殲滅のマタドール:91話 依存
泣き腫らした瞳を擦りながら掠れた声でアヴィの口から語られたその状況は、ナスターシャとイングリットをひどく困惑させた。
ダムザで大規模な政変の動きがあった事は各国の軍でも話題にはなっていた。特に兵器に関して大きく依存状態にあったラゴウとメルキオの上層部はその情報に注目し事態の推移を注視していた。
しかし、あのダムザの首都を舞台にしたクーデターの解決に見知った二人が深く関わっていたのにはナスターシャもイングリットも驚きを隠せなかった。ダムザの大統領、オリバー・クロムウェルからも信頼を勝ち取った彼女達は親書を手にしてメルキオ帝国の王宮へと向かう事になった。
そして……そこでとんでもない事が起きたのだと言う。
「それで、いったい何が……?」
ナスターシャが聞くと、アヴィは再び泣きじゃくりながら声を上げた。
「全てを、私達……国王様に、話しました!……っ……」
「……それから?……」
「……そこで……国王様……いきなりサシャと一緒に、何処かに行ってぇぇっ……。戻って来たら……戻って来たらぁぁ……」
「ど、どうなったのよ!?それで!……」
上手く言葉を紡げないアヴィに苛立ちを募らせたナスターシャが両肩を掴み強い口調で言うと、当時の事を思い返しているのか……アヴィは顔を俯かせ、震える唇を開いた。
「……二人は腕を組みながら、急に……凄く親しそうになってて……サシャは……国王様の、頬に……キスしてっ!……。それで……」
「……え、えー……ほんとに?……」
「……それで……“私達、結婚する”ってぇええっ!!……あ、う、う、うああああああああああああああああんっ!!」
話を聞いていたナスターシャとイングリットは泣き崩れるアヴィを前に思わず顔を見合わせた。
「……あの国王、結構情熱的なんだな?……」
「い、いや!あの人はそんな人じゃないわよ!……国民の生活を何よりに考えてて、いつも一生懸命で!……」
「……では、そんな王すら狂わせる程にサシャが魅力的だったという事か……」
「あー、でも何かああいう苦労してそうな人をグイグイ引っ張ってくれそうな気がするわね……あの子……」
当初は否定していたナスターシャも同意するように首を頷けた。
アンジェラに頭を撫でられながら深い悲しみのまま泣き叫ぶ彼女へ無理やり浮かべた笑顔を向けると、ナスターシャとイングリットはその肩を擦りながらアヴィを励まそうと声を掛ける。
「ま、まぁまぁ!元気出してよアヴィ!そりゃあアンタ達は一緒に旅してきた特別な絆で結ばれた二人ってのは分かるわよ!」
「ああっ、死線を潜り抜けてきた友との絆は確かに大切なものだ……それでもそうした新たな友はまたいずれ現れる、私もナスターシャという新たな友と出会う事が出来た……」
「な、何よぉ!私は友達以上だと思ってるんだけど!……」
頬を膨らませて不機嫌そうにするナスターシャへ顔を向けると、アヴィは消え入りそうな声で言った。
「……私も、そうです……」
「……へっ?……」
「……友達以上の……関係に、なったんです……」
「……え、えっと……つまりは恋人関係に……?」
「……はい……」
それを聞くと彼女は暫くの間ボンヤリと口を開け、そして激しく動揺した様子で声を上げた。
「え、ええええっ!?こ、恋人関係って……」
「……キスもしました、それに……その先も……」
「そ、そそそそ、その……その……その先って……」
「そ、それは……セ−−−むぐぅっ!!」
「ア、アンジェラの前で何てことを言わせてるんだ!!バカモノ!!」
慌ててアヴィの口を塞いだイングリットはナスターシャを睨み付けた。不思議そうな顔をして目の前の相手を見ていたアンジェラは口を離され再びボロボロと涙を流す年上の少女を見て、堪らずにパタパタと足音を立て走ると、衣類が仕舞われた棚を開け大きなバスタオルを取り出した。
そして、必死に相手を励まそうと声を掛ける。
「元気出して?アヴィお姉ちゃん……」
「あぅぅぅぅぅぅ……アンジェラァァ……」
幼い少女に無垢な優しさを向けられたアヴィは目元を拭われながらも傷心した心のまま涙を零し続けていた。
肩を掴み傷付いたアヴィを癒やすアンジェラからお喋りなハーフエルフを引き離したイングリットは抑えた声で困惑と怒りに満ちた言葉をナスターシャへぶつける。
「ど、どういう事だ……!?。あのギュンターとかいう国王は結ばれた二人を引き裂いて惚れた女を手に入れる様な奴だったのか……!?」
「わ、私だって彼について詳しい訳じゃない……!。西部国境警備基地は王都守備隊との件があってからは嫌われてるから……!」
「お前は素晴らしい人だと言ったではないか……!。こんな事をする様な奴だとは思わなかった……!」
「私はヨハン様から人柄を聞いただけよ!……こんな事をする人だと……思わなかった……」
自身が尊敬した人物の良からぬ面を見せつけられたナスターシャは動揺を隠せない様に首を振ると、泣き崩れるアヴィへ罪悪感に満ちた表情を向けた。
「……やっぱり……私なんて、都合の良い……暴力でしかなかったんだ……」
その絶望に満ちた言葉を聞いた瞬間、イングリットは背筋を震わせて目を見開いた。
その言葉は、彼女にとっては聞きたくもない忌まわしい言葉だった。
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「大丈夫かしらね……アヴィ……」
宿場から外へ出た私は隣に立つイングリットへそう声を掛けた。
アヴィのショック状態は想像以上に深刻だ。クリスティーヌを止める際には一対一で彼女と向き合い勝利したあの子は思った以上に精神的に脆い部分がある。
何となくその一因は察する事ができる。アヴィは恐らく全てをサシャへと依存していた……本人は愛し合っているつもりであっても、無意識の内にその危なっかしい想いは大きくなっていく……。
そして、それはきっと……私の胸の内にも芽生えつつある……。
「……イングリット?……」
「……あ、ああ!……すまん……」
返事のない相手へ目を移すと、ボンヤリと夕刻の空を見上げていた彼女は慌てて顔をこちらに向けた。
何だか先程からボーッとしている事が多く、心配になった私は聞いた。
「大丈夫?……」
「……いや、さっきアイツが言った都合の良い暴力という言葉が……少しな……」
「……似たような事を言われたの?」
「……ああ、竜王にな……。彼の事を拒絶は出来なかったが、私という個人ではなく欲望の捌け口として見られる事が一番辛かった……彼は私を犯すといつも耳元で囁くんだ、“お前は、俺の都合の良い人形なんだ”って……。それが、辛かった……」
「……本人だって人形のクセに、結局自分がされて悲しかった事を誰かにやり返すジメジメした嫌な考え方ね……」
「……思えば私は罪悪感でしか彼と向き合っていなかったからこうなってしまったのかもしれない……拒めずに、彼の苦しみを受け止めた気になって自己満足に浸っていた。それでもあの人は私に惹かれているとはっきり言ってくれて、手助けまでしてくれた……。私はいい加減、はっきりと自分の考え方を彼に伝えるべきなんだ……」
そこでイングリットは拳を握り込むと、それまでの接し方を変えるという胸の内に宿る決意を口にした。毅然としたその顔からは、彼女が過去に背負ってきた後悔や罪悪感が感じられ……本気で何かを変えようと願う意志が感じられた。
その横顔に頼もしさを感じつつ、少し嫉妬心を抱いた私は彼女の腕を抱くと静かに目を閉じた。
「……その時は、私も隣に居るわ……イングリット……」
「……ああ、助かる……私は彼を操り人形の立場から解放する……!」
「うふふっ、はっきりと彼に貴女が誰の妻なのか教えてあげないとね……?」
「……お、お前な……」
悪戯っぽく笑う私へ呆れた様な目を向けた後に、イングリットは静かに微笑んだ。そんな彼女の顔の隣に居るだけでも、私は満たされていくのを感じた……。
仲間の死に傷付き、それを癒やしたくて溺れていった彼女へ……私は更に深く、もっと深く溺れていくのを感じる。彼女が私の気持ちを察して抱いてくれたあの時から、どんどん彼女は私のかけがえのない人になっていく。
でも、これはたぶん私の片想いであり……一方的な依存だ。それでも彼女は人の苦しみを察して癒やしてくれる優しい子。あの竜王という男と同様に私も都合良く彼女の想いや体を……慰み者にしている。
だから……彼女がそんな関係性を拒否し、彼と本気で向き合うと言った瞬間に私は堪らなく怖くなってしまった。
そうした依存関係を清算しようとするイングリットが自分の傍からも離れて行ってしまいそうで……。
今度は私の方がボンヤリとする番だった。
そんな私達の背後から声が掛かったのはお互い無言の時間を暫く過ごした時だった。
「あの、イングリットさんとナスターシャさんですか?……」
その淡々としつつも妖しさを秘めた声を聞き、私達が振り返ると……そこには見知らぬ女が立っていた。長い前髪で片目を隠し、闇に溶け込む様な黒いドレスを纏った女……。
美しさの中に異様な何かを感じさせるその女の正体は、隣に立つイングリットの表情から察する事が出来た。
「……タオ……!」
「誰?この人……」
「……ラゴウ連邦国で竜王に次ぐ権力者であるグエン・フー・ミン直轄の暗殺部隊……毒蛇の隊長だ……」
「ヴァイパーの……隊長!?」
こ、この女が……!。
腰に差さるサーベルの柄を握り込むと、私は相手へ鋭い目線を向けた。
ヴァイパーの実力は今日、身を以て味わう事になった。たった一人の工作員すらあれほどの実力を持つ非常に手強い相手……首筋に汗が伝っていくのを感じつつ私は言った。
「……お仲間を一人殺しちゃって悪かったわね……。生憎、手加減出来る相手じゃなかったから……」
「……フェイの事は気にしなくてもいいわよ?あの狂人はいずれ死でしか救われない運命だったんだもの……」
「……何言ってんのよ……」
「貧民街で育ち、殺された最愛の姉が腐り落ち白骨化するのを見て壊れちゃったんですって……その狂気と人骨への執着心に目を付け、お父様は試作品の魔導兵器の使い手として相応しいと判断した……。あの魔剣のコントロールは使い手の脳を破壊する程の負荷が掛かる難しいものだったけど、元から壊れてる狂人なら脳にどれだけ負担を強いても問題ないものね……?」
その言葉を聞いた瞬間、私はすぐにでも相手の首を刎ね飛ばそうと足を一歩進めていた。
この女も、そのグエンとかいう男も……貧しい中でも懸命に生きようとする命を侮辱した。私だってハーフエルフの忌み子として捨てられ、クリスティーヌに拾われるまで森の獣の様に暮らして来た……。それでも、私は生きる事を諦めようとした事は一度もない。あのフェイという暗殺者も恐らく同じだった筈だ。いくら救い難い人物であっても、それはあまりにも冷酷な現実の中で自分の心を守ろうとした結果だ……。
私はそんな彼女の事を兵器の部品としか見ていないコイツ等を……決して許さない!。
「……よせ、ナスターシャ……」
「ッ……」
後ろから肩を掴まれ、私は我に返った。
こんな雑踏の中で剣を抜けば大騒ぎになる。こいつらが出てきたという事は、何か私達が知るべき事があるはず……また王都守備隊の連中に目を付けられたらその知るべき何かを知ることが出来なくなってしまう。
どうにか感情を押し殺し、サーベルから手を話す私を見て女はニヤニヤと腹の立つ様な笑みを浮かべながら言った。
「お利口さんね、それでいいの……。今夜、竜王が話したい事があるそうよ……イングリット、貴女に来てほしいそうなの……」
「……わ、私に……?」
「ええ、彼は貴女が大のお気に入りみたいだから……大事な話でもあるんじゃない?」
……どう考えても、罠だ。イングリットを誘き出し、そして始末するつもりだ……。
竜帝の血筋を引く者として子供のアンジェラよりも既に工作員として活動しており高い実力を誇るイングリットの方が優先順位が上がるのは当たり前だ。
危険過ぎる……あんな連中が手ぐすねを引いて待っている中に向かうなんて……。
「……いいだろう、場所を教えろ……」
「イ、イングリット!?……」
だが、彼女はそれで恐れる様な人間ではなかった。
慌てて彼女へ目を向けると、その表情を見ているだけでもう私が何を言っても止められない事を悟った。
その瞳には強い決意が溢れている、リー・ガウロンという青年から逃げる事をやめて向き合うとする意志が伝わってくる。
だとしら……私は……。
「……私も一緒に行く。どうせそっちは一人じゃないんでしょ?」
「ふふっ、私は構わないわ……ただ彼が何て言うかしらね……」
「知った事じゃないわよ、そんなの!この子を危険だと分かりきってる場所へたった一人で行かせる訳にはいかない……」
「あらあら、誰からも愛されて羨ましいわねぇ……ねえ、イングリットォ?」
小さく声を漏らすと、イングリットは不安げな様子で私を見つめた。あの連中の実力はよく知ってる、だからこそ私を巻き込みたくないのだ……。
……バカ……ここまで私を夢中にさせて……好きにさせておいて……。
「絶対に貴女を一人では行かせない……命を捨てる覚悟なんてとっくにしてたんだから!」
「……ナスターシャ……」
一歩も譲らない態度を見せる私にとうとう折れたのか、彼女は小さく溜息を吐くと苦笑を浮かべた。
「それじゃあ、日付の替わるの時間になったら移民街の外れにある教会まで来なさい……既に街中を優秀な部下達に見張らせているから……。そうそう、それと貴女達のお仲間の宿も既に特定してるから宜しくね……」
この王都に逃げ場はないし、逃がすつもりはない……そんな意味合いの込められた言葉を残すと彼女は人混みの中へと消えていった。
お互いの顔を見て静かに首を頷けると、私達はアヴィの待つ宿へと戻るべく駆け出した。




