殲滅のマタドール:94話 エグゼキューション
暫くの間無言で見つめ合っていた二人へ、呆れ果てた様な声が掛けられた。
「も、もしもーし!一応怪我してる私をそろそろ誰か心配して欲しいんですけどォ!?」
「ナ、ナスターシャ!……大丈夫だったか?お前……」
「どうにかね、そこの王様が良い薬を飲ませてくれたから……」
その言葉を聞き相手の様子を見ていたリーは安堵したように胸を撫で下ろすとやや不機嫌そうなナスターシャへと声を掛ける。
「傷が完全に塞がるまではゆっくり休んだ方がいい、その薬はあくまで痛みを鎮めて落ち着かせる効果があるだけだからな……」
「何だか本当に聞いていた話とは違うのね、もっと悪い奴だっていう噂だったけど……」
「貴女は俺の聞いていた通りの人だ、国境警備基地の中でもトップクラスの剣の腕と正義感を持つ国境の守護神……そう聞いていた 」
「……女の子にしては随分と厳つい呼ばれ方してんのね、あんまり嬉しくない……」
小さく溜息を吐き出しながら差し出された腕を握ると、ナスターシャは静かにイングリットへと目を移した。
彼女はそれまでからは想像も付かないような柔らかで、穏やかな笑顔をリーへ向けていて、彼へ向けている気持ちの大きさを察する事が出来た。
「……まぁ、私は……一方的だったから……そうよね……」
寂しそうに瞳を細め、小さな声で呟いたナスターシャへイングリットが不思議そうな顔をして目を向けると彼女は無理やり笑みを作り話題を変えた。
「そういえばこれからどうするの?ラゴウ側はまだ危ないんじゃない?」
「……とりあえず、やれる事からやってみるさ。民にこれまで起きた全てを正直に話し、グエンの罪を裁く。危険はあるだろうし新たな権力闘争で再び国が不安定になるかもしれない……それでも俺はイングリットの期待に答えられる様に努力する!」
「相当危険な状況になるわね……本当に大丈夫?」
不安げにそう聞くナスターシャの肩をイングリットが叩いた。
「私が命に替えても必ず守る……どんな危険があろうと私がリーを守る……」
「バ、バカを言え!お前にそんな真似はさせられない!俺の事なんて気にせずそういう時には自分の心配をしろ!」
「な、何ですか!私の実力が不満だと言いたいんですか!?愛する貴方の為であれば恐れるものはありせん!」
「そ、そういう問題じゃないだろ!まったく!……」
顔を突き合わせ大真面目にお互いを案じ合う二人を見てナスターシャが肩を竦めた瞬間、教会の外から複数の馬の足音が近づいて来るのをその場の全員が感じた。
「王都守備隊ね!……という事は、あっちも上手くいったのね!」
「あっち?……」
「アンジェラを念の為に腕の立つ仲間の元へ預けたの、ヴァイパーの連中から彼女を守る為にね!。恐らく王都守備隊が来たという事は向こうを襲撃した連中が返り討ちにあって、あの子が守備隊に此処の事を伝えたのよ!」
「なるほどな、たった一人でヴァイパーの連中を倒すなんて優秀な仲間に恵まれてるんだな……」
説明を受けたリーが微笑み掛けると、イングリットは頼もしいあの少女に心から礼を胸の内で言うと首を頷ける。
そして、静かに歩み寄り彼の手を握ると言った。
「ここは私達に任せて逃げてください、リー……」
「何故だ?俺はこのメルキオに不法入国し、買収されていたとはいえこの国の兵を……」
「人を殺めた罪は人を救う事で償ってほしいんです……だから、投獄されている時間すら貴方には惜しい……」
「……イングリット……」
彼女は静かに握っていた手を自身の胸に押し当てると、その早まった鼓動を伝える様に強く相手の掌を押し付けた。頬を赤らめながら目を逸らすと、消え入りそうな声で言った。
「……貴方のその緩んだ笑顔を見てると、こんなにも鼓動が早くなる……。だから、もっと笑える様になってほしい……」
「……ああ、約束する!……国の在り方を変え、もっと自然に笑えるようにするさ!」
小さく声を漏らすイングリットの頬に手を添え微笑み掛けると、すぐ近くにまで迫る騎士達の気配に気付き青年は静かに背を向けた。
「この奥に壁に穴の空いた箇所がある、俺はそこから外に出て明日まで身を隠す事にする……」
「……はい、お気を付けて……」
「明日になったらこの前会ったあの店で落ち合おう!二人共、今夜は本当に助かった!」
片手を上げた彼は駆け出すと、奥の扉へと消えていった。その姿を見送ったイングリットは胸に手を当てると、瞳を揺らしながら愛おしいその人の名前を小さく口にした。
「……リー……」
「あらあら、ちょっと前まで竜王とか呼んでたクセにすっかり恋する乙女になっちゃって!」
「……だ、だって……それは……その……」
「私との関係は遊びだったのね〜、私の純情を弄ぶなんて傷ついたわ!」
「あ、あれは……その……お、お前が放っておけなかったから……」
仰々しい動作で語るナスターシャを見て慌てたイングリットが言葉を詰まらせていると、ケラケラと笑いながら彼女は言った。
「でも、ちょっと安心しちゃったわ……私が勝手に迫っただけの関係じゃ……貴女はあんな風に笑えないでしょうから……」
「……ナスターシャ……」
「……ラゴウに二人で行くんでしょ?これからは頑張りなさいよ!」
彼女の肩を叩くとナスターシャは激励するようにそう言うと、唇を吊り上げて豪快に笑った。そんな彼女へ苦笑を向けるとイングリットは両手を伸ばしその頭を抱き寄せると、静かにその耳元へ囁いた。
「……お前には本当に感謝してる……お前と出会わなければ、私はあんな風に人を好きになる事はなかった……」
「あ、あははっ!……わ、私なんて大して何も出来てないじゃない!……。今日だって、まともに反撃も出来なくて……」
「……お前が一緒に居てくれたから戦う気になったんだ。私にとってはお前だって……かけがえのない戦友であり友達なんだ……。確かにお前の気持ちには応えられないが、それでも本当に出会えて良かったと思っている……」
「……っ……イングリットォォ……」
「だから、私達がラゴウを変えていく様をお前にも見ていて貰いたい……」
どうにかして抑えようとした涙が、彼女の頬を伝っていく。
無惨に殺された仲間の死という現実を癒やす為に向けた想いをイングリットは拒絶しなかった。自分自身の価値を教えてくれた彼女に恩を感じていた事は事実だったし、何より深く傷付き悲しむ彼女を放ってはおけなかった。
彼女に言われるがままにキスを受け入れ体を重ねた事実はイングリットを悩ませた。
ナスターシャに対する好感や同情はあったとしても人としての愛を知らない自分に本当に幸福を与えられる自信がなかった。このままでは何か、歯車の噛み合わないまま全てが進んでいきそうで……お互いに幸せにはなれないと感じていた。
イングリットは人を愛するという本当の意味に気付く事が出来た。尽くすだけではなくて心を開いた相手に自分の気持ちを伝え、そしてその相手を信じる事なのだと理解した。
だから彼女はナスターシャという少女を信じた。全てを任せても良いと思える彼女へ希望を託した。
「……私とリーが国を変えるまで、アンジェラの面倒を見てやってほしい……」
「……アンジェラの?……」
「……ああ、他の誰でもないお前に頼みたいんだ……。面倒な事ばかりを押し付けてすまない、だが……お前でなければ安心して託せない……」
「……はぁー、本当に……とんでもない女に惚れちゃったものね……」
涙を拭い気丈に笑う彼女へ微笑み掛けると、イングリットは硬く心強い戦友の指を握り締めながら立ち上がった。扉の外れた入口からは複数の馬や馬車が停まりこちらへ向けて駆けて来る騎士達の姿が垣間見えた。
「……またデュバルの頑固オヤジにこってり絞られるわね……私達……」
「……言い訳は任せたぞ、誰よりも信じてるお前に……」
「もうっ!何よそれ!……」
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殲滅のマタドール 4thOrder 完
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リー・ガウロンは廃墟と化した邸宅の二階から教会を離れて行く松明の明かりを見届けると安堵したように溜息を吐き窓から外へと飛び取りた。
膝を曲げて地面へ着地した彼は素早くその逃げ込んだ廃墟の門へ背中を着けると顔を半分覗かせて慎重に外の様子を伺った。
月に照らされた夜のゴーストタウンには人の気配を一切感じられず、険しい顔付きのまま静かに声を漏らすと荒れ果てた街中を歩き出した。
神経を尖らせつつ、様々な事を考える余裕が少しずつ彼に生まれてきた。
ラゴウを新たに導く為の手段、権力闘争をどう抑え込んでいくか、民への謝罪……そして、自分を心から愛してくれたあのダークエルフの少女。
頭にふと、頬を赤らめながら自身の胸へと手を押し当てたあの時の感触と切なげに震える瞳を思い出した若き王は立ち止まると……その整った顔立ちに泣き出しそうな表情を浮かべつつ耳まで赤くなった。
彼女が自分を受け入れてくれた嬉しさ、彼女にしてきた事への罪悪感、そして……狂ったように鼓動を乱す愛おしさを感じ青年は今更になって激しい動揺に襲われた。
「う、あああああっ!!お、俺はどうすればいい!?……いつもの癖で何でもない風に受け入れたけど、こんな時にどうしたらいいんだぁぁぁぁっ!!」
彼もまた、誰かを心から愛するという経験を初めて体感し戸惑っていた。頭を抱えてしゃがみ込むと青年は罪悪感と愛おしさの狭間で激しく揺れた。
「あ、アイツにしてきた事を思えば……俺はアイツの望むままに尽くすべきだよな……。ど、どうすればいい……散々アイツに酷い事を俺はしてきたんだ……。アイツが望むなら……俺は女モノの給仕係の服を着て奉仕する事も厭わない!……」
それは彼なりの彼女への贖罪の仕方だった。しかし、恥を覚悟でそうした彼へ……想像の中の彼女は意地悪な笑みを向けて先程の様に胸に手を押し付ける、まるで子供に言い聞かせる様な声で優しく自分に触れてくる姿が頭を過り青年は奇声を発し地面をのた打ち回る。
「な、なななな、何を考えてるんだ俺は!!今はとにかくラゴウの変革だ!!民の幸せを考えろ!!」
荒く息を漏らしながら顔を真っ赤にした彼は立ち上がると、ぎこちない動きで再び足を進めて行く。
そんな彼の背後から、奇妙な熱を帯びた女の声が聞こえた。
「こんばんわぁ、こんな夜更けにどうなされましたァ?」
息を飲んだ青年は腰に差した青龍刀の柄を握り締めながら素早く振り返る。
そして、武器も持っていない相手の両手と格好を見てすぐさた我に返る。
「い、いや!ちょっと観光で来た者ですが……メルキオの歴史を知っておこうと思って……」
「あらあらぁ、それは素晴らしいですねぇ……この打ち捨てられた廃墟群はまさにメルキオの発展の側面ですから……」
「た、確か昔は有名な貴族が多く住んでいたんですよね!?それを知りたくて!」
「はいぃぃっ……この街には過去に多くの権力者が住んでいましたぁ♡。少し前に現当主の亡くなられたバンゼッティ家、それからこの国最大の鉄工所を持つカーティス家、そしてあの現国王であるギュンター様も此処で生まれ育ったのです!♡」
「は、はぁ……」
厄介な相手に捕まった。苦笑いを浮かべつつも突然適当に言ったこの土地の歴史についてやけに詳しく語る女を前に青年は戸惑いを隠せなかった。
適当に相槌を打ちつつ話を切り上げるタイミングを見ていたリーは長々と喋っていた話題の無難なタイミングで大声を上げる。
「ああっ!すみません!ちょっと友人を待たせているのでこれで失礼しますね!本当にタメになる話をありがとう!」
「あらぁ〜……残念ですね、これからもっと意外な人物がこの街に居た事を伝えたかったのに……」
「ありがとう!だけどもう充分だ、とっても参考になりました!」
それ以上、相手に何も言わすまいと背中を向ける青年へ……女はそれまでとは違った口調で言った。
「……ルーシア・バルザック……竜帝の娘がこの街には住んでいたんですよ?……」
「……今、何て言った?……」
ゆっくりと振り返った青年は反射的に鞘から青龍刀を引き抜いた。
このタイミングでそんな話題を持ちかける人間は敵以外にありえないと思ったからだ。
「グエンは心配なさらなくとも、私が潰す……だから安心して死んで下さい?竜王様ァ?」
「……他の部族の手の者か!?やはりあいつの計画など筒抜けだったという事か!……」
「はい、この私が……ラゴウ連邦国という国家を滅ぼすべく事細かに無能な男共にあなた方の行動を報告していましたぁ♡」
頬に手を当てながら笑う女を睨むと、青年は覚悟を決める。
愛する人の期待に応えるべく、自身は人殺しの道を往くと決意を固める。
だが、その女が纏っていた長いマントを脱ぎ捨てた瞬間に彼は頭の中が真っ白になった。その体を見て、理解が追い付かずに絶句した。
「初めましてぇ♡ラゴウのクソみたいな独裁者のクソみたいな精子から無事に成長したルーシア・バルザックでぇす♡」
恍惚とした言葉と共に振るわれた腕が、彼の頭部を切断した。
凍り付いた表情を浮かべたまま目を見開く彼が見たのは……
衣類から出ている部分のみを白く染めた黒い肌を持つ女の歪な姿だった。