殲滅のマタドール:90話 人質
移民街から少し離れたその場所には無数の廃墟群が並んでいた。元々住んでいた人間は王都での成功を期により高価で豪華な住まいを求め家を捨てた、そうして出来上がったのがこの主を失ったそこそこの広さを持つ建物の群れだ。
誰もが消えたゴーストタウンは、今では敵国に潜入した工作員達の絶好の隠れ家となっていた。
埃が積もり壁に罅の入ったその屋敷の居間では、椅子に縛り付けられた青年を囲みニタニタと笑う女達の姿があった。
ラゴウ連邦国随一の実力を誇る影の暗殺部隊、ヴァイパーの女達は彼へ容赦の無い尋問を行っていた。
「それにしても、私達の目を掻い潜り敵と接触するなんて……お人形のクセにやってくれますわねぇ、竜王様?」
「……アンタ達も案外大した事ないんだな……隙を見せた方が悪い……」
「……チッ!……良かったわねぇ、大好きなイングリットちゃんを助けられて……」
「……ああ、アイツなら切り抜けられると信じていたからな……」
晒された上半身に無数の青痣を作り、鼻血を垂らしながらリーは不敵に微笑みかけた。舌打ちをしながらその頬を叩くと、部屋の奥でその様子を見ていた女はゆっくりと椅子から立ち上がると口を開いた。
「さすがに今回の件はおいたが過ぎますよ、竜王様……おかげで私は可愛い可愛いフェイを失ってしまった……」
「……用済みになったら建物ごと潰す気だったくせによく言う……」
「あの子の愛は重く、危険な欲を秘めていた……姉と同じ様な美しい女の皮を剝いで内臓を取り出し、そして真っ白で無垢な骨にする事であの子は安心感を得ていたんです……。そんな狂人の彼女を支配して凌辱するのは私の数少ない楽しみでした……」
「……どいつもこいつも、イかれてる……」
ギシギシと床を軋ませ歩む彼女は纏っていた丈の長いローブを脱ぎ捨てると、そのプロポーションに恵まれた肢体を曝け出しながら妖しげに笑みを向けた。黒い髪から片方だけ覗かせる瞳は、まるで獲物を前に舌を出す蛇の様に残虐な愉悦に震えていた。
それを見た青年は首を振ると、呆れた様な口調で言った。
「アンタも父親同様に、欲に素直なんだな……吐き気がする……」
「ええ、貴方は同性のみからでなく異性の私にまで犯される……私に散々に果てさせられ、体液を出し尽くして失神して……皆の見世物になるんですよ……」
「……生憎、アンタは好みじゃ−−−」
言葉の途中で青年はビクリと体を震わせた。爛々と輝く彼女の瞳と目を合わせた瞬間、急激に鼓動が早まり全身に血が巡るのを感じた。
不自然なその状況に呼吸を荒らげながら、顔を歪めた若き王は声を漏らす。
「……っ……魅了の……魔術か……!」
「はい……貴方が私を嫌おうが侮蔑しようが、怖がっていようが関係ない……私の目を見た貴方はもう、私から離れられなくなってしまった……。この強力な魔術はちょっとやそっとでは打ち消せない……ふふっ、うふふっ……」
赤らんだ頬に指を這わせた瞬間に、縛られた体を大きく揺らしながら青年は声を上げた。
「くっ、あっ、あぁぁっ!……」
「すごいですねぇ……肌に触っただけでこの反応、お父様の調教によりすっかり敏感な体になってしまったんですねぇ?……」
「……ぐっ……や、やめ……ろぉぉっ!……」
歯を食い縛りながら、必死に青年は女を睨み付けた。そんな視線すら心地良いのか甘く息を吐きながらそれを受け止めると、女は縛られた彼の腰を股で挟み込み両手で頬を覆いながら顔を近付ける。
そして、まるで血を吸う吸血鬼の様に首筋に唇を這わせ彼の悲鳴を楽しむとその耳元で囁いた。
「……さぁ、搾り尽くして……壊してあげる……。今度は私の操り人形になってね……可愛い可愛い幼竜ちゃん?……」
絡み付くような声色でそう言うと、女は彼の耳を唇に含み舌先で弄んだ。水音が鼓膜にこびり付き、暖かな唾液と舌で耳を凌辱された青年は自分の中で何かが割れていく様な感覚を覚えながら激しく体を跳ね上がらせた。
下半身に熱と冷たさを感じながら喘ぐ幼竜に絡み付く毒蛇は尚も彼の体に纏わり付いた。その場の誰もが欲情と嘲笑を向ける中で行われた凌辱は傷付いた彼の心を更に追い詰め、そして罅を広げていく。
冷酷な毒蛇の思惑通りに、その瞳は徐々に光を失っていった。
−−−−−−−
「それで、ただでさえ忙しいこんな時にお前等がズタボロであの崩れ落ちた娼館から出てきた理由を教えて貰おうか?」
「え、えっと……あ、あははっ!」
「笑って誤魔化せる様な状況じゃねぇだろ!!あそこは前々からラゴウの連中が出入りしてたのは知ってんだぞ!!……」
机に拳を叩き付けた彼は椅子に座る私達を威圧するように鋭い目を向けると、当の私が一向に笑みを崩さない様を見て諦めた様に溜息を吐いた。
崩れていく娼館からどうにか脱出した私達はすぐに駆け付けてきた警戒中の騎士に包囲され、こうして王宮内にある騎士団の本部まで連れて来られていた。治癒魔術により治療が施され、次に通されたのは狭い尋問室で……そこで待っていたのは顔馴染のこの男だった。きっと私へ尋問を行うと聞き喜び勇んで飛んで来たに違いない。
「まぁまぁ!デュバル隊長!私だって気を使ってるんですよ?……あなた達を危険な目に巻き込まないように、独自に動いてるんです!」
「俺はこの王都の守りを任された栄誉ある守備隊の隊長だぞ!?貴様、俺達を舐めてんのか!!」
「……正直言って、だいぶ……」
「テ、テ、テンメェェェッ……」
怒りで真っ赤に染まった禿頭に無数の血管を浮き上がらせ、彼は私を睨み付ける。
「いい加減にしておけ、ナスターシャ……」
そんな私を見兼ねたイングリットはそう声を掛けると、相変わらず機嫌が悪そうな顔を向ける隊長殿へ視線を移して言った。
「あの娼館にラゴウの者が入っているのを知りながら、何故摘発しなかったんだ?王都守備隊は工作員の拿捕も任務に入っていると聞いたが……」
「はっ!!あのお優しいギュンター国王の政策方針だよ!!……両国間の緊張を煽るような真似は御法度、俺だって何度もあそこに兵を送り踏み込むように進言したが全部突っぱねられちまった!!」
彼は苛立たしげに頬杖を突くと、一度吐き出した不満が止まらなくなったのか隠そうともせずに愚痴を延々と吐き出し続けた。
「ったく!!先代の国王様にはもっと気迫と威圧感があったんだ!!あのお方であれば纏めてラゴウの連中なんて皆殺しにしてたのによ!!……今の若造は気合がなっとらん!!新たな妃を迎え入れて尚更軟弱になっちまうんじゃねぇかって心配でしょうがねぇよ!!」
「……うわぁ、典型的な老害発言ねぇ……」
「何か言ったか?」
「い、いえっ!何でも……」
こちらを睨み付けたその視線へ笑みを返すと、私はふと先程の言葉を聞き引っ掛かった部分がある事に気が付いた。
ギュンター国王の妃……あの人、お嫁さん貰ったんだ。
そんな話は聞いてないし、本来であれば国王の婚約ともなれば国を挙げて大規模な祝い事を行う筈だ。不思議に思いつつ私がそれを聞こうとした時には、既に相手は両手を組みつつ深刻な様子で今の体制への不満を漏らす厄介なオヤジモードに入っていた。
たぶん、数時間は続く事になる……くどくどと続けられるその言葉を聞き流しながら私は大きく溜息を吐いた。
−−−−−−
フラフラと歩くナスターシャの体を支えつつ、二人は王宮の廊下を歩いていた。質の良いカーペットと凝った意匠の施された壁が、この巨大な帝国の権力の中枢である事を感じさせた。
多くの騎士や軍の関係者が行き交う廊下を抜けた二人は広大な王宮の大広間へと出た。
華やかな衣装を纏った貴族達が居るその場所は二人にとっては馴染みが無く、居心地の悪い空気を感じた。希に褐色の肌を持つイングリットへ向けられるのは明らかに差別心に満ちた目線だったからだ。
それを感じたナスターシャは彼女の手を引くと足早にその息が詰まるような空間を後にした。
広間を抜け外へ出ると、まるで長い時間水の中に潜っていたかの様に息を吐き出した少女は不満げに声を漏らす。
「まったく、あの頑固オヤジの小言に二時間も付き合わされるわ嫌味ったらしい貴族共の視線を浴びるわ……やっぱり此処は私には合わないわね!」
「……私はああいった目を向けられるのには慣れている、気にするな……。それにあの隊長の言葉だって私には羨ましく思えた、確かに少し偏った部分はあったが彼の国を救いたいと願う気持ちは本物だ……ラゴウでは誰もが自分の欲を優先して、あんな風に国全体を憂いる兵はまず居ないだろう……」
「……私にはそっちのが性に合ってそうね、綺麗事なんかで着飾らずに自分のやりたい事が出来て!」
「……長く住んでいれば分かる、その国の良い所も悪い所も……」
二人が石畳の階段を降りていくと、階段の先で人集りが出来ている事に気が付いた。その衣装から集まっているのは貴族達であり、ヒソヒソと囁かれる言葉から決して喜ばしい光景を見ているのではないのだと察する事が出来た。
「あれが、例の国王の妃か……」
「いったい国王は何を考えておられるのか……あの様な者と……」
「まったく、理解に苦しみますわね……」
明白な嫌悪感と嘲笑は逆にナスターシャの興味を唆った。そんなにも彼等が忌み嫌うものであるのなら、自分からすればそれは見ておくべきだろうと意地悪な心が働いた。
「新しいお姫様だって!見てみよ、イングリット!」
「お、おいっ!ちょっと……」
彼女の手を引くと駆け出したナスターシャは無理やり人集りの中に体を押し込みながら誰もが視線を送る相手を見た。
両脇に並ぶ人垣の中央を顔を俯かせて歩くその女性は、真っ白な仕立ての良いドレスで身を包みヒールを鳴らしながら黙々と足を進めていた。薄いベールに覆われた顔はよく見えないものの、頭部に載せられた美しいティアラや丁寧に纏められたブロンドの髪が俄然ナスターシャの興味を強めた。イングリットはそんな中である部位に気付くと、信じられないように目を見開きながら呟いた。
「……エルフ族?……」
その女性の耳は長かったのだ。エルフ族が持つ特徴的な部位は、メルキオ国王の妃が人間とは異なる亜人種である事を示していた。周囲の貴族達が良くない心象を声にして向ける中、その儚げな雰囲気を纏う王の花嫁が停められた馬車へと乗り込もうとした。その瞬間、顔を見たイングリットは更に驚愕して声を漏らした。
「……サ、サシャ?……」
「……え、えっ?……」
イングリットの言葉を聞いたナスターシャが慌てて目を凝らすと、既に馬車の扉は閉められ鞭の奏でる音と共にその場から離れて行った。
溜息や呆れた様な声を上げながらその場から人集りか消える中で、二人は相変わらず唖然とした表情を浮かべ立ち尽くしていた。
「ほ、ほんとなの?私にはよく顔が見えなかったけど……」
「私の視力ならこの位置からでもはっきりと見えた……あれは間違いなくサシャだ……。いったい、どうなってる!?……」
「そ、そんなの私が知るわけないでしょ!……あの子が国王の妃になっちゃうなんて、何が起きてるのよ……」
混乱しきった様子でそう言うと、顔を見合わせた二人は首を頷けて駆け出した。
−−−−−−−
「……お姉ちゃんは、それで一人になっちゃったんだね……」
「……はい……私にも、よく分からないんですが……」
「……可哀想……」
膝に乗った相手が悲しそうな目を向けるのを見ると、胸を引き裂かれる様な痛みを感じアヴィはその体を抱き締めた。
自身の孤独を打ち明けた彼女は、同じ様にアンジェラも大切な人を失った事を知り心を痛めた。しかし、懸命に母親の喪失から立ち直ろうとする彼女の決意はアヴィの胸中に複雑な心境を抱かせた。
自分の大切な人はまだ生きているというのに、大好きな母親を失ったこの子はこんなにも健気に前を向こうとしているのに……。
ただ、離れただけなのに……。
彼女の強さを知れば知るほど、自分が惨めになるのを感じアヴィは嗚咽を漏らした。そんな彼女を心配する純粋な善意が、余計にその心を追い詰めていく。
声を震わせて泣きじゃくるアヴィの頭を撫でながらアンジェラが困った様に言葉を詰まらせていると、部屋の扉が慌ただしい足音と共に開かれた。
「ア、アヴィ!」
扉を開けたナスターシャは肩で息をしながら部屋へと入ると、背後のイングリットと同じ様に混乱しきった表情で彼女を問い詰める。
「アヴィ!さっき訳あって王宮に行ってたんだけど……そこでサシャを見かけたわ!」
「……っ……そ、そう……ですか……」
「いったいどうなってんのよ!?どうして……どうしてサシャが国王の妃になってるの!?」
「私だって分からない!……私だって、何がなんだか分からないんです!。オリバーさんからの親書を手渡して、国王様へ報告を行って……それから国王様に、いきなりサシャが呼び出されて……それから……それから……!」
膝から降りたアンジェラが心配そうに見つめる中、涙を零しながら錯乱した様子で呼吸を乱すアヴィを見てナスターシャとイングリットはあの二人の間に何か異常な出来事が起きた事を察した。
隣に腰を下ろしたナスターシャが落ち着ける様に、その体を抱き寄せると小さな声で彼女は言った。
「……どうして……どうして……サシャアァァ……」
−−−−−
馬車の窓から流れる風景を眺めながらその少女は重たい荷物から解放されたかのように大きく息を吐くと、疲れ果てた様子で静かに目を閉じた。
「お疲れ様です、サシャ様……」
サシャの向かい側には二人の男が座っていた。馬車の揺れに合わせて体を揺らすその老人は穏やかな笑みを浮かべ隙がなく整えられた口髭の覆う唇を歪めて言葉を続けた。
「随分と窮屈な様に見えますね?メルキオ帝国の王女なんていう立場はこの大陸では世の女性全ての憧れですよ?」
「意地悪ね、ギリアムさんは……あんな風に好奇心や悪意を一身に受けて田舎の小娘が平気でいられる訳もないのに……」
「はっはっはっ!この国において王族は貴族、軍人、民から恨まれる程優秀な証なのです!誰もが納得できる国策など存在しない、常に少数の誰かを切り捨てその人間から憎まれる……」
「……本当に、あの人もとんでもない役割を押し付けてくれたもんね……」
「逆に貴女以外にその役割は務まらない、私もそう思いますから……」
疲労感を滲ませて溜息を吐く彼女を激励するように王族付きの執事長を務める老人は肩を叩き再び愉快そうに笑った。
その隣で鋭い目を向ける男は人懐っこい笑みを浮かべる執事長とは正反対に厳しい表情を貼り付けたまま静かに声を上げる。
「故に、御自分のお立場が相当に危険なものである事も重々承知の上で今回の提案を飲んで頂けたのだと我々は考えています……」
「よさんか、ヴィクトル……お前の小姑の様なイビリには王でなくとも胃が痛くなってくる、麗しいサシャ様の美容にも気を使って差し上げろ 」
「我々はまだ若い王に政の危険さを伝え、最良の決断を促す為に存在しているのです……時には奥様と言えど危機感を持って頂く必要がある……」
「まったくお前は……」
黒い髪を後ろへ撫で付けた神経質そうなその男の目線を真っ直ぐに受け止めると、サシャは視線を外さずに力強い口調で相手へと語った。
その胸に宿る強い覚悟を。
「命を狙われる危険は分かっています……だって、最初からあの子に殺される覚悟で私は彼の提案をお受けしたんですから……」




