1.フレイヤ
「わかってほしい。僕には他に大事な人がいる。今も、この先も、君を愛することはない」
十年以上も慕い続けた幼馴染の王子から、残酷に拒絶されたとき、私の心は真っ二つに裂けてしまったに違いない。
だって、失意のどん底に真っ逆さまに落ちていく私と、妙に醒めた眼差しでそれを見ている別の私がいるのだもの。
――あー、思えばこの時が運命の分かれ道だったわ。ここでこのクソ王子と妙なことにならなけりゃ、未来はもう少しどうにかなったはずなのに。
クソ王子、というのはまさか、目の前にいるアリスター殿下のことかしら。
銀髪碧眼、さえざえとしたその美貌は、私の大好きな絵本に出てくる「銀王子」そのもの。
初めて会ったその日から、彼と結ばれることだけが、私の夢で生きがいだった……。
――いやいや、見た目はともかく、こいつ中身は最低だよね? 本命は別にいるくせに、自分を慕う幼馴染もちゃっかりキープしちゃってさ。まぁこの手の話って、主人公カップルがあっさりうまくいっちゃったら、ドラマにも何もならないから、仕方ないっちゃ仕方ないけど。
そう、「私」は知っている。
現在進行中のこのイベントが、仕事の合間に読んでいた漫画『銀王子の最愛』のワンシーンであることを。
さっきの「君を愛することはない」発言がよほどショックだったに違いない。
気がつけば、私は前世を思い出していた。
『銀王子の最愛』は、とある漫画サイトに不定期連載されていた異世界恋愛ものだ。
愛のない政略結婚で生まれた王子アリスターは、母の死とともに王宮を追われ、遠い田舎の領地を治める女伯爵に預けられる。
そこには二人の少女がいた。
女伯爵の娘エルシーと、エルシーの従姉妹のフレイヤだ。
緑豊かな美しい土地で、歳の近い女の子たちと小犬のようにじゃれあいながら育つうちに、母を亡くし、父に疎まれたアリスターは、次第に明るさを取り戻す。
そうして、いつしか幼馴染のエルシーに友達以上の想いを抱くようになり、エルシーも彼に惹かれていくのだが……。
そこに登場するのが、全編を通して二人の恋路を邪魔するフレイヤ――つまり私である。
不幸な生い立ちを持つフレイヤは、伯爵家にやってきたアリスターをひと目見るなり、雷に打たれたような衝撃を受ける。
大好きな絵本に出てくる憧れのヒーロー「銀王子」に、アリスターがそっくりだったからだ。
以来、フレイヤは何かというとアリスターを追い回し、鬱陶しくまとわりつくことになる。
アリスターとエルシーの絶妙にじれったい恋模様に加え、回を追うごとにえげつなさを増していくフレイヤのストーカーぶりに、掲載サイトのコメント欄には、毎回、読者の悲鳴と怒号が渦巻いたものだった。
やがてエルシーの母である女伯爵がアリスターの父である国王の後妻におさまると、事態はさらにややこしくなる。
アリスターとエルシーは、血の繋がりこそないものの、形式上は兄妹になってしまったからだ。
さらにさらに、両親の死によって莫大な遺産と女侯爵の地位を手にしたフレイヤは、富と権力をフル活用して主役カップルの間に立ちはだかる。
たとえば、今この場面もそのひとつ。
エルシーの名を騙り、離宮の一室にアリスターを誘き出したフレイヤが、とうとう彼と一線を越えてしまうのだ。
結果、フレイヤはついにアリスターと婚約。失意のエルシーは、醜い小人の王に嫁ぐことをひそかに決意する――という中盤の大きな山場である。
が。
当然ながら、そんなことをしてもフレイヤは決して幸せになれない。
この夜以降、アリスターとフレイヤは何かというとベッドを共にするのだが――って、「君を愛することはない」とか言っときながら、平気でそういうことしちゃうアリスターってどうなの?――彼の心を占めるのは、常にエルシーただひとり。
フレイヤは、そのことを作中で何度も思い知らされることになる。
繰り返される絶望の中で、フレイヤは次第に心を病んでいき、その行動は、遂には国を揺るがすほどの大事件を引き起こしてしまうのだ。
――踏みとどまるなら、今しかない。
てか、ぶっちゃけ、前世を思い出した私の目には、アリスターって全然魅力的に見えないんだよね。
エルシー一筋かと思えば、ちょっと誘惑されたくらいで簡単にフレイヤにも手を出しちゃうし。
国を揺るがす一大事のときも、エルシー一人を優先したせいで、事態をさらに悪化させるし。
「……フレイヤ?」
沈黙があまりに長く続いたせいだろう。アリスターが、心配そうにのぞきこんできた。
ちなみに、ここは人払いをした離宮の一室。
部屋の真ん中にはキングサイズのベッドがどどんと置かれ、赤みがかった薄暗い照明が、何ともいえず淫靡なムードを醸し出している。
夜会を途中で脱けてきたアリスターは、王子の華やかな正装姿。
私はといえば、素肌にシルクの夜着一枚という露骨に据え膳な格好だった。しかも作中で果たす役割上、フレイヤって典型的な妖婦っていうか、右の目尻に泣きぼくろ、清純派のエルシーとは対照的なダイナマイトボディのセクシー美人なんだよね。
原作では、ここでフレイヤがしゅるり、と夜着の紐を解き、まんまと魅了されたアリスターが彼女にふらふら近づいて、そのまま二人でベッドイン、という流れになるのだが。
それが不幸への片道切符と知った今、そんな事態は何がなんでも避けねばならない。
というわけで、私は夜着の襟元をきちんと合わせ、アリスターに向かって他人行儀に一礼した。
「承知しました、殿下。ではごきげんよう」
「えっ」
アリスターは、虚を衝かれたように青い目を瞬いた。
「でも、その……大丈夫なのか、君は?」
「ええ」
原作のフレイヤだったら大丈夫どころではないだろうが、今の私はむしろ、こんな男はノーサンキュー。さっさとお帰り願いたい。
「殿下のお気持ちはよおっっっくわかりました。もう二度とつきまとったりしませんので、どうかご安心くださいませ」
言いながら、優雅に掌でドアを指してみせる。
アリスターは、いったんはドアのほうに行きかけたものの、躊躇うように振り向いた。
「誤解してほしくないのだが、僕は何も君を嫌っているわけじゃない。というか、むしろ幼馴染として大切に思っている」
「ええ」
でしょうねえ。何しろ、セカンドとして何年もがっつりキープするくらいだもの。
私は肩をすくめ、もう一度ドアを指さしてみせた。
はいはい。わかったからさっさと出ていって。
ところが。
「だから、その……っ。くそっ!」
言うなり、アリスターはいきなり駆け戻ってきた。
驚く私の両手首をとらえ、おもむろに顔を近づけてくる。
「ちょ、何するんですかっ!」
「ぶぐぉっ!?」
私の渾身の頭突きを食らい、アリスターの鼻から血が、口からはめっちゃ間抜けな声が出た。こうなるとイケメンも台無しである。
私は素早くアリスターの手を振り払った。
「たった今振った女にキスしようとするとか、どういう性格されてますの!? 最低ですわ。百年の恋も醒めるというものです。さようなら。どうぞ、エルシーと末永くお幸せに!」
一息にそうまくしたて、夜着の裾を翻して部屋を後にする。
背後でアリスターが何やら叫んでいたけど、知ったことか。
本来、私はドロドロの恋愛劇より、スカッと爽やかなハッピーエンドが好きなのだ。
◇◇◇
「メアリ! メアリはいる?」
自分の部屋に戻るなり、私は侍女を呼び出した。
アリスター王子とエルシー王女の幼馴染、かつリッチな女侯爵でもある私は、なんと王宮内に私室を与えられているのだ。ビバ、富と権力。
「まあ、フレイヤ様! どうされました? アリスター殿下はおいでにならなかったのですか?」
心配そうに訊いてくるこの侍女は、原作ではフレイヤの死の直前まで忠義を尽くし、度重なる妨害工作にも手を貸してくれる心強い味方である。
「アリスター? 来たわよ。で、めっちゃふざけた真似をしてきたから、私の方から振ってきた」
「え、ふ、振っ……!?」
驚愕の表情を浮かべるメアリに構わず、私は化粧台に歩み寄った。
「ええ。でも、そんなことはもういいの。それより、大至急着替えさせてちょうだい」
「は、はい。すぐに新しい夜着を……」
「いいえ、ドレスよ。夜会に出るわ」
私の記憶が確かなら、今夜はフレイヤとアリスターの情事以外にも、重大な事件が起きるはずだ。
化粧台の抽斗の奥から、とあるアクセサリーの入った箱を引っぱり出す。
「それと、夜会にはこれを着けて出るから、ドレスは合う色のものをお願いね」
――超特急で着替えれば、彼が帰ってしまう前に広間にたどり着けるはず!
とはいえ、貴婦人のドレスアップにはそれなりに時間がかかる。
どうにか体裁を整えて、夜会の広間に向かった時には、時刻はとうに真夜中を過ぎていた。
宵っぱりの貴族たちも、そろそろ家路につく頃だ。
けれど、広間に続く廊下は、この時間にしては珍しく、がらんと静まり返っていた。
――よかった。彼はまだ広間にいるんだわ。
物見高い貴族たちが、あんな面白い見世物を放って帰るはずがない。
あたりに人目がないのを幸い、私はドアに駆け寄った。
細く開いた隙間から、中の人声が漏れてくる。
「では、どうあっても助力はできぬというのか!」
血を吐くような男の叫びに続き、国王陛下の重々しい声が聞こえてきた。
「すまぬな。我が国としても、手を差し伸べたいのは山々なのだが、なにぶん数が多すぎる」
ドアの隙間を押し広げ、そっと中に滑り込む。
思ったとおり、玉座の前に跪く岩のような背中があった。
その姿をひと目見るなり、私の胸に痛みが走る。
煌びやかな大広間や着飾った人々とは対照的に、埃にまみれ、擦り切れた旅装に身を包んだその人は、白髪混じりの長い黒髪に、岩から削り出したような無骨な面差し。がっしりとしたその体躯は、立ち上がっても私の肩くらいまでしかないはずだ。
小人たちの王、ダンカン。
原作では紆余曲折の末フレイヤを娶り、最終的には彼女を殺すことになる運命の男がそこにいた。
◇◇◇
『銀王子の最愛』の連載中、最も読者のヘイトを集めたのがフレイヤなら、最も同情を集めたのがダンカンだった。
事の起こりは、彼が治める地下王国に異変が起きた半月前にさかのぼる。
地底に眠る貴金属や宝石を掘り出していたドワーフたちが、次々と姿を消したのだ。
調べていくうちに、最下層の鉱脈が迷宮化していることが判明した。
放っておけば、ダンジョンから湧き出た魔物たちによって地下王国はおろか、地上も蹂躙されてしまう。
ダンカンは生き延びた人々を連れて地上に逃れ、同盟関係にある我が国――フェルメア王国に援助を求めてやってきた。
ダンジョン化の原因となった魔物たちを倒すまで、国を追われた人々を保護してほしい、と。
だが、国王を始めとする人々の反応はひややかだった。
というのも『銀愛』の世界では、ドワーフは醜く卑しい種族ということで嫌悪と差別の対象だったからだ。
中でもフレイヤのドワーフ嫌いは凄まじく、後に、礼を尽くして彼女の援助を求めたダンカンに対し、その顔に唾を吐きかけたあげく、
『いい機会だわ。お前たちなんてみんな滅びてしまえばいいのよ』
と言い放つ。
正直、前世でこの場面を読んだ時には、
――アンタのほうこそ滅んでしまえ!
と、両拳を握りしめて絶叫したものである。
そんなフレイヤとダンカンが結婚してからの後半は、アリスターに対する異常な執着に加え、ダンカンに対する目を覆うばかりの虐待ぶりと、それでもフレイヤに尽くし続けるダンカンの度を越した忍従ぶりに、「いつまで我慢するつもりだ!」「さっさとざまぁしちゃいなよ!」という読者の叫びがコメント欄を埋め尽くしたものである。
そのダンカンが――まだフレイヤと結婚する前、本格的に不幸になる前のダンカンが――すぐそこで、私の目の前で、玉座の前に跪いている。
今なら、まだこの人を救けられる。
今なら、まだこの人に違う未来をあげられる。
片膝をついたダンカンが、もう片方の膝も地につけた。
そのまま両手を前に伸ばし、王の前に平伏する。前世の日本でいう土下座である。
「王よ、何とぞ我らに慈悲を」
だが、そうまでしても王の心は動かない。
なぜならこの時、王の胸にはある考えが芽生えていたからだ。
迷宮化した地下王国に自国の冒険者を送り込み、ドワーフたちが掘り出した財宝を掠め取ろうという思惑が。
案の定、王はきっぱりと首を横に振った。
「くどい」
満座の貴族たちから、蔑むような笑いが起きる。
「ふん。這いつくばって、まるで地虫だな」
「みっともない。卑族の分際で、地下の王が聞いてあきれますわ」
今いる広間の片隅からは、地面に伏せた彼の顔は見えないけれど、原作を読んだ私は知っている。気高く誇り高い彼が、民のために歯を食いしばり、すべてを飲み込んでここにこうしていることを。
私はたまらず、人々を押しのけて飛び出した。
ダンカンのそばに跪き、平伏する彼の肩に両手をかけて引き起こす。
「どうぞ、顔を上げてください! あなたはこのような侮辱を受けていい方ではありません!」
驚いて振り向いたダンカンの瞳は、熟成したブランデーのような美しい琥珀色だった。
私を映すその目にはまだ、原作にあるような憎しみも、深い悲しみも宿っていない。ただ訝しげにこちらを見ているだけだ。
「……失礼だが、レディ、貴女は一体?」
「フレイヤですわ。フレイヤ・オークス」
ダンカンの顔に、ゆっくりと驚きの色が広がっていく。
「オークス。それにその首飾り………!」
私の首には、紅蓮の炎を宿したような赤い宝石を嵌めこんだ金細工の首飾りがかかっていた。
「ええ。私の遠い祖先が、あなたのご先祖様にいただいた品です」
炎の魔石を埋め込んだこの首飾りこそ、後にダンカンが屈辱的な条件でフレイヤを娶り、どれほどひどいことをされようと耐え忍んだ理由だった。
これは彼らドワーフと、私の一族が永遠の誓約を交わした証なのだ。
『たとえ貴女が忘れても、私は決して忘れない。遠い昔、我らドワーフが、貴女の一族に返しきれぬ恩を受けたことを』
作中でダンカンはそう言って、フレイヤのどんな仕打ちにも耐えるのだ。
そしてこの首飾りにはもう一つ、ドワーフの王族だけが知る大きな力が秘められていた。
私は首飾りを外し、ダンカンの手にそっと握らせた。
「たとえ貴方が忘れても、私は決して忘れません。遠い昔、私の祖先が、あなたがたドワーフと永遠の友情を誓ったことを。今、あなたがたの危機にあって、私はこれを喜んでお返しします。どうか一刻も早く、あなたの民を救ってあげて!」
ダンカンの目がはっと見開かれる。
「っ! なぜ貴女がそのことを」
「なぜでも。それより、早くこれをお持ちになって。それと、住処を失った方々には、私の領地に来るようお伝えください。というか、私が直接行ったほうが早そうね。参りましょう、さあ!」
そう言うと、私は呆気に取られる人々を尻目に、ダンカンを引きずるように立たせると、急いで広間を後にした。
廊下で一部始終を見ていたらしいメアリが、慌てて後をついてくる。
「フ、フレイヤ様!? これは一体……」
「話は後。この先は時間勝負なの。何か言われて引き止められる前に、王都を出て領地に向かうわよ!」
◇◇◇
『銀王子の最愛』では、迷宮化した地下王国に閉じ込められた人々はもちろん、難民となったドワーフたちも、どこにも受け入れてもらえずに、多くの餓死者や凍死者を出してしまう。
犠牲者の中にはダンカンの幼い妹も含まれており、このことが物語の後半に暗い影を落とすことになる。
――でも、今ならきっと間に合う。いえ、間に合わせてみせる!
その夜のうちに王都の外でダンカンと別れた私は、馬車を急ぎに急がせてオークス侯爵領に戻るなり、領都の外に急ピッチでいくつもの家を建てさせた。
同時に周辺の領地から余分の食糧を買い漁り、これからやってくるドワーフたちのためにストックする。
ドワーフの難民がやってくると聞いて、領民たちからは最初、反対の声が上がったけれど、私はそれをあり余る財力で黙らせた。
具体的には、ドワーフの家を作ったり、彼らのための服や日用品を作ったりする人々に、相場の倍の賃金を支払ったのだ。
おかげで領都界隈は時ならぬドワーフ景気に沸き返り、暗い顔をしたドワーフたちが足を引きずってやってくるころには、領都の外には整備された真新しい街並みが広がっていた。
「何と、これは……」
疲れ切った民たちの先頭にいたダンカンは、用意された家々を見るなり絶句した。
「ようこそおいでくださいました。皆さん、お疲れになったでしょう? どうぞ、ゆっくりお休みになって。広場には炊き出しも用意しましたから、たっぷり食べて、冷えた体を温めてくださいね」
季節はそろそろ冬にさしかかろうかという頃で、空はどんより曇っていたが、広場には焚火や篝火がたくさん焚かれ、湯気の立つスープや肉料理の屋台が並んで、ちょっとしたお祭りのようだった。
けれど、ドワーフたちはダンカンの後ろに固まったまま、強張った表情で火にも食べ物にも近づこうとしない。
それを見た私は、急に不安に襲われた。
「あのう……。ごめんなさい。こちらで勝手に用意してしまったけれど、もしかして家の造りが気に入らないとか、食べられない物ばかりだとか……?」
原作を読んだかぎりでは、ドワーフたちも人間と同じ物を飲み食いしていたはずだけど……。
「お酒は?」
ふいに鈴を振るような可愛らしい声がした。
「お酒がないと、お客さんになれないよ」
「こ、こら、コゼット!」
あわてたようにダンカンが叱りつける。
見れば、ダンカンの腰にしがみつくように、煤けた顔をしたドワーフの女の子が、こちらをじっと見上げていた。
私は地面にしゃがみこみ、女の子と視線を合わせて問いかける。
「こんにちは。私、フレイヤっていうの。あなたの名前はコゼットね?」
「うん」
こっくり、とうなずくコゼットは、ダンカンと同じ長く癖のある黒髪に、ダンカンよりもかなり赤みがかった不思議な色の瞳をしていた。
――ああ、この子がダンカンの妹なんだ。原作では寒さと飢えで死んだはずの……。
私は万感の思いをこめて膝をつくと、羽織っていたショールを脱いで、少女の肩をくるんでやった。
痩せて寒そうではあったものの、布越しに抱きしめたその身体からは、間違いなく生命の鼓動が伝わってくる。
「コゼット? 私ね、あなたも、あなたのお兄様も、他の人たちにも全員、私のお客さまになってほしいの。どうすればいいか教えてくれる?」
「なあんだ。フレイヤはもう大きいのに、そんなことも知らないの? お客さまが来たときは、真っ先にお酒を出すんだよ!」
小さな両手を腰に当て、偉そうに言うコゼットのそばで、ダンカンが申し訳なさそうに頭を下げた。
「申し訳ない。この子も他の者たちも、人の子の風習には詳しくなくて」
「いいえ。こちらこそ、気がつかずに失礼しましたわ」
私はさっと立ち上がり、控えていた使用人たちを呼び寄せた。
「屋敷の酒蔵から、大急ぎでお酒を持ってきて! 麦酒も葡萄酒も蜂蜜酒も全部よ!」
気を利かせたメアリが、とりあえず手提げの籠に入るだけの葡萄酒と、グラスをいくつか先に届けてくれたので、私はそれをダンカンとコゼット、それに部族の中でも主だった人々に配り、自分の手で注いで回った。
「あらためまして、ドワーフの皆様、ようこそおいでくださいました! オークス領と私フレイヤは、皆様を心から歓迎します!」
そう言って私がグラスを上げると、ダンカンがグラスを掲げて進み出た。
「レディ・フレイヤ。これほど大きな贈り物に、何とお礼を申せばいいか。我ら一同、このことは決して忘れませぬ。いつか、我が生命に替えてでも、このご恩はきっとお返しいたしましょう」
「いいえ。私はただ、当然のことをしたまでです」
私は微笑んで見せたけれど、内心は忸怩たる思いでいっぱいだった。
なぜなら、原作を読んだ私は知っているからだ。
フレイヤの祖先が、彼らドワーフに対して仕出かした決して許されぬ行いを……。