殲滅のマタドール:96話 ゴーストハウス
「現在我々が追っている“ゲームチェンジャー”の疑いがある人物は二人……その内の一人は経歴からしても極めてその可能性が高い人物だ……」
「それは、誰なんだ?……」
「……フレデリカ・キャンベル……移民街で孤児院を経営している女なんだが−−−−」
……は?……。
……え、えっ?……その、名前は……。
まさか……そんな、まさか……。
「彼女は異様な経歴の持ち主だ。孤児院を開いたのは五年前、そしてそれ以前の経歴はまるで不明。入国記録も無いので移民という訳ではない、かと言ってそれまでの記録が一切無いというのはおかしい……そこで考えられるのは……」
……違う!そんなバカな事……ある筈がない!。
それじゃあ……それじゃあ、あの子が……!。
「……元々違う名前の誰かがフレデリカ・キャンベルという女に成り代わり、何かをしようとしている。彼女には身分偽証以外にも様々な疑惑がある……。ラゴウから大量の魔石を受け取りそれを大量に何かに消費しているようだ……複数の商人を通し魔石を送っているのはグエン・フー・ミン、あのラゴウのナンバー2だ……」
「ま、待て!彼女の事は知ってる!……あの人はそんな事をするような人じゃない!確かに子供達を愛して、大事にして……」
「……彼女の元へ預けられた孤児達はその後の行方が掴めなくなっている。引き取り手が見つかったと彼女は周囲には言っている様だが、どれだけ調べても分からないんだ……」
……そん、な……それじゃあ彼女が、アンジェラが!。
立ち上がった私は彼へ大声で言った。
「ギュンター!すぐに守備隊を孤児院へ向かわせてくれ!」
「ど、どうした!?彼女について何か知ってるのか!?」
「詳しい話は後だ!すぐにでも助けないと……あの子が!」
もう、待ってなどいられない!。孤児院へは守備隊の騎士達が向かう、私達はアンジェラを保護しなければ!。
扉を蹴り開け部屋を飛び出した私は只事では無い状況を察し立ちはだかった二人の騎士の間を素早く飛び越えると振り向く事無く駆け出した。
待っていろ、アンジェラ……必ず私が迎えに行く!。
−−−−−−
階段を飛び降りたイングリットは息を荒らげながら石畳の地面に着地すると駆け出した。
思い浮かぶのは彼女の笑顔、自分を母親と呼び心から慕ってくれた無垢な少女の笑顔。
そんな彼女に危機が迫っている事を考えるだけでも、イングリットは全身が凍り付く様な恐怖を感じていた。
奇妙な感覚だ。自分の命など散々粗末に扱い死など恐れもしなかった自分が……誰かの死に対してこれほどまでに恐怖心を抱いている。
使い捨ての暗殺道具として自分を卑下し、為された施しを返すという方法でしか愛情を理解できなかった彼女は皮肉な事に愛情を理解してしまったからこそ身の毛もよだつ様な恐怖を彼女は抱く事が出来た。
幸せを願っていた人が死んでしまう……。それは、今の彼女にとっては何よりも恐ろしい事に感じた。
荒く息を吐きながら駆けていたイングリットは、ふと視界の端に反対側から走ってきた見覚えのある少女の顔を見つけると足を止めた。
そして、絶望に染まった表情を浮かべ彼女の名を呼んだ。
「……アヴィ……」
正面で立ち止まったイングリットを見たアヴィは今まで必死に走ってきたのか汗だくで笑みを浮かべると言った。
「イングリット!宿でヴァイパーの襲撃を受けましたが上手く切り抜けました……でも、捕まえたのは良かったんですが彼女達は毒を−−−」
「アヴィ!?お前、アンジェラはどうした!?一緒じゃないのか!?」
「は、はい……宿の外は危険ですし駆け付けた王都守備隊の方達がしっかり見張ってくれると言ってたので……」
「……クソっ!!」
冷たい汗が首筋を伝うのを感じると、イングリットは全力で駆け出した。アヴィは混乱しながらも、只事では無い様子で街中を走り出した彼女の背中を追った。
「ど、どうしたんですか!?イングリット!?」
「彼女の居た孤児院の寮母がとんでもない奴だったんだ!!戦争を激化させようと目論む恐ろしい連中だ!!」
「……まさか、ゲームチェンジャー!?……」
「とにかく急ぐぞ!そんな奴の手に竜帝の血を引くアンジェラが渡れば危険だ!」
二人は夜も深まり人の少なくった夜の街を全速力で駆け抜けた。
−−−−−
「……これは……いったい、何が……」
「……クソッ……!」
宿場への階段を駆け上がった私達は……思わずその光景に息を飲んだ。
予想通り部屋へ忍び込んできた刺客達を殴り倒して縛り上げ、そして近くで街を警戒していた王都守備隊の騎士へ声を掛けた私は焦れったさを感じつつその二人を連れて宿へと戻った。
だが、部屋のバスルームに拘束していた三人は既に口から血を流して事切れていた。縛られたまま事切れる彼女達を見て只ならない状況を察した彼等は通信石を使い騎士団の本部と連絡を取り出したので私は仲間が教会に向い、この連中と戦っているので助けてほしいと伝えた。
ベッドで眠り続けるアンジェラを不安げに見ていると、突然彼等が慌ただしい様子で戻り私に王宮にある騎士団の本部へ向かうように言った。イングリットとナスターシャが教会へ向かった騎士団に保護されたらしいと聞き私は頭を下げると王宮へと向かった。
それが、さっきまでの出来事だ。
だが、私が宿を飛び出し……戻るまでの間に……何かが起きた。
「うっ……」
宿の廊下には、地獄絵図が広がっていた。
部屋の前には……二つの肉塊が残されていた。
若い男性の騎士達だったと思う……でも、彼はもう……人の形をしていない。
辛うじて人だと分かるのは、壁や天井にぶち撒けられた血液と骨の破片、そして……手や足が残されていたからだ。
口元を押さえて顔を俯かせる私の隣を……イングリットは荒く息を漏らしながら進んで行った。
様子が変だ……確かに彼女はダークエルフの暗殺者として幾多の修羅場を潜り抜け、相当な度胸を持った女性だ。でも、人の心が無いわけじゃない……。
しかし、今の彼女は……まるで無惨な彼等の亡骸など眼中にも無いように、何かに焦っていた……。
床に散らばる臓器と思われる肉片を踏み付けアンジェラが残された部屋の前に立つと、彼女は顔を俯かせる。
何か……今のイングリットは……変だ……。
「イ、イングリット!アンジェラが心配なのは分かります、ですがまずは−−−−」
とにかく、彼女を落ち着かせようと発した言葉は焦燥と凄まじい怒りを孕むその絶叫により遮られた。
「フレデリカァァァァァァァァァアアアアアッ!!お前をバラバラにしてやるぅぅぅぅぅぅッッ!!」
喉が裂けんばかりのその、憎悪と殺意に満ちた絶叫と共に年季の入った部屋の扉が彼女の放つ回し蹴りと共に金属の部品を撒き散らしながら破られた。
明らかに普通の精神状態ではない……今のイングリットは、何かが……おかしい……。
血走った目で部屋の中を睨み付け、獣の様な声を上げると彼女は腰の鞘からナイフを引き抜き室内へ飛び込んだ。慌てて私が後を追うと、そこで私は……起きてはならない事が起きてしまった事を悟り……床にへたり込んだ……。
「……アン……ジェラ……」
……彼女が眠っていたベッドの上は……血の海になっていた。
ベッドはもぬけの殻だった。しかし……シーツは恐らく、彼女が激痛で喘ぎ苦しんでいたのか……激しく乱れ、赤く染まった枕は床に落ちていた。
全身から血の気が引いて、立てなくなる……。
あの、愛らしい笑みを浮かべていた彼女が……こんなにも、血を流して……藻掻いて……!。
……あの無垢な少女に、どうしてそんな事が……!。あの可愛らしい女の子に……どんな精神をしていれば、こんなにも惨い真似が……!。
小刻みに体を震わせながら口元を押さえる私が視線を上げると……イングリットは、静かに血塗れのベッドに手を伸ばした。
そして、何かを手に取るとそれをじっと眺めていた。
その様子を見た私は、掠れた声で聞いた。
「……何が、あったんですか?……」
「……“ゲームチェンジャー”は私をご指名らしい……彼女に会いたければ指定した場所に来いと、住所が書いてある……それに、名前も……」
「……な、なぜ貴女が!?どうして!?……」
「……奴の本名は……ルーシア・バルザック……竜帝の娘はまだ生きていたんだ……」
「……ッ……そ、それじゃあ……やはり……」
「……ああ、あの女……まんまと私達をハメて、のうのうと手ぐすねを引いて待ってたんだ……」
そこで彼女は私へ顔を向けると、へたり込む私に視線を合わせる様に屈み……両肩を力強く掴んだ。その強烈な力と、恐怖によって震えた声を漏らす私の目を見ながら唇を開いた。
「……お前の力が必要だ……アヴィ……」
「……イ、イングリット……痛い、です!……」
「クリスティーヌを叩きのめし、ダムザのクーデターを阻止したお前の力があれば……実に心強い、頼もしい限りだ!……ひ、ひひっ……ひひひひひひひひひひひひひひひひひひひっ!!」
……ああ、そうか……あの時に、ダムザの街に向かう前にドラゴンを殺した私の事をサシャが“怖い”と言っていた理由が分かった……。
大切な人を守りたくて、大切な人を危機に陥れる相手が堪らなく憎くて……そんな相手を切り刻むのが、楽しみで……。
あの時の私も、こんな顔……してたんだ……。
「 あのクソアマを八つ裂きにしてやろう……アヴィ…… 」
大きく目を見開き、血走った瞳の端に涙を浮かべるイングリットは……唇の端を歪に吊り上げながらドス黒い感情に染まりきった笑みを浮かべていた。
---------
宿に駆け付けたナスターシャと合流すると二人は手短に状況を説明し彼女を連れて移民街を抜けその一角へと走る。
廃墟の群れと化した旧居住区にあるその場所には特に傷みの激しい屋敷が立っていた。周囲と比べても明らかにその痛み方は進んでいる事を感じさせ、その屋敷に暮らしていた人間はそこまで経済的には恵まれていなかった事を想像させた。
「この屋敷はいったい……?」
「さぁ、何処の誰の持ち家なのかも分からないわね……」
ボロボロの屋敷を見たアヴィが聞くと、ナスターシャは錆だらけになり崩れ落ちそうな格子扉を開くと雑草に覆われた庭へと足を踏み入れた。
先頭を歩いていた彼女は足を止め、小さく体を震わせその激しい動揺を表すかのように声を上げた。
「さっき言ってた事は、本当なの?……アンジェラが、居なくなったって……」
「……嘘を吐いても仕方ないだろう、本当だ……」
「……それじゃあ本当に彼女が……」
「……さっさとあの女を始末しに行こう……あの出血量ではアンジェラが危険だ……」
冷たい口調で言い放つイングリットの声を聞きナスターシャは戸惑った様な表情をアヴィへと向ける。内心ではイングリットの抱く怒りと焦りを理解しつつも人の感情を知ったアンドロイドの少女にはどうする事も出来なかった。
まるで急かす様にダークエルフの少女から鋭い目を向けられたナスターシャは小さく息を漏らすと足を進めて行く。そして、ボロボロになった扉の前に立つと静かに取っ手を握り少し扉を開く。開かれた隙間から様子を伺うと、サーベルを抜き彼女は素早く身を中へと滑り込ませた。
「止まって!!……」
二人が後へ続き扉の先にある正面玄関へと足を踏み込んだ瞬間、ナスターシャは鋭い声で二人を制止する。
見ると、月明かりが差し込む玄関ホールの中央に人影があった。二階の窓から差し込む光は薄暗がりの中、静かにそのシルエットを浮かび上がらせる。
それは、椅子に座った人間の体だった。体付きからして恐らく男性で、脱力しきった様子で椅子に腰掛けている。
そして、目を凝らしていたナスターシャはその人間がもう既に死んでいるであろう事にすぐに気付く。背筋に冷たいものが走るのを感じながら彼女は声を漏らした。
「……首が……無い……!」
椅子に腰を下ろすその人物には、頭部が無かった。少しずつ近づいて行くと首から胸元にかけて真っ赤に染まり、まだ置かれて間もないのか血の臭いがした。
敵の撹乱かもしれない、そう考えナスターシャは更にその無惨な亡骸へ一歩一歩……歩み寄っていく。
そして、その衣装がはっきりと目視できる位置にまで進んだ時に再び足を止める。
「……うそ、でしょ……?」
その衣装には見覚えがあった。その衣装を着ていた人間を知っていた。だが、そんな事はありえないと必死に思おうとした……何故なら、それは……。
「……リー……?」
背後から聞こえた消え入りそうな声を聞いた瞬間、振り返ったナスターシャはすぐにでも怒りのままに絶叫を上げそうになった。
彼女の後ろに続きその亡骸へ近づいて行ったイングリットは気づいてしまったのだ……それが、自分が心から愛して共に過ごしたいと願っていた男性の無惨な他殺体であるのだと。
歯をカチカチと鳴らし、揺れる瞳に涙を伝わせた彼女はフラフラと足を進めると……変わり果てた姿で椅子に腰を下ろす彼の前に崩れ落ちた。
困惑した様子でアヴィがナスターシャを見ると、彼女は拳を握り込み……そして、これから絶望の淵に落とされるであろう彼女を直視出来ず瞳を硬く瞑っていた。
細かな意匠まで確認出来る距離で放心した様にへたり込むイングリットは、それが間違いなく自分が愛した青年の亡骸である事を理解すると……小さく声を漏らし頭部のないその体を強く抱き締めた。
そして、軋みを上げる心のままに絶叫する。
「……う……うぅぅっ……あ……あ……。うぅぅぅぅぅあああああああああああああああああああああっ!!リィィィィィッ、リィィィィィィィィッ!!どうして、どうしてぇぇぇぇっ!?……私の期待に、答えてくれるって言ったのに!!私と……私と一緒に居てくれるって言ったのにぃぃぃぃぃぃっ!!……ぐっ、うぅぅぅぅぅっ!!ひぃぃぃぃぁああああああああああああああああああああああっ!!……」
「……イングリット……!」
激しい動揺と悲しみのままに泣き叫ぶ少女は力が入らなくなってしまったのか、床に崩れ落ちると涙と鼻水を零しながら絶叫した。普段の冷静沈着な態度からは想像すら出来ないそんな彼女の姿を見ると、ナスターシャは居ても立っても居られずに背後から彼女を抱き締める。
回された腕を掴み絶叫するイングリットを見て胸が痛むのを感じつつ、アヴィはナスターシャの背中に向けて言った。
「……何故、ゲームチェンジャーはリー・ガウロンを……?」
「……分からない……ラゴウ側の政変を狙った事なのか、それとも私達への警告なのか……」
「……それにしても、こんなのは……惨すぎる……」
アヴィはその時、イングリットの心境の変化を確かに感じていた。彼女はシャーリーの時とは違った感情を抱き始めている。既に失った誰かではなく、今を生きる誰かを愛そうとしていた……。
そして、どういった気持ちの変化があったのかは分からないがアンジェラと同様に……彼の事を本気で愛していた。
そして恐らく……彼女は、生まれて初めて燃え上がる様なその感情を理解した。
「……殺してやる……」
「……イ、イングリット?……」
「……バラバラに引き裂いて……殺してやる!!。アイツだけは、許せない……笑ってくれる筈だったリーの頭を奪い、そして今も私から……アンジェラを奪おうとしてる!!。アイツだけは生かしておけない……確実に息の根を止めてやる!!」
荒く声を上げると、イングリットは激しい憎悪のままにナスターシャの腕を振り払うと駆け出した。
「イ、イングリット!?」
「き、危険ですよ!一人で離れては!……」
止めようとする二人の体が急激に重くなり、動かなくなった。
それは、イングリットが二人に放った重量操作の魔術……報復の邪魔をする人間を拒絶する彼女の意志だった。
足を止めると、そのダークエルフの少女は苦悶の声を上げて膝を突く二人へ背を向けたまま言った。
「お前達はもう戻れ……後は私がカタを付ける……」
「な、何言ってんのよバカッ!!そんなの、出来るわけないでしょ!!……」
「そ、そうです!!ゲームチェンジャーは危険な存在です!!……一人で戦うなんて……」
そんな彼女達の言葉を聞くとイングリットは拳を強い力で握り締めて、悲壮な自身の覚悟を二人へと伝えた。
「……死ぬのは私一人で充分だ……今まで楽しかった、ありがとう……」