殲滅のマタドール:53話 父と子
うーん……何か、さっきのおじさん……変よね。
モヤモヤと浮かび続ける疑問に唸ると、私は隣を歩くアヴィへと聞いた。
「さっきのおじさん、ほんとに何なのかしらね……」
「さぁ……でも、私としては嫌な感じはしませんでしたね。ちょっと驚きましたが物事の本質をよく知っている知的な方だと思いました……」
「その割には何というか人懐っこい雰囲気というか……村長みたいな威厳とか皆無だし、かと言ってスケベオヤジという風でもないし……」
「私には常に何かを求め続けている求道者の様に見えました、ああいった軟らかな笑顔を浮かべる方ほど何かを追い求めているのかもしれませんね……」
「求道者、ねぇ……」
愛嬌の良い笑みをしわくちゃな顔に浮かべ柔和な表情を浮かべるあのおじさんからは想像も出来ないが、確かにそういった面もあるのかもしれない。
小首を捻りつつ私達は街の探索を再び再開した。
−−−−−−−−
「俺は元々は医者なんだ、医者ってのは目に見える怪我だけじゃなく目に見えない病気も探り当て治してかなきゃならない……そういう癖は政治家になった今でも抜けなくてな……」
「この国は病魔に侵されていると?」
「ああ、それもこの十年で少しずつ体中に根を張り巡らせ……そしてあちこちに大きな腫瘍を作り上げるような厄介なのがな 」
「それは、実に興味深い話ですね……詳しく聞かせていただきましょう 」
鋭い眼光を送る老人とテーブルを挟んで対峙しつつ、そのスリリングな瞬間を楽しむ様に青年は小さく笑みを漏らした。
本人は謙遜しているがやはりこの男ほど民意を反映した政治においてトップに立つに相応しい男は居ない、アーサーは改めて自分の選択が間違っていない事に気付かされる。
オリバーは本題に入る前の景気付けの様にグラスを大きく煽ると、小さく息を漏らしながら彼に疑問をぶつけた。
「なぜクリスティーヌ・バンゼッティをあんなに惨たらしい方法で殺ったんだ?お前さんなら奴がメルキオの軍部にどれだけ影響力のある人間か分かっているだろう……」
「おや、私の仕業だと決めつけるので?」
「俺はお前さんの全てを見ている……あの件の直前に本来予定になかった貨物を乗せた馬車の移動が確認された。既にメルキオへ輸出する軍用ゴーレムの出荷は終わってる筈にも関わらずだ。お前さんが自慢のよくキレる頭を使い何かをやらかそうとしたんじゃないかって部下をすぐに向こうに潜入させ動向を探らせてたんだ……」
「急遽追加分の注文が入ったので送っただけですよ、今は戦争の危機が迫っていますのでよくある事です……」
「それにしちゃあ数が少ないな。本来なら数十頭の馬を使い輸送する筈なのに十頭にも満たない馬の動きしか確認出来なかった。だから俺はこう考えたのさ……あの時にメルキオの西部目指していた馬に運ばせたのは通常のゴーレムより遥かに小さなタイプ、ゴーレムという魔導兵器の始祖になったお前さんの持つ何かなんじゃないかってな……」
「……そこまで想像出来るとは、医者には嘘は通用しないものですね……」
肩を竦めると、もはやこの老人を相手にシラを切り続ける事は不可能だと判断した青年は締めていたネクタイを緩めるとその冷酷な本性を剥き出しにし獣の様な笑みを浮かべた。
「ああ!その通りさ、俺があいつに死をくれてやった!……あいつは俺達の掟に反したからな!。夢の為に命を賭ける覚悟すらないクセにお高く止まりやがって!……せっかく顔もケツも気に入ってのに俺を拒みやがって!!」
「……それで、フラれた腹いせに首を切断した後に裸にして……お前さんの気に入ってたケツに魔物除けの葉が付いた枝を突っ込んだと?」
「ひゃははははっ!その通りさ!最高に興奮する絵面だったぜ……今思い出してもゾクゾクするぐらいな!ちゃあんと恥ずかしい姿でそそるケツを突き出した状態になるようセッティングだってしたんだぜ!?」
「はぁー……俺も舐められたもんだな、そんな話を信じると思ってんのか?……」
「なに……!?」
呆れた様に溜息を吐きつつ老人は置かれたワインボトルを手にすると、空になったグラスに赤い液体を注ぎつつ言った。
「お前さんはどこまでも計算高く狡賢く、そして感情なんかじゃ動かない。あそこまで死体を辱めたのは……俺の予想ではメルキオ軍部のクーデターを煽る為だな……」
「ッ……」
「クリスティーヌは魅力的で実力も高く特に軍内部で圧倒的な存在感を誇るカリスマだ。彼女を慕う人間も、利用しようとしていた人間も大勢居る……そんな彼女があんな風にケツを丸出しにされ死体を辱められたら当然軍部としてはラゴウとの全面戦争を強く国王に進言するだろう。だが、あの若い国王様は君主制の王としてはあまりにも優しすぎる……戦争だけは何としても避けたい彼は頑なに軍部の要請を拒むだろう。そうして溜まりに溜まった不満が爆発すればやがて国王は謀反を起こした兵に囚われ処刑、めでたく全面戦争の始まりだ……」
「……さすが、ですね……」
「もっと踏み込んだ話をすれば、お前さんが最近開発に力を入れているあの筒みたいな武器を売り捌く絶好のチャンスになるな。あれは確かに凄いもんだ、騎士や魔導師なんかより遥かに訓練の手間も省けて大勢殺せる……この国で魔物への護身具として広め問題点や改良点を調整すればあっという間に戦争の常識が変わっちまうだろうな!」
心の内を見透かされた青年は表情を歪め相手を睨み付けた。狡猾な野心家の全てを見通す老紳士はその視線をどこか寂しそうな表情を浮かべ受け止めると、小さく息を漏らしながら椅子から立ち上がる。
そして、静かな怒りに体を震わせる青年へ沈んだ声色で言った。
「……変わったよ、お前は……本当にどうしちまったんだ?」
「……時が経てば、人は変わりますよ……」
「……変わり方がおかしいんだよ。まるで突然、妙な奴に悪知恵を吹き込まれたように思える……俺にはお前が死に急いでいる様に見えるぞ?」
「……アンタには関係のない話だ!俺は俺なりのやり方で理想の世界を作る!……俺は、マリアとそう約束した!」
「……マリア、お前がそう名付けた女……俺の娘が自殺に追い込まれたのはお前のせいじゃない……。あの子はそんなお前なんて見たくなかった筈だ……」
「黙れよ!!今更父親面をするな!!……アンタに、何が分かる!!」
歯を噛み締めるギリギリという音を立てながら激昂した青年は老人を睨んだ。
そんな彼を見て、オリバーは諦めにも近い感情を抱く。この青年を蝕む病魔、最愛の人との死別という悲劇が齎す病はもう手遅れになるほどに彼を浸食しているのだと。
立ち上がった老人は上着と帽子を掴むと彼に背を向けたまま静かに言った。
「……美味い酒をご馳走さん……たまには娘の墓参りぐらい来い、あの子も喜ぶはずだ……」
−−−−−−−
街の中央にある噴水の前に腰を下ろしつつ、私達は休憩を取っていた。この街全てを回るのは一日程度ではとても不可能だ。あまりにも広くて……そしてその広い土地にはぎっしりと商店が並んでいる。
近代的な民主国家の形を取るこの国は王族も貴族も居ない、選挙によって選ばれた代表が政治を行う共和制という政治形態を取っている。
話を聞いてみると、それらの社会構造の全てを作り上げたのがあのアーサー・ゴッドボルトという青年だった。彼の事になると誰もが尊敬と憧れを向けて饒舌に語りだすのであの男の過去を知るのは容易かった。
彼の一族はかつて民族対立が激化するこの国で衝突を煽り武器を売り捌く死の商人だった。自社で製造した剣や弓を対立する人間達へと流し莫大な利益を上げていたという。
しかし、そんな状況から国を救ったのが彼だった。アーサーは自分の父親の罪を民衆に告発し力を合わせ本当の悪を打ち倒そうと雄弁に語り類稀な演説で彼等を一致団結させた。そして己の手で父親や武器の流通に関わった人間を処刑すると今度は新たな社会作りに尽力する。
一から全てをやり直し、そして特定の人間が権力や富を独占することのない選挙による国民による国民の為の国家体制を作り上げた。この国には王族も貴族も居ない、最高権力者は十年前に初代大統領として任命されたオリバーという元医者の老人だいう。
彼もアーサーと同じく国民の誰もに敬意を向けられる人物のようだ。
ボンヤリと空を見上げながらサシャは呟いた。
「それにしてもいちいち皆の意見で何かを決めないといけないなんて面倒な国ね……」
「面倒、ですか……?」
「優秀な王様とかに難しい事は全部任せちゃえばいいのに、そうすれば皆自分の生活の事だけ考えられていいじゃない!」
「……誰もが自分の事だけを考えて生きていければいいんですが、それではもし王様が間違えてしまった時に取り返しが付かなくなってしまいますから……」
「まぁ、それもそうね……メルキオの王様はその点は安心ね。ギュンター国王はまだ若いけどとってもしっかりした人なのよ!民の生活と平和を誰よりも愛してるんだもの!」
「……少し厳しい事を言いますが、例え国王が素晴らしい人格者であっても誰もがそうとは限りません。現に彼の考えを無視してクリスティーヌは戦争を起こそうとしていました……」
「そ、それは……そうね……」
君主制の弱点とはその部分だ。権力の一点集中は誤った方向に向かった際の軌道修正が難しくなる。民が望まない事であっても権力側が望めばその道へ突き進んでしまうし国王が過ちを正そうとしても権力を持つ他の人間がそれを許さない。
だからこそ政治は国民一人一人が考えて決める物でありそれこそが最も理想な社会なのだと私も考えている。
でも、それはあくまでプログラムされた過去の歴史や知識として私が知っている事でありそれらの情報から客観的に私が判断した事に過ぎない。
私は所詮兵器、そして……同じ共和制という体制を面目上は保っていた私達の世界でも戦争は起きていて……私の様な存在が生まれた……。
「アヴィ?」
沈んだ表情で顔を俯かせると私を見て心配になったのか、サシャがこちらを覗き込み声を掛けてきた。
無理やり笑顔を浮かべると、どうにもならないこの現実を色々と考え疲れた頭を静かにサシャの肩へ乗せた。
そして目を閉じると、私は胸の内を彼女へ明かした。
「……戦争は嫌です……でも、戦争が無ければ私は生まれずサシャにも会えなかった……だから複雑です……」
「……ほんと、意地悪な事言うわね……」
「……頭、撫でてください……サシャ……」
彼女は小さく笑いかけると温かな手で私の頭を撫でた。
とっても心地よくて、様々な事を考えて疲れた気持ちが休まっていく。
どうせなら、普通の女の子として私はサシャと出会いたかった……そうすればお互い普通に暮らしていけた筈なのに……。
頬が緩むのを感じながら暫くの間、頭を撫でる最愛の人の指の温度を感じていると突然その動きが止まった。
静かに目を開けた私が声を上げる。
「サシャ?……どうしたんですか?……」
若干眠気を感じつつそう言った私は、間近でジッとこちらを見つめるその少女と目が合った。
その長い髪を愛らしいリボンで結った少女は真剣な目で私の顔……正確には頭の上に置かれたサシャの手を見ていた。戸惑った様子でサシャが聞いた。
「あ、あの……なに?……」
「……それ、ウンディーネのルーンでしょ?水の精霊を扱える……」
「え、ええ……そうだけど……」
彼女は突然サシャの手を取ると、その刻印を指でなぞりつつあれこれブツブツと独り言を言い始めた。身を乗り出した彼女の胸が顔に当たりその軟らかなマシュマロのような感触に顔を赤くしつつ慌てて言った。
「あ、あ、あのっ!ちょっと!……」
「うっさい!今集中してるんだから邪魔しないで!」
「ひぅっ!……」
強い口調でそう言われ、思わずビクリと肩を震わせ私は渋々と口を噤む。
いきなり私へ怒鳴りつけたその少女に怒りを剥き出しにしたサシャは手を振り払い立ち上がると言った。
「ちょっと!いきなり何なのよアンタは!」
「勝手に動かないで!今真剣に見てるんだから!」
「だから何なのよ!?アヴィが怖がってるじゃない!」
「いちいち細かいわねぇ!私には時間があんまり無いのよ!さっさとそのルーンを見せなさい!」
「嫌よ!いきなり人の体をじろじろ見るなんて失礼じゃない!」
顔を突き合わせた二人は睨み合ったまま激しく怒鳴り合っていた。止めに入ろうとした私は、二人の間でぶつかり合った大きな胸がグニャグニャとたわむのを暫くボーッと眺めていた。そして慌てて首を振ると、どうにか落ち着いて欲しくて必死に叫ぶ。
「や、やめてください二人とも!−−−ひゃあっ!」
慌てて立ち上がろうとした私の顔面が、柔らかい何かで塞がれた。止めに入ろうとした私に気付かず再び顔を突きつけ合った二人の……柔らかな胸の間に私は顔を突っ込んでしまった。
い、息……が……息が、でき……。
で、でも……柔らかい……前からも後ろからも……幸せな弾力が……。
「だからルーンが見たいなら自分で刻みなさいよ!これすっごく痛かったんだから!」
「私には魔導師の適性がないからアンタに頼んでるんじゃない!減るもんじゃないし見るぐらいいいでしょ!?」
「だったらちゃんとお願いしなさいよ!」
「何よ!このドケチエルフ!」
「な、何ですって!?このいきなり人の体に触るヘンタイ!」
いがみ合った二人は更に強く胸を押し付けて来る……。
色々と天に召されそうになっていた私は消え入りそうな声で必死に言った。
「……や、やめ……て……ほんとに、死んじゃい……ますぅぅぅ……」
そんな私の声に気付いたサシャがようやく体を離すと、目を回しながら呻く私を支え必死に叫ぶ。
「ちょ、ちょっとアヴィ!しっかりして、アヴィッ!」
「……あ〜う〜……」
柔らかな暴力からようやく解放された私はグラグラと揺れる思考の中で声を漏らした。
「……富の……独占は……悲劇しか……齎しません……」




