86:隣村へのお出かけ
山が少しずつ纏う色を変えはじめた、そんな頃。
朝晩は随分と涼しくなったが、幸い秋晴れが続いて気温は安定していた。
そんな日を見計らって、雪乃は朝食の席で空に声を掛けた。
「おでかけ?」
「ええ、お隣の村に、空の冬物の服を見に行きましょう」
雪乃の提案に空は首を傾げた。空は春にここに来た当初から比べるともう十センチ以上背が伸びている。けれど田舎に来る時に兄の樹のお下がりを色々と持ってきていたので、すぐに何か必要という訳でもないと思っていたのだ。
「おさがりのふく、あるよ?」
「でもあんまり沢山じゃないでしょう? 少し買い足して、それから今ある服にも何か魔法を付与をしてもらおうと思って」
「まほう! ふよ!」
それはちょっと心躍る提案だ。
「出来上がった布物に魔法を掛けるのが得意なお店が、隣村にあるのよ」
「できてるの……できてないのにもかける?」
「そうね。強い魔法を付与する時は、材料の段階から掛けるわね」
村では服一つとっても、材料を作ったり狩ってくる者、糸を紡ぐ者、布を織る者、服を作る者、そして最後に魔法をかける者と、専業の家や得意とする人がいるらしく、細かく分業になっているのだという。
「何でも全部を一人では出来ないし、出来ても大変でしょう? だから皆でちょっとずつ頑張るの」
そうして作られた村の製品は丈夫で強く、ここでの生活に当然適している。
最近は外から入ってくる既製品も増えたが、それらもある程度の付与を施してから着るのが当然らしい。
「物に魔法を掛けるのって、色々あって、得意不得意がけっこうあるのよねぇ」
「ばぁばは、ふよ、とくいじゃない?」
「そうなのよ。魔力の質とか色々関係するんだけど……ばぁばの魔法は物にただ掛けただけだとあんまり長持ちしないのよ。色々手を加えないとダメね」
「そうなんだ……ふしぎ!」
「ふふ、不思議ね」
空は村人が物を作っているところをまだあまり見たことがない。空が知る職人は善三くらいだが、彼が作業をしているところもまだ見せてもらったことはなかった。
幸生は農作業や力仕事以外は全く不得意らしく、雪乃は料理は得意だがそれ以外は冬にたまに編み物をするくらいだと教えてくれた。
だから幸生や自分が着る服は、他所で作ってもらって付与もしてもらうのだという。
「この辺の人が着ると、付与なしの服はすぐ破れちゃうのよ」
「じぃじもすぐやぶりそう……」
「もちろん、あっという間よ!」
漫画みたいに服がバーンと弾けそうだと想像して空がくすくす笑うと、雪乃もつられて一緒になって笑った。
しばしそうやって笑い合った後、空はふとこの前から時々考えていた事を、一つ思い出した。
「あんね、ばぁば……まえにもらった、かぶとむしのつの、あるよね?」
「ええ、あるわよ。押し入れに入れてあるわ」
そう、空は夏にカブトムシに攫われた時、フクちゃんが倒したあとに残ったその角を貰って持っていたのだ。勇馬が拾ってきて、謝りに来た時に空の物だと渡してくれたからだ。
しかし自分の身長と同じくらいある巨大な角を当然ながら空は持て余し、押し入れにしまったまま一度も出したことはなかった。
「あれでね、ぼく、つくりたいのがあるの」
「あら、何かしら。カブトムシの角は鎌よりも刀なんかに向いてるんだけど……」
ちょっと空には早いのではないかと思いつつ、雪乃は寝室の押し入れに向かい、そこからカブトムシの角を持ってきてくれた。
「はい。持ってきたわよ」
「ありがと、ばぁば!」
空の前にどさりと角が置かれる。改めてみてもやっぱり長く太くて、空は夏の騒動を思い出してちょっと身震いした。その前ではフクちゃんが自分が倒したカブトムシの角を見ながらうろうろし、どことなく自慢げに胸を張る。
「空はこれで何を作りたいの?」
雪乃が問いかけると、空は黒光りする角をじっと見つめ、その天辺を指さした。
「あんね、ここの、ふたつになってるとこ、ここにごむみたいなのつけて、どんぐりとかとばしたいの!」
「ここにゴム? それで、ドングリを?」
「うん! ぐーってひっぱったら、ぱちんてなるでしょ!」
空が身振り手振りで説明すると、雪乃も納得いったらしくてなるほどと頷いた。
「投石器みたいなものを作りたいって事なのね?」
「とーせきき……うん、そう。そういうの、やってみたい!」
パチンコとかスリングショットとか、もうちょっと別の言い方があるような気がしたが、とりあえず意図は伝わったので空は頷いておいた。
「じゃあそういう加工が得意なお店も隣村にあるから、行ったらお願いしましょうね」
「うん!」
空は最近ちょっと考えていたのだ。
先日コケモリ様に魔力の調整とやらをしてもらってから、空は無闇に物を壊すような事が確かに随分と減った。
逆に、ちょっと硬い箱の蓋を開けたいなどと思えば無意識で力が強くなって上手に開けられるようになったりと、細かい調整が急に上手くなったのだ。
そうなると嬉しくなってコケモリ様をちょっと見直したのだが、同時に少し物足りなくもなった。
力が少しばかり強くなっても、相変わらず空はこの村では無力な存在に変わりはない。
傍にはいつもフクちゃんがいるし、水たまりに落ちるような事が無ければ家の傍からは離れないのだから心配は少ないのだが、それでも何か自分自身にもう少し安心できる要素が欲しいと思ったのだ。
かといって鎌だの剣だのといった刃物はまだかえって危ない気がする。
空でもどうにか扱えそうで、ついでに何かの訓練にもなりそうな物はないかと色々考えて、その結果、スリングショットに行きついたという訳だった。
ちょうど季節は秋になったし、そういう物を作ってもらったらドングリのような害のない物を弾にして練習したら良さそうだと空は考えているのだ。
「ぼくね、どんぐりいれる、ちっちゃいいれものもほしい」
「そうね、じゃあそれも探しておくわね。ドングリも拾いに行かなくちゃね」
「うん!」
孫が食べ物以外の物を強請るのが珍しくて、嬉しくなった雪乃は二つ返事で請け負ってくれた。
そんな訳で、空はカブトムシの角を持って隣村にお出かけすることが決まったのだ。
朝食を終え、巨大亀のキヨちゃんが引っ張るバスに乗ってやって来た隣の魔狩村は、魔砕村とはまた違った造りの村だった。
山間にある村の敷地は広く、その中心には住宅や村の施設が密集していて、それを高い壁がぐるりと囲んで守っているのだ。
もちろん田んぼも畑も沢山あるのだが、それらの多くは壁の外に作られていた。有事の際には壁の中で籠城出来るように備えた村らしい。壁の外側には何と壕もあり、そこに掛けられた橋も上げられるようだ。
近隣の村からの避難も想定に入れているということで、そこそこ大きな病院や色々な商店、外から来る人のための宿泊施設などもあるらしい。
空はバスの中から高い壁や壕、跳ね橋を物珍しく眺め、そして壁の中の賑やかな様子に目を見張った。
通りは魔砕村よりも広く、家々は土地の節約のためか縦に長い造りの物が多い。宿や役場、商店も縦に長かった。
大体の建物が平屋かせいぜい二階建ての魔砕村とはそこも違っていた。
低い山を一つ越えただけなのに随分と色々と違っていて、空には見るもの全てが物珍しい気がした。