殲滅のマタドール:一話 Welcome
……お母さん……お母さん……。
会いたい……会いたいよ……どこに居るの?……。
寂しい……寂しい……胸が、張り裂けそう……。
「――!――――!」
……なに?……なんて、言ってるの?……。
「……――しっかり……――ぶなの!?」
おかあ……さん……お母さん!!。
「おかぁさぁぁぁぁぁぁぁんっ!!」
「え、えっ!?……な、ななな、なに……よ……?」
「母さん!母さん!……お母さぁぁぁぁぁぁんっ!!」
私はボンヤリと見えた人影に抱き着くと、声を上げて泣いた。その胸に顔を埋め……懐かしい体温を感じながら……。
えっ?……母さんの胸、こんなに大きくなかった……。
目に涙を溜めたまま、私は顔を離すとまじまじと相手の顔を見た。
……誰?……。
「……あの、誰ですか?……」
「……そ、それは……こっちのセリフよぉぉぉぉぉっ!!」
その長い耳まで真っ赤にしながら彼女は叫んだ。
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どうやら私は川で溺れていた所を救い出され、彼女や周りの人達に助けられたらしい。この場所は私を助けたサシャという名前の少女の家らしく、とりあえず何者か分からない私をベッドまで周りの人と協力して運んでくれた様だった。
ベッドに座る今の私は、彼女の提供してくれた衣類を与えられている。
「……それで、貴女の名前は?……」
「……分かりません……」
「……生まれた場所とかは?……」
「……分かりません……」
「はぁー……」
先ほどよりも少し離れた位置に椅子を引いた彼女は頭を抱えると大きく溜息を吐いた。
彼女は不思議な人だ。まず、自分と違って耳が異様に長い。これは記憶にないタイプの人種であり、思わず自分の耳に触りながら不思議な表情をしてしまう程に謎めいてる。
何か、自分の知らない付属品なのだろうか……私は腕を組んだままあれこれと喋り続ける彼女の言葉を聞きながら何気なく腕を伸ばした。
「----それで、貴女を助けた際に使ったのは水の魔術で……ひゃあっ!!」
「……暖かい……それに、本当に生きてるように動いてる……」
「な、なななな、何するのよ!?や、やめ……ひあっ!……」
「……すごい……ちゃんと肉体の反応に連動して痙攣してる……これは……」
「あぅぅっ!や、やめて!……あ、あなた……そ、そこは……!」
嫌がるように彼女は顔を真っ赤にしながら耳を触っていた手を振り払うと、明らかに警戒するように体を離しながらこちらを見つめた。
さすがに物珍しいからと言って耳に触るのは失礼だ……。
私は自身の非礼を詫びた。
「サシャ……すみませんでした、私とは構造が違う耳をしていたので……」
「……そ、そりゃそうよ……アンタとは人種が違うんだもの……」
「とても綺麗で美しい耳です、サシャ……」
「な、なぁっ!……」
私の言葉を聞くと、サシャは湯気が立つのではないかと思うほど顔を赤らめ言葉を詰まらさせる。しっかりと私は非礼を詫びなければならない、あの触り心地の良い美しい耳……そして何よりも……。
ベッドから立ち上がると、サシャは小さく悲鳴を上げながら頬を赤らめ怯えた様に私を見ている。
そうだ、私は伝えなければならない……その耳を触れた時の感嘆を……。
「サシャ……とっても綺麗です……」
「ひ、ひぅっ!……ア、アンタ……なにを……」
「……本当に美しいんです……」
「……な、なんなのよぉぉっ……」
再びその触り心地の良い耳を撫でると、ビクリと肩を震わせる彼女へ私は頬を緩めながら言った。
「……こんなに大きいのに、耳垢もほとんどなくて……本当に綺麗な耳です……」
次の瞬間、私は意識が揺れる程の勢いで頬を平手で叩かれた。
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……何なのよ、アイツ……。
頬を膨らませながら買い物籠片手に村を歩く私はいかにも不機嫌そうですと言わんばかりの怒気を醸し出しながら枯れ葉の積もる道を歩み続けた。
いきなり耳に触ったと思ったら今度は……み、耳垢ですって!?。私達が普段身なりにどれだけ気を使ってるか知りもしないであんな事を……!。それはそれとして怒りと気恥ずかしさのあまりぶっ叩いても何で怒られたか分からないという風に戸惑った顔を向けているので本人はたぶん本気で褒めていたつもりだったらしい。
本当に……変な奴……。
あの美人ではあるもののデリカシーに欠けた少女が困惑しつつ頬を押さえる様を思い出し自然と頬が緩んだ。いつもと違い二人分の食費は少し手痛いものの、あの子はどこか放っておけない。お昼は気合を入れて得意なシチューを作って驚かせてやろう……。
それにしても、アイツ名前は何ていうのかしら?。ふと名前すら聞いていなかった事を思い出し苦笑いを浮かべる。そんな私に横から声が掛かった。
「よお、サシャ!今朝は大変だったな!」
「ウィル!朝は手伝ってくれてありがとう!」
「いいって、たまたま近くを通り掛かっただけだしお前だって相当疲れ果てたみたいだったからな!齧っただけの魔術使って人助けだなんて、無茶するなぁ 」
呆れた様な感心したような、そんな顔を腕を組みながら向けるのは私の幼馴染である青年だった。家が近所なのでよく3人で遊んでたっけ……あの頃は3人、もう一人居た……。
静かに目を閉じると、私は言った。
「……アニィの事もあったから、目の前で助けられる命があるなら助けたいの……」
「……もう、あいつが居なくなって十年か……。お前がウンディーネの魔術を習ったのはひょっとして?……」
「……うん、妹は高熱に魘されながら水を求めてた……。でも、その時には雨が全然降らなくて自分の家にも周りの家にも水の蓄えがほとんど無かった。ようやく、分けてくれた家から水の入ったコップを持ってきた頃には……」
顔を俯かせる私の頭に手を乗せると、ウィルは私へ言い聞かせるように言ってくれた。
「お前のせいじゃないって……あれはどうしようもなかった、必死にお前はやれる事をやったんだ……」
「……ありがとう、ウィル……。だから、こうして習った魔術で誰かを救えて嬉しいわ……」
「そういえば、あの子の名前は?この辺りじゃ黒い髪なんて珍しいよな……」
湿っぽい話はここまでと言うようにウィルは話題を変えた。朝、意識を失っている彼女と疲弊しきった私を他の村人と一緒に運んでくれたのは彼だった。
世話好きな彼はベッドに寝かせる前に濡れる彼女の体を拭き、着替えまでやってあげていた。普通であれば異性にそんな事はさせないものの彼は別だ、親切心でそうする事が当たり前と考える人柄であり妙な下心など抱かない真面目で心優しい自慢の幼馴染だ。
あれこれと世間話をしながら足を進めていると、彼はある場所で足を止めて片手を掲げる。
「それじゃあ、俺はそろそろ狩りの時間があるからこの辺で!いいハイイロボアが狩れたら今夜お客さんの分も持ってくよ!」
「ありがとう、楽しみにしてるわ!」
手を振る相手にこちらも手を振り返すと、村の集会所へと駆けていくその背中を見送り私は顎に手を当てる。
「うーん、ハイイロボアのお肉と合わせるならミルクシチューかしらね……まったく、ほんとにいつもの倍は食費が掛かっちゃうわね!」
溜息を吐きながらも、いつもと違い誰かを招いた食事なんて久しぶりで……自然と頬が緩むのを感じながら私はお店へと急いだ。
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