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さよなら寅ちゃん

 妹が結婚してもぬけの殻になった俺は、ソファーに座りながら車のカタログを眺めていた。

 そう。俺の愛車軽トラの寅ちゃんがついにあの世へ召された。


 仕事を終え帰宅途中、突然プシュッと弾けた音がし、ボンネットから白い煙を吐いた。もはやアクセルを踏んでもピクリともせず、みるみる速度が落ちていった。

 俺はすぐさまハザードを出し車を路肩に寄せた。

 ボンネットを開けるとエンジンが焼ききれ、煙がモヤモヤ吹き出し、見るからに「終わった」感を醸し出していた。


 親方に買ってもらってから15年以上。もう限界まで走りぬいたであろう。



「隆志、ちょっとこい」

「なんっスか」

「外に出てみろ」


 玄関前にはピカピカの軽トラックがあった。


「どうしたんっスか、これ」

「知り合いに頼んでな。2年落ちのディーラー車が見つかったんで買ってきたんだ」

「親方、車持ってるじゃないですか」

「俺のじゃない。お前のだ」

「えぇ!?」


 田舎で車は必須である。インフラが完全整備されている大都市ならまだしも、田舎はスーパー、ホームセンター、ちょこっとした用事など、どこへ行くのも距離がある。地方都市ですら街から外れると田園風景が広がるのが普通だ。

 一つ一つの建物が離れているため徒歩での移動は困難だ。バスや電車も1時間に1~2本の割合でしか運行していない。


 よく、若者の車離れ!という見出しを目にするが、それは都市部での話。田舎者は18になったら即免許が当たり前なのだ。じゃないとどこへも動けず、完全ニートになってしまうから。


 俺も御多分に漏れず、18の年に免許を取得した。ただ、お金がなかったので車はお預けで、親方の運転で現場へ行っていた。


 しかし今日からは違う。マイカーがあるのだ。

 俺はこれから好きな時に好きな場所へ移動できる。

 まさに自由を手に入れた瞬間だった。


「親方ぁぁ~」


 そう叫んで抱きついたらビンタされた……。


 この親にしてこの子ありの見本だな。


 現場はもちろん。足りない材料の買い出しの時、3650ミリの野縁を積んでの帰り際、紐が緩んで道へ散乱させたり。

 処分する畳を8畳分積んでいる途中に荷台の畳が滑って車が傾き、あやうく大惨事になりかけたり。

 ドライブに行って道に迷い、気が付いたら他県だったり。

 姉を大学まで送迎して、女子大生に「かわいい」とチヤホヤされたり。

 おかみさんの買い物の手伝いをしたり。

 姉のパシリだったり……。


 雨の日も風の日も毎日元気に走り回っていた。

 そんな15年分の思い出が蘇るいい車だった。


 寅ちゃん。お疲れ様でした。




 さて、話を戻そう。


「どれにすっかな~」


 カタログを眺めながらブツブツ言っていると、俺の膝を自分の枕の一部と勘違いしている凛が、「車買うの?」と尋ねてきた。


「ああ、この間壊れちゃったからな」

「私ね、ミニバンがいい」

「は? お前が乗るわけじゃないだろ」

「だってお兄の車狭いんだもん」

「あれは人を乗せるための車じゃない。荷物を運ぶための車だ!」


 何をたわけたことを言っている。ミニバンじゃ三六判が乗らねぇんだよ。


 別に遊びで買うわけではない。仕事用として購入する以上、1800×900ミリサイズの板が乗らないと仕事にならないのだ。なので必然的に車種は限られてくる。


 カタログとにらめっこすること1時間。3台に的を絞って考えた。


 最近、長尺を積むことが滅多になくなったのでトラックはいらないな。

 バンタイプはいいかもしれない。雨でも工具や材料が濡れないし。

 色は何色が……ターボ付けっかな。


 俺が真剣に考えているのはどこ吹く風で、膝枕で寝息を立てる凛。


 百歩譲って膝枕は許容する。だが、寝返りをうってこっちを向くのはやめろ! 

 俺の長尺が……すまん。妹のことで精神的に病んでいて……。




 散々迷いに迷って軽バンにした。色はグレー。4速オートマのターボ付き。

 もちろん商用車タイプ。

 後ろがフルフラットになるのが条件の一番上なので乗用車タイプは切り捨てごめんである。


 昨日納車で我が家へやってきた。

 よし、今日から君の名前はバン太郎だ。


 そして今日はこれに乗っての初仕事である。

 工具と脚立を積み、いざ、しゅっぱーつ!


「で、なぜ君が乗ってるの?」

「アパートへ帰るの」

「あっ、そ」


 凛を乗せて仕事場へ向かった。


「割と乗り心地がいいね」

「だろ? 軽トラよりは乗用車に近いから運転も楽だよ」

「中も思ったより広いね」

「だろ? 荷台が繋がってて奥行きがあるから広く感じるんだよ」

「色もグレーで渋いね」

「だろ? 前のは白でありきたりだったからな」

「スピードも出るね」

「だろ? 4速ターボだからな」


 俺が自慢したい箇所をものの見事についてくる凛。

 なかなか可愛げがあるじゃねぇか。今度メシごちそうしてやんよ。



 アパートに着き凛を降ろしたあと、早速作業に取り掛かった。

 まず古い壁紙を剥がし、パテ埋めして乾くまでの間、部屋の掃除。飯を食って午後の作業。

 午後は糊マシーンで壁紙に糊付けして壁紙を貼りまくり。

 で、全体の清掃をして終了。


 今日は気分がいいので作業もはかどった。

 誰も褒めてくれないので自分で言うが、なかなかいい仕上がりだと思う。

 女子大の近くなので、なるべく女性に受けがいい柄物の壁紙をアクセントにして乙女チックな雰囲気にした。

 ちなみにここのアパートは現在8割が女性である。

 え? なぜ女性限定にしないかって? そんなことをしたら俺が住みついちゃうから。ウフッ。


 さて、仕事も終わったし帰ろう。

 新車の匂いが残る車内へ乗り込み、エンジン作動。明日は休みだ!


「で、どうして君が乗ってるの?」

「家へ帰るの」

「家はここだろう?」

「実家」

「さっき実家から出てきたばかりだろうがっ!」

「忘れ物を取りに」

「……」


 何でもいいが、家賃だけはちゃんと払えよ。今月ちょっと遅れてるぞ。

 なんだったら取り立てに行こうか? 俺んちの隣にな!





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