殲滅のマタドール:十三話 大切なヒト
ややグロテスクな表現あり、ご注意ください
私は極力手にしたお皿からシチューが溢れないように気を使いながら廊下を進むと、静かに部屋の戸を開けた。
薄灯りの照らす先では、窓から吹き込む心地良い夜風に髪を揺らすサシャがボンヤリとベッドから身を起こし外を見つめていた。私は頬を緩ませると、その横顔に声を掛けた。
「サシャ……シチューを温めておきました、食べてください 」
「わざわざごめんなさい……後で食べるから其処に置いておいて 」
「ダメです!私が食べさせてあげますから……」
「た、食べさせるって?……」
首を傾げるサシャの元まで歩み寄ると、私はベッドに腰を下ろして手にした皿に入るシチューをスプーンで掬った。そして、満面の笑みで声を掛ける。
「口を開けてください!私がスプーンをそこまで運びますから!」
「ちょ、ちょっと!……そんな、子供みたいな事しろっていうの!?一人でそれぐらい食べられるわよ!」
「無理してはダメですよ、サシャは私とウィルを助ける為に無茶をしたんですから……お礼をさせてください!」
「……し、仕方ないわね……あーん……」
恥ずかしそうにしつつ口を開けた彼女の元へそっとスプーンを差し出すと、少し荒っぽく先っぽを咥えモゴモゴと口を動かした。温め直す際に火傷に気を使ったから熱さは大丈夫な様だ。
飲み込んだ彼女は頬を緩ませると呟いた。
「やっぱりアンタの好みに合わせてハイイロボアのお肉を多めに入れたけど、私は野菜の方が好きね……」
「へ、へっ?私の好みって?……」
「あっ、え、えっと!……その……」
そこで彼女は真っ赤になりつつ顔を俯かせると、消え入りそうな声で言った。
「……ア、アンタが……昼前、褒めてくれから……」
「ああ、あの時ですか……でも私は思った事を言っただけですよ!」
「……そ、それでも嬉しくなっちゃったの!……単純で悪かったわね!」
……サシャ……確かにちょっと戸惑う所はあるけど、それでもこの人はこんなに優しい人なんだ……。
思わず目頭が熱くなり瞳を潤ませる私を見て顔を背けると、彼女は私の手から皿をひったくり勝手にガツガツと食べ始める。
良かった、食欲もちゃんと戻ってきているみたいだ……。
彼女はふと手を止めると、思い出した様に表情を曇らせ心配そうに声を上げた。
「そういえば、アンタ達を襲った連中について村長は何て言ってたの?……」
「あのレイヴンという連中はこの森で壁を建造している人間が雇った殺し屋達だと言ってました……メルキオでは相当腕が立つと評判な集団らしく、実際に私もウィルも成す術なくやられてしまいました……」
「こ、殺し屋って……何でそんな連中がアンタ達を狙うのよ!?ウィルは確かに狩りの腕は立つけど人間側からすれば普通のエルフだしアンタだってたまたまこの村に辿り着いただけでしょ!?……」
「恐らく以前倒したあのライガが原因ではないかと仰っていました……例の大きなライガの噂はこの村に出入りする商人を通してメルキオ側にも知られていたらしく、村を危機から救った英雄である私達が殺されればエルフと人間の間に亀裂が入って戦争の口実になるからだと……」
思い返しただけで気が滅入ってしまいそうになる。戦争ともなれば双方に膨大な数の犠牲者が生まれどちらが勝つにせよ、長らくお互いを憎み合う悲しい結果だけが残る事になる。
この世界はあまりにも、戦争という悲劇を軽く見過ぎている。
武力を用いて誰かの住む国を奪い取り、誰かの家族を殺して得た物にそこまでの価値はあったのか。武力として使われる側の私には伝えられないし、分からない……人間に命令され敵を殺し続けてきた私には自分の行った破壊がどういった結果を齎したのかを知らない。
以前の世界で戦っている時に私は故意に感情というプログラムを封じられて戦ってきた。だから恐れも、悲しさも、喜びも顔に出さず淡々と任務を熟してきた。
私が素直に感情を表せられるのは、深刻な損傷を受け全てのプログラムがスリープ状態に入った際……つまり、死んだ時だけだ。
修復用ナノマシンでボディの再生を行う為に意識を閉ざされたその30分の時間だけが……私が感情を持った女の子になれる時間だった。
思い出せる記憶の中では、私はいつものその時間に泣いていた。
敵からも味方からも怖がられて、嫌われる……それが耐えられなくて、悲しくて……。
そうやってまた、この場所で目を覚ます直前にも泣いていたんだと思う。
そうしたら、彼女に出会った……私を助けてくれて、私の為にお料理を作ってくれる大切な人……。孤独だった私に暖かい気持ちを教えてくれた人……。
頬が緩むのを感じながら私が見ていると、彼女は目を逸らしつつスプーンで大きなハイイロボアの肉を掬い上げて言った。
「……ア、アンタにも食べさせてあげるから……口開けなさい……」
「い、いいんですか!?そんなに大きなお肉を……」
「……いいの、運んで来てくれたお礼……」
「あ、ありがとうございます!サシャ!……」
目を輝かせながら口を開けると、やや乱暴にスプーンが入れられ蕩ける様な肉の旨味と絡みつくミルクシチューが私に最高の幸福を齎した。蕩けた顔で至福の時間を過ごす私を見てサシャは嬉しそうに微笑んだ。
もっと、この人には笑っていてほしい……だから絶対に戦争など起こしてはいけない。
私は幸せな時間を噛み締めつつ胸の内でそう思った。
−−−−−−−
「お疲れ様、そっちはどうだった?」
「依頼にあった二人を襲撃しましたが殺すまでには至れませんでした……途中で邪魔が入ったので……」
「いや、いいよ……あくまで本丸はあの御令嬢だからさ。エルフの連中には人間への不審感さえ植え付けておけばいい……」
少年は馬車の座席に寝転がりつつ、パンを齧り言った。向かい側に座る女、シェリーは人形の様な無表情のまま食事を平らげる主人を見つめると彼が食べ終えるのを待ってから聞いた。
「マリィ・スタンフォードの死体は発見されましたか?」
「うんっ、バッチリ……全部片付いた後に近くで隠れながら様子を見てたら運良く巡回の兵士が来てさ、そいつあんまりにも惨い有様だったんで腰抜かして吐いてたよ!あははっ!」
その時の様子を思い出しているのか愉快そうに少年、暗殺ギルドの長であるアヒムは無邪気な笑みを浮かべた。
「あのお姉さんが生きながら切り刻まれてく様は興奮したなぁ!気高い理想を持った人間が何もかもかなぐり捨てて必死に命にしがみ付こうと絶叫を上げるんだ!しかも殺そうとするのは信じてた相手だから余計にね!……“どうして、どうしてぇっ!“って涙と鼻水を垂れてズボンの中に全部漏らしながら手足を切断されていったんだ!思い出しただけでゾクゾクしちゃうよ……」
両腕を抱き荒く息を吐き出すと、狂気に満ちた笑みをアヒムは漏らした。
その少年はもう、全てが破綻しきっていた。
彼を癒やすのは残虐な娯楽しか無いし、彼を満たすのも残虐な娯楽のみ……毎晩焼ける様な疼きに苛まれるアヒムにとって自分の苦痛と苦しみをぶつける事こそが人生で唯一の楽しみだった。
笑い終えた少年は小さく溜息を吐くと、気だるげな様子でシェリーを見た。
「……薬の時間だね……今日も頼める?……」
「……はい、マスター……」
エプロンドレスを着た女は傍らに置いたバスケットを開けると二本の小瓶と手拭いを取り出した。それらは彼の“治療”に必要な物だ。
嫌がるように頬を膨らませつつ、アヒムは観念したようにボロボロの上着を脱いだ。
白い肌の覆う顔面と首、それだけを見れば天使のような愛らしい少年に見えたアヒムのその肉体は……首から下、その全身が醜く焼け爛れあちこちに膿が浮いていた。それは彼が過去に受けた拷問の傷跡であり、一生彼を苦しめ続ける呪いだった。
彼の従者である女は小瓶の蓋を外すと、川で汲んできた透明度の高い清らかな水を手拭いへ染み込ませ、そっと膿の浮かぶ傷口に添える。彼ほどの火傷を負った場合、その治療は想像を絶する痛みを伴うものになる。重度の高熱により破損した皮膚から細菌が入り出来てしまった膿を水で濡らした手拭いで擦り剥がしていく。炎症した筋肉を直接削られるその痛みは常人であれば発狂しても不思議ではない程の激痛を齎す。
しかし、アヒムはその行為により痛みを感じるほどの情を既に捨てていた。とうの昔に、その少年の心は壊れていた。
粘液質な音と共に背中を擦られ、虚ろな目で窓の外を眺める少年は掠れた声で言った。
「……どうせなら、顔も焼いてくれれば良かったのに……。あの悪趣味な火炙りババアめ……」
「……どうしてですか?マスターの美しい顔が残っているだけでも私は嬉しいです……」
「……これじゃあバケモノのなり損ないみたいじゃないか……それなら顔も醜く崩れた方がバケモノっぽくてちょうどいいのに……」
「……どんな顔の貴方であっても、私はアヒム・ハインリヒへ尽くし続けます……」
女は無表情のまま、もう片方の小瓶を開け消毒薬をハンカチへまぶして血の滲む傷口へ添えた。
その言葉を聞き、ほんの僅かに頬を緩めると相手には聞こえない様に……聞かれたくないと願う本音を彼は静かに口にした。
「……たまにはアヒムって呼んでほしいな……昔みたいに……」
−−−−−−−
家の外から響く騒がしい足音に気付いた私が宛行われたサシャの妹さんの部屋の窓から外を見ると、ウィルが村長の家の方へと走っていくのが見えた。
慌てて私は家を飛び出し後を追った。
息を切らしながら辿り着いた村長の家の前では、多くの村人が集まりこれからメルキオの首都へ向かい話し合いを行う彼へ希望を託していた。家の前の柵には三頭の馬が繋がれ、甲高い鳴き声を発している。
駆け寄ってきた私に気付いた村長は笑みを浮かべながら声を上げた。
「アヴィ!ワシが留守の間、サシャの事を頼むぞ!」
「村長……本当に気を付けてください、向かう先で何があるか分かりませんから……」
「任せておけ、ウィル程では無いにしろそこそこは狩りで腕が立つ者を一緒に連れて行くからのう!」
村長が視線を移すと、腕を組みつつ得意げな顔で立ち尽くす二人の青年が居た。その二人は、あの巨大なライガを仕留めた際に共に参加していた二人だ。
「ふふっ、ここで危険から村長を無事に守ればサシャも俺の事を見直すだろうぜ!」
「ああ、腕が鳴るぜ!帰って来たらサシャにたんまり手料理食べさせて貰わないとな!」
いつにも増して気合を入れている二人を見て微笑むと、私は無事を祈りつつ彼等に声を掛ける。
「ティムさん、スタンさん……くれぐれも無理はしないでくださいね……」
「……へへっ、アレックスやニックの様にはあっさり死ねねぇなこりゃ!」
「ああ、女の子に二度も悲しい思いさせちまったら男が廃れるからな!必ず戻ってくるから心配すんなって!」
私が以前狩りの際に犠牲になった二人の事を思い出しているのを察したのか、ティムさんは豪快に笑うとゴツゴツした手で私の頭を撫でた。
ウィルはスタンさんの肩に手を回すと意地悪く笑いながら言った。
「お前らが無事に戻ってきたら俺もミルクシチュー作って持ってってやるよ、無論鍋一杯分な!」
「お、おいおい!サシャの手料理だけで充分だって……」
「冷たい事言うなよー、一晩置くとコクが抜けちまうから一晩で全部で食うんだぞ?」
「か、勘弁してくれよ……」
そんな仲睦まじいやり取りを聞いていた周囲の人達から暖かな笑みが漏れる。そんな二人を見て呆れながらも嬉しそうに笑みを浮かべた村長は馬に跨ると、表情を正し皆に聞こえるように声を掛けた。
「それでは行って来る!上手く事が運べば恐らく今日の夜には帰って来れるだろうが……話し合いが纏まらなければ更に数日掛かるやもしれん!」
そこで村長は周囲を見回すと、この場に居る全員へ約束を交わすように力強い言葉で言い放った。
「戦争等という愚かしい罠を張る奴等の手には乗らないと皆に誓おう!かのメルキオの国王陛下であろうとも、私はしつこく説き伏せて必ず最善の結果を持ってこの村へと帰るつもりだ!だから皆、安心してほしい!」
その声を聞き誰もが歓声を上げた。人間より若い外見を保てるエルフであっても皺の刻まれたその顔が表す通り、彼はまさに村人の命を預かる長としての器と覚悟を兼ね備えた皆の父親だ。
彼の様な人が私の居た世界にも存在してくれたら……きっと私はあんな事をせず……いや、そもそも私が生まれる必要すら無かっただろう。
威勢の良い掛け声と共に馬を走らせる村長の後ろを同じように馬に跨ったティムさんとスタンさんが駆けていく。片手を大きく上げた彼等に誰もが声援を送り今回の対話の成功を託している。
お願い、みんな無事に……戻ってきて……。
静かに目を閉じ指を組むと、私は平和に事態が運ぶよう天に祈った。