。

 渋い色合いの湯飲みを手にした彼の、未だ熱い温度の灯った両目が、酔いしれるように私を見た。


「話、少し戻してもいいかい? これだけは聞いておきたいんだ」

「うん」

「…………どうして、僕の身の上話をそんなに聞きたがる。君も金や名声目当てか?」

「それは。それはないわよ」

「何故だ?」


 返答に迷う。でも、私の口元には不思議と笑みが浮かんで、声の調子も明るく和やかになっていた。


「生活なんかはさ、人並みで良いの。普通で。実家は貧乏だけど、だからといってあんたにそんなモノは求めたりしないわ」

「……そうか」

「私が欲しいものはそんなんじゃない。普通の幸せがいい。かえる場所があって、家族がいれば。欲のハードルが低いのよ」


 湯飲みをことりと置き、彼は思いに沈むように目を伏せる。一方、私の口はまだ語るのをやめようとしなかった。


「ここの住民なら図書館の利用は無料でしょ。何も買い与えられなくていっつも通ってたら、物語の本にのめり込んで…………気づけば好きなものが本だけになってた」

「だから、君は司書になった」

「そう。特待制度で免除ももらって、必死に勉強して……」

「…………」

「同情する?」

「まさか。君の境遇のつらさは君にしか分かるまい。僕なんぞが理解できるものか」

「……なんか、やっぱあんたらしくない。自分を卑下するなんて」

「それにね、暁」


 彼は(なぎ)の湖面のように話すと、一呼吸おいた。少し俯くせいで、長い前髪に熱っぽい瞳が隠されてしまう。


「僕には未来がないんだ。しかし、君にはこの先を生きる意味がある。……いつだったか、僕は君に『司書は本を片付けるだけの低俗な仕事』とか(のたま)ったね」


 何を言い出しているんだ、この人は。妙に弱々しい声音が不安を煽る。

 まるで夜の(うみ)を目の前にして、得体の知れない何かが押し寄せるのを恐れているかのような気分に陥っている。


「そんなことはないよ、決して。今になったが、君を侮辱した罪を謝らせてはくれないか」

「……え? はは、は。えーと。どうしたのよ、今日のあんた。ずっと様子変よ。何よ、風邪でも引いたの?」

「そう思うなら、僕の額に触れてみればいいさ」


 彼はいつになく力なく笑い、僅かに首を傾けた。熱を帯びた、変な雰囲気の蒼い両目。そこにはきっと、空笑いをしながらためらう私が映り込んでいる。

 覚悟を決めて、彼の額に恐る恐る手を伸ばす。私の右手の人差し指と中指、その先が滑らかな肌にひたりと触れた。

 初めて手が届いた、と感じた。


「――あつッ!」


 しかし、私は手を引っ込めた。


「……え」

「あんたこれ、凄い熱!」


 がなり立てた。彼は真顔を貫きつつ唖然としたかと思うと、気まずそうに私を窺った。


「無理が祟ったか。気がつかなかった。風邪だな」

「ちょっと! 他人事みたいに」

「他人事は君だよ。同じ鍋をつついてたんだ、君自身を心配したほうが良いと思うぞ……」

「あ、ほんとだ。最悪じゃんあんた!」

「なんとかは風邪を引かないんだろ……僕はもう帰るよ」


 揶揄(やゆ)する余裕も本当はなかろうに。彼がおもむろに立ち上がるが、前へ後ろへよろめくので私の両手が出そうになる。銀色の前髪をかき上げて額に自らの手を当てたり、悩ましげに目を細めたり。相当酷そうだ、辛かろう――でも私も移される可能性大。

 彼がふらつきながら店の出口のほうへ少し歩き、ぴたりと立ち止まった。背を向けて小刻みに震えている。寒いのだろうか。

 いや、これは。


「笑ってんじゃねーか!」

「冗談だよ暁。僕は人より体温が高いだけさ」

「あっ……あ! あーー!!」


 一瞬愕然(がくぜん)とした。が、次の瞬間には怒りが沸騰した。

 彼は微笑んで、すっかり軽い足取りで私のほうへ戻ってくる。机にきっかりお代を置くと、そのまま(きびす)を返し、逃げるように店を出て行ってしまった。

 私は怒りと落胆のあまり、追いかけることも忘れて肩を落とした。


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