95:現れた助け
「わわわっ!?」
フクちゃんから落ちそうになって、空は慌ててしがみ付く。
完全に止まった事を確認して顔を上げれば、そこはお地蔵様の小さなお堂の前だった。
お堂の中には以前にも見た優しい顔のお地蔵様が鎮座し、堂の横にはしめ縄が巻かれた大きな長い石碑が立っている。
空は以前、それがこの村の安全地帯の印だと教えてもらって知っていた。
「おじぞうさまの、あんぜんなとこ……あっ、みんなは!?」
「ホピッ!」
空はフクちゃんから慌てて滑り降り、元来た道の方へ踵を返す。
しかしすぐにその前にフクちゃんが割り込んだ。
「ビビッ!」
「フクちゃん!? あ、ここからだめなの?」
「ピッ!」
空は頷くフクちゃんと自分が足を止めた場所を交互に見て、念のため一歩下がった。
フクちゃんはどうやってかこの安全地帯の結界の境を感知し、空がそこから出ようとしたのを止めたのだ。
空はまだ見えぬ皆の姿に焦りつつも、その場に必死で留まり、けれど皆の無事を確かめたいと背伸びをした。
しかし不意にその頭上にさっと黒い影が差す。
「ひっ!」
その影の正体に気づいて、空は思わずその場にしゃがみ込んだ。
「ホピッ、ホピピッ!」
フクちゃんがさっと大きな翼を広げ、しゃがみ込んだ空をその下に隠し上空を飛ぶトンボを威嚇する。だがトンボは上で旋回するだけで近づいては来なかった。結界があるのが分かっているらしい。
空は顔を上げてトンボが襲ってこないのを確認すると、ぐっと歯を食いしばって立ち上がり、滲んだ涙を上着の袖で乱雑に拭った。
そしてベルトから投石器を取り出し、竹かごに手を伸ばしてドングリを手に取った。
「あっちいけ!」
懸命に狙いを付けて思い切りゴムを引っ張り、バチンとドングリを放つ。
火事場の馬鹿力とでも言うのか、ドングリは奇跡的に上空で隙を窺うトンボの頭にバカンと当たった。
「やった!」
トンボがふらついて落ちかけ、慌てて逃げて行く。
しかし一匹が飛んでいってもまたすぐに別のトンボが近づいてくる。空はこれでは皆が結界に近づけないのではないかと焦った。
その時、曲がっていて見えなかった道の先にヤナらの姿がようやく見えた。
「あっ、みんな! こっち!」
空はその姿を見て慌てて手を振った。
周囲にトンボが増えてきて手間取っているが全員無事だ。しかし子供たちはもう抱えられておらず、自分の足で必死で走っている。
ヤナが手を振ってはバチバチとトンボを弾き飛ばし、圭人が手元から葡萄の蔓のようなものを伸ばして、襲ってくるトンボを絡め取り地面に叩きつける。
武志は自分の鎌から光の剣を伸ばしてトンボを牽制し、明良や勇馬、結衣は守られながら走っていた。
時折結衣が炎を飛ばしたり、明良と勇馬が鎌を振ったりしているが、トンボも諦める気配がない。
「フクちゃん、むかえいって!」
「ビッ!」
空は思わずそう頼んだが、しかしフクちゃんは動かない。フクちゃんはあくまで空の守護鳥で、危険があるならその傍から離れることはないのだ。
動かないフクちゃんを焦ったように見て、それならと空はまた投石器にドングリをあててトンボを狙った。
「あっちいけってば!」
空の放つドングリは多くが外れてどこかに飛んでいったが、幾つかはトンボに当たった。
しかしそれは的が増えているからだ。周囲から、ここに獲物がいるとトンボが集まりつつある。
それに気付いた空はぞっとして慌てて皆の方を見た。
見れば皆はついに足を止め、ヤナが結界を張って子供たちを守っている。しかし自分の縄張りから遠いここでは、十分な力が出ないのかその範囲は狭いらしく、結衣や明良は怯えたように身を寄せ合ってうずくまっていた。
「くそ、数が多いのだぞ!」
「持ちますか!?」
「何とか助けが来るまでは持つだろう……もう少しで地蔵堂なのだが……」
ヤナはお堂の方を見て、その結界内でこちらを見ながら必死でドングリをトンボ目がけて飛ばしている空を見た。
その無事な姿にホッと息を吐く。
しかし次の瞬間、結界に強い衝撃を感じて思わず呻いた。一匹のトンボが体当たりしてきたのだ。
「ぶつかって壊す気か! こしゃくな真似を!」
「補強します!」
圭人が葡萄の蔦を結界に添って這わせて広げ、補強する。しかし一際大きなトンボが飛んで来てドシリと結界にぶつかって乗り上げると、鋭い牙で齧り付いて葡萄の蔓をむしり取った。
「きゃあっ!」
「ゆいっ!」
「結衣、大丈夫だから!」
「とうちゃん、オレも! オレもやる!」
「こら、ダメだって!」
間近に迫ったトンボに恐怖に駆られた結衣が悲鳴を上げ、その体に武志と明良が慌てて抱きついて包んだ。勇馬は果敢にトンボに応戦しようとして、圭人の腕に抱えられている。
空はそれをただ見ているしか出来なかった。今にも飛び出しそうな空の体を、フクちゃんが服を咥えて懸命に止めている。
空は結界内から少しでも出たりしないように我慢していたが、お堂の結界にもトンボが何度か体当たりしてきている。
間近で見るトンボの大きさも、光を弾くギョロリとした目もギチギチ動く鋭い顎も、空には本当に怖い。けれど、それよりも皆が危険に晒されている事の方がずっと怖かった。
(皆が……皆が、食べられちゃう! 誰か……)
「じぃじ……ばぁば! だれか、だれかたすけて! みんなをたすけて!」
空は、精一杯の声で思わず叫んだ。
その次の瞬間、ドンッ、と何か大きな音が背後から突然響き、空は思わず跳び上がった。
「ひきゃっ!?」
慌てて後ろを振り向くが、背後には何もない。ただ、お地蔵様のお堂がさっきと変わらずあるだけ――ではなかった。
「おじぞうさま……いない!?」
なんと、さっきまで確かにお堂の中にいたはずのお地蔵様の姿がない。お堂の中は空っぽだ。
何故、どこに、と空が思う間もなく、突然頭上から何かが次々降ってきた。
バサバサと音がして空は慌てて顔を上げた。
「えっ、なに!? こんどはなにっ!?」
バラバラと黒い物が降り注ぎ、結界に当たって弾き落とされて散らばって行く。
降ってきたのは何匹分もの黒い足、透き通った羽の欠片、短くなった尻尾――そして、牙を剥いて虚空を見つめるトンボの頭。
「ぴええぇっ!?」
頭が近くまで転がってきて、空は震え上がってフクちゃんにしがみつく。フクちゃんはヤナたちの方に視線を向けて、ホピッと鳴いた。
「フクちゃん……? なに?」
空も慌ててそちらを見る。すると視界に入ったのは、まだ結界を維持しているヤナとそれを守る圭人、身を寄せ合う子供たち――そして、皆をかばうようにその前に仁王立ちする、一人の見知らぬ老婆の姿だった。