殲滅のマタドール:六話 CheatCode
小さく鳴る木々のざわめきが二人の間に纏わり付く緊張感を更に高めていく。抑えた筈の呼吸の音や、ブーツの靴底が葉を踏みしめるザクザクという音がやたら大きく聞こえ、頭がどうにかなってしまいそうな緊張感が二人を無言にさせる。
少し進んだ先で、血と何かを引き摺った跡は途切れていた。そこは背の高い草むらの中で、身を隠して獲物の肉を堪能するにはうってつけの場所だろう。
そして、その草むらの端からは……血塗れの腕が突き出していた。きっと、もう……その相手は手遅れだ。そんな事はとうに予想が付いている。それでも、ウィルは静かに足を進めて歯をガチガチと鳴らしながら膝を折ると草むらから突き出すその手を引っ張り上げる。
まだ、生きているかもしれない……トドメを刺す途中で自分達に気付き逃げたかもしれない。そう思ったから……。
だが、相手はそれほど短絡的な生き物ではない事をウィルは理解していた。
「……そんな……」
震えた声を振り絞ると、ウィルは彼のあまりにも無惨な亡骸を抱き締めて崩れ落ちた。
そのどちらかすら分からない腕は、肘から先が無かった。見ると草むらからは大量の血液が溢れ出しており、凄惨な宴の食残しがその草むらに散乱している事を予想させた。
体を震わせながら嗚咽を漏らすウィルへ視線を向けつつも、自分でも驚くほど冷静にアヴィは状況を分析する自分に気付く。相手は単に巨大で冷酷なだけではない、そこまで成長するまでエルフ達や人間の目を避けて生き延びてきた強者だ。元々ライガは獲物をズタズタに引き裂き食らう獰猛さに加え高い知能を持ち合わせているとウィルは言っていた。
通常の大きさのライガですらエルフの狩り場という概念を理解しその境界で傷付けられた獲物を狙い待ち伏せを行うだけの知性を持ち合わせている。希に危険を省みず狩り場にまで入り込む個体も居るがここまで多いのはウィルも見た事が無いと言っていた。
何か、頭の中がチリチリと焦げるような……強い焦燥感をアヴィは抱きそしてある可能性へと思い至る。
ひょっとしたらライガ達の親玉である赤い毛並みを持つ巨大なライガはエルフ達の領域へと本格的に侵攻する事を決意したのかも知れない。そして、恐らく……相手は真っ向からぶつかるのではなく何か、こちらの不意を突く罠を仕掛けているのかもしれない。
例えば、そう……こちらが冷静さを失って隙を伺っているのかもしれない……。
「……クソォォォォォッ!何処だ!?何処に居やがる!?殺してやる!」
涙を流しながら立ち上がったウィルは剣を構えながら絶叫した。そして、アヴィは理解する……これこそ相手が待ち望んだタイミングなのであると。
咄嗟に視線を動かすと草むらから少し離れた木立がミシミシと音を立てて揺れ、大きな何かの影が揺らめいているのに気付く。咄嗟にアヴィは叫んだ。
「ウィル!後ろです!」
「なっ!……」
振り返るより先に地面を蹴って横へと飛び退ったウィルのブーツの靴底を鋭い爪先が掠った。地面を転がりながらすぐさま立ち上がったウィルは剣を構え、そして相手の巨体に戦慄する。
「コイツ……コイツは!……」
それは見間違う筈もない。あの大切な想い人の胸に一生消えない傷を残した憎むべき仇敵だ。
この森に住まうライガ達の全ての母、通常の個体とは違いまるで返り血で染められた様に赤い毛並みを持つ巨体を震わせ吠えるそのレッドクイーンは五百年もの時をこの森で過ごして来た生態系の頂点に立つ恐るべき捕食者だった。
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マズい……どう見てもこのライガは異常だ!。獲物を食べるだけではなく、一部を残して相手の動揺を誘い隙を突くなんていう高度な知性まで持ち合わせている……。
あの巨大な肉体だけでも充分な脅威だというのに、更に相手の胸の内を見透かした様な知略にも富んでいる。まさにこの個体は、ライガ達の王……。
生唾を飲み込むと私は剣を構え歯を食い縛るウィルの背中へ向け呼び掛けた。
「ウィル!ここは一度退きましょう!私達二人だけでは……!」
「黙れよ!俺はコイツを許せない!……コイツは、また俺から奪いやがった!俺の仲間を……俺の目の前でぇぇっ!!」
マズい……今のウィルはもう普段の冷静さを失っている。憎悪と復讐に燃え、余裕が全く無い。そんな状態で勝てるほどこの恐るべき王は甘くない筈だ……このままでは、二人とも……!。
懸命に打開策を考えている私の目の前で、ウィルは雄叫びを上げて剣を持ち上げながら駆け出した。
「ウ、ウィル!ダメです!」
「うおおおぉぉぉぉぉっ!!三人の仇、覚悟しやがれぇぇぇぇぇぇッ!!」
あんな無防備に突っ込んだらやられる!……直感的にそう感じた私の目の前で、こちらを見ようともせず奮われた太い後ろ足がウィルの体を薙ぎ払った。彼は他のエルフに比べれば細そうに見えるが引き締まった屈強な肉体を持つ手練れだ。
それでも、そんな逞しい体付きをしたウィルの体が……まるで人間が小石を蹴り上げた時のように軽々と宙を舞って、大木へ激突した。
「ガハァッ!……ゴフッ……」
「ウ、ウィル!!……」
どうすればいい!?どうすれば……今の私に出来る事は一つだけだ、私にはウィル程の剣術の腕はない。
だが、囮になる事ぐらいは出来る!。
「ハァァァァァァッ!!」
片手に握った大剣を振り下ろすと、信じられない感触がした。まるで硬い壁を叩いた様な感触と共に、全力で斬りつけようとした筈の剣が震える。
なんて……なんて硬い毛と皮を!。まるで鎧だ、このバケモノは剣も弓も通さない鉄壁の防御まで備えている!。
どうすればいい……いったいどうすれば!?。
そんな事を考えていた瞬間、側頭部に凄まじい衝撃が伝わり小さく声を漏らしながら意識が揺れた。
「あ、が……!」
見ると、その巨大な尻尾が膝を突いた視界の端でユラユラと揺れていた。尻尾だけですら……こんな威力が……。
強烈な目眩を覚えつつ、これが大きな声を発せられる最後の機会なのだと覚悟し私は叫ぶ。
「逃げて!!ウィル!!」
「ア、アヴィッ!……」
霞む視界には彼の姿を捉える事は出来なかった。だが、弱々しいその声が聞こえ安心した……。
お願い、ウィル……サシャの為に生きて……私はあなた達を救う為なら喜んで死ねる……。
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「ぐ、くっ……よせ、アヴィ……!」
勇ましい声と共に駆け出したアヴィに向け唇から血を零しながらウィルは必死に言った。今にして思えば正しいのは彼女の方だった……怒りに支配され、我を見失った結果がこれだ。既に怒りは治まり冷静にどうすべきかを考える余裕が生まれ始めていた。
だが、その時を迎えるには全てが遅過ぎた。
凄まじい勢いで木に叩き付けられたウィルは背中と後頭部を強打し、激しい脳震盪と打ち身が思考を鈍らせる。早く立ち上がって、彼女を救わなければならないのに……それでも体が言う事を聞かない。苛立ちと焦りが焦る中、荒く息を漏らしながら青年が足掻いていると何かが割れる様な大きな音が聞こえた。
見ると、アヴィが死物狂いで振り下ろしたその剣が……前足による一撃であっけなく砕けていくのが見えた。更にその一撃は剣だけではなく、彼女の肉体も同時に傷付ける。
「ぐっ、うぅぅぅぅっ!……」
「……ア……ヴィ……!」
逃げろ、そう声に出そうとしても上手く声が出ない。目の前に倒すべき敵が居るのに……何も出来ない……。
大きく息を吸い込もうとして、彼は激しく咳き込みながら吐血した。骨もあちこち折れてどこかに刺さっているのかもしれない、自力で立ち上がるのは無理だ。
だとすれば、自分はここで……。
諦めた様に彼が頭を垂れて目を閉じた瞬間、悪臭を放つ獣の気配をすぐ目の前にまで感じた。
もう、ダメだ……何もかも終わり……。そう思い大切な人への謝罪をウィルは胸の内で口にした。
その時、彼の耳に消え入りそうな小さな……掠れた声が聞こえる。
「……ウィ……ル……」
「……ア、ヴィ……」
見ると、すぐ間近に彼女の顔があった。上手く逃げ出せたのか……いや、そうではない……そんな筈はない。
彼はようやく気付いた、その赤い女王の残虐な目論見に。殺意に燃えるライガの女王は、傷付いた獲物の目の前で仲間を処刑する気だった。見るとアヴィの体はその巨大な顎で腹部の上下を挟み込まれ、ほんの少し力を入れれば容易くその華奢な胴は真っ二つに食い千切られてしまうだろう。
虚ろな目をしたアヴィはジッとウィルを見据え、何かを言おうと鮮血が垂れる唇を必死に動かしていた。その言葉を彼が理解した瞬間、鈍い破断音と共に生暖かい液体がウィルの顔面へと降り注ぐ。
“逃げて、ウィル……”。声にならない声でそう言い残した彼女の体は、半分は下に落ちていた。あの危なっかしく放っておけない彼女の顔は生気が抜けきってしまった様だった。薄く開いた唇からは鮮血が溢れ出し、瞳は黒く濁ったまま瞬き一つしない。
また、助けられなかった……そして今度は、自分も助からない。
心の中で何かが折れるのを感じた青年は、そのまま瞳を閉じて暗闇の中へ意識を投げ出した。
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……暗い……寒い……。
私は……この場所を知っている……。とても冷たくて、寒い場所……。
いつもいつも、この場所で私は一人で泣いてた。
皆が私を責めるから……皆が私を嫌うから……。
もう終わらせてほしいのに、いつまで経っても終わってくれない。楽になりたいのに、楽にさせてくれない。
そう、私……死んだんだ。この真っ暗な空間こそが、死……。
もう疲れた……今度は、ちゃんと死ねるといいな……。
“ ---アヴ■■■■■■……起きなさい、アヴ■■■■■■…… ”
やだ……起きたくない、このまま……眠ってたい……。
もう、嫌だよ……お母さん……。
“ ---貴女はようやく私の望み、誰かを助けるという意志を見せてくれた……優しさを胸に宿してくれた ”
……望み?……誰かを、助ける?……。
でも、私……ダメだった……あの怪物を前に、何も出来なかった。ウィルもあの二人も……サシャも……助けられなかった。
私は、役立たずだ……。
“ ---まだ、大丈夫……貴女なら助けられるわ、私の愛おしい娘…… ”
……また私を戦いに向かわせるの?……こんなひ弱な体で、どうしろって言うの?……。
……ダメだよ……また、どうせ死ぬんだから……。
“ ---今の貴女になら力を正しく扱える、今の貴女なら自分の持つ強大な力の奮い方を理解できる……だから私は与えるわ、貴女に望みを託す…… ”
……力……強大な、力……そんなもの、私には……。
その時、目の前から広がった暖かな光が私を包み込む。まるで誰かに抱き締められている様な心地良さを感じ、私は静かに瞼を開けた。
真っ白な世界の中で、顔のよく見えない誰かが私を包み込むように腕で抱き寄せているのが分かる。
……温かい……とっても、温かい……。
……母さん、大好き……。
“ さぁ、お行きなさい……アヴェンタドール、猛り狂う自身の獣を制し、人々を救う為にその力を奮いなさい ”
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MatadorSystem、スタンバイ。
各部損傷チェック開始。
ボディの50パーセントを損失。偽装用ボディ活動不能、直ちに修復用ナノマシンを起動しモードチェンジを行います。
修復率56パーセント、人工筋肉再構築開始。
修復率87パーセント、各部人工関節再構築開始。
修復率100パーセント、モードチェンジ開始。
モードのオーダーを確認、“トレロ”モードにて作戦行動へ移行します。
武装確認。
対重装甲機体攻撃用武装、“エストック”起動。
機動性を重視し装甲をオールパージ。
撹乱用光学ナノマシン“ムレータ”放出開始。
戦闘準備完了。
---ようこそ、アヴィ。良き戦争を。