ヤブ医者の企みは俺を崩壊させる
夏が終わり秋が過ぎ去り、冬が訪れた。
11月も過ぎて街がクリスマス一色に染まる今日この頃。
電話が鳴った。
「はい。獅子丸だワン」
「……凛ちゃんに言うよ?」
なぜここであいつの名が出てくるんだ、妹よ。
「なんか用?」
「あ、うん。今週の日曜って暇?」
「これといって特にはないな」
妹は少し間を置き、何かを決意した感じで言った。
「会って欲しい人がいるんだけど……」
目眩がした。吐き気もした。ついでに動悸も息切れもした。
心の中で、「つ、ついにこの時が来たか!」そう思った。
前々から分かってはいた。
去年あたりだったと思うが、祖父から連絡があった。
一度俺とサシで飲みたいという。
サシの勝負なら負けねぇぜ。と意気込んで近くの居酒屋で会った。
「隆志、俺もそろそろ年だから、寛子に病院を譲ろうかと思って」
「辞めるの?」
「辞めるっていうより、現役を引退してサポートに回ろうかと思ってな」
それを辞めるっていうんだぞ? じーちゃん。
「お前どう思う?」
「うーん。あいつ1人じゃ不安だな」
「腕はそこそこだし、患者の信頼も厚いから大丈夫だとは思うけど……」
「経営か?」
たとえ病院であっても慈善事業でやっている訳ではない。会社と同じで経営は必須だ。
妹は真面目だから医療に関しては信頼もあるだろうし、分からないことは勉強して調べ尽くすだろう。
ただ、病院経営となると、医療とは頭の使い方が違う。人件費から税金まで一通りの知識がないダメだ。
「お前の言う通り、そこが問題なんだ」
「じーちゃんがやれば?」
「今はまだ頭がしっかりしてるから大丈夫だが、これから先、どうなるか分からないだろう?」
「ま、その時はその時で」
「今から寛子に教えるのも課題を増やすだけだし、あいつには医療に専念して欲しいしな」
祖父の顔色を見てピーンと来た。
こいつに甘い顔をすると付けあがるクセがある。
寛子という孫が良い例だ。
「あっ、断っておくけど、俺やんないよ」
前もって拒否すると「感づかれたか!」という顔をし、チッと舌打ちした。
やっぱり! 面倒くさいことを押し付けようとしていやがった。
「さあて、どうするかな」
「誰か有能な医者を入れれば?」
「うちみたいな個人病院に将来有望なヤツが来てくれると思うか?」
「確かに!」
「き、貴様!」
祖父はコップをつかみ、一気に空にした。
従業員には従業員の悩みがあり、経営者には経営者の悩みがある。
結局、祖父も経営者のはしくれで跡継ぎ問題が一番の悩みであった。
二人でああでもない、こうでもないと言い続けて3時間。
「ねぇ、この際、研修医を派遣してもらうってのはどう?」
「研修医ねぇ……」
顎に手を当て、悩んだフリをするクセは昔から変わらない。
そしてこのクセが出た時は「いいこと思いついちゃった!」という前フリである。
「俺、いいこと思いついちゃった!」
祖父はそう言って立ち上がると、
「ここの勘定、よろしく頼むな!」
上機嫌で店を出て行った。
おい、ヤブ医者ふざけるな! 俺のアイデアをパクっておいてゴチも無しかよ。先に呼び出したのはあんたなんだから、払え、勘定を!
それからしばらくたって、祖父の病院に研修医がやってきた。
払え、2万8千525円を!
その後の展開はよく分からないが、時折祖父が「いい子だ」「将来有望だ」などとほざきながら連絡してきたので、上手くいってるんだと思う。
ただ、俺は妙な胸騒ぎがしていた。
祖父の病院で働く人の8割は女性だ。看護師がほとんどで他レントゲン技師など男性が数名。それも技術の匠ばかり。そこへ活きのいい若者が入ったら心が騒めくだろう。
俗にいう密室マジックというやつだ。
ここで密室マジックについて説明しよう。
密室マジックとは、狭い空間で行動を共にすると恋愛感情が生まれる。だがこれは一時的な感情で空間から抜け出せば熱は冷めていく。という一撃必殺の技である。
加えて、最近毎日見るおかしな夢。妹が得体のしれない輩に告白されるという、兄にとって歯ぎしりする案件だ。
さらに、普段はさして人を持ち上げない祖父が、このところやたらと研修医の情報を垂れ流して押してくる。
これは何かあるに違いない。
俺の腐った第六感が緊急警報を発令したばかりだった。
そんな俺の心の崩壊などつゆ知らず、電話口でモジモジしながら彼の素性を楽しそうに話す妹。
時折、「素敵な」とか「優しい」といった単語で俺の急所を突き刺してくる。
い、妹よ。やるなら一気にやってくれ。
お兄ちゃんは今、黒い頭巾を被って大鎌を持った人と交渉中だから。
「で、俺はどうすればいいの?」
「彼と会ってくれるだけでいい」
か、彼だとぉぉ。あれか! もうあれなのか!
動揺を心の奥底に押し込めて、
「分かった」
とだけ言って電話を切った。
その日、生まれて初めて人恋しいと思った……。




