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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

【短編版】彼の幻想のインテグラル

作者: おおとりことり


 月に一度の定例会。 なんらかの役職に就いているものは絶対に参加せねばならないその会議で、太刀原イチイはチラリと隣に座っている男の様子を伺った。 まるで機嫌を気にしているかのように思えるその視線は男にも丸わかりだったらしく、ギロリとこちらを睨みつけるように見られる。


「なんだ、イチイ」

「いえ。 今日はいつにも増して、眉間に皺が寄っていますね」


 男はそう言われてウンザリとした様にため息を吐いた。 そして組んでいる脚の上下を変えて組み直すと、机の上にある資料を目線で促す。


「聞くに耐えん。 纏めておけ」

「もうやっています。 もしかして、また裏で研究をするつもりですか? ながら作業は良くないですよ」

「知らん。 幼稚な議題で意見を出すつもりはない」


 彼は、ここハイミリテリオン技術局の副局長の京ビャクシン。 歴代最年少で副局長に就任した天才技術者であり、戦闘でも優秀な成績を収める。 イチイが所属する技術探索科の統括を行なっている人物で、イチイの上司でもある。 優秀すぎる彼は少し他と変わった考えを持ち、こういった場所を好まない。

 イチイは十年間、彼に指導を受け教育された。 そのためビャクシンの考えていることがよくわかる。 イチイは声を顰めてビャクシンへ言う。


「また小言を言われますよ。 だって今回の司会進行は……」


 するとビャクシンは他人へ見えないようにイチイに向けて手を見せた。 言葉は一切ないが、これは「静かにしろ」というサインだ。 イチイがすぐさま口を閉じた時。


「京副局長、まさかまた虚像で参加するとはね。 貴方の怠惰ぶりには本当に目を見張る!」


 嫌味そうな声が聞こえた。 イチイは眉を顰め、ビャクシンは薄らと目を細めて机の上に両肘をついた。

ビャクシンは虚像と言われる、偽物の自分を使って人前に出ている。 その姿は周りの人間といたって同じだが、触れることができない。 ただの映像と同じだ。

それを可能とさせているのが「コード」と呼ばれる存在だ。 人々が生活する上で欠かせない「コード」は、遥か昔に神が創り出したものと言われている。

 薄い長方形の形をしたコードと呼ばれる物は様々な場所で掘り出され、発見されてきた。 人はそのコードに力を注ぎ込み、便利な暮らしを送っている。

ビャクシンが使用しているのは虚像のコード。 彼にしか使用できない特別なコードだ。


「皆より優秀だからと、驕っているのか?」


 ビャクシンが本来の自分の姿を全く見せない事に非難を上げる人も多い。 今日の司会進行を務めるララリィは特にビャクシンの態度を嫌っていた。


「まあ落ち着いてララリィ。 彼はいつもこんな感じだろう? 今に始まったことじゃない」


 ララリィを落ち着かせたのは局長のグミ。 彼女は人を纏めるのが上手く、言葉も巧みだ。 今回もすんなりとララリィを言いくるめると、咳払いをしてビャクシンを見る。


「さて話の続きだビャクシン。 先日、国王直々に命が下ってね。 γ地区にある廃施設の地下に奇妙な反応があると。 それを技術探索科に探ってほしいらしい。 頼めるかな」


 ビャクシンは答えない。 その代わりに瞳を閉じて、イチイを一瞬だけ横目で見た。 イチイはそれだけで彼が何を言いたいのかがわかる。 彼の代わりにイチイが口を開いてグミへ答える。


「恐れながら、γ地区の地下には未だにハイミュールエネルギーが豊富にあります。 その反応では?」

「国王陛下の言葉が偽りだと?」


 ララリィが声を張り上げる。 机を叩いて立ち上がる彼を、ビャクシンが面倒くさそうに見た。 イチイはララリィの言葉を聞いて冷静な態度のまま反論をする。


「我々技術探索科は危険がつきものです。 古代機械との戦闘、コードトラップの解除、どれも命を落としかねない。 探索において危険を排除するのは当然の行為。 ハイミュールエネルギーは謎が多く、少しでも衝撃を与えれば爆発する」


 怖気付くことなく堂々と発言をするイチイを、ビャクシンは無表情のまま聞いていた。 


「γ地区は国運営する電気開発工場群がある。 もし爆発など起こってしまえば、国の損傷が多い。 情報は確実でなければなりません」

「爆発をさせなければいいだろう。 国王陛下の情報を疑う前に、自らの技術を上げるべきだ」


 さらにララリィが反論してくる。 イチイが口を開きかけた時に、隣にいたビャクシンが珍しく低い朗々とした声を張り上げる。


「その言葉は太刀原を越える技術者しか口にしてはならない。 ララリィ、お前には過ぎた言葉だ」

「この女が、僕よりも……?」

「たかが警邏科のお前に何がわかる? 太刀原には私の知識や技術を全て余さず吸収させた。 だからこの場にいる、違うか?」


 ララリィはただ黙ってビャクシンを睨みつけた。 この二人はいつも仲が悪いのだが、今日は特別悪いようだ。 これ以上悪化させないようにと、グミが間に割って入る。


「はい! 大丈夫だ、あの場所にはハイミュールエネルギーは埋まってない。 だから探索科も安心して乗り込める。 頼めるかなビャクシン」


 ビャクシンはもうララリィに一瞥もしなかった。 彼はいつもの険しい顔つきのままグミを見る。


「私はただの技術探索科の統括者だ。 依頼ならば太刀原に聞いていただきたい」

「はは、信頼しているんだね?」


 グミはクスクスと笑った。 そして次はイチイに視線を向ける。


「どうかな、太刀原主任。 技術探索科で対処してもらっても?」

「国王陛下の意向に従います」

「ありがとう、きっと王も喜んでくれる」


 ビャクシンが立ち上がる。 これ以上この会議を聞いているつもりはないらしい。 彼はグミへ目線を配らせたあと、隣にいるイチイへ声を投げかける。


「行くぞ、イチイ」

「はい副局長」


 会議室から出て行った二人。 経緯を見守っていた通信科のカリンは冷や汗を拭いた。


「ビャクシンってほんと、太刀原主任がお気に入りなんだね」

「十年間愛情込めて育てた部下だから当然かな。 さて今日の会議はここまで。 ララリィ、君はビャクシンにあんまり喧嘩を売らないこと。 いいね?」


 グミに注意され、ララリィは悔しそうに唇を噛み締めた。 ララリィが異常なまでにビャクシンに反抗をするのには色々と理由があるのだが、その理由をビャクシン自身は知らない。 きっとビャクシンは「どうでもいい」と一蹴する。 それもララリィを腹立たせるのに十分だった。 ララリィも席を立ち会議室から出て行く。 グミはそんな彼を眺めて「青いねぇ」と呟く。


「とはいえ、アタシが放置するわけにもいかない。 アベリア」


 後ろに控えていた補佐官にグミは伝える。


「見張ってた方がいい。 ララリィはずる賢いからね。 ビャクシンに手を出すんじゃなく、太刀原主任に何か仕掛けると思う。 彼女に何かあったら、ビャクシンが怒っちゃう」


 アベリア補佐官は静かに頷くと会議室から姿を消した。 グミは自由奔放な部下達に頭を抱えるばかりだった。



              ∮



 無言のまま廊下を歩くイチイはビャクシンの後ろ姿を見た。 彼の大きな背中は昔から変わらない。 イチイがハイミリテリオンに入ったのは十四歳の頃。 ビャクシンは当時二十五歳だったが、その時はすでに副局長の座に就いていた。 あの頃はビャクシンの態度や言葉にいちいち度肝を抜かれ、意味を汲み取れず苦労した。 

今では大抵の場合はビャクシンの表情を見れば言いたいことがわかる。 しかし少しは会話をしてほしいものだ。

 それにしても。 とイチイはビャクシンの背中をじっと見つめる。 彼から褒められたことは一度たりともない。 実力も認めてもらえてないと思っていた。 

だが先ほど彼は言った。


「副局長。 質問を」

「手短に話せ」


 ビャクシンはきちんと自分の主張を言えばそれを聞くことはする。 言葉と態度が強いだけだ。


「副局長は私のことを信頼しているのですか?」

「信頼していなければお前に主任など任せん」

「なるほど」

「お前は私のことを勘違いしているようだな」


 決して歩みは止めないが、ビャクシンは話を続ける。 彼にしては珍しい。 一つの質問や会話に対してビャクシンが二回以上会話を繋げるなどなかなかない。


「そもそも探索科にいる者達は私が自ら選んだ技術者だ。 私の管轄内にいるのならば、私が求める一定のラインを超えた者でないと許されない。 お前の部下達はそれをクリアした者どもだ。 理解したか」

「はい」


 それを普段から言ってくれればいいのにとイチイが思っていると、彼は足を止めた。 どうやら話をしていたら副局長室に着いていたらしく、彼は音もなく振り返ってイチイを見下ろす。


「国王の任務は必ず完遂しろ。 以上だ」

「会議の内容をまとめ次第、端末に送ります」

「ああ、今日はいい」

「え?」

「休め」


 ビャクシンはフィンガースナップを鳴らして、虚像を消した。 誰もいなくなったその場でイチイは首を傾げたが、何度考えても先ほどのビャクシンのいった言葉の意味が理解できない。


「……時間ができた。 コードの整理をして過ごそう」


 彼の気遣いだったとしても、イチイはそれに気づくことなどないのだった。



              ∮



 灰色の空を見上げて、イチイは良くない天気だと感じた。 探索に出る場合に好ましい天気は晴れよりの曇り。 今日の天気は今にも雨が降りそうで心もとない。 普段ならば探索の日程を変えることも視野に入れるのだが、今回の任務はそう言ってられない。 王命ともなれば迅速さが求められる。 

 鞄に入れた物資を再確認して背中に背負う。 ずっしりとした重さがあるが、もう慣れてしまった重さだ。 探索用の頑丈なブーツを履いて、現地へ先に向かっている隊員達に追いつくため、転送のコードを使う。

 γ地区にある廃施設。 ここは元々コードを保管する施設だったらしい。 保管したコードを展示して一般向けに公開していたこともあり、施設の地図も簡単に見つかった。 黒い石でできた大きな建物の中に入り、薄暗いエントランスを見渡した。 


「主任、お疲れ様です」

「お疲れ様。 どう? 地下には守備よく入れた?」


 イチイの右腕的存在でもあるサザンカに尋ねると、彼は首を振る。 予想外の答えにイチイは眉を顰めた。 サザンカはイチイより後に技術局に入ったのだが、同期に近い。 十年間ここにいるイチイに対して、サザンカは八年半だ。 指導もビャクシンが直接行っていた。 そのため手際も良く、ベテランの技術者。


「地下に繋がる階段があったと記憶しているけれど」

「フェイクでした。 たしかに階段自体はあったのですが、下に降る階段の先は壁で、位置的に見て壁の向こうは外かと……」

「コードで秘匿されている可能性は?」

「解呪のコードを行使しましたが、反応があるのは地下そのもので壁には一切」

「……なるほど」


 やはりサザンカは手際が良い。 全てできる限りのことをやった上で『現状のままでは地下に行けない』と結論づけた。 イチイは地下に繋がる階段の前に立った。 地図上でもこの階段は描かれていて、地下にも五階まで階層があると載っていた。 国王陛下の言う奇妙な反応が、その階層の中にあるのかもっと下にあるのかは分からない。 


「掘りますか?」

「いや、ちゃんと地下に通じる階段はあるはず」


 腰に下げていたホルターから鈍色のコードを取り出す。 それをリーダーに差し込んだ。 

鈍色のコードは上級コードだ、使える者は少なく、所有者登録の必要なもの。 イチイが扱える上級コードは透明化、分析、アクセスキー。 どれもビャクシンから与えられたものだが、もう十年間ずっと使用してきた。


「分析コードですか」

「サザンカも副局長に言って貰うといいよ」

「畏れ多いです」

「気持ちは分かる。 でも探索がし易くなる。 今は私がここにいるから良いけれど、もし複数の任務が並行していた時、君は地下に繋がる階段を見つけれずに穴を掘るつもり?」

「……」


 分析は周囲のあらゆる障害物や脅威を見ることが出来る。 そして同じようなコードは多く存在する。 そのどれもが上級コードだが、ビャクシンが管理をしているものだ。 イチイがビャクシンからこのコードを与えられたのも、探索をスムーズに行うためだ。 イチイ以外の探索科の技術者は上級コードを持っていない。 もしもイチイがこの探索に参加してなかった場合、階段が繋がっていないからと立ち往生することになる。


「……主任の言う通りです。 帰還後、統括に話してみます」

「うん、そうして。 私の負担も減る」


 コードを発動させたイチイの前にいくつもの青い画面が広がって行く。 そのうちの一つを指で選ぶと、3Dマップが大きく表示される。

 

「…………外だ。 ここに、何かあった?」

「この場所には焼却炉が」

「多分そこ。 中は梯子になってて地下に繋がってるみたいだね。 なるほど、ここまで厳重に隠すなんて」


 普通の人間ならば焼却炉の中など入らないだろう。 大きな焼却炉ともなれば扉も重たい。 イタズラで開いたりできないし、まさかこの中に地下へ繋がる梯子があるなど思わない。 そこまでして隠したい何かが地下にはあるのだろう。 国王のいう奇妙な反応、が現実じみてきた。


「……ん?」


 イチイがマップを見ていると、ふとエントランスの外に三つの反応があった。

 

「サザンカ、何人で来た?」


 そう言いながら自分も周りを見る。 今日来ている技術者はサザンカも合わせて七人。 七人分の反応はエントランスに固まっている。


「今回は七人で……」

「っ!」


 やはりそうだった。 ではこの外の反応は自分達のものではない。 危険を察知した時、3Dマップのその反応が赤く点滅した。 これは敵意のある存在を知らせるものだ。 サザンカがそれを見てハッと息を飲んで帯刀していた剣を抜き、イチイは咄嗟に透明化のコードをもう一つのリーダーに差し込んで声を張る。


「隠れて!」


 しかしその声を抑えるように、サザンカは彼女の口を手で塞いで大きな柱の後ろに隠れた。 扉が開く音がして、すぐに銃声が鳴り響く。 聞きなれた仲間の声がいくつも聞こえて、何かが倒れる音がした。 

柱のすぐ近くに仲間が倒れて、二人は息を潜めてそれを見た。 赤い血が床に広がっていく。


「……! そんな、なにが」


 小さな声でイチイが言う。 サザンカは剣の柄を握りしめ、敵の出方を探っていた。


「全員手を上げろ」

「ハイミリテリオンの探索科だな? 主任を出せ。 どこにいる」


 銃口を突きつける音がする。 イチイは出て行こうとするが、それをサザンカが止めた。 


「サザンカ、どうして」

「主任、貴女は決して声も出さず、動かないで。 わかりましたね」


 彼はそう言いながら、イチイのコードに触れた。 通常の場合、コードを発動させるためにはリーダーに読み込ませて任意のタイミングで起動する必要がある。 イチイは透明化のコードをリーダーに差し込んだだけだった。

 しかし、リーダーを必要としない発動条件がある。 それが『身体の機械化』だ。 サザンカは右手を機械へ差し換えている。 その機械でコードに触れて読み込ませることで、リーダーを必要とせずに起動することができるのだ。

 イチイの意思に反して透明化のコードが発動した。 彼女の姿は一瞬で透明になり、何処にいるのかが分からなくなる。 イチイはサザンカを止めようとしたが、彼はすぐに柱の影から出て行ってしまう。


「太刀原主任は来ていない。 私では不満か?」

「……お前は斎李サザンカか。 まあ良いだろう。 同行を願おうか、我々の拠点で罰を下さねば」

「罰? 一体何の罰だ? 私達技術探索科は国王の命で……」


 再び発砲音がした。 そしてサザンカの呻き声と、床に倒れ伏す音も。


「お前達はコードを使っている、何と不敬な! コードは神が創り出した神聖なものだというのに!」



              ∮



 ……それからのことを、イチイは鮮明に覚えている。 仲間達が撃たれ、殴られ、痛めつけられる様をただ見ているだけしか出来なかった。 何度も透明化を解いて出て行こうと思った。 しかし出来なかった。 サザンカに言われたことを守りたかった。 彼の約束を守らねばと、ただ蹲って耐えた。

 やがて辺りが静かになって、それからしばらくしてイチイは立ち上がった。 誰もいなくなったエントランスから出て、駆け出す。 透明化のコードを解除して、初級コードの身体強化を発動させた。 

真っ暗な空から大粒の雨が降り出す。 イチイは雨に打たれながら走った。 自分の頬に流れるのは、雨なのか涙なのか分からなかった。



              ∮



 ハイミリテリオンの塔があるのはσ地区。 一際目立つ真っ白な塔と建物が立ち並ぶ施設は雨の中でも異様な雰囲気を放っていた。 イチイは先を急いでいた。 大きな塀を飛び越えて、建物の屋根に飛び移る。 探索の時に使用するフックショットを駆使して素早く走り抜け、探していた人物を見つけ出す。

塔を繋ぐ連絡通路、その全てが繋がっている広場にビャクシンの姿を見つけた。 隣には局長のグミがいる。 二人で話をしているようだが、今は構いはしない。

 大きな建物の屋上から助走をつけて飛び降り、フックショットを発射する。 狙い違わず、それはビャクシンのすぐ隣へ突き刺さった。 

遠巻きだが、彼が針に気づいた様な素振りを見せた。 そしてワイヤーを掴んでグッと引っ張る。 イチイもその瞬間を狙ってワイヤーを巻いた。 

 風を切る音が耳に大きく響く。 雨粒がまるで針の様に刺さって痛い。 それでもイチイは堪えた。 こんな痛み、仲間の負った傷に比べたら。

数百メートル離れていたのに、ビャクシンの力をあったおかげかすぐにたどり着いた。 床に転がる様に着地をして、イチイは乱れた呼吸を整える。 半ば叩きつけられた様なもので、身体中が痛む。

 この場所には天井が無いが、特殊なコードのおかげで雨は降り注いでこない。 ビャクシンは倒れているイチイを抱き起こそうとして手を伸ばすが、その手は彼女の身体を通り抜けた。


「っ、……」


 彼は常に虚像を使っている。 虚像は物質に触れることはできるのだが、生身の人間に触れることができなかった。 ビャクシンは拳を強く握りしめて、大きく息を吐き出す。


「お前は無事だったか、イチイ」

「副、局長……! なにがあったのか、知って……」

「ああ。 局長とも今話していた。 やつらはヘイブ、言ってしまえば反国王派だな。 ハイミリテリオンとも敵対関係にある、先ほど奴らから勧告が来た」


 いつもよりビャクシンの声色が低く感じる。 隣にいたグミはイチイの髪や服の乱れを整えてくれた。


「奴らの狙いはお前だ、イチイ」

「……」

「正確に言えば、お前の持つコードの【アクセスキー】を狙っている。 そのコードは使い捨てだがどんなものでも開けることができる、アクセスキーを使って地下の神殿をこじ開けたいらしい」

「神殿……?」

「廃施設の地下にあるらしいんだ。 ヘイブの連中が言ってたから、確かな情報だと思う。 だから彼らはあの場所にいた探索科の技術者を捕まえた、神殿に眠る古代のコードを奪わせない様に」


 イチイはホルターに保管してあるアクセスキーのコードに触れた。 このコードもビャクシンから与えられた物だが、十年間の間に一度も使ったことがない。 使う様な場面に遭遇したこともない。

 

「イチイ、アクセスキーは渡すな」

「でもこれが奴らの狙いならば……」

「そのコードは使うべき場所がある。 それはこんな馬鹿げた時のために預けられたものではない」


 預けられた、とビャクシンは言った。 イチイにとってビャクシンの言葉は従うべき事だ。 だが今回ばかりはその言葉に疑問を覚え、そして反抗心を抱いた。


「では……。 ではどうしろと? 仲間があんな目に遭って連れて行かれて……! このまま何もできないままですか?」


 雨が更にひどくなった。 雷まで鳴り始める。


「みんなが、サザンカが……! 私はそれをただ、息を潜めて見てるだけで…………!」

「……イチイ、私は」


 ビャクシンが何かを言おうとした時、グミの持っていた通信端末が鳴り響く。 彼女は素早く目を通すと険しい顔つきで頭を抱える。


「ビャクシン、ヘイブが来る。 君に交渉があると」

「通してくれ。 私が取り戻す」


 取り戻すのはきっと探索科の技術者達のことだろう。 ビャクシンは自分の部下達のことを大事に思っている、イチイはそのことを知っていた。

グミは頷いて、塔へ戻っていく。 ビャクシンはイチイに背を向けた。 これはイチイを見放したわけでもなんでもない。 いつもと同じだ。


「イチイ、副局長室へ。 まだ歩けるだろう」

「……」

「歩みを止めるな。 そう教えたはずだ、お前はそれが出来る」


 立ち上がる。 体は痛くてたまらないがなんとか踏ん張って、先を行くビャクシンの大きな背中を見つめる。


「……はい!」

「副局長室でヘイブの連中と話す。 お前は透明化のコードを使って干渉をするな」


 私一人で十分だ。 とビャクシンは吐き捨てる様に言った。 塔の中に入り、副局長室の扉を開く。 探索科のある塔は一番遠くに位置する。 ヘイブの人間達がここへ来るまでまだ時間はあるはずだ。 ビャクシンは棚の中から厚手のタオルを取り出してイチイへ投げ渡す。


「着替える時間はない。 手短に話すが」


 彼は本棚の奥から一冊のアルバムを引き抜いた。 パラパラとページを捲って、一枚の写真を開いて机の上に置いた。 濡れた身体を拭きながらイチイがその写真を覗くと、そこにはビャクシンと二人の技術者が写っている。 恐らくビャクシンはまだ十代の頃だろう。 今よりも身体が薄く、まだ鍛えてもなさそうだ。 彼は技術者だが戦闘もこなす。 警邏科からの頼みで特別指導をする事も多い。 そのため屈強な体つきをしていて、イチイなど片手で首を折ることができるだろう。

 イチイが驚いたのはビャクシンの昔の姿ではなく、その隣にいる二人の技術者のことだった。 恐らくビャクシンの上司になるのであろうその男女は見覚えがある。

 

「私に技術者としての知識を教えてくれた上司、そしてお前の両親だ」

「お父さんとお母さんのことを知っていたんですか?」


 イチイの両親は既に亡くなっている。 死因は事故死。 国が守護機械として使っていた大百足が暴走し、それを止めるために命を落とした。 亡くなったのはイチイが七歳の頃だ。


「良い上司だった。 私がハイミリテリオンに所属したのは十二の頃だが、若造の私に全てを教えてくれた。 お前はその頃はまだ一歳だったな。 何度か会ったことはあるが、覚えてなどいないだろう」

「副局長とですか?! すみません、全く記憶に……」

「そうか、薄情なやつだな。 抱っこまでしたというのに。 お守りまでした」

「え?!」

「冗談だ。 流石に一歳の頃の記憶を覚えているわけがない」

 ビャクシンはアルバムを閉じる。 チラリと時計を見て、そしてイチイの腰にあるホルターを指差した。 勘付いたイチイはアクセスキーのコードを取り出して差し出す。

「そのコードはお前の父から私が預かったものだ」

「副局長は、どうしてそれを私に?」

「…………」


 ビャクシンは押し黙ってしまった。 アクセスキーのコードを懐かしむように見た後、またすぐにイチイへ返す。


「透明化のコードを使え。 一切音も立てるな、干渉もするな。 隠れていろ」

「……わかりました」


 言われたことには従う。 イチイはアクセスキーのコードを厳重に保管して、透明化のコードを発動させた。 イチイの姿が見えなくなってもビャクシンにはどこにいるかわかるようで、本棚の隣を指差した。 そこには中型の観葉植物があって少し陰になっている。 恐らくそこに潜んでおけということだろう。 イチイがその場所に膝をついた時、扉が開いた。

 武装をした男が三人入ってくる。 交渉と言っていたがその気はまるでないらしい。 ガタガタと荒々しく物音を立てながら入ってきた彼らは、銃口をビャクシンへ向ける。


「お前が京ビャクシンか。 答えろ、太刀原イチイをどこに隠した」


 しかし彼は一切動じず、鋭い切れ長の瞳を三人の男へ向けた。 金色の瞳が冷徹に相手を見定める。


「答えたとして、太刀原をどうするつもりだ?」

「奴の持っているアクセスキーは特別だ。 あのアクセスキーは【古代のコード】の一つ。 神が作りし神秘のうちの一つ」

「そんなもの欲しさに、私の部下達を捕らえたのか」

「部下? なんだ、意外と仲間に情があるんだな」

「彼らをどこへ連れて行った」

「おい、今俺達がお前に……」


 答える気のなさそうな男達に、ビャクシンは腹を立てている。 彼の虚像が力強く机を拳で叩いた。 辺りが振動でビシビシと音を立てて揺れて、机は木っ端微塵に破壊される。 イチイは唖然とした表情でビャクシンを見た、彼が怒ると怖いと噂に聞いていたが、まさか素手で家具を壊すとは。 しかもこれは虚像。 本体ならばきっとこれ以上の力がある。 ビャクシンが椅子から立ち上がりゆっくりと足を踏み出す。 ただの木の板になってしまっていた机を、さらに足で粉砕した。


「立場を間違えるな。 今、私が貴様に質問をしている。 答えろ、私の部下をどこへ連れて行った」

「い、一緒にいる! 俺達のトラックに捕らえている」


 気迫に押されたのか、一人の男が悲鳴を上げるように答えた。 ビャクシンは男達の目の前まで歩みを進めながら、いつものように低い感情のこもっていない声で続ける。


「太刀原には任務を任せていた、それは国王陛下からの任務。 つまり王命だ。 お前達はそれを妨害した、王に叛いた愚か者共」

「な、何が国王陛下だ! いるかどうかもわからないような奴が!」

「そうだ、国王陛下もお前も似たようなものだな。 怖いからその虚像を使っている、紛い者が!」


 男は声を上げて笑いながら何かを取り出した。 それを見てイチイは大きく目を見開いた。 ビャクシンはハッと声を詰まらせる。 白と金の装飾が美しい剣だが、刀身が真ん中で綺麗に折れて砕けてしまっている。 柄には血が付着していて、それを使っていた者が大きな怪我を負っている事が分かった。 その剣はサザンカの愛剣だ。


「この男、随分仲間思いだったぜ! 自分はどうなってもいいから、他の部下に手を出すなってキャンキャン吠えやがった! きっとあの場にいた太刀原イチイを逃したのもこの男だ!」

「太刀原イチイもよく逃げ出したものだ、仲間が苦しんで怪我をしてるのに、のうのうと一人で逃げた! 不出来な部下を持つと大変だなぁ、京ビャクシン!」


 イチイが透明化のコードを解こうとした時だった。


「黙れ!」


 空気が震える程の怒号を、ビャクシンが放った。 


「この私の前で、部下達を、愚弄したな……」


 ビャクシンは男の持っていた剣を奪い取った。 折れた剣だが、彼はこれでも十分戦える。 彼が剣を一振りすると、空気がピッと割れる感覚がして、一人の男が持っていた銃が真っ二つに斬れた。 


「生きてここから帰れると思うな」

「こ、こいつ……!」


 三人対一人だというのに、ビャクシンは一切負ける様子がなかった。 銃弾を剣で弾き、剣を振るう風圧だけで圧倒する。 生身に触れられない虚像だというのに。


「くっ、おい! アレを使え!」


 勝ち目がないと悟った男が叫ぶ。 黒色の拳銃を取り出した一人が銃口をビャクシンに向けた。 手榴弾か何かだと思っていたイチイは拍子抜けするが、発動させたままだった分析のコードが耳元で警告音を鳴らした。 スリープモードにしていたはずなのに、一気に画面が空中に現れてしまう。 赤く点滅した画面を見て、イチイは一瞬で血の気が引いた。 

 ここに居るとバレてしまってもいい。 彼女は弾かれたように立ち上がり、間に割って入る。 立った際にリーダーが鉢植えに当たった衝撃で、透明化のコードが外れてしまった。


「イチイ───」


 イチイの姿を見たビャクシンが彼女を下がらせようと手を伸ばしたが、その手は虚しくも、身体をすり抜けた。

銃声が響いた。 銃弾はイチイの肩を撃ち抜いて、彼女はその場に倒れる。

 

「イチイ!?」


 彼はイチイを抱き上げる事も何もできない。 足元に転がる弾を見てビャクシンは全てを理解した。 あの男達が撃ったのは粒子性のジャミング弾だ。 機械や映像の動きを止めてしまう物。 ビャクシンの虚像にこれを撃ち込まれていたら、彼の虚像は消えてしまう。 ビャクシンは虚像に独自の技術を使って、自らの意思を埋め込んでいる。 虚像を消す際にはこのシステムを前もって手順を踏んでダウンさせなければ、彼の意思は虚像に取り残されたままになってしまう。

 つまりこのジャミング弾を撃たれてしまえば、彼は強制的に虚像を失い、そして意思も消されてしまう。 それを知っていたイチイは彼を庇った。 生身の人間がジャミング弾を撃たれても、三十分ほど視界を失うだけで済む。

 声をかけてもイチイは目を覚さなかった。 ビャクシンは大きく深く、息を吐き出す。 


「ふん、都合がいい。 おい、太刀原イチイを回収しろ」


 男はもう一度銃を撃った。 今度こそビャクシンの虚像が消失してしまう。 転がった剣を足で蹴り飛ばし、気を失ったイチイに手を伸ばそうとして───。

 バンッ! と鈍い音が聞こえて来た。 本棚の近くにあった、隣に繋がる木製の扉が弾け飛んで行く。 扉は壁にぶち当たってバキバキに割れ、壁も衝撃を受けて崩れ去っていく。 男達が咄嗟に銃を構えるが、彼らは現れた姿に驚きを隠せない。 隣の部屋から出て来たのは、先ほど消えたはずのビャクシンだ。


「お、お前……! なんだ、その、それは……!」


 彼は力強く足を踏み出した。 ゴツゴツと重たい足音が響く。 確かな重量を持ったその音で、今の彼は紛れもない本物だと十分に分かった。 そして彼の、虚像とは異なるあるモノ。


「貴様らがジャミング弾を使ってくれて助かった。 イチイを傷付けたのには心底腹が立つが、何があってもこの姿を彼女に見せたくない」


 ビャクシンには、異質な尻尾が生えていた。 機械で出来た巨大な尻尾。 それはまるでムカデのように節があり、鋭い刃がいくつも付いている。 赤く輝くラインは血液のように流れていて、尻尾が動くたびに機械の重い音が、威嚇するかのように聞こえてくる。

 彼が戦闘においても優秀だったのは、この尻尾のせいだ。 国が守護機械として保有していた大百足、それと全く同じ尻尾を持つ。 


「選べ、二つに一つだ。 投降し、城の牢で王に対する不敬を一生をかけて償う。 私の刃で切り裂かれ、毒を食らい、苦しみながら死ぬ」


 彼は機械の尻尾を床に叩きつけた。 激しい地鳴りがして、男達はその場に膝をついて倒れる。


「投降、する……」

「懸命な判断、感謝する。 ……局長、いるんだろう。 連れて行け」


 ビャクシンはグミに後始末を丸投げして、気を失っているイチイを今度こそ抱き起こした。 彼女に初めて触れた、それがまさかこんな形になるとは思わなかった。 初めて会って挨拶をした時も、自分は虚像で握手など出来なかった。


「いや、初めてではないか……。 あれを一回にカウントしていいのか疑問だが」


 彼女が赤ん坊だった時のことを思い出した。 朧げとしか覚えていない記憶だが、あの時の彼女は温かくて、確か大泣きしていた。

今は違う。 泣きもしていないし、かと言って笑ってもいない。 雨に打たれたせいで、身体も冷え切ったままだ。


「……お前は強い。 私は、そうはなれない」


 イチイを抱きかかえ、彼は副局長室を出て行った。



              ∮



 生身の人間に対してのジャミング弾は、三十分間視界を失うだけ。 それが普通なのだが、不幸にもイチイは気を失った間に高熱を出した。 そのせいか、ジャミング弾の影響が三十分以上続いていた。 熱は下がったものの、視界を失っているのは不便だ。 なので───。


「イチイ、調子はどうだ」

「問題ありません」


 ビャクシンが身の回りの世話をしてくれていた。 最初は何度も断って、別の隊員に頼むと言ったのだが却下された。 そもそも今はその隊員達も療養中だ、手が空いているのはビャクシンくらいしかいない。 途中でもう諦めて全てを受け入れた。 


「そうだ、渡し忘れていた」


 病室の窓を開けて空気の入れ替えをしてくれていた彼は思い出したように言って、何かを取り出した。 


「手を出してくれ」

「はい」


 彼が手のひらに乗せたのは、イチイがいつもつけている髪留めだ。 イチイは自分の髪に触れるが、確かに結んでいる髪ゴムにはいつもの髪留めがついていなかった。 恐らくあの日倒れた時に外れてしまったのだろう。


「ありがとうございます。 大切なものだったので、助かりました」


 ビャクシンは髪留めを見た。 鳥の形の綺麗な髪留めは彼も見覚えがある。 それは彼女の母親も肌身離さず持っていた。


「形見か」

「はい。 お父さんがお母さんにプレゼントしたものらしいです」


 親を亡くして十七年、彼女はどれだけ寂しい思いをしたのだろう。 十四歳でハイミリテリオンにやって来た時、ビャクシンは彼女を見て驚いた。 まさか両親と同じように技術者を目指すとは思わなかった。 

ここだけの話だが、ビャクシンはどうしても彼女を技術探索科に引き抜きたかった。 副局長の権力を使ったのもそれが初めてだ。 上司の子供、彼女を守らねばと強く思った。

 ビャクシンは何も言えず、ただ静かに佇むことしかできなかった。 大きな機械の尻尾が音もなくしな垂れる。 ジャミング弾で視界を失っている間は虚像を使わないようにしていた。 彼女に触れることができないと不便だった。 自分のこの大百足の尻尾は、イチイに見せたくない。 彼女の両親は大百足に殺されたのだからこんなもの見ない方がいい、本当は側にいない方がいい。 

そう分かっていても離れることはできなかった。 彼女の成長を見守りたかった、危険な事から守りたかった。 

 いつの間にか、自分の隣には彼女がいた。 それが普通だと、そう思うようになった。 自分は、醜い尻尾を持っている凶暴な殺戮者だというのに。


「……明日、再び廃施設の探索を開始する予定だ」

「え? 皆んなは……」

「私一人で探索に行くつもりだったが、皆連れて行けとうるさくてな。 怪我の癒えている者は連れて行く」

「副局長、私は……」

「お前は待っていろ」


 案の定、そう言われると思っていた。 イチイが悔しそうな顔をして、そして拗ねたように毛布に包まってしまう。 そんな反応をするイチイのことは初めて見るので、ビャクシンは少し驚いたように目を見開いていた。 その後にだんだん微笑ましくなって、ゆっくりとベッドへ近づいて彼女の頭を撫でる。


「心配せずとも、お前の仲間達の安全は保証する」

「副局長もです。 皆んなちゃんと、帰ってきてください」

「ああ」


 ビャクシンが短く別れを告げて踵を返す。 

イチイは毛布の中から出てきてその後ろ姿を見た。 

実は、視力はもう戻っているのだ。 でもどうしても言い出すタイミングがなかった。 一人きりになった病室でイチイは考える。


「こんなの、副局長の親切心を踏み躙ってる……。 言わなきゃいけないのに、なのに……」


 彼はいつになく柔らかい表情をしている。 それが珍しくて、どうしても長い時間見ていたいと思ってしまう。 


「それに、あの尻尾が、あんなの……」


 いつからこんなに自分は不誠実になってしまったのだろうか。 イチイは何度目かわからない大きなため息を吐いた。

     


              ∮



 ビャクシン本人の姿を見た者は殆どいない。 だから、今日はハイミリテリオン全体が騒がしかった。 塔を出る際に何人もの技術者達が彼の姿を見て驚く。 大きな百足の尻尾、機械に差し替えた左腕と両脚。 その姿を見て誰もが納得した、彼が虚像を使うのは仕方がないことだと。

 周りの騒めきを横目に見つつ、サザンカはビャクシンの斜め後ろに控える。


「統括、準備は整いました」

「ああ。 お前は手際がいい」


 ビャクシンは普段羽織っている白衣を脱いだ。 白衣の上からでもわかる身体つきだったが、いざ薄着となると凄まじい。 サザンカはビャクシンの鍛え上げられた身体を見てポツリと言葉をこぼす。


「私も鍛えた方が……いいのだろうか……」

「華奢な男の方が好かれる」


 機械の腕を隠すように分厚い手袋をはめながらビャクシンが言った。 まさか聴かれているとは思っておらず、サザンカは慌てて口元を抑えた。


「それでも鍛えたくなったら私に声をかけるといい。指導をしてやる」

「……統括って、意外とお優しいですね」

「ふむ。 お前は意外と太刀原と性格が似ている」


 二人はあまり話す機会がない。 そもそもビャクシンはイチイを通して技術者達と連絡を取っていた。 統括者と言えども、話したことのない者が多い。 サザンカのことは直接指導していたが、最近は顔を合わせることもなかった。 ビャクシンは自分の尻尾を動かして、根本から何かを取り外す。 

彼が尻尾を動かした事に対して周りは警戒をしていたが、探索科の技術者達は全く別のことを考えていた。 サザンカも同じだ。 一体どんな原理なのか、どんな素材なのか、そのことばかり考えている。


「斎李、お前にこれを」


 突然名前を呼ばれてサザンカは姿勢を正した。 ビャクシンから手渡されたものは鈍色のコード。 一目で上級コードだとわかる。 さらにビャクシンは腰に差していた剣もサザンカへ渡す。


「コードは太刀原と同じ分析。 剣は修復はできなかった。 違うものになるが、良ければ使え」

「あ、ありがとうございます」


 両方とも大切そうに受け取って、コードは他の物と同じように収納した。 以前まで使っていたものと同じような形の剣をサザンカは確かめるように握りしめる。 凝った装飾の施された剣を鞘から引き抜くと、その剣身に刻まれた紋章を見てギョッとする。 近くにいた技術者からも同じような声が上がった。 皆でビャクシンをまじまじと見つめると、彼は眉を顰めた。


「……待て、ここじゃ都合が悪い。 行くぞ」


 少し急いだ様子で金色のコードを発動させるビャクシン。 そのコードを使っている時点で周りには恐らく丸わかりなのだが、サザンカはあえて突っ込まなかった。 

金のコードは上級よりさらに上の、いわゆる「古代のコード」だ。 彼が発動させたのは強制移動のコード。 あっという間にあの廃施設のエントランスへ移動してしまった。 何もかも以前のままだ。 銃弾の痕、血の跡。 全てが残っている。


「太刀原は焼却炉と言っていたか」

「はい、外にあります」


 外へ出て大きな焼却炉の扉を開ける。 イチイの言った通り、中には地下へ繋がる梯子があった。

その梯子を降りると雰囲気が一気に変わった。 ビャクシンは警戒するように辺りを見渡し、尻尾に格納しているコードのうち一つを発動させる。


「解呪ですか?」

「こういう場所は罠が多い。 案の定、幾つか反応がある。 灯りを消すな、決して離れることなく着いてこい」


 彼が先へ進む。 薄暗い地下を進みながら、サザンカはビャクシンの背中に声を掛ける。


「呼び名を改めた方がよろしいですか、殿下」


 その言葉にビャクシンは足を止めた。 尻尾がウゾウゾとうねって、金属の触れ合う音が忙しく鳴っている。


「やめろ、ゾッとした」

「やはり王家の生まれでしたか。 この剣にある紋章が王家のものだったので」

「家にあったのを持ってきた。 以前兄から譲り受けて私が使っていた。 使い古しで良ければそのまま使ってくれ、埃を被るよりマシだろう」

「兄、というと……」

「現国王陛下だ」


 つまり、ビャクシンは王弟にあたる。 彼は先へ進みつつも身の上話を始めた。


「王家に生まれた兄弟は四人だ。 一番上のイブキが現国王、二番目のヒムロは外交官、三番目のハクジは家を出て暮らしている。 一番下が私だ。 苗字は偽っている、バレたら面倒だからな。 お前達も態度を改めたりしなくていい、今の私はハイミリテリオンの副局長でお前達の上司。 そうだろう?」


 確かに今更言われても実感がない。 ビャクシン自身も気にしていないのだったら、今まで通りの方が過ごしやすい筈だ。 


「この大百足の機械尾は王家の実験によって取り付けられた。 昔暴走した守護機械の大百足をどうにか再起できないものかと数多の実験を繰り返し、適性の高かった私に植え付けた。 元々身体半分が機械だったから抵抗はなかった。 脊髄に機械端末を通して身体に融合させている。 収納することもできる、少し時間はかかるが刃と節を重ねて……。 って、なぜ皆メモを取っている」


 技術者達の動きが遅くなったので後ろを見てみれば、彼らは思い思いにノートや端末を開いて彼の尻尾の情報を記入しているようだった。 


「恐怖を和らげるために説明しただけだ、それなのにどうして興味が湧く?」

「いえ、恐怖など最初からありませんでした。 我々にあったのは知的好奇心のみです」


 サザンカはキッパリと言ってビャクシンの尻尾を興味津々で見つめている。 ビャクシンはやれやれとため息を吐いた。 流石は技術者達と言ったところだ。


「お前達の前ならばもう虚像を使わなくても良さそうだな」

「……主任にはお見せしないつもりですか?」

「…………彼女には酷だろう。 私のこの機械尾は恐怖と殺戮の象徴だ。 最も醜い、私のコンプレックスでもある」


 彼の尻尾が力無くしな垂れるのを見て、サザンカは「なるほど」と勘付いた。 そしてビャクシンのその考えがただの杞憂であることを、サザンカは一瞬で見抜いた。


「統括。 貴方は太刀原主任を勘違いしています」

「なに……?」

「主任はきっと貴方の尻尾を見て怖がったりしません。 むしろ喜んで、飛びつきますよ。 未知の機械だと言って離そうとしない。 だって私達の主任です、貴方の部下です」

「……ははははっ!」


 珍しくビャクシンは声を上げて笑った。 彼の笑い声が地下に響く。


「それもそうだな!」


 彼の様子を見て技術者達はさらにメモへ付け加えた。 機械尾は感情に合わせて揺れ動く。 と。



             ∮



 技術者達が探索する様子を遠隔で見守る存在がいた。 彼女は砂糖のたっぷり入ったコーヒーを飲みながら、鼻歌混じりに映像を眺めている。


「それにしても、見えるようになってよかったね太刀原主任」

「ご心配をおかけしました、局長。 それで、なぜここに」

「え? だって気になるでしょ? 大丈夫だよ、これはちゃんと許可をとって、ビャクシンの戦闘服につけたカメラだから」 


 局長のグミはニコニコと笑ってまた映像を見る。 なぜかイチイの病室に来た彼女は、イチイも巻き込んで探索の様子を見守っていた。 音声までは聞こえないし、ビャクシンの姿は見ることができない。 それでも地下の様子はよく見える。 イチイも少し気になっていたため、実のところ嬉しかった。 

 今は探索を始めて三時間経過した頃だ。 順調に地図に載ってある五階層目に到達したようで、イチイは安心して退院の準備をしている。 


「……太刀原主任、ちょっと様子がおかしいかも」

「え?」


 グミから促されてモニターを見ると、奥へ繋がる大きな扉の前に立っていた技術者が、一人また一人と頭を押さえて倒れていく。 グミが素早く画面の解析を進めて、イチイはその画面を一緒に覗く。

映像には巨大な蜂のような機械が現れ、サザンカが剣を抜いて交戦していた。 ビャクシンも同じように戦闘に加わっているようで、画面の揺れが激しい。


「倒れた技術者の関係性」


 キーボードを叩きながらグミが早口で言う。 イチイは言われている意味を理解し、先ほど倒れた技術者を思い出す。


「身体を機械に差し替えた部分があります。 一人は脳、一人は身体の三分の二」

「なるほどね、ウイルスだ。 機械の部分が多い者ほど感染しやすい。 我を忘れて暴れる可能性も……」


 ウイルス、機械の部分が多い者。 イチイはゾッとした。 視界の端に映った映像は、動きの止まったビャクシンにサザンカが駆け寄っている。 恐ろしくなって目を逸らし、そして髪を強く縛り直した。 コードを保管している鞄を掴み、上着を羽織って駆け出す。


「太刀原主任!?」

「仲間を助けます!」


 医療塔の廊下を駆け抜ける。 本来ならば怒られてしまうがそんなこと言ってられない。 彼女は止まらず走り続け、同じ塔の一階にある警邏科のドアを勢いよく開く。 警邏科に知り合いは一人もいない。 まだ勤務時間のため、警邏科のフロアが騒ついた。 イチイは息を整える暇もなく、知っている者の名前を呼ぶ。


「ララリィ・ファズフト副隊長はいらっしゃいますか!」


 警邏科で知っている者の名前は彼だけだ。 辺りは突然の訪問に騒然としていたが、奥から黒い制服を着た美青年が現れる。 黒い髪に緑色の勝気そうな瞳をした彼こそララリィ・ファズフト。 ビャクシンと仲の悪い警邏科の副隊長だ。


「……何の用だ? 非常識にも程がある」

「突然の訪問、無礼なのは承知してます。 でも時間がないんです。 お願いします、ウイルス抑制剤をください。 仲間を助けるには、それが必要なんです」


 イチイは深く頭を下げた。 ウイルス抑制剤と聞いて、周りはもっと騒つく。 ララリィも当然、片眉を顰めた。 ウイルスというものは珍しいものでもない。 機械にとっての天敵であり、犯罪の手段として幅広く使われている。 機械に入り込み悪さをするそのウイルスを抑え込むのが抑制剤。 警邏科でのみ扱いが出来る、注射式の遺伝子薬だ。 取り扱いには十分な注意が必要と言われている。


「お前、言ってる意味が分かってるのか? 警邏科でもないお前に渡す義理はない」


 当然の返答だった。 だがここで引き下がれない。 

機械の部分が多い者はウイルスの侵攻が激しい。 恐らくビャクシンはそれに抗う筈だ。 抵抗すればする程、身体は暴走をする。 


「……王の命で探索をしている廃施設の地下で、ウイルスを撒き散らす機械に遭遇しました。 探索科は特に機械の身体を持つ技術者が多い。 サザンカや他の技術者達は部位が少ないから気を失うだけで済むけど、あの人は」


 イチイはアクセスキーのコードに触れて拳を強く握った。


「ビャクシンさんは身体の殆どを機械に差し替えている。 お願いします、私は彼を救いたい」

「僕が、アイツを助けるとでも?」

「渡してくださるなら、貴方の言うことを一つ聞きます。 どんな要望にも答えます」


 イチイの言葉にララリィは笑った。 その笑みはただの嘲笑だった。


「どんな要望にも? そこまでして助けたいとは、素晴らしい忠誠心だな」


 ララリィはそれ以外何も言わなかった。 彼は聡い。 ウイルス抑制剤を渡さないのは、それがどんなに危険なものなのかを知っている。


「探索科の主任だかなんだか知らんが、上から目線で気に入らねえなぁ」

「ほんとだぜ、土下座して強請るくらいしねぇとなあ」


 どこかからそんな言葉が聞こえてきた。 イチイはすぐに膝を折り、太腿のベルトに付けていた大ぶりのナイフを外した。 武器も持たない丸腰になって、彼女は土下座をして額を床スレスレまで下げる。

辺りがシンと静まり返った。 その中でララリィが不機嫌そうに舌打ちをする。 イチイが頭を下げたまま言葉を発そうとすると、カツカツとララリィの靴音が遠ざかっていく。 そしてガン!と大きな物音がする。


「余計な口を挟むな」


 イチイには状況が分からない。 だがすぐに彼が近づいてくる気配と足音がした。


「顔を上げて立ってくれ。 君が僕に跪く義理はないはずだ」

「……」


 言われた通り顔を上げると、ララリィがイチイにアタッシュケースを突き出した。 


「部下が無礼を働いた。 これはその詫びだ」

「ファズフト副隊長……」

「早く立てよ、二回も同じことを言わせないでくれ」


 イチイは立ち上がった。 彼が機嫌を損ねないうちにケースを受け取り、頭を下げる。


「この礼は必ず」

「待て、どうやって行くつもり? もしかして走るつもり? 間に合うわけがない」


 彼は黒い制服の外套を翻す。 「着いてきて」と言うので、イチイは大人しく後を追う。

ララリィは自分の机から鍵と隊員証を取ると、襟元を正した。


「出る。 各自持ち場に戻れ」

「はっ!」


 彼の指示に、他の警邏隊員達は散らばって行く。 ララリィは奥にある扉を隊員証で開けると中へ。 どうやらその場所は格納庫らしく、警邏科が使うバイクが並んでいた。

 

「出来るだけスピードを出す。 だから特殊大型バイクを使う」

「他のより大きいですね、屋根もついてる」

「一番スピードが出る。 でも内緒にしてて」


 いわゆるコックピットと呼ばれる場所の扉を鍵で開けて、ララリィは乗り込む。 座席は二人座れるようだ。 イチイも彼の隣に座る。


「僕、特殊大型の免許を取ってないんだ」

「……はぁ?!」

「死んだらごめん。 でも死なせないから」

「ちょ、えぇぇ?!」


 エンジンをつけてアクセルを踏む。 阻止する間も無く彼はものすごいスピードでバイクを走らせた。 バイクに乗るの自体が初めてだったイチイはコックピットの窓部分に映し出されるメーターや画面を見て、少しワクワクした。 

ララリィは運転自体が上手なようで、特に危険な様子もない。 彼は慣れた様子で画面を操作して、また隊員証をかざす。 何かの起動音がして、ララリィは運転を続けながら声を上げる。


「スミレ、聞こえる?」

『───はい。 こちらハイミリテリオン技術局、通信科の警邏担当オペレーターの春露スミレです』


 画面に映し出されたのはふわふわの可愛い女性。 通信科の制服を着ている。 頭にはウサギのような機械の耳が生えていた。


「ナビゲートしてほしいんだ、γ地区の廃施設」

『分かりました』


 スミレと呼ばれた女性はイチイを見てニコリと微笑む。


『ヘイブの巡回に遭遇しないルートで、なおかつ最速で辿り着くものを随時ナビゲートします。 安心してください』

「ヘイブの巡回がいるの……?!」


 画面に映し出された順路に一瞬目を通し、ララリィは一気にスピードを上げた。

 

『はい。 特にγ地区には多いようで、ララリィはそれを知ってて、わたしにナビゲートを頼んだのだと思います。 えっと、イチイ主任。 ララリィは実はとても優しくて……』

「スミレ、僕の安売りはしなくていい。 どうして僕と話す時より口数が多いの?」


 不満そうにララリィが言った瞬間、スミレはその言葉に重ねてナビゲートを開始する。


『前方五百メートル先、三時方向にヘイブの探知機を感知』

「ルート変えて」

『通過中の信号を左折してください』

「イチイ、掴まって!」


 すでに信号を通過しかけていた。 彼はブレーキを思い切り踏みながら進行方向を変えた。 安全運転とは程遠くなってしまった。 イチイは一瞬だけ命を危機を感じた。


『右方向、ヘイブの探知機を感知───』


 スミレがそう言った瞬間、ララリィは窓を開けて、運転席に備え付けられていた大型拳銃で、信号機を通り過ぎた瞬間に撃った。 本当に一瞬だったが、弾はしっかりと青い信号機の液晶を粉々に砕いている。 彼の噂は聞いていた、たった二年で警邏科の副隊長に就いた天才。 美しい見た目とは裏腹に、戦闘技術が凄まじいと。 まさか銃まで天才的とは。


「面倒だったからつい撃ってしまった」

「ええ……」

『……ララリィ、もしかして気づいてたの?』


 スミレがそう尋ねると、彼は何が?と答える。


『さっき撃った探知機、親機だったみたいで周囲の探知機の動きが止まってます』

「あははっ。 僕は運が良い」


 別に狙っていたわけではないらしい。 運も実力の内ということだろうか、それにしても偶然だ。

 

「……ビャクシンのこと頼んだよ」

「あの、どうしていつも副局長に怒っているの?」

「僕とアイツ、遠い義兄弟なんだ。 アイツは知らないだろうけど」


 話を聞けば、ララリィの姉の旦那の弟がビャクシンだと言う。 それでも彼はその繋がりを知らない。 


「僕にとって、京ビャクシンは憧れだった。 奴は天才で、追いつきたくて毎日訓練をした。 でも終ぞ、彼は僕を見てくれなかった、存在すら知らなかった」


 廃施設に着いた。 ララリィはバイクを停めてコックピットを開く。 


「行け」

「ありがとうございます、必ず恩を返します!」


 イチイはすぐに駆け出して行った。 その後ろ姿を見送って、ララリィは鳴り止まない通知音にうんざりした。 無免許でバイクを運転したのは、恐らく隊長と統括者にバレている。 言い訳の言葉も探したが、思いつかない。


「スミレ~。 反省文、何枚書かされると思う?」

『十枚、かなあ。 それに追加で二枚かも』

「追加ぁ?」

『わたしだって、ララリィのこと止めなかったから怒られちゃうんだよ。 でも、ララリィに無理やり脅されましたって言おうと思って』

「なんてひどいことを」

『ふふ、ララリィはわたしのことをいつでも守って甘やかしてくれるくせに』


 青く晴れ渡った空を見上げると全てがどうでもよく感じた。 ララリィは通知をオフにすると、コックピットに乗り込んで扉を閉じる。 


「もちろんスミレの事は守るし庇ってあげる。 僕はお前のことが大好きだからね」


 二人は恋人同士でもある。 エンジンをかけてアクセルを踏み、通信は繋げたまま帰路についた。



              ∮



 右手がズキズキと痛む。 同じように頭痛もする。 サザンカは初めて感じる痛みに耐えきれそうになかった。 あの蜂のような機械が現れて十五分程度が経過したが、いまだに傷ひとつ付けれていない。 代わりに自分の身体には赤い傷跡がいくつも。 サザンカはコードや機械に対しての技術ではなく、戦闘面の技術を買われてハイミリテリオンに入った。 そのためその辺にいる技術者よりも遥かに強い。 だが相手が悪かった。 

 今彼が相対しているのは機械の蜂ではない。 その蜂によってウイルスで支配されたビャクシンだ。 彼は機械の部分が多い、我を忘れて操られてしまっている。


「統括! ウイルスに支配されてはいけない!」

「ッ、にげ、ろ……!」


 彼は苦しそうに呻きながら時折そう呟くが、こちらへの攻撃の手を休める事はない。 鋭い機械尾の刃で斬りつけられ、サザンカは焦りを感じた。 このままでは負けてしまう。 

ビャクシンは本気だ、先程から剣で尻尾を弾くたびに衝撃でビリビリと腕が痺れる。 今は辛うじて動きについていけているがいつか限界が来るだろう。 剣は折れる心配がなさそうなほど丈夫なのが、唯一の救いかもしれない。


「どうすれば……!」


 もちろん自分にも機械の部分がある、ウイルスがいつ全身を蝕むかわからない。 ビャクシンは逃げろと言ったが自分だけ逃げることなど絶対にできない。 

 彼の尾が力強く振り下ろされた。 咄嗟に剣で弾くが、その瞬間に右腕からバチンと何かが切れる音がした。 腕に力が入らなくなり、剣が滑り落ちる。


『まずい、導体が焼き切れた……!』


 想定外の質力をしすぎたのが原因だろう。 利き腕が使えなくなってしまうなんて。 サザンカはすぐに左腕で剣を拾おうとしたが、すぐにビャクシンが飛び込んできて機械尾を叩きつける。

 終わりだと、そう思った。 しかしその間に入ってきたのは濡羽色の髪の女。 急いで来たのか、息が上がっている。 頑丈なアタッシュケースでビャクシンの尻尾を防いだ彼女は、近くに転がっていたサザンカの剣を足で後ろに蹴る。


「白煙のコード! 私のリーダーで発動させて!」


 サザンカはコードを取り出して彼女のリーダーに差し込む。 辺りに白い霧が立ち込めて、その隙にサザンカは剣を拾い上げ、そして彼女を片手で抱えて後ろへ退避する。


「太刀原主任、どうしてここに?! 目は……!」

「詳しい話は後でする。 今は、副局長を助けないと」


 アタッシュケースから取り出してあったウイルス抑制剤を握りしめる。 細い注射器の中は薄緑色の液体が入っている。 これを打てばいいのだが、それには危険が伴う。

サザンカは彼女の持っているウイルス抑制剤を見て、次はビャクシンを見た。 


「動きを止めないと」

「副局長は呼び掛けには答える?」

「いえ。 こちらからの声には何も……!」


 薄い霧を裂くように、機械の尻尾が鋭く伸びてくる。 サザンカはイチイを脇に抱えたままその場の地面を蹴り、岩陰へ隠れる。 サザンカの腕が片方使えない事が惜しい。 彼が辛うじてビャクシンを抑えてくれていたら、少しの隙をついて抑制剤を打てた可能性がある。 

イチイはサザンカの腕に触れた。 殆ど信号も通っておらず、振動さえしない。 すぐに修理できるものではないようだ。


「サザンカはそこにいて」


 イチイは上着を脱いで身軽になると、太腿に付けていたナイフを取り出す。 


「主任、危険です」

「このままのほうがもっと危険。 いざとなれば透明化のコードを使う。 あの人の前じゃ、本当に少しの時間稼ぎだけど」


 サザンカの呼び止める声がしたがイチイはそれを無視した。 岩陰から飛び出て、大きな声で彼の名前を呼ぶ。


「副局長!」


 最後まで言い終わる前に彼の鋭い尻尾の刃が迫ってくる。 それを前方へ転けるような形で避けて、イチイは全速力で走った。 ビャクシンは追いかけてくる、だが彼女はこれが狙いだったらしい。


「貴方は操られても、任務を完遂しなくてはいけないということは、わかるはず……!」


 息を切らして、イチイはフックショットを構える。 狙いはあの大きな機械蜂の身体。 標準を定めて撃つと真っ直ぐと針が飛んでいき、カンッ! という音を立てて針が突き刺さった。 針は一度刺さると簡単には抜けない。 イチイはトリガーから指を外してワイヤーを巻き、蜂に向かって飛んでいく。

 ビャクシンがそれを追って飛び込んでくるが、彼は目を大きく見開いた。 イチイではなく機械蜂を見て、ほんの一瞬だけ理性が戻る。 その一瞬の間に彼は狙いを機械蜂の動力部分に切り替え、力づくで尻尾を突き刺した。 


「やった……!」

「……!!」


 喜んでいたのも束の間、ビャクシンはすぐに狂気に満ちた眼に戻ってイチイをギロリと見定める。 彼は大きく尻尾をしなり、地面に着地したばかりのイチイの足元を抉る。


「っ、あ!」


 体勢を崩して地面に叩きつけられる。 肌を擦りむいて痛みがあるが、危険を感じてすぐさま転がってその場から離れた。 自分が倒れた場所に、ビャクシンの脚が力強く踏み下ろされた。 彼の脚は機械でできている、踏み抜かれたらひとたまりもないだろう。 


「正気に、戻ってください!」

「わた、し、は……!!」


 聞いたこともない彼の声。 怒りと後悔と様々な感情が混ざったような濁った声。 イチイは痛みを堪えて起き上がって、コードを手に取る。 アクセスキーのコードだ。 父からビャクシンへ預けられ、そして自分へ渡されたコード。 これがなんなのか、何のために父が預けたのか、それを知るまでは。

彼に教えてもらうまでは、自分も五体満足でなければ。 

 ビャクシンに十年間教わったこと、探索の基礎、技術者としての心得。 それらの中でも一番心に残って、今でもイチイを奮い立たせるものは「未知への探究心」だ。



『自分が求めるものには貪欲でいろ。 全てを賭しても求めろ。 だが死ぬなよ、死んでしまうと、結局は何もわからないままだ』



 それが技術者、そして探索者なのだと、ビャクシンはそう教えてくれた。


「……怖くなんてない」


 イチイは一歩踏み出してビャクシンを迎え撃つように立った。 彼の尻尾が滑らかに動いて自分に狙いをつけているのがわかる。 その鋭い刃が近づいてきても何も思わなかった。 両親を殺した大百足の尻尾だとしても、何も怖くはない、憎くもない。 

 顔面に迫った刃をナイフで弾き飛ばす。 力比べではやはり負けてしまって、ナイフは根本から折れて飛んでいく。 軌道がズレた尻尾の刃がイチイの頬と左肩を抉って、赤い花のように血が噴き出す。 


「ッ、ここ、だ!」


 イチイはビャクシンの服を必死で掴み、引っ張って距離を縮める。 彼の金色の瞳が揺れ動くのを一瞬だけ感じた。 

抑制剤の入った注射器を、ビャクシンの首筋に突き刺した。 注射器は高い電子音を小さく鳴らして、自動的に薬剤を投与する。


「う“、あ、あ”ぁ……!」


 ビャクシンが頭を抑え、首に刺さった注射器を引き抜く。 注射器は手のひらで粉々に砕け散った。 サザンカは岩陰から出てきてビャクシンを見る。 彼は脊髄に機械端末を通していると言っていた。 奇妙な機械音が鳴って、尻尾が暴れ狂う。 


「副局長、しっかり……!」

「あ、っ……?! なぜ、どうしてッ!」


 駆け寄ってきて体を支えたイチイの姿をしっかりと捉えたビャクシンは、髪をかき上げて頭を抱える。


「いやだ……みないでくれ、来るなァ!!」


 気の動転した彼の尻尾がイチイを取り巻くように素早く動いて、赤く光った刃が彼女の後ろから心臓を突き刺す勢いで振り上げられる。

 

「私は大丈夫。 だから、貴方も大丈夫です」

「なにが、なにが大丈夫なものか! 私は、こんなに醜い、お前の仇を宿した、お前の……ッ!」


 彼がイチイを振り払う。 だがイチイも負けずと、すぐにビャクシンの手を取った。


「は、離せッ! 殺されたいのか、お前の、母親と父親と、同じようにッッ!!」

「貴方はそんなこと出来ない!」

「だったらどうして、お前は怪我をした! それは、それ、は……わた、しが…………!」


 喉をかき切らして叫んでいたビャクシンの声が少しづつ小さくなっていく。 目を見開いて激昂していた彼の表情が、次第に何かに怯えるように変わる。


「違う、わたしは、お前をただ傷つけたくないだけだった……、なのに、なのに……!」


 尻尾が力無く項垂れて、ガシャンと音を立てて地面に落ちる。 ビャクシンは苦しそうに、尚も頭を抱えたままだ。


「どうすればいい、どうすれば、なにをしたら、私は…………! 傷つけてしまった、こんなにも大好きなお前を……!」

「ビャクシンさん」


 自分を呼ぶ声は、赤子をあやすように優しい声。 それは心地よく沁みていく。


「もう一度言います、私は大丈夫。 だから貴方も大丈夫」

「イチイ…………」

「貴方がどんなに凶暴な機械尾を持っていたとしても、それが親の仇だったとしても、私は平気、私は大丈夫、私は問題ありません」


 イチイは微笑む。 


「帰りましょう、一緒に。 貴方の隣には私がいないと」



              ∮



 傷はコードが治してくれる。 なのだが、イチイは未だに頬と左肩の怪我を治療している最中だ。 

あの一件から半月経ったが、探索科としての仕事は休暇を貰っている。 怪我や病気は治療コードで治す事ができるがイチイはそれを希望しなかった。 たった一瞬で無くなっていい傷と痛みではないと思ったからだった。


「イチイ」

「ビャクシンさん、もう勤務は終わったんですか?」


 共用のカフェテリアで本を読んでいたイチイはビャクシンに声を掛けられて顔を上げた。 いつもの白衣を羽織ったビャクシンがのそのそと歩いてきて、対面にあった椅子に座る。


「……残業になりそうだ」

「…………」

「そんな顔をするな」

「またみんなのお願いで尻尾を見せてあげてたんですか」


 彼はもう虚像を使っていない。 あの機械尾は探索科の技術者達が興味津々で、仕事も忘れてメンテナンスや構造について議論している。


「次のメンテナンスで、刃を収納できるようになりそうだ」

「良いですね。 成果が出てます」


 今までむき出しだったあの鋭い刃が自分の意思で収納できるのならば良い事だ。 それと引き換えに業務時間が削られて残業になってしまっているのは、仕方がない事だろう。


「私ができる事があればお手伝いします」

「いい、お前は休んで。 本来ならば部屋に篭っているべきだというのに、なぜここに出てくる」


 ビャクシンは傷のことをかなり心配して毎日顔を見にくる。 本来ならば恐らくすぐにでもコードを使いたいはずなのに、彼はイチイの意思を汲み取ってそれをしてこない。


「私は……」

「あ、いたいた。 イチイ」


 後ろから声がして振り向くと、黒髪の青年が手を振っている。 黒い髪と黒い制服の彼はビャクシンの姿を見て少し不機嫌になる。 相変わらずの反応だが、この両者は和解をしたおかげで仲が良い。


「ビャクシンもいたんだ、なんで?」

「なぜ、とは? お前こそなぜここに来たララリィ」

「まあ二人に話があったから丁度いいんだけどさ。 サザンカの件だけど、こっちで調整ができたからいつでも」

「早いな。 助かる」


 サザンカは自らの申し出で警邏科へ転科することになった。 と言っても技術探索科には引き続き所属して、警邏科で戦闘面を鍛えるそうだ。 


「斎李、って聞いてまさかそうなのかとは思ってたけど、代々王家を護る騎士を輩出してる名門だ。 昔サザンカはそうじゃないと言ってたけど、なにが心の変化だったわけ? お前が何かしたんじゃないの、義兄さん」

「剣を渡しただけだ」

「王家の紋章が入った剣をだろ! そんなんだからサザンカが騎士になるって言い出して、王族って自分勝手だなぁ」

「お前も王族に連なる者だが」

「一ミリだけね! 自分勝手さはお前ほどじゃないよ」


 仲が良いなぁとイチイが本に栞を挿みながら聞いていると、ララリィの後ろからスミレとサザンカがやってくる。 サザンカは小柄なので、スミレと並んでいるとまるで女子のように見えてしまう。 あんなに華奢な身体をしているのに戦闘技術はララリィと互角だというのだから驚きだ。

ララリィ自身も細身だが、しっかりと筋肉はついている。 サザンカと違う面はそこだろう。 


「統括、それに主任、身勝手を許していただきありがとうございます」


 サザンカがその場に跪く。 所作が本物の騎士だ。 イチイはいつもと違うサザンカの雰囲気にギョッとしたが、ビャクシンはただ静かに彼を見た。 今は家を出ているとはいえやはり王族、ビャクシンは慣れている様だった。


「励め。 業務に支障が出そうであれば言うといい、調整をする」

「はい。 与えられた機会を無駄にはしません。 ……主任、迷惑をかけます」

「そんなことないよ、頑張って。 応援してる」


 サザンカは立ち上がると、腰に帯剣している剣の柄に触れた。 ビャクシンから貰った、装飾の美しい王家の剣だ。 一度目を閉じた後、サザンカはゆっくり瞳を開けてイチイを見つめた。 そして真剣な表情で言う。


「私は貴女のことを愛しています」

「ん?!」


 イチイが思わず手から落としてしまった本を、ビャクシンは尻尾で器用に受け止めた。


「だから貴女を護ります。 私が仕えるのは王弟殿下であるビャクシン様ですが……」


 サザンカがビャクシンを見て、彼の機械でてきた左腕を目線で辿る。 黒い布手袋の上に光るそれを見ると彼は微笑んだ。 そしてまたイチイへ向き合う。


「王弟妃になるのですから、貴女のことも護る」

「…………は?!」


 イチイは勢いよく立ち上がって後ろへ飛び退く。 椅子が音を立てて倒れて転がった。


「そんなつもりない! 勝手なこと言わないで!」

「ではどうしてそれを受け取ったのですか」

「う、受け取ってない! 預かってるだけ!」

「あーあ始まった。 横槍入れてもいっつもあれなんだよな」


 呑気にララリィが言うと、隣にいたスミレも首を傾げる。


「イチイさん、ずっとあんな感じですね。 もう毎日です」

「義兄さんいいの? 先は長そうだけど」

「構わん。 何もかもゆっくり、教えていけばいい」


 イチイが読んでいた本を開くと、その本にはアクセスキーのことが詳しく書いてある。 ビャクシンは微笑んだ、彼女に託されたあのアクセスキーの謎を、いつか教える日が来ることを願って。

 頬を赤くして未だに反論を続けるイチイの首元には、ビャクシンの左薬指にはめられている指輪と全く同じものが、ペンダントとして輝いていた。



             Fin

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― 新着の感想 ―
[良い点] とてもおもしろい作品でした。最後はハッピーエンドで良かったです。キャラの設定もしっかりしていて、読んでて楽しい小説でした。長編にしてキャラの設定をもっと深堀したらもっと面白い作品になるので…
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