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素敵な老夫婦

 増田家の乱以来、俺は親父と一切口を利かなくなった。目を合わせることもない。

 もはや俺にとって彼は二酸化炭素のような存在になっていた。

 食卓を囲んでいる時も「寛子、醤油取ってくれ」「母さん、お代わり」2人には話しかけるが、親父は完全無視。それに苛立ってギャーギャー喚き散らすが、小鳥のさえずりにしか聞こえない。

 なにせ二酸化炭素なのだから。


 俺が居ると、子連れの愛人が泣きながらやってきた葬式と化すので、なるべく母と妹に迷惑をかけないよう弁当もしくは外食を心がけた。

 外食といっても学生なのでそんなにお金があるわけではない。友人宅や近所に住んでいる仲の良い老夫婦の家へ行き、たらふく食べさせてもらった。

 特にこの老夫婦、昔から俺を我が子のように可愛がってくれた。



 だいぶ昔の大昔。俺がまだ幼稚園の年長さんだった頃。

 新緑の芽が産毛のように生えてきて風が心地よく感じる日、初夏に誘われ庭の芝生でゴロゴロしていた。

 我が家のある場所は大通りから一本はずれているため、車も人通りも少なく静かだった。


 俺がいつもよのうに蝶々を追いかけて、ダンゴムシをからかっていると。

 道の方からガツッ、ゴン、「ギャッ」という悲鳴が聞こえた。音の方を振り向くと、おばーちゃんが倒れていた。


「だいじょうぶ?」

「アイタタタタッ」


 転んで打ち付けた膝を手で押さえながら苦しんでいる。

 子供心に「これは大変だ」と思ったが、小さい体では担ぐこともできない。


「泣かないで」


 そう言って背中をさすってあげた。

 おばーちゃんは痛さで顔を歪めていたが「ありがとう」とお礼を言い、それから申し訳なさそうに「ちょっと家へ行っておじいさん呼んできてくれる?」そう言って自宅方向を指さした。

 それがどこかよく分らなかったが、とりあえず指さす方へダッシュした。


「そこの赤い看板のところ!」


 後ろからおばーちゃんの指示がとび、赤い看板、赤い看板とつぶやきながら探していると、目の前に「止まれ」の標識が。そこでピタッと止まって後ろを振り返った。

 おばーちゃんは頷いて「そこそこ」というジェスチャーをしたので、その家の玄関を勢いよく開けた。


「ごめんなさーい。おじーちゃんっている?」


 間違った挨拶と見知らぬ子供が大声で叫んでいるのを聞きつけ、ビックリした顔で出てきた。


「あのね、おばーちゃんが道に転がってる」

「転がってる?」


 不思議そうな顔をするおじーちゃん。上手く伝えられない自分がもどかしかったが、今はそれどころではない。俺はおじーちゃんの手を無理やり引っ張って表へ連れ出した。


「ほらっ」


 指さした方向を見て状況を把握したおじーちゃんは、おばーちゃんを担いで自宅へ戻り手当てをした。

 その後、おばーちゃんは何事もなく無事回復した。 めでたし、めでたし。



 まあ、かなりザックリではあるが、これが最初の出会いである。


 この出来事をきっかけに、老夫婦とは歳の離れた友の様に親しくなった。

 妹と喧嘩した時も、母と喧嘩して飛び出した時も、理由も聞かず優しく迎えてくれた。

 俺はそれに答えるかのように遊びに行っては面白おかしい話で笑わせ、困ったことがあれば真っ先に駆けつけて手伝った。

 金がないなら体で払う。実体験で学んだ本物の授業だった。


 もし彼らが本当の両親だったら……まあ、三行半だろうな。





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