殲滅のマタドール:第三話 ヒトの世界とそれ以外
夜闇が包み込む首都は道行く人影も少なく、閑散としていた。石畳の歩道をコツコツとヒールを鳴らしながら歩く女は灰色の髪を揺らしつつ飾り気の無い衣装に無機質な表情を浮かべながら夜の街を闊歩した。
人間が謳歌し、人間が切り開き、そして人間が作り上げて来たその街の夜は危険に満ち溢れている。
見ると、女の前にはボロボロのローブを纏う男達が3人程立ちはだかり行く手を塞ぐ。
満月の月明りが照らす光の下、複数の殺意がぶつかる冷たい空気が流れていた。
「やめなって……彼女は味方だよ、少なくとも今の所は……」
その声は正面から聞こえた。女は唇を歪めると、こちらへ足を進める小柄な人影に向けて言った。
「自分の人形の扱いぐらいしっかりとしたらどうだ?人形遣い……」
「失礼だなぁ、僕は人形を操るだけじゃない……命そのものを操るんだ 」
「ふふっ……確かにそうだな、人間だけではなく獣すらも操るその能力は人形遣いなどではない……」
女はヒールを鳴らしながらその人影に、月明かりに照らされたボロキレの様なみすぼらしいシャツとズボンを履く少年の頬に手を当てた。
まるで昆虫の瞳の様に、濁った眼球へ上空の月を映す少年の耳元に唇を寄せると、女は悪意に満ちた声で囁いた。
「……せいぜい、ケダモノを手懐け私の役に立て……また体に火傷を負わぬようにな……」
「ッ……」
慌てて頬に伸ばされた手を振り払うと、青色の長い前髪が掛かっていない左目に凄まじい憎悪を乗せて少年は女を睨んだ。
ケタケタと笑うと女は踵を返し再び夜の暗闇が広がる街へと消えていった。残された少年は歯をギチギチと噛み鳴らしながら余りある憎悪に燃える瞳で女の消えた暗闇を睨みながら言った。
「……行くぞ、明日はあの“デカブツ”を暴れさせる……エルフの連中をさっさと殺して僕の力を分からせてやる……」
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「メルキオとこの森の間に交流が生まれたのは今から三十年前か……ああ、アンタら人間からしたら随分昔の事かもしれいなけど、俺達エルフは時間間隔が違うからさ 」
「……そうなんですか?……」
「あー、この子はちょっと記憶喪失で右も左も分からないのよ……」
不思議そうな顔をするアヴィに慌ててサシャが彼女の今の状況を説明した。人間とエルフは大きく生き方も何もかもが違う、それは当たり前の事だったからだ。
「なるほどな、そうなると何処から話したらいいものかね……」
「とりあえず私達の事は分かってるだろうし、人間の説明からした方がいいんじゃない?」
「それもそっか……じゃあまずは俺達の村に人間が来た時の話からだな 」
ウィルは手にした木製の大きな取っ手の付いた盛り付け用の道具を使い食器にシチューを入れると、熱いから気を付ける様に言いつつそれを二人の前に差し出した。
尻尾をブンブンと振る動物の様に喜びに満ちた顔をするアヴィを見て頬を緩めるとウィルは言葉を続けた。
「最初はそのシチューを入れた食器もスプーンも俺達は持ってなかったし、シチューに入れたミルクだって人間が持ち込んできたものなんだ……」
「ミルク?……」
「何でも人間は牛っていう動物を飼い慣らしてその乳を食べ物にしたり飲み物にしたりするんだとさ……ミルクはそのシチューに入れた真っ白なそれだよ 」
「……乳……」
アヴィは無意識の内に隣に座る少女の豊かな膨らみに目を移していた。なぜ自分の方を見たのか分からず、サシャは少し不機嫌そうに言った。
「何よ?……」
「いえ、何でも……」
即座に視線を戻したアヴィは自分の皿へシチューを盛り付けたウィルを見つめた。
「そもそもシチューなんて名付けたのも人間だ、それまで作り方は知ってても名前なんて付けてなかったから……」
「なるほど……では私達人間との交流で貴方達は豊かになったのですね?」
「その辺がなぁ……まあ、ちょっと難しくて……」
困った様に笑みを浮かべると、ウィルは皿を持ちながら椅子に座り二人に食べる様に促した。スプーンを差し込み掬い上げたそのトロトロの香ばしい香りを放つ料理へ小さく息を漏らしながら熱い眼差しを送ると、アヴィは緊張しつつ濃厚なミルクの風味とよく煮込まれ柔らかくなった肉の二重奏に心からの幸福感を蕩けきった笑みで表現する。
唸る様な声を上げながら何度もシチューを口に運ぶ少女を見て満足そうに笑みを向けると、ウィルはやや表情を沈めて言った。
「こんな風に、いい形でお互いに交流できてればよかったんだけどな……」
「はむぅ?……」
「だからアンタは食べながら喋ろうとしないの……口の周り汚れてんじゃない……」
溜息を吐きながら口元に付いた白いシチューをハンカチで拭くと、サシャも同じようにやや気まずい雰囲気を滲ませアヴィを見つめた。
「……あ、あの?……」
「……人間との生活が続いたある日、いきなり彼等は森を切り開き壁を作るって言い出したんだ……」
「壁?……」
「森に住んでるのはハイイロボアや普通のライガみたいな俺達が倒せるような奴等ばかりじゃない……中にはとんでもないバケモノも居るんだよ 」
「バケモノ……」
そこでウィルはチラリとサシャを見つめた。彼女は悲しそうに目を細めると、何かに耐えるような腕を抱いていた。戸惑った様子でアヴィが声を掛けようとすると、意を決したようにサシャは口を開いた。
「……私のお父さん……ソイツに目の前で食い殺されたの……」
「……えっ?……」
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その日、私は村一番の猟師だった父さんの狩りに付いていった。私はお父さんが大好きだ。
私を産んだ時に無理をして死んでしまった母さんの代わりに、男手一つで私達姉妹を育ててくれた。“お前は何があっても俺が守る”、それがあの人の口癖だった。
その日も父さんは狩りをしに村の皆と出掛けた。どうにかお父さんの役に立ちたかった私はこっそりと家を出て、父さん達が狩りをする森へと一人で入った。
本当に、バカだった……。
案の定、すぐに森で迷った私は必死に父さん達の後を追おうとあちこち走り回った。無我夢中で、立ち止まったら魔物に食われてしまいそうな恐怖と戦いながら……。
そこで必死に泣き叫びながら走り回った私が辿り着いたのは洞窟が並ぶ斜面だった。疲れ果てた私がとりあえずその洞窟に入ろうと中を覗き込んだ時に、無数の唸り声が私を取り囲む……。
そこは、凶暴な魔物であるライガの巣立ったのだ。草木の中から待ち構えていた様に、毛を逆立てて唸るその獣達を見て恐怖のあまりおもらしをしながら私が震えていると、その声は聞こえた。
“サシャ!大丈夫か!?サシャ!”
それは父さんの声で、勇ましい雄叫びと共に斧を振るう父さんが周囲のライガを蹴散らしていった。肩で息をする父さんに泣きながら抱き着くと、必死に謝る私の頭を撫でながら父さんは優しい声で言った。
“お前が無事で、本当によかった……”
自分の命が助かった事が嬉しくて、そして……父さんに怒られなかった事に安心して……。再び私は大きな声で泣いた。
その時、洞窟の方から再び唸り声が聞こえ何かが迫ってくる気配を私は感じた。大声で私の名を呼ぶ声と共に、抱き締められていた体が突き飛ばされて……そして……。
目の前に、真っ赤な毛並みをした普通より数倍は大きいライガが父さんの腕を食い千切っていた。
痛みによる絶叫と共に、父さんは最後の力を振り絞って叫ぶ。
“逃げろ!サシャ!”
しかし、私は動けない。恐怖と絶望で、放心したまま何も出来ない。
バキバキ、グチャグチャ……そんな身の毛のよだつような音を鳴らして、大好きな父さんが……。
大好きな父さんが赤い塊になっていく。
頭を抱えて悲鳴を上げる私の手を誰かが掴み上げた。それは、当時は見習いの猟師だったウィルだ。彼は静かに私の口元を押さえながら小柄だった私を抱きかかえて後退る。父さんを助けてほしくて彼の顔を見上げると、私は全てを察した。
あのいつも陽気な笑顔を浮かべていた彼が、泣いていた。
もう、父さんは助からない。それで全てを察してしまった。
そこからの記憶はあまり、覚えていない。
気が付けば集会所に居て、皆が心配そうに私を見ていたのを覚えている。
私は、自分の犯したあまりにも軽はずみな行動で……父さんを失ってしまった。
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「……私がバカだったの……本当に、バカだった……」
「……サシャ……」
鼻を啜り、顔を俯かせる彼女の頬には一筋の雫が光っていた。
彼女は今でも当時の事を後悔している。自分を責めている。
しかし、その悲劇は罰というにはあまりにも重すぎるものだ。目の前で大切な人がそんな目に遭うなんて……。
彼女は更に涙に濡れた声で続けた。
「きっとね……私は呪われてるのよ!……その後にも、妹が……アニィが!……」
「やめろって!……お前のせいじゃない……」
荒い口調でサシャの言葉を遮ると、ウィルさんは小さく咳払いをして改めて状況を説明した。
「……そんな訳で、俺達には手が着けられないバケモノも居るんだ……」
「その魔物は今も……?」
「……ああ、今でも壁の工事をやってる人間が襲われたとかで大変な騒ぎになってる。近いうちに村に軍隊を駐留させるなんて話まで出てるんだ……」
「軍隊を……」
スプーンに掬ったシチューを口にすると彼は顔を俯かせ、その食材の味を噛み締めるようにして口を動かして飲み込んだ。そして小さく溜息を吐くと口を開く。
「……本格的に軍が魔物狩りに出れば更に森が荒れていく……。そうなれば何もかもが変わって、狩りどころじゃなくなっちまう……」
「……この美味しいシチューも、食べれなくなってしまうんですね……」
「……ああ、長年共存してきた自然と俺達の間に……今度こそ決定的な溝が生まれちまうって訳だ……」
空になったお皿を見つめ、私は考えた。
彼等はとても困っている……このままでは生活の全てがおかしくなってしまうかもしれない。しかし、そんな危険な魔物の存在はこの村に住むエルフ達からすれば放ってなどおけない。現に苦しめられている人が、私の隣に居る。
虚ろな目で下を向くサシャを見ると、居ても立っても居られない気分になる。何とかして……彼女の役に立ちたい。
そこで私はある決断をした。自分でも驚くような事ではあるが、不思議と迷いはなかった。
「あの、ウィルさん?」
「ん?おかわりか?」
「それは後で頂きます……その、猟は明日も行かれるんですか?」
「ああ、明日も朝から行く予定だけど……それがどうした?」
私の決意は揺るがない。固く結んだ唇を開くと、私は相手の瞳を真っ直ぐと見据えて言った。
「私を、明日狩りに連れて行ってください!」