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殲滅のマタドール   作者: ユリグルイ
プロローグ
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プロローグ

-----体が、溶ける。


肉体が、まるで泥水みたいな色をした液体の中で溶けていく。


呼吸をする事すら面倒で、ゴボゴボとくぐもった音を立てて私の体は沈んでいく。このまま自分の生涯が終わるのだと思うと改めて私はそれまでの人生について考えた。


どれもこれも、思い出したくもない事ばかりだ。


あまりにも無意味で、あまりにも無価値……。


虚ろな目を開いたまま私の体は落ちて行く。



その時、誰かの声が聞こえた。



“貴女を、このままにはさせない”


ゴボゴボと雑音が響く水中の中であっても、不思議とその声はクリアに聞こえた。あるいは、その聞き間違える筈もない声を聞いて、私は少し嬉しくなったのかもしれない。



お母さん……どこに居るの?……。


その瞬間、私の意識はプッツリと途絶えた。



---------



殲滅のマタドール



---------


その日も穏やかな日差しが降り注ぐ中、彼女は日々の日課を熟そうとその場所へと足を運んでいた。


対岸が見えない程のその大きな川は自然を切り開いて作り上げられた都市と彼女達の暮らす森とを隔てる境界線の様な役割も兼ねている。彼女達の暮らす大陸の中では恐らく最も幅と長さが大きい河川だ。


本来であれば美しい深青の澄んだ水が流れるその川の水は、茶色く濁っていた。思わず溜息を吐くと、ブロンドの髪を揺らしながら顔を上流へと向けて彼女は呟いた。



「はぁ……いくら魔物から町や都市を守るためだからって、こんな風にイタズラに森を削ってしまっては……」


昨今、人間による森の乱開発が大きく進んでいる。つい昨日の事のように三十年前の森の豊かな情景を思い返すと、その当時に比べたらまるで侵食するように最近は自然へ人間の営みが入り込んできている。石畳の整備された道が増え、人間の商人もよく森の町へと入り込むようになった。


最初に入ってきたのは商人であり、次に入ってきたのは軍隊だった。彼等は同族の通訳を通し、事情を説明した。


この周囲では最近、魔物による襲撃事件が多発し非常に危険なのだと言う。確かに以前に比べあの恐ろしい怪物による身の毛もよだつ事件が多く聞かれる様になった。その前の日にも、人間の商人を乗せた馬車が四本の強靭な足に鋭い爪と牙を持つ恐ろしい魔物、ライガの群れに襲われ全員食われたという話を聞いたばかりだ。


村でも不安視する声が広がり自警団を作ろうという話が持ち上がる中で、そうした脅威から自分達を守ってくれると人間側から提案されたのだ。村の村長は快くその提案を受け入れ自分達より遥かに強い武力を持つ人間へ森全体の警備を任せる事にした。


確かに、彼等は魔物達から森の住人達を守る事に大いに貢献した。剣を掲げ鎧の重い音を響かせながら勇ましく怪物達の群れに突撃する騎士達や後方から強力な軍事魔術を扱い精霊の力を借りて敵を殲滅する魔導師達の活躍により多くの魔物が撃退された。


しかし、そこから彼等と森の住人達の関係は少しずつ拗れていく事となる。


森の一部を切り開き、そこに魔物の侵入を防ぐ壁を作り出すと一方的に人間達は宣言したのだ。森に住まい自然と共に生きてきた彼等は無論当初は反対したものの、その頃には既に生活の多くを人間側に依存しきっていた事にようやく彼等は気が付いた。武器や魔術による武力への盲信、そして人間との交易による利益に森の住人達はすっかりそれまでの生活を変えられていたのだ。


もはや、森に暮らしていたエルフ族達は人間無しでは生きていけない程に何もかもを依存してしまっていた。


結局、壁の建設を止める事は出来ず木々を切り払いながら行われる工事は今も着々と進んでいる。この川の濁りは上流側で行われる工事の影響だろう。地に根ざし水を吸い上げ育つ木を多く失った結果、泥を含んだ水が川に流れ込むようになり雨の降った日には暫く濁りが取れなくなってしまった。


確かに自分達の安全は大切な事だ。しかし、それは古くから森と共存してきたエルフ族にとって正しい事なのか……そういった議論も村では頻繁に行われる様になった。


ほんの少しずつではあるが、何もかも人間に頼りっぱなしの生活から彼等は抜け出そうとしている。


だから彼女は、エルフ族の少女であるサシャはいつかこの馴染みのある川が昔の様にいつも澄みきった透明度に戻る事を信じている。この泥で濁った状態であったとしても、いつか遠い昔に思い出話になると信じている。


だからこそ、彼女は常にこの川のあらゆる姿を記憶し続ける為に毎朝足を運んでいるのだ。


濁りが強く、そして上流から押し流されて来た大木や枝などがユラユラと浮き沈みを繰り返す。その様子をボンヤリと眺めていると、ふと視界の中に信じられない様な物を見つけてサシャは驚いた様に声を上げた。



「……へっ?……あ、あれって……」


彼女の視界の先には、恐らく上流の工事で使用された木の板が流れていた。ひどく不安定に浮き沈みを繰り返すその板の上には……人影があった。


半身を板の上に乗せたまま、その人影は激流の動きに合わせ力無く体を揺らしている。


考えるより先にサシャは動いていた。



「ウンディーネ!私に力を貸して!」


彼女が叫んだ瞬間、右手に刻まれた紋様が青く美しい輝きを放った。


サシャは人間の魔導士からその力を扱う施しを受けていた。精霊の力を借りて様々な術を扱う魔術の一端を村を守る為の力になればと考え習っていた時期があった。精霊との契約が開始され、彼女はその力を行使する。


「あの木の板をこちらへ手繰り寄せて!」


青く輝くルーンの宿る手を人影がしがみつく板へと向ける。自分の中で何かが急激に削られていく感覚をサシャは覚え、小さく唸り声を上げながら顔を歪めた。魔導士としての訓練も素養も無く、基礎的な技術しか持ち合わせていない彼女にとって精霊の力を間借りするのはとてつもない負担を強いる行為だった。


お願いだからこっちに来て!……胸の内でそんな悲鳴の様な声を上げながら手を掲げていると、やがて上から下へと激しく叩き付ける川の流れに逆らい木の板がこちらへ向かってゆっくりと移動を開始する。


上手くいった、そんな安堵感で気を緩めたその時……彼女の掲げていた腕に焼けるような痛みが伝わった。


「ぐっ、うぅぅぅぅぅっ!……」


既に限界をとうに超えていた。悲鳴を上げる肉体が警告として痛みを走らせ、もうやめろと彼女に伝える。それでも、サシャはルーンの刻まれた腕を掲げ続けた。



「私が……絶対に、助けるの!……」


過去のある経験が、サシャの胸に正義感や使命感以上の感情を宿らせていた。目の前の人をもう二度と、見殺しにしない……それは彼女がある悲しい別れを経験して以来ずっと抱いてきた想いだった。


例え自身の体を傷付けてでも、サシャは失われようとする命を見捨てない。


そんな彼女の想いに呼応するように、板はグイグイと速度を上げながら川岸に向かって近付いて来る。やがてその人影が近付くにつれ、どんな人物なのかがハッキリと見えて来た。


それは、黒く長い髪を水でへばり付かせた自分とそう変わらない年頃の少女だった。青白い顔をして、その長い瞼を閉じ眠っている様に身を板の上に投げ出している。不思議な事にその体には何も纏っていない、白い柔肌を冷たい川の水に浸していた。


混乱しつつも腕が千切れそうな痛みに耐えながら、この見知らぬ少女を救おうとサシャは絶叫した。



「お願い……こっちに……来てぇぇぇぇぇぇッ!!」


その最後の力を振り絞って行われた精霊・ウンディーネへの祈りはしっかりと聞き届けられた。急激にスピードを上げた板はそのまま意識を失った少女を乗せたまま高速で移動し、やがてその腕を掴める距離にまで辿り着く。荒く息を漏らしながらサシャはルーンの輝く腕を伸ばし、その細い手首を掴み上げた。



「う、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあッ!!」


叫び声を上げると、最後の力を振り絞りその少女の体を岸へと引き上げる。


ウンディーネとの契約が解除され、水の精霊の力を受け留まっていた板は再び自然の力によって凄まじい勢いで下へと弾き飛ぶように流されていく。どうにかこの見知らぬ少女を助けられた事実に安堵しつつ、サシャは声を掛けようと仰向けに倒れる相手の顔を覗き込んだ。


そして、思わず息を飲み込み暫し沈黙の時を過ごした。


その黒く長い髪を持つ少女は同性であるサシャから見ても美しく、そして魅入ってしまう程に整った顔立ちをしていた。そんな事をしている場合ではないのだと理解しつつも、気が付けばサシャはその白い素肌が覆う肢体をじっくりと眺めていた。


急激に慣れない魔術を使用した損耗と、その美しい身体に小さく声を漏らしつつ視線を送っていると……その体が小さく震え、紫色になった唇がゆっくりと開いた。


それを見たサシャは我に返ると、慌ててその肩を掴み体を抱き起しながら叫ぶ。


「ね、ねえ!大丈夫!?大丈夫なの!?」


返事はない、瞼も閉じられたままだった。


それでも小さく漏らす息に交じり、彼女が消え入りそうな声で何かを言っている事に気付いたサシャはその長い耳を相手の唇に近付けた。そして、その言葉を聞いた瞬間に目を見開いて硬直した。




「……おかあ……さん……会いたい……よぉ……」














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