殲滅のマタドール:93話 昇竜
「あいつの傍には近寄らせない!」
煌めく三本のナイフが妖しげに揺れる中、リー・ガウロンは青龍刀の刃先を掲げ力強く言い放つ。そんな彼へ侮蔑と嘲笑を向けると、髪を結った暗殺者は唇の端を歪めたまま悪意に満ちた声を上げた。
「いいんですかぁ?その女の子みたいな綺麗な顔がまたボコボコになっちゃいますよ?グエン様の言いつけで殺しはしませんけどぉ?」
「……余計な心配はするな、俺はお前らを殺す気で行く……だからお前らも殺しに来い……」
「ッ……そ、そうですか……。それならケツにナイフ突っ込んでさっき犯されてたみたいにヒィヒィ泣かせてやるよォ!」
「……泣く暇すら与えず殺してやる……」
哀れむ様な瞳を向けられた毒蛇は小さく息を飲むと、黒い髪を揺らして疾走した。必要最低限な筋肉を維持し絞られたその体は蝶のように軽く、そして首を擡げた蛇のように鋭く一撃を放つ。
青年は素早く刀を振るうと、足の太い血管を狙い斜め下へと振るわれた一撃を受け止める。そして、すかさずもう片方手をナイフで伸ばそうとする相手の肩を掴むとその鳩尾に淡々とした表情で膝を叩き込んだ。
「おげぇッ!あ”っ……」
「……舐めるな、蛇が……」
彼は静かに体を密着させたまま相手の心臓部分へ幅の広い刀を突き刺した。硬い果物が弾ける様な音と共に目を見開いた毒蛇は小さく声を漏らしつつ必死に体を動かそうとしたが血液を送るポンプを破壊されたその顔は青白く染まり、大量の血液を唇から零すと言葉すら発する事も出来ず毒蛇の姉は力尽きた。
敬愛する姉を失い妹達は凄まじい怒りと敵意を剥き出しにする。
「ク、クソッ!!ふざけやがって!!」
血走った目を向け叫んだ髪の短い暗殺者の女は素早く懐から投擲用のナイフを引き抜くと、素早くそれを投げつけた。彼が手に握る刀目掛けて投げつけられたその一撃を流れる様な動作で身を翻す青年は避けると、そのまま身を捩りながら刀を逆手に持ち替え、その刃を肘を撓らせ投擲した。
「ごほぉっ!……ぉ……ぁ……」
鈍い刺突音の後、ナイフを放った毒蛇の首に青年の投げつけた刀が突き刺さる。
水音混じりの声を漏らしながら必死に突き刺さる刀を引き抜こうと腕をバタ付かせる彼女へ素早く歩み寄り、刀を引き抜いた瞬間に血の水柱が上がり淡々と作業を熟す様に青龍刀を肩へと担いだ青年の顔を真っ赤に染めた。
痙攣を繰り返しながら喉から血を噴き出したり、胸から溢れ出た血の海の中で黒く濁った瞳を天に向ける姉達の姿を見て小さく声を漏らすと長い髪を揺らした彼女達の妹は悲鳴の様な声を上げた。
「な、なんで……何なのよ、お前!?……」
「……俺を甘く見た報いだ……俺は新たな竜になろうとした男だぞ?。大蛇に絡め取られようと……竜は天へ昇ろうとする意志を捨てる事はない!地上を這い回るお前達に止める事など出来ない!」
「ク、クソッ!鍛えてやがったなァァッ!?……私達に悟られず、壊れたフリをして!」
「……ああ、そうだ!心が折れても鍛錬だけは本能がやめようとしなかった!。もっとも、アイツがきっかけをくれなかったらこんな風にはしなかっただろう……」
「ふざけやがってぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
怒りに満ちた絶叫を上げると、女は両手に握り込んだ六本のナイフを煌めかせ荒く息を上げた。
そして、生存本能の告げるままに声を荒らげる。
「お前をぶっ殺す……そうしなければ生き残れない……」
「……最初からそのつもりで来いと言った筈だ……」
「うるさい!!死ィィねえええええええええええっ!!」
彼女の様子を見れば分かる。本気で彼を殺す気だ、毒蛇達の親玉の命令に背いてでも彼女は生き残る道を選択した。
ナイフは六本、それがどのタイミングで飛んで来るかは分からない。彼女達程の暗殺者ともなればナイフを投擲する本数すらも自由に決められる。初撃で飛んでくるのは一本かもしれないし、六本全てかもしれない。あるいは指を離すタイミングを操り二本をずつ放ち動きを止める気かも知れない。
本気で殺す気になった毒蛇の一撃を止めるのは、一本の刀では不可能だ。
しかし、竜となる事を望む青年は一切臆する事無く青龍刀を担いだまま足を進める。
恐怖と狂気に満ちた絶叫を上げて彼女がナイフを奮おうとした瞬間、その鈍い音は響いた。
「あ、がっ!……お、まえ……ぇぇっ!!……」
「……まだ、死んでないわよ……私は……!」
嬲るような姉妹達の攻撃を受け、全身を真っ赤に染めたナスターシャは力無く笑みを浮かべると……その女の太腿に背後から突き刺したナイフを捻り傷口を広げた。
「ぎぃ、あああああぁぁぁぁっ!!ひぎっ!!お前、お前、お前ええぇぇっ!!」
両手に持ったナイフを手から落とし崩れ落ちた毒蛇は即座に自身の背後から手痛い一撃を与えた女を始末しようとまだナイフの握られた手を持ち上げた。
そして、殺意に満ちた視線がすぐ目の前に注がれている事を感じ取り……怒りから恐怖へと感情を切り替えた。
膝を突いた彼女の眼前では若き竜が凍てつく視線で彼女を見下ろしながら青龍刀を持ち上げているのが見えた。
思考が停止し、目を見開いたままランタンの明かりを反射させる刃先を眺めていた彼女は恐怖のままに失禁物が醜い音を立て下腹部を覆う感触を味わいながら声を上げた。
「た、たすけ−−−−」
硬い物を切り落とす破断音と共に、彼女は自分の視界が大きく揺れるのを感じた。
−−−−−−
ビクビクと痙攣を繰り返す女の胴は切断された首から湧き水の様に体を揺らして鮮血を噴き出すと、片手に持っていたナイフを床に落として激しく体を震わせた。
……少し、血を流し過ぎた……頭が痛い、体中が……痛い……。
「……待っていろ、アイツの大切な友は必ず助ける……」
滲む視界の中、私の顔を覗き込んだ男はそう言うと……私の口に何かを放り込んだ。
小さく硬い何かが、喉を転がり落ちて…そのまま体の中を入り込む。大量出血により意識が揺らぐ私は、強烈な眠気を感じて目を閉じた。
そして、理解する……。
私の恋は……もう、終わりなんだと……。
−−−−−−
「イングリット!大丈夫か!?……」
「リ、リー……他の、ヴァイパーは……?」
「安心しろ!全員無力化した!……彼女も力を貸してくれたおかげだ!」
「……ナスターシャ……は?……」
「平気だ!秘蔵の丸薬を与え……今、傷を治している!」
あちこちから鮮血を流し、膝を突くイングリットを抱きかかえるとリー・ガウロンは相手を安心させる様に無理やり浮かべた笑みを彼女へ見せた。それを見たイングリットは静かに微笑むと、消え入りそうな声で言った。
「貴方を守れて、幸せでした……」
「まだ死ぬな!それはアビス・ストーカーズの指揮官として許さない!」
「……意地悪、言わないで……リー……」
「頼む!……俺にはお前が必要だ!……。頼む……!」
そんな青年の言葉を聞いたダークエルフの少女は、目を細め瞳を揺らすと静かに立ち上がり相手を睥睨した。
緑の光を放つ、毒蛇の長へと意志を燃やした瞳を向ける。
「……私の可愛い蛇達が敗れるとは……少し意外だった……」
女は血に濡れた剣を振るうと、観察を行うような感情の宿らない目線を二人へと向ける。
そして、彼女は自身の父の願いを全うしようと剣を両手で握り締めた。
「……お父様からの命令は一つだけ。リー・ガウロンを殺すなという命令です……だから、私はその命令通りに任務を熟す……」
「……いったい何を言ってる?俺はお前の首を刎ねる覚悟で行くんだぞ……余計な遠慮は無用だ……」
「ふふ、ふひひっ!……首を刎ねる首を刎ねる首を刎ねる首を刎ねる首を刎ねる首を刎ねる首を刎ねる首を刎ねる首を刎ねる首を刎ねる首を刎ねる首を刎ねる首を刎ねる首を刎ねる首をブッタギル!!!」
機械的な記号の様に言葉を繰り返す女は異様な気配を察知した二人が顔を見合わせた瞬間に絶叫する。
「お前らを切り刻んでやるぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!」
掲げた黒い大剣、毒竜の刃が三つに分裂し……そして彼等を目掛けて一直線に飛び掛る。
空を切る音と共に飛翔するその三つの殺意をどうにか躱すと、イングリットとリーは互いを守るように背中を合わせながら手にした武器を構えた。
「あんなのがあるなんて聞いてない!いったいどういう事なんですか、リー!?」
「俺が知る訳無いだろ!ヴァイパーの武装にまで詳しかった訳じゃない!」
「まったく!役に立ちませんね貴方は!」
心からの信頼を寄せてイングリットが微笑むと、リーは力強く笑みを返し剣を手に駆け出した。手にした青龍刀を握る青年は命などとうに捨てる覚悟で叫んだ。自身の創設した部隊の中で、自分を見続けてくれた最愛の人への信頼を託し。
「うおおおおおおおおおっ!!これで終わりだ、タオォォォォォッ!!」
「ハッ!!お前から来たのか!!……イングリットを守ろうたってそうは……!!」
唇を歪めたタオは意識を集中させ、宙を舞う刃へと指示を送る。そのダークエルフを殺せと……。
空中を舞う三本の刃が動きを止めた瞬間、彼女は悪意に満ちた笑みと共に青年の振るう刃を片手で引き抜いた小太刀で受け止めると言い放つ。
「死ねっ!!イングリットォォォォォッ!!」
しかし、彼女は目を見開いたタオの視界の中で……憎んでいた筈の彼の体を背後から抱き締め……目を閉じていた。
まるで、自身の何もかもを預ける様に……。
「……お、お前ら……何を……何を……!?」
激しく意識がかき乱された女は、毒蛇は震えた声を上げて二人を見つめた。
深い愛情と、信頼が感じられる二人を否定するように剣を構え直すと距離を取り絶叫する。
「お前達は……真実の愛を知らない!……。俺は、イングリットを心から愛してきた……彼女を、生きる糧にしてきた!」
「お前達には分からない……誰かを愛する本当の気持ちを……。命を捧げる忠義に囚われた貴様の様な人間には!!」
眼の前の二人は、生きる事こそが人間なのだと悟っていた。生きて、大切な誰かの為にその命を張る事こそが人間の存在価値だという……ある種の境地に至っていた。
煌めく刃を掲げ前進する二人を前に、タオは敵意や憎悪や……妬ましさの以前に抱く感情があった。
それは、疑問だ。
分からないから、彼女は叫びつつ問うた。
同じ人間の体が持つその感情の深層を。
「何なんだ……!お前ら、お前ら、お前らはぁぁぁぁ!……それは、何なんだぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「俺は、イングリットが好きだ!!心から愛してる!!彼女の事が……好きなんだぁぁぁぁぁぁぁあっ!!!」
「私はリーからもう逃げない!!全てを任せられると信じてる!!……私は彼を、信じてるんだあああああああああああああああっ!!」
タオの動揺を表す様に正確さを欠いた攻撃が飛び交う中で、二人は避ける事もせず手にした武器を手に駆け出していた。
あちこちに傷を作り、肩を貫かれても二人は足を止めようとはしない。
目の前の悪を討ち、大切な人を救う。
気高いその目的を胸にした二人は自身の信念を揺り動かされ、困惑するその女の攻撃など恐れはしない。
「ク、クソォォォォォッ!!殺してやる!!殺してやる!!ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるな!!どうしてお前が、お前がぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
愛情を理解できない毒蛇は叫ぶと、別れた三つの刃が一つになり女の強固な信念の様に硬い剣を作り出す。毒の霧を放出するより先に、タオは燃え上がる憎悪のまま駆け出していた。
この二人は自身の力で捻じ伏せる必要があると感じたからだ。
「リー・ガウロンンンンッ!!私以上にお父様に愛されたクセに!!私には向けられなかった気持ちを独占したクセにぃぃぃぃぃぃっ!!許さない、許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さないぃぃぃぃっ!!」
彼女の頭からは既に当初の目的は消えていた。ただ、この憎たらしい二人組みを一刻も早く殺してやりたいいう感情のみが彼女にはあった。
黒い長剣を煌めかせた女はこちらに向けて駆けてくる青年の頭部を斬り落とそうと横へ刃先を滑らせる。
身を屈め、その殺意と狂気に染まる一撃を躱した青年は絶叫と共に彼女の胴へと手にした青龍刀を振り上げる。腹部に斜めの傷を入れたタオは動きを止めようともせず、見開いた目でその若き王を絶命させる事へ執着心を向けていた。
その首筋に、イングリットが振ったナイフの刃先が深いラインを引いた。
「……終わりだ、毒蛇……!」
「……あ……が……ぇ、あ、あ"ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
首を押さえ憎悪に満ちた声を上げ崩れ落ちるその女の指の隙間から、まるでその強い憎しみが溢れるかのように勢い良く鮮血が吹き出した。
恐怖も絶望もなく、ただただ自分の体が言う事を聞かずに苛立つ様な声を唇から血と共に吐き出しながら……女は光を失いつつある瞳で二人を睨み付ける。
「おぐぅぅっ、げふっ、お、ぉ"ぉ"……ゆる"、ざない"ぃ"ぃ……」
「……俺だって、アイツの愛からは離れたかったさ……勝手に恨まないでくれ……」
「……おど、う……さま、をぉぉ……よぐも"ぉぉ……まどわし、で……!」
もはや、自分に対する憎しみ以外に今の彼女が語る事はない。そう判断したリーは血の海の中で藻掻き、必死に床に転がった魔剣を手にしようとするタオの全てを終わらせようと決意した。
両手でしっかりと青龍刀の柄を握り締め、ヒューヒューと声を上げつつ床を這い魔剣を握り締めた彼女へ……リーは最期の言葉を贈った。
「……代われるものなら代わってやりたかったさ……お前にな……」
−−−−−
介錯を済ませた彼は手にした刀を振るい血を払うと、鞘に青龍刀を納めゆっくりとこちらへ振り向いた。
「大丈夫か?イングリット……」
「……ええ、これぐらい平気です……」
「……そうか……」
私の前に立った彼は顔を俯かせると、迷う様にして視線を泳がせて口籠る。
きっと謝りたいのだろうが、何から謝ればいいのかが分からないようだ。
だとすれば、私のすべき事は決まっている……。
最初に謝るのは……私の方だ……。
顔を俯かせる彼の背中に手を回すと、私は驚いた様子で声を漏らす彼へ言った。
「……少し、本音を語ってもいいですか……」
「……あ、ああ……俺のやって来た事を思えば、お前はどんな事を言う権利だってある……」
「……そう、ですか……」
その言葉を聞き安堵したように微笑むと、私は強く彼の身体を抱き寄せながら囁いた。
「……ごめんなさい、リー……私は貴方から目を背け続けてきた……」
「……イングリット……?」
「貴方は父さんのせいで何もかもが歪んでしまった……そう思ったから私は貴方の事を拒まなかった、落ちていく貴方の事を諦めてしまった。本当は……貴方を止めて、受け止めなければいけなかったのに……」
私は声を震わせると、硬く目を瞑りながらようやく気付けた自分の気持ちを打ち明ける事にした。
「……逃げ続けてしまってごんめなさい、リー……!」
「……いや、こちらこそすまなかった……酷い事もした、酷い言葉だって掛けてきた……。お前に殺してほしかったから、誰よりも愛してるお前に……」
「……私はようやく気付けました、本当に人を愛する事が……」
そこで彼は体を離すと、何かに耐える様に目を背けた。
「……俺にそんな事を言われる資格はない……。お前や民を苦しめてきたんだ、お願いだから……そんな事は−−−」
私は気が付けば、彼の言葉を塞ぐようにキスをしていた。
そんな風に、私の気持ちを拒絶しないで欲しかった。
キスなんて今まで散々してきたし、されてきたというのに……本当に愛する事を理解し、そしてその大きな感情を向ける相手への口付けは……胸がはち切れそうになる程にドキドキした。
唇を離した私は、ボンヤリと思考に靄が掛かるのを感じつつ唖然とした表情で口を半開きにする彼に言った。
「……私は、これから変わっていく貴方を見たい……。民に償いがしたいというのなら、ラゴウの荒れた大地に水路を敷いて……畑で作物が作れる様にしたり……そうやって皆が幸せに生きられる国を作って欲しいんです!。いつかは皆が許してくれて、感謝するようになって……私はそんな貴方を隣で見ていたい……」
「……お前……」
「……本当の愛は恩義を返す事じゃない……こうやって大切な誰かを見続けていたいという気持ちなんですね……」
彼の腕を抱くと、私は静かに目を閉じてその肩に頭を預けた。
……私はこの人の生き方を見たい。過去の呪いから解き放たれて、大勢の人々から憎まれていたとしても……傍で変わっていくこの人を見たい……。
いつまでも、見続けていたい……。