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キラーワード


 さて、『彼』はいるだろうか。

 この前まで臆病風に吹かれて逃げ回り、姿を見せずコソコソと差し覗きに来てばかりだったあの男が。


 時は昼前。彼とコンタクトを取るならここしかないと思って図書館まで来てみたものの、会える気が全くしない。どうせ『本当に居ない』か『居るけど隠れてる』かだ。

 もし今日会えなかったらどうしよう。他の場所をしらみ潰しに探すか。それともまた今度だろうか。

 でも、私が彼を諦める未来だけは見えなかった。



 落ち着かない感情を胸に飼ったまま、図書館の入り口をくぐって、中へ足を踏み入れる。

 色とりどりの背表紙の並び、大きな階段、行き交う利用者ら。館内に差す陽光と、(わず)かに張ったような低温の空気。本に触れる音や抑えられた足音が時おり響く、私の好きな心地良い静閑(せいかん)だ。

 見慣れた景色が少し違って見えるのは、仕事が休みで利用者としてここを訪れているから――だけではないのだろう。あの満月の夜の光景、受け取った衝撃が今も私の中で(もや)のように漂っていて、彼の表情や言動をいやでも思い出させるせいだ。どこまでもめんどくさいヤツめ。


 そんなふうにぐるぐると思いを巡らせながら階段を上がり、足音を殺して歩みを進め、あるところで立ち止まる。



 果たして『彼』の姿はあった。


 束ねられた白銀の髪と、月を型どった(あい)色のイヤリング。装いはコートではなく、私から見て左側に偏って並んだ、アシンメトリーボタンの丈長の白服だ。ちょうどベルトを巻いた腰元からボタンは無く、服の裾が膝あたりでひらひらと揺らめいている。

 民俗学の棚の前でひとりひっそりと(たたず)み、左手で支えた本に理性的な目線を落として。ぺら、ぺらと(ページ)()る乾いた音の繰り返しが不安を煽る。

 ぴしゃりと(はば)むような隙のなさ、人の寄せ付けなさ。まるでそこだけ時間の流れ方が違うかのような雰囲気。彼独特の極低温の空気感の中に踏み込もうとする奴なんて、私以外にはいない。そりゃこんなの見たら一瞬幽霊だとも思うわ……とか思っては、そんな自分に溜め息を落とす。


 あの日々を通して知ったが、『彼』は人の気配にかなり鋭敏だ。仕事中の私が少し近寄っただけで、大抵本から顔も上げず喧嘩を売ってくるのだから。

 今だって私に気がついてるに違いないのに、彼は沈黙して目もくれない。その様子は彼を初めて見掛けた時と全く同じに思えた。私たちの関係が知らぬ間にリセットされてしまったんじゃないかと、そう考えてしまうくらいに。

 突然恐ろしくなった。私はひんやりとした髪束に触れてから、震える両手を後ろで組む。


 程なくして、心を決めて彼に話し掛ける。


「おいアンタ!」


 存外大きな声が響いて自分の体もびくりと驚く。『彼』はというと、数十秒待ったところで読書作業を継続しながら、ようやく「君か」と返事を寄越してきた。嘘つけ、もっと早々に気がついてたくせに。

 ()いで彼は「用件は手短に頼む」と平坦に(のたま)う。あんな夜があって何事も無かったみたいな顔をするとは、ちょっと憤慨(ふんがい)だ。

 でも今のやり取りで体が少しほぐれた。深く肺に空気を溜めてから再び口を開く。


「私と!」

「君がなんだ」

「私と食事行ってもらうから」

「理由がわからん、却下だ。何故大して仲の良くもない相手と……」

「うるさい。文句はナシよ」

「大体君、僕のために()く時間はあるのか? 君曰く司書は忙しいそうじゃないか」


 負けじと噛みついていこうとする……けど、ちょっと難しい気がしてきた。『彼』はだいぶ口喧嘩強いと思う。


「あ……あのね、今日は休み! 暇! だから本心吐き出させてやんの」

「誰のだ」

「アンタしかいないでしょ」

「……いつの話なんだ、それ」


 彼が細かい文字の列からおもむろに顔を上げた。蒼い宝石に似た瞳を細めてこちらを見てくる。銀の眉はひそめられ、薄い唇の端は下がっている。

 この作り物みたいに綺麗な顔から、前のように視線を逸らさなかった私を褒めてほしい。彼に相対(あいたい)して声の端々や指の先が小さく震えるのを、今も必死に誤魔化してるんだし。


「だっ、だから今日。今度なんてねーの。『今度』にしたらあんた逃げるでしょ」

(わずら)わしい……今からでも消えてやりたい……」

「魔法だかなんだか知らないけど意味ないわよ。つか何? アレ」

「答える義理は無い」

「どんだけ足掻(あが)こうと無駄! わかってんでしょアンタ」


 笑みを浮かべてはっきりと言ってやると、彼はさらに眉根を寄せ、流し目で舌打ちをした。つきりとほんの少し胸が苦しくなるのを知らないふり。同時に「あれ、そんなに嫌か」と思うと、私の意地悪いところが自動で働いてもっと翻弄してやりたくもなってくる。そこで必殺技(キラーワード)


「お店はもう予約してるの。いっつも私をやりこめて、ちょくちょく()()()思いさせてんだから、今日くらいは頼み聞いてくれてもいいわよね」


 そう言い放った途端、彼は赤いハードカバーの学術書をぱたりと閉じる。そして、白銀に縁取(ふちど)られた( まぶた)を伏せ、苦い表情で頭を抱えた。

 私を泣かせて怒らせて、さんざん振り回した責任を感じて、今回くらいは折れても良いか――とか考えてくれていたら私が嬉しい。彼に米一粒くらいでも他人を思いやる心が残っているなら、の話だけど。


 しばらくして、彼は右手で額を軽く抑えたまま小さく声を絞って云った。



「………………飯くらいなら」



 歯車が、回り出した音がした。



 *


 心星(しんぼし)を回る


 *


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