殲滅のマタドール:56話 世界の色
「ずっと……あの二人は、戦ってたんだ……」
静かに日記を閉じたエルメスは顔を俯かせると、肩を震わせた。深い悲しみに襲われているのだと感じた二人が静かに声を掛けようとした瞬間、突如彼女は大声で叫んだ。
「あーっ!!もうっ!!ほんと、バカじゃないの!!……」
彼女は激怒していた。鋭い目付きで日記帳を睨みつけると、まるで目の前にその相手が居るかの様に怒り出す。
呆気に取られたアヴィとサシャが顔を見合わせる中、彼女は一方的に言葉を続けた。
「バカみたい!!何よ!!完全に二人だけの入っちゃって!!こっちがどれだけ心配して、怖がってたと思ってたのよこのエロガキ!!よくメリルと私のおっぱい見比べて“絶対にメリルのが大きくなる”なんて言って!!このデリカシーゼロのおっぱい魔人!!」
「ちょ、ちょっと落ち着きなさいよアンタ……」
「うっさい!!そもそも何よ!!こんな状況になったのにメリルメリルってこのシスコン!!そんなだからアンタはメリルを守ってやれなかったのよ!!」
「ア、アンタいい加減に---」
さすがに怒りを覚えたサシャが足を進めようとするのをアヴィが制した、彼女の肩を掴むと……少し物悲しそうな顔をしてエルメスを見つめた。怪訝な顔をしてアヴィを見た後、再び彼女へ目を向けたサシャは小さく声を漏らした。
結った髪を小さく揺らしながら、怒りと様々な感情で顔を赤くしたエルメスの頬には大粒の涙が滝の様に溢れている。そして、心からの悲しみと悔しさを滲ませるその言葉を聞いた瞬間にサシャは彼女の抱いてきた感情をすべて理解した。
「……わたしの、こと……全然書いてないッ!!……ッ……死ぬ瞬間まで、妹の事ばっかり!!……う、うぅぅぅぅっ……ケニィィッ……ちょっとは、私のこと……思い出してよォォッ!!バカぁぁぁぁッ!!……」
彼女はきっと、ケニーというあの少年の事を……。
膝を折った彼女は日記を抱き締めたまま大声で泣き叫んだ。それを見たサシャは何か思う所があるのか、静かに足を進めて彼女の頭を撫でた。
そして、目を細めると優しい声色で言った。
「……男ってね、本当に不器用な生き物なの……私にも好きな男の人が居た、両親と妹を亡くして孤独だった私に寄り添ってくれた同じ年頃の男の子だった。その人にね、告白したの……感謝と愛情を向けて、この人になら一生を捧げてもいいって思った……」
「ひっぐ……ぐすっ……なん、なのよォォ……」
「でも、その人は断った……どうしてか分かる?」
「知るわけ、ないでしょおおっ!……」
「……私を悲劇から救えなかったから……本当にどうしようもない事だって分かってるのに、凄く責任を感じて自分を責めていたの……。私にはそれが理解出来た、だから彼の考えを受け入れて諦めた……」
サシャは涙の伝う彼女の両頬を包み持ち上げると、泣き腫らした目を向ける彼女へ微笑みながら言った。
「だから、男って本当にバカになっちゃう時があるの。目の前の人しか見えなくなって、目の前の人の苦しみは全部自分のせいだって後悔して……私はその時本当にウィルには恨みとか憎しみとか全然感じてなかったのに勝手にそうやって自分を追い込んじゃうのよ……」
「……サ……シャ……」
「そのケニーって子もきっと同じなんだと思う……突然二人きりで残されて、何が何でも大切な妹を守らなきゃって思って……他の事を考えられなくなってしまったんだと思う……」
「……そう……なの?……」
「まあ、どうせ素直じゃないアンタの事だから妹とベッタリな片想いの子にムカついて妹にちょっかい出してたんでしょ?そんなんじゃダメよ?しっかりと気持ちを伝えなきゃ!」
「はひゃっ!!ひゃ、ひゃひふんほ!」
彼女の両頬を掴むと好き放題に伸ばしたり引っ張ったりしつつサシャは笑った。その瞳に、涙を光らせながら……。
その手を振り払ったエルメスは涙の溜まる瞳で彼女を睨むと、鼻を鳴らしつつ声を上げた。
「や、やっぱりアンタ!嫌い!……」
「それはどうも、私も好きじゃないわね!」
「な、何よぅ!!このドケチエルフ!!」
「な、何ですって!?この泣き虫ツンデレ!!」
再びバチバチと火花を散らしつつ睨み合う二人をアヴィは涙を拭いつつ、温かな笑顔で見ていた。
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はぁー……疲れた……。
お互いの罵詈雑言のレパートリーが尽きる頃には既に夜も更けていた。肩で息をしつつ睨み合う私達はとりあえずその場は解散する事にした。明日は大統領府に行き、彼女の研究を手伝う事になる。
まったく、全然素直じゃなくて可愛くない奴!。
腕を組みながら鼻を鳴らすと、私は椅子に腰を下ろした彼女へ言い放つ。
「それじゃあ明日、大統領府に行く前に此処に来るから……せいぜい遅れないでね?」
「フンッ!アンタこそ金勘定に夢中になって寝坊しないでね、ドケチエルフ!」
「ッ……それじゃあ、おやすみなさい!」
私は汗をダラダラと流しつつ苦笑いを浮かべるアヴィの横を通り過ぎるとドカドカと足音を立てながら入口へ向かおうとした。そんな私の背中に、小さな声が掛かる。
「サシャ……」
「何よ?……」
振り向いた私は、思わず体の動きを止めた。
彼女は真っ赤になった顔を俯かせ、頬に涙を流しながら唇を震わせていた。
それを見て頬を緩めると静かに踵を返す。
「……ありがと……明日からよろしく……」
「……ええ、よろしくね……エルメス……」
彼女へ背中越しに声を掛けると私は笑みを浮かべ歩き出した。
本当に……素直じゃない子……。
夜のその街の風景は、私の知っている世界とはまるで違っていた。明るくて、活気に満ちている。大きく伸びをすると私はそんな賑やかな夜の街を見つめながら隣を歩くアヴィへ聞いた。
「ねえ、あの子……大丈夫だと思う?」
「え、えっと……きっと大丈夫です!」
「私はちょっと不安かな……何だか色々と不安定で……」
足を進めた私達は明かりに彩られた噴水の前へとやって来た。周りには熱い抱擁を交わすカップルが多く、女二人でやって来た私達は少し浮いていた。
でも、私は何故だかロマンチックな明かりに彩られたその場所で彼女に無性に聞いてみたくなった。
美しい色の照明に照らされる噴水をボンヤリと眺める彼女の腕をそっと抱き締めると、目を閉じて私は聞いた。
「……ねえ、アヴィ?……」
「……は、はい……何でしょう?……」
「……誰かを愛するっていう気持ちは……どんなものなのかしらね……」
「サ、サシャ……」
「……教えて……アヴィ……」
……私は、彼女の腕を胸へ押し付ける様に強く抱いた。
この子の答えが欲しい……私へと向ける、彼女の……大きな感情が私は聞きたい……。
……アヴィ……貴女は……。
「……私は、好きだけじゃない!!……貴女に、もっと……伝えたい事があります!!」
「……アヴィ……」
「……感謝されて、一緒に笑って……美味しい物もいっぱい食べて……たくさん喋って……貴女の隣に居ると、世界がまったく違って見えるんです……」
そこで彼女は私の手を取ると、指を絡ませて静かに微笑んだ。
この温かな指に触れる度に、どんな辛い悲劇であっても私は乗り越えていけそうな気がする。
どんな事が待っていても、前に進める……。
「貴女が視界に映ると、世界がもっと明るくなる……それが愛なんだと思います……」
……彼女は、こんなにも私を求めてくれている。
そう理解した瞬間には、彼女の背に手を回し瞳を閉じてキスをしていた。夜の灯りに照らされたロマンチックな雰囲気に押され、私は息が続く限界まで彼女とキスをした。
この子がそうであるように、私もこの子が視界に映る美しい世界を離したくない……。
−−−−−−−
ギィギィ、ポタポタ。
何かが軋む音と、何かが滴り落ちる音が聞こえた。
青年は理解する、また今夜もその悪夢の中に自分は放り込まれたのだと……。
それは過去に彼が愛した女の縊死体、マリアと名付けた少女の最期の姿だった。
ゆっくりと後退り、悲鳴を上げながら駆け出したアーサーの顔面に何かがぶつかった。顔を震わせ見上げた先には、再び紫に染まる顔で彼を見下ろす最愛の人の首吊り死体が薄く開いた唇から唾液と吐瀉物を垂らし彼を見つめていた。
震えた膝から力が抜けへたり込む彼を取り囲む様に、無数の首吊り死体達が濁った黒色の瞳でアーサーを見下ろした。
それは、彼の罪悪感が見せる地獄……醜く失禁物と吐瀉物を垂れ流す最愛の人の最期の姿。
歯をガチガチと鳴らしながら頭を抱える彼の耳元に、冷たい吐息が吹きかかる。
小さく悲鳴を発しながら揺れる瞳を横目に向ける彼の間近で、おかしな角度に首を捻じ曲げた彼女が唇を寄せていた。
青白い手が首に掛けられ、力の籠もるその指が彼の日焼けした肌に食い込み気道を塞ぐ。涙を流しながら体を痙攣させる彼の耳に、その地の底から響くような低い彼女の声は聞こえた。
“……アナタト……ユメヲミタイノ……アーサー……”
−−−−−
「うわぁぁぁぁぁぁっ!!」
悲鳴と共に体を跳ね起こしたアーサーは荒く息を漏らしながら顔を左右に向けた。
そこは夜の暗闇に包まれた広い自室、本来であれば張り詰めた精神を休めるその部屋の中ですら青年は悪夢に苦しめられていた。
顔を両手で覆いながら小さく声を漏らす彼に気付いたのか、隣では目を擦りシーツから体を起こしたモニカが心配そうに声を掛ける。
「……大丈夫ですか、代表?……」
「……起こして悪い……また、あいつが逃してくれなかった……
」
「……マリアさんの、夢ですか?……」
「……ああ、本格的に精神までイカれだしちまったのかな……俺は……」
小さく息を漏らすと、鍛え抜かれた逞しいその胸にモニカは指を這わせつつ、彼の心の傷を癒やすように優しく彼に触れた。その髪に指を通しながら力無く笑みを浮かべたアーサーは自らを嘲笑うかの様に口を開く。
「あの時より、俺はずっと強くなった……剣、弓、銃、それに格闘だって教官クラスになったんだ。今なら殺そうとする連中を纏めて返り討ちに出来るぐらい強くなった……」
「……はい、貴方は権力だけでなく戦う力も身に着けています……」
「……何で、あの時にもっと鍛えなかったんだろうな……俺がもっと強ければマリアを苦しめる事はなかった……マリアを、死なせなかった……」
虚ろな目をして天井を見上げ、彼は冷たい涙を流し覇気のない声で言った。
「……俺の人生は、後悔ばっかりだ……今更強くなってもどうする事も出来ないのに……」
「……アーサー……」
彩りを失い、灰色に濁った世界に生きる青年の体をモニカは静かに抱き締めた。
愛する人を失った彼の世界には……もう、美しさや希望など存在しなかった。
−−−−−−−
翌朝、宿を出た二人はエルメスの店へ辿り着くとすぐに異様な光景を目にした。
豪華な装飾が施された馬車と熊の様な大柄な男達が店の前に立っていた。着込んだスーツからはちきれんばかりの肉体を浮き立たせ直立不動で立ち尽くす彼らは二人の姿を確認するとよく通る野太い声で言った。
「おはようございます!!サシャ様とアヴィ様ですね!?姐さんの御命令に従い御三方を大統領府までお連れ致します!!」
「この命に代えても三人は我々がお守りいたしますからご安心下さい!!」
「は、はぁ……」
スキンヘッドの強面の顔に痛々しい火傷の跡を残す大男は静かに馬車の扉を開けると二人へ頭を下げる。戸惑いつつ装飾の施されたその車内に身を滑り込ませると、中では既に多くの荷物を抱えたエルメスが乗っていた。二人が乗り込むのを確認し扉を閉めると、大男達はガタガタと震える馬達に跨ると野太い声を上げ馬車を発進させる。
揺れも殆ど無い車内でようやく緊張が解けたのか大きく溜息を吐くとサシャは隣のエルメスに聞いた。
「あの大男達、大丈夫なの?……見た目からして色々と……」
「とりあえず私に対しては凄く礼儀正しくて親切にしてくれてるけど……その……」
「や、やっぱり危ない人達なんですか!?」
不安そうに言うアヴィへ困った様な表情をエルメスが向けると、車内に居ても分かる程の大声で怒鳴り合う二人の声が聞こえた。
「おう!!アーノルド!!しっかり建物の影にも目ェ光らせろ!!敵を見逃し御三方に怪我でもさせたらどうケジメ取る気だテメェ!?」
「お前と違って俺はしっかり見てる!!それより客馬揺らさねぇ様にもっと気ィ使え!!エルメス様の大切な荷物が乗ってる中で壊しでもしたらテメェこそどうケジメ付ける気だ!?」
すぐにでも殺し合わんばかりの二人の怒号を唖然としながら聞いていると、サシャは半ば呆れつつ口を開いた。
「……馬が一番可哀想ね……」




