89:秋のお客様
秋も大分深まり、少しずつ天候が崩れる日が増えてきた。
村の冬支度は着々と進み、村の倉庫や家々の倉はどこも冬用の保存食で一杯になりつつあった。
米田家の裏の倉も例外ではなく、分配された米や夏や秋に収穫した芋やかぼちゃ、雪乃が作った漬物やジャム、婦人会で作って分けられた干物など、様々な食材が溢れている。
空は時々雪乃についていって倉を覗いては、その充実ぶりに嬉しそうな笑みを浮かべた。食べる物がいっぱいあるって素晴らしい、とにこにこご満悦だ。
さて、そんな風に村の備蓄がたっぷり増える頃、村を訪れるものたちがいた。
空はその日軽い鼻風邪を引いていて、念のため日課の散歩もお休みして家でのんびりしていた。
気温が急に下がったせいかくしゃみと鼻水が出て、朝からどうもすっきりしないのだ。
はっきりした熱もないし、寝ているほどの体調でもないので囲炉裏に火を入れてもらって、暖かな部屋で絵本を読んだり積み木やパズルをしたりと家の中で出来る遊びをする。
積み木は幸生が村の木工職人に端材で作ってもらって、プレゼントしてくれた。色々な形の積み木でトンネルや家を作って、フクちゃんが通れるかどうか試してもらうのが空の最近のお気に入りの遊びだ。フクちゃんの羽やお尻が引っかかって崩れてしまうこともあるが、それはそれで面白い。
フクちゃんも嫌がらず付き合ってくれるので、空は家の中で退屈しないで済んでいた。
囲炉裏の部屋でそんな事をして遊んでいると、不意にカラカラ、と玄関の扉が開く音が聞こえた。
「ごめんください」
次いで、小さな挨拶の声。少し高い、女性の声のように空には聞こえた。
空は顔を上げて部屋を見回し、雪乃もヤナも部屋にいない事を確かめると、代わりに声を上げた。
「はーい! ばぁばー、おきゃくさんー!」
「はいはい、ありがとう空。どなたー?」
空の声に雪乃が台所から顔を出し、パタパタと部屋を出て玄関へと歩いて行く。
客と顔を合わせた途端、嬉しそうな声が上がった。
「あら、猫宮さん! こんにちは、久しぶりねぇ。もうそんな時期?」
「こんにちは、雪乃さん。今年はちょっと早めたんさね」
雪乃と客の親しげなやり取りに、空は気になって障子を開けてちょっとだけ顔を出した。
しかし見えるのは雪乃の背だけで、お客さんの姿は見えない。
背の低い人なのかなと思って見ていると台所からヤナもやって来て、雪乃の隣に並ぶと二人に声を掛けた。
「今年も来たのか、猫の。うちにはいらぬと毎年言っておろうに」
「おやおや、相変わらず心の狭い家守だこと!」
ヤナの軽口に、相手はケラケラと笑い声をあげた。
空は我慢出来ずに部屋から出て玄関に向かった。ヤナの後ろからひょいと顔を出すと、玄関とお客の姿がようやく目に入った。
「あら? 可愛い子がおるね! 雪乃さんの子かい?」
「ふふふ、まさか! 紗雪の子なのよ。空っていうの。空?」
雪乃が空に挨拶を促しているのは、頭の隅でかろうじて理解できた。しかし空には目の前の存在が理解できなかった。
「空? どうした?」
ヤナに顔を覗き込まれ、のろのろとそちらに視線を向ける。それからもう一度客に視線を戻し、空はパクリと口を開いた。
「ね、ねこ……しゃべってる!」
その言葉に雪乃らは不思議そうに顔を見合わせた。
猫宮さんと呼ばれた客は、その名の通り(?)猫の姿をしていた。体はちょっとふっくら丸めで、けれどきりっとした小顔の、綺麗な三毛猫だ。顔やお腹、そして足先の毛は真っ白で、見るからにふわりとして柔らかそうだった。
後ろ足で立ち上がり、流暢な言葉で喋り、背にはすらりとした二本の尻尾が揺れている。
「都会の猫は喋らぬのか? この辺の猫はある程度の年齢になると皆うるさく喋るぞ?」
ヤナの言葉に空は一瞬気が遠くなる。しかしぐっと堪えて、自分に言い聞かせた。
(ね、猫くらいで驚いちゃ、多分ダメなんだ……ヤモリも龍も河童もいて、キノコだって喋るんだから……! ね、猫なんて、きっと普通なんだ……!)
すぅっと深呼吸をして、気を取り直すと空はできるだけの笑顔を作った。
「こんにちは、そらです!」
「なるほどねぇ。いやぁ、良かったさね雪乃さん、こんな可愛いお孫さんと暮らせて」
「ふふ、ありがとう、猫宮さん」
囲炉裏の傍で雪乃と猫宮が楽しそうにお喋りをしていた。
せっかくだからお茶でも、と雪乃が猫宮を招き入れたのだ。お茶として猫宮に出されたのは、作り置きして冷蔵庫に入っていた鰹出汁で、お茶請けは小さく割った煮干しだった。
空は雪乃の隣に座りながら、さっきからそわそわしっぱなしだ。
実は空は前世でも今世でも、猫や犬を飼ったことがないのだ。ペット禁止のアパートやマンション住まいしかしたことがないから、猫や犬は遠くから見るだけの存在だった。
猫が喋るという驚きから立ち直れば、あとはその柔らかく可愛らしい姿がひたすら気になる。
猫宮の大きさは、空が何となくこのくらいが標準かなと思う普通の猫より少し大きめな気がした。
毛は短いが毛並みは美しく整い、ふわふわと柔らかそうで触ってみたい。ピコピコと時折動く三角の耳も、ゆらゆらしている尻尾も、ちょこんと揃えられた前足の先の段差まで可愛い。
憧れのアイドルを前にした人のように空がそわそわチラチラと見ていると、すぐ隣にいるフクちゃんが何となく不満そうに体を膨らませ、ホピホピ鳴いて牽制している。
(浮気じゃないから! ちょっと気になるだけだから!)
フクちゃんを捕まえてちょっともみもみして心を落ち着けようか、と考えていると、出汁を入れたお椀から顔を上げて口元をペロリと舐めた猫宮が、不意に空の方を向いた。
「触ってみるかい?」
「えっ、いいの!?」
人語を解す猫を撫でたいというのは、もしかしたら失礼なんじゃないかとすごく我慢していた空は、その提案に思わず飛びついた。
「背中なら構わないよ。他は勘弁しておくれ」
「うん!」
許可をもらって、猫らしい姿で座っているその背にそっと手を伸ばす。丸い背中に触れると、想像以上に柔らかくて温かかった。
「わぁ……さらさらだ!」
滑らかな毛の感触が手に気持ち良い。空は上から下に優しく滑らせるように何度も撫でた。
何度も撫でているとどこからか低く響く不思議な音が聞こえて、首を傾げると猫宮がくすりと笑う。
「アタシの喉だよ。気分が良いと鳴るのさ」
「のど……これがあの!」
空が感動していると、猫の背を撫でている手の下に何かがぎゅっと割り込んだ。
驚いて手元を見れば、フクちゃんが小さな体を手と毛の隙間に無理矢理入れようとジタバタしている。
「ビッ、ビビッ!」
「ふ、フクちゃん……ええと、フクちゃんもかわいいよ!」
浮気を咎められた男のような気持ちを味わいながら、空は慌ててフクちゃんも撫でた。
撫でながら何となく視線を感じて横を見れば、不満そうに頬を膨らませたヤナがじっと空を見ていた。
「や、ヤナちゃん?」
「……別に悔しくなどないぞ! そんな手入れの面倒くさい毛皮など、ヤナの鱗に比べればまったく艶も足りぬしな!」
「おやおや。長生きしている癖にヤキモチと負け惜しみはみっともないよ。まぁ、仕方ないさね。アンタの鱗は夏には良いけど、やっぱり秋冬は毛皮じゃなくちゃねぇ」
「ぐっ……や、ヤナの鱗は冬でも魅力的なのだぞ!」
「ホピッ! ホピピッ!」
そこにフクちゃんが体を鶏くらいに大きくして参戦してきた。
空は急に来てしまった人生初のモテ期に戸惑いつつ、左手でフクちゃんを抱えてもみもみし、右手で猫を撫で、背中からヤナに抱え込まれるという贅沢を束の間味わったのだった。
Twitter見てるといつも猫が流れていて楽しいです。