殲滅のマタドール:60話 竜殺し
その湿気の強い一室は心許ないランタンの灯のみで照らされた非常に薄暗く、空気の淀んだ一室だった。
そこは青年の作業場であり、新たに始めた趣味を楽しむべく作り上げた“アトリエ”だった。
アーサー・ゴッドボルトは動かしていた手を休めると顔にこびり付く鮮血を手近に置いたタオルで拭い溜息を吐く。通気性が悪く、不快な臭いが籠るそのアトリエが彼は気に入っていた。
椅子に腰を下ろしつつ鼻が曲がるような血と死臭が漂うその空間の中、喉に絡みつく様な温くなったワインを口に流し込み小さく息を漏らす。
空になったグラスを置くと、その日焼けした浅黒い肌に包まれた指が台の上に横たわる彼の"作品"の頬を撫でた。愛おしい我が子に触れるように目を細めた彼はその鼻筋や唇、そして荒々しく伸びる顎髭へと触れていく。
作品に触れその仕上げを終えた姿を想像する様に指を走らせるアーサーの耳に、扉をノックする音が聞こえた。
「モニカか、入れ 」
「失礼します、代表……トランピア社の者を全員処刑しました 」
「ご苦労、こっちも素材の準備が丁度終わった所なんだ……見てみるかい?」
静かに足を進めたモニカの視界には悍ましい光景が広がっていた。台に乗っていたのは首筋に傷を入れられ薄目を開いたまま青白い顔で事切れる男の姿だった。それはあの廃村でアヴィ達を襲撃した民間警備会社、トランピア社のリーダーの男だった。一糸纏わぬ姿で横たわるその亡骸を一瞥すると、モニカは心から不思議そうな顔でボブカットの髪を揺らしながら首を傾げた。
「あ、あの……こんな男すらも"作品"にするのですか?」
「どうしてだい?彼だって確かに生前にはあまり宜しくない素行の人間だったが、こうして魂の抜けた姿は無垢で美しい物さ……」
「……美しい……ですか……」
理解できない様子でそう呟く彼女を見て笑い声を上げると、彼は椅子から立ち上がりその場所に並ぶ彼の作り上げた作品達を見据えた。
地下の広い空間の一角、蝋燭で照らされたその場所には椅子が大量に並べられ……様々な表情を浮かべた人影が座り込んでいた。男女も性別も様々な彼等は無表情であったり、苦しそうに顔を歪めていたり、あるいは笑っていたりと様々な顔を見せている。
それらは全て、アーサー・ゴッドボルトが今の地位に昇る為に殺して来た人々の亡骸だった。表面を透明な樹脂で覆われ、腐敗防止の為に血液や内臓を処理された彼等は死の瞬間のままに地下に佇んでいる。強大な力に魅せられたアーサーはいつしか、死の蒐集を行う様になった。入れる者の限られたその場所に、彼等の肉体を閉じ込めた。
黒く濁った瞳を向ける死者達の視線を浴びたアーサーは束ねていた髪を解くと長髪を揺らしながらモニカの腰を抱き寄せる。
そして、甘く息を漏らす彼女の首筋に唇這わせながら囁いた。
「……俺が今回作ったのは別の世界でも膨大な数の死を齎した武器だ。1873年製レバーアクションライフル……あれはこの世界の技術で作れる最高峰の人間用の武器だ。その世界でも大暴れしたその武器は戦争や開拓を行う人間に好んで使われた。そして途方もない数の人間の命を奪っていったらしい……」
「……そのような力を手にすれば、代表の望む世界も容易く手に入りますね……」
「ああ、そうだ……俺は戦争をもっと身近な存在にしたい。この国の過去が俺にそうさせたように、国家や組織ではなく子供だって戦争を起こせる世界を作りたいんだ……。誰でも憎んだ奴を殺せて、誰でも間違った者を殺せる……そうなれば人間は間違わなくなる。互いの持つ武力で互いを監視し合い、本当に間違わない者だけが生き残れる世界になる……」
理想を語るその声には熱が籠り、彼は背後から抱き締めた秘書官の豊かなバストを強い力で鷲掴みにした。大きく体を振るわせモニカは甘く声を上げながら全てを手中に収める彼の理想と力に酔いしれた。
「あ、あんっ!んんっ……だい、ひょぉぉ……」
「……だから俺は間違ってしまった者の亡骸をこうして作品として残すんだ、彼等が如何に間違ったかを記憶して後世に残す……。彼等は記念碑として永遠に語り伝えられる……」
「ふぁっ!あっ!……だい、ひょおお……その、時には……わたしも、その中に……入れてっ!……」
甘く喘ぎながら体を震わせる彼女の声を聞き、意地悪く笑うアーサーはバストを弄っていた手を離すと相手を支配する様に顎を掴み上げ朦朧とした意識の中で潤んだ瞳を告げる彼女に聞いた。
「どうしてだ?君は今の所はミスを犯してない……間違った人間ではないのに……」
「はぁーっ、はぁーっ……わたし、あなたの……瞳に永遠に残りたい……。代表の手で、首を切り裂かれて……血を抜かれて……内臓を取り出されて……樹脂で、加工されてぇぇっ!……」
そこで息を荒げた彼女は内股を擦り合わせると、欲情に濡れた声で叫んだ。
「あなたの記憶に永遠に残りたいの!アーサー!……」
そんな罪深い彼女の業を聞き遂げた青年は、彼女の耳元に唇を寄せると囁いた。
「……ああ、いつか……お前も生きたまま腹を裂いて内臓を取り出し、そして俺の指でぐちゃぐちゃに搔き乱して……泣き叫ばせてやる……」
「はぁっ、んっ……アー、サぁぁっ!……」
「だが、今はまだダメだ……俺達の理想を叶えたその先にある世界、誰も間違わなくなった世界を実現するまでは俺の為に働いてくれ……。頼りにしてるよ、モニカ……」
ランタンの灯りが照らす薄暗いその部屋で、大勢の加工された死者達が見つめる瞳の中で二人の男女は激しく混ざり合った。
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「それで、トランピオ社の連中は全員殺されたのか!?」
「い、いえっ!独房から保釈金を得て開放された社長はまだ行方知れずです!」
「……死んでるな、そいつ……」
部下からの報告を聞くと、オリバーは顔を伏せ拳を震わせた。
廃村へ向かわせた客人達を狙い、さっそく敵は仕掛けてきた。ゴッドボルト・グループ傘下の警備会社が彼女達を襲撃したと聞かされオリバーは即座に襲撃した方を心配した。
警備局の人間の実力を彼は誰よりも把握していたし、信頼していたからだ。故にあの男は目的を果たせなかった部下達を即座に消すだろうと考えた。足を進めつつネクタイを締め直した彼はその若い女性の部下に命じた。
「あの工場の監視レベルを上げろ!あそこにはもう何人も送り込んだが誰も帰って来なかった!……。あいつは魔王だ!決して気を抜くな!」
「りょ、了解!」
駆け出して行ったその背中を見送ると、この国家の最高権力者の男は珍しく弱々しい笑みを浮かべる。
事態は急速に動きつつある。あそこまで露骨にあの男が刺客を送り込むなど考えられなかった。
彼には他の不安点もあった、隣接する工場に命懸けで潜入させた部下からの報告がひどく彼の心を掻き乱す。
廊下の壁に手を付きながら顔を俯かせたオリバーが焦燥感に胃を痛めていると、再び慌ただしい声が聞こえた。
それは、眩しい頭を輝かせる警備局所属の大男だった。
「ボ、ボス!宜しいですか!?」
「あまり宜しくないな……よっぽどの事でなければ後にしてくれ……」
「よ、よっぽどです!エルメスさんが魔物への明確な対抗策を考えつきました!」
「は、はぁ!?……」
思わず口を半開きにしたこの国の最高権力者は、普段あまり表情を乱さないその大男が驚愕と歓喜を混ぜた笑顔を浮かべているのを見て慌てて駆け出した。
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研究室の扉が慌ただしく開かれ、肩で息をしながら彼がやって来た。
「お、おいっ!魔物への対抗策が見つかったというのは本当か!?……いや、本当ですか!?」
あくまで紳士的な態度を貫こうとしたのか慌てて言い直すオリバーさんにエルメスが思わず笑みを零すと、彼女は緊張しきってカチカチに体を強張らせる私を無理やり彼の前へと押し出した。
「対抗の突破口を見つけてくれたのは彼女!アヴィなんです!」
「ア、アヴィさんが!?……」
信じられないような彼の目線を浴びて……私は恐縮しきったまま身を縮こまらせ顔を俯かせる。
そんな私の背中が叩かれ思わず小さく悲鳴を上げると、エルメスは満面の笑みを向けながら言った。
「しっかりしてよ!アンタが主役なのよ!」
「……は、はぁ……」
未だに状況がよく飲み込めない私に構わず、一歩前へと踏み出したエルメスは語り出した。
「まず、この国で最も脅威となる魔物はリザドラです!私は十年前からあのトカゲの魔物を研究してきましたが凶暴性も貪欲さもあの魔物を置いて群を抜く者は他に居ません!。ところが……最近、そんなリザドラにある変化が起きたんです!」
「リザドラの脅威に関してはこちらも承知してる……よく我が国の商人も襲われてたからな……」
「ええっ!そんなリザドラに起きた変化とは何か……それは、最近彼等は人間を怖がる様になったんです!明確に自分達に危害を加える存在を恐れて、痛みを避けるようになった!」
「待ってくれ!奴等の凶暴性も我々は熟知している……あいつらは正真正銘のバケモノだ。痛みも恐怖も感じずに獲物を捕食する無慈悲な奴等の筈だ……そんなあいつらが痛みを恐れるだって?」
信じられないように頭を振るオリバーさんを見ると、相変わらず状況が分からずに目をパチクリとさせる私の前で腕を組みながらエルメスは力説した。
「そう!リザドラの一番の恐ろしさはその凶暴性……だけど、それが彼等の気性ではなく生まれ持ったある本能による物だったらどうかしら?リザドラはその凶暴性に対してあまり食欲は高くない、きっとこれは生まれ持ったある種の本能によって獲物を襲ってるんだって私は考えてたの!」
「ほ、本能?奴等は食欲以外の何かで獲物を襲ってたって言うのか?」
「そう!それは……主従本能よ!リザドラはリザード属とドラゴン属の交配種、そして絶対的な種の上位にはドラゴン属が居る!あの子達は自分達で食べる為に獲物を襲ってたんじゃない、支配者であるドラゴンへ捧げるためにあの凶暴性と執着心を持ってたのよ!」
「あ、ああ!それは私も知ってるよ……あの森には支配者のドラゴンが一匹住んでる!。確か緑の鱗に退化した羽根を持つというバケモノだ!昔から多くの騎士を食ってきた奴だ……」
「……もし、その上位種のドラゴンがいきなり死んでしまったらどうなると思います?……」
彼女の問にオリバーさんは笑みを浮かべると、静かに首を左右に振りながら呆れた様に溜息を吐いた。
そんな事はありえない……そんなバカな事はない、そう言いたげに。
しかし、そんな反応はとっくに予想済みだったのかエルメスは不敵に笑ったまま言った。
「ところがその支配者のドラゴンは倒されちゃったの!この子によってね!」
「……は、はぁ?……」
私の肩が叩かれると、思わずビクリと全身を震わせて私はエルメスを見つめた。
彼女は満面の笑みを浮かべたまま、静かに首を頷ける。
彼にあの時の事を説明しろと、そう言っている……。
溜息を吐くと私は呆然とする彼へ向けて口を開いた。
「え、えっと……そのドラゴンって、緑の大きなトカゲですよね?」
「ト、トカゲ?……まあ、ドラゴン属はトカゲに近いと言えば近いが……」
「二本足で立つ大きなトカゲをこの国に来る直前に仕留めました……そいつはサシャを食べようとしたので、怒りに任せて……」
「お、おいおい!ありゃあこの五十年討伐記録の出てない本物のバケモノだぞ!?いくら腕に自信があるからってそりゃあ……」
……やっぱり、見せないといけないらしい……。
今の私は偽装ボディを任意で切り替えられる。つまり、あの力を皆の前で見せられる……。
先ほどエルメスの前で見せた時には彼女は勿論、死なないと発揮できないと思っていたサシャすら驚いていた。
だけど、今は非常事態だ……それに、この力を目にすればアーサーの危険さも彼により伝わる筈……。
私は目を閉じると、静かに言い放った。
「偽装ボディ展開終了!ナノマシン展開!」
私がそう口にした瞬間、その研究室が眩い光に包まれる。黄金の光を放つナノマシンが私の体を包み込み、変化を促していく。
その場の誰もが目を腕で塞ぎ、その光に耐えた。
やがて、発光が収まり……ナノマシンで覆われた肢体を晒す私は小さく声を漏らしながら胸元を押さえた。
こんな姿は、大勢に……見られたくない。
サシャの前以外では……。
「……な、なっ……これは……?」
「……これが、本当の私なんです……。戦争の為に作られた兵器、この世界とは違う別の世界で作られた人殺しの戦闘兵器……」
腕を硬く抱き締めた私は、震えた声で……その忌まわしい名前を口にした。
「アヴェンタドール!……私は、人ではなくて……武器なんです……」
「……アヴェンタ……ドール……」
もう、限界だ……小さく声を漏らした私は再び偽装ボディを展開させると、人間の姿へと戻った……。
……怖い……バケモノだって……そう言われる……。
腕を抱いたまま、震えた声を漏らす私に、オリバーさんは言った。
「……すみません、私の手を握って頂けますか……お嬢さん?……」
「……オリバー……さん?……」
「……いいから、手を握って……」
真剣な表情で右腕を差し出す彼の手を、私はそっと握り締めた。
その眼差しを向けられて、私は堪らずに視線を避けるように顔を背けた。
怖い……怖い、怖い、怖い、怖いっ!また、私……バケモノ扱いされて……。
嫌われる……。
「……手が、震えましたね?……」
「……えっ?……」
「良かった、貴女はちゃんと血の通った人間だ……兵器なんかじゃない、可愛らしい女の子ですよ……」
「……オリバーさん……」
「私は過去の内戦で色々な人を診て来ました……そこで、気付いた事が一つあった。どれだけ残虐な事をしても、どれだけ冷酷な事をしても……人間であれば怖くて手が震えるんですよ……」
……それは……怖いんだったら、手の震えは当たり前だ……。
恐怖だけは、人間であれば誰でも感じるものだから……当たり前……。
「私の治療を手伝ってくれた女の子が居た、その子は六歳の頃に人を殺しその人種の間では英雄とされていた根っからの殺し屋だった……私はその子を助手として診療所に入れたんです。医療知識も無い彼女は当然戸惑っていましたよ……ですが最初に彼女が救った患者、その赤い髪の女の子が初めて人を殺した年齢と同じ六歳の男の子を救った時に彼女の手は震えていました……」
……それって、ひょっとして……。
私が思わずその場に居ない彼女の代わりに、眩しい頭を輝かせるアーノルドさんの方を見ると……全てを察した。
彼は、目元を手で覆って泣いていた。それが彼の言いたい事を私へはっきりと伝えてくる……。
「シンディはそうして人の心が持つ温かみを知りました……あんな奴でも、怖くなれば手が震えるんですよ……」
……ああ、そうなんだ……。
この人は、本当に……あらゆる事情を抱えた人を受け入れて、そして……理解出来る優しい心を持っている。
この国の全ての……お父さんなんだ……。
涙を一筋零しながら視線を向ける私に、彼は言った。
「……貴女が知っている全てを教えてほしい……私は、この国の未来を守っていきたいんです!……」




