20歳の夏の記念日
ガチャ。
「あんたヒマ?」
口を酸っぱくして言う。ノックぐらいしろ。
特に7月、8月はバカには見えない衣裳を纏っている事が多いんだから!
「ちょっと付き合ってよ」
「どこへ?」
「ド・ラ・イ・ブ」
「どこへドライブ?」
「海」
「水着姿見せてくれるの?」
つま先が顔の目の前を下から上へかすめていった。
いまアゴ狙ったろ。砕けたらどうするんだよ!
俺は寝てたかったのだが、断ると本気で殺害予告を出されそうなので仕方なしに付き合った。
宮本家に居候して早3年。俺は今年20歳を迎えた。
子供の頃、20歳というと凄く大人に見えた。お兄さんお姉さんは立派で、何でもこなせるスーパーマンのように思えた。だが、いざ自分がその歳になってみると「あれ? こんなもん?」だった。
大人としての自覚はほとんどない。
横で車を運転しながら夏のヒットソングを聞いて鼻歌を歌っている輩は、今年で22歳。大学生活最後の夏休みを満喫しているようだ。
来年から社会人になるが、たぶん、こいつは俺より大人の自覚がないだろう。
卒業後は警察官になるらしい。ピッタリというか天職だと思う。
気性は荒いが正義感が強く、曲がったことが大嫌いだ。
下着ドロの時もそうだが、頼まれたらなんだかんだ言いながらも協力してくれる。意外と面倒見がいい。
これは親方の血を引いているのだろう。
余談だが、下着ドロを捕まえたのは、いまゴキゲンでチャコのなんとか物語を歌っているこいつだ。
あの後も下着を干し続け、ある日の夜、ベランダでガタガタと人の動く気配がした。
「もしや!」
勢いよく窓を開けると、そこには40代くらいの男がいて目と目が合った。
突然のことに驚いた男は逃走しようと思ったが、その一瞬のスキをついて、男のこめかみに全力で足刀蹴りを放った。
その勢いと破壊力に男はベランダから地面へ真っ逆さまに転げ落ちた。
背中を強打し動けなくなった男を取り押さえながら「ご愁傷様」と笑顔で言い放った……。
俺は窓の隙間から全貌を見ていたが、恐怖ですくみ上るくらいの迫力だった。
姉ちゃん、本気で殺しにかかったろ?
警察官になる前に殺人罪で刑務所行きだぞ、それ!
その後、警察が来て犯人は無事に確保され、姉は本当に警察から表彰された。
地元の新聞にも載り、近所で一躍スターダムにのし上がった。
あまり怒らせるのはやめておこう。
「ねえ、ちょっと寄り道していい?」
「どーぞ」
「この先にね、有名な神社があるらしいのよ」
「神社?」
「病気とか怪我とかに効き目があるらしいの」
「病気? 姉ちゃんが?」
「私じゃないわよ。友達が!」
ヤバイ、少し陰ってきたような……。
「そこに行ってお守りを買おうと思って」
「友達にあげるの?」
「この間入院しちゃってね。2か月は安静にしてなきゃダメなんだって。ほら、私達って就職活動中でしょ。入院してたら就職できないかもしれないし」
「ふーん。珍しく優しいんだな」
「いつも優しいでしょ!」
水平チョップを食らわされた。
運転してるからよそ見はダメだが、喉はやめろ! ガッツリ入ったぞ。
いつも思うのだが、神社にある木はどれも本当に大きい。樹齢何百年とか何千年とかザラだ。特にご神木と呼ばれるしめ縄をしている木は迫力満点である。
職業がら大きな木を見ると、これで家を作ったらすごいだろうな、とバチ当たりなことを考えてしまう。
ごめん、バチ当てないでね!
本殿は釘を一切使わず、木組みだけで建設されている。
普段ビスや釘を大量に使っている俺からしたら、もはや芸術品にしか見えない。木材だけで立派な物を作ってしまうのだから、宮大工って本当にスゴ腕だな。と思ってしまう。
俺、働き過ぎか?
蝉しぐれの中、友達の病気平癒を祈り、お守りを買って、姉はなぜか恋みくじも引いていた。
友達って男だろ? ん? ほら、恥ずかしがらずに言ってみ!
神社から海までは一直線だった。何年かぶりの海は、やっぱり青かった。
夏休み真っ最中なので水着がいっぱい。子供から若いのから年配まで、巨乳からプリプリヒップまで選び放題。
色んな意味で俺の記憶メモリに次々インプットしていった。
ちょうど昼過ぎで腹も減っていたので海の家で焼きそばとかき氷を堪能し、少し浜辺を歩いた。
「ねえ、あんたって彼女いたの?」
唐突にそんな質問をされた。
「昔はいたけど、俺、高校辞めちゃったからそれっきりだね」
「ふーん」
「……」
「その子って可愛かった?」
「うーん。まあ普通かな。美人ってわけでもなく、ブスってわけでもなく。愛嬌は良かったよ」
「ふーん」
「……」
「キスとかしたの?」
「えっ?」
返答に困っていると、突然背中を蹴り出された。その拍子につんのめって頭から海へダイブした。
寄せては返す波が俺を優しく包み、冷たく心地よい水が体全体に染み渡った。
「なにするんだよ、全身ビチャビチャになったろうが!」
それを見て大笑いする姉。
何なんだよ、この青春ドラマのワンシーンみたいなの。
夏は心の鍵を甘くするというが、紫外線を浴びすぎて頭の鍵が甘くなったんじゃないのか? もしくは完全なドSに目覚めたか?
いつまでも笑い続ける姉の後ろを、海中から陸へ上がってきた海坊主のような格好で歩いていた……。
行きも帰りも運転させるのは悪いので帰りは俺が運転した。
まさか姉とこうしてひと夏の経験ができるとは思わなかった。
ここ数年は仕事を覚えるのが精一杯で、家と現場を往復する毎日だった。
旧友は今頃、キャンパスライフをエンジョイしていて、恋人たちと海で戯れているだろう。
もちろん、成人式にも参加はしなかった。地元ではないため、式典の連絡も来なければ会場さえわからない。この町の式に出ても知り合いは1人もいないので無意味だ。
そんな俺に気を使ってくれたのか、単なる天然なのか。優しいのか性格悪いのか分らないが、とにかく世話になっていることだけは確かである。
今日みたいに突如誘ってきては自分の行きたいところに行き、俺を散々振り回して小突き飛ばし、最後に必ず何かを奢ってくれる。
本人はアメとムチを使い分けているつもりだろうが、割合があってないんだよ!
まあ、不器用な女だと思えば腹も立たつまい。
いまこうしてシートを全開まで倒し、ヨダレを垂らして寝ている姿も慣れれば可愛いく見える。
ただ他人には見せない方がいいぞ。100年の恋も一発で冷めるから。
20歳の夏のいい記念になったよ。ありがとな。




