44:スイカのお誘い
唐突に季節が夏に変わってから数日後のある日。
空は午後のお昼寝の布団から抜け出し、廊下に大の字で転がっていた。板張りの廊下にぺたりと寝転び、そのひんやりした部分を楽しんでいるのだ。体温で床が温まるとごろりと転がって少し移動し、それを繰り返しながらうとうとしている。板は固いが冷たさは気持ち良い。米田家はいつも綺麗に掃除されているので、空が布団を抜け出して廊下に張り付いていても雪乃らは苦笑するだけで怒ったりはしなかった。
とは言っても、田舎の夏は空にとっては思ったより暑くはない。
気温が高いのは確かなのだが朝の空気は涼しくて清々しいし、昼間も木陰や家の中にいれば耐えがたいほどではない。夕方に夕立が降ると気温はまた下がってぐっと過ごしやすくなり、窓から入る風も心地良いので夜はそれなりによく眠れる。
ただ蝉の声がうるさくてあまりゆっくり昼寝が出来ないのが少し困りものだ。
「カエルの声と一緒だ。そのうち慣れて気にならなくなるぞ」
ヤナはそう言ってくれたので、空はとりあえず慣れるまでの我慢と思いながら日々を過ごしていた。
「こんにちはー!」
空が廊下に張り付きながら夢うつつで蝉への怨嗟を呟いていると、玄関が開く音と共に元気の良い声が聞こえた。明良の声だ。
いらっしゃい、とそれを迎える雪乃の声に空はむくりと起き上がって目を擦り、立ち上がって玄関へと急いだ。
「あ、空、起きたのね」
空の姿を見た雪乃が微笑み、それからくすりと笑う。明良も空を見てパッと顔を綻ばせた。
「そら! あ、ひるねしてた?」
「うん。なんでわかるの?」
「おでこにもようついてるよ!」
あはは、と笑われて空は自分の額を手で撫でる。確かに触るとそこに何か筋のような跡がある気がする。空は雪乃の方を見上げておでこを見せた。
「いっぱいついてる?」
「赤くなって板目がちょっと付いているけど、すぐ消えるから大丈夫よ」
そう言って雪乃は優しく空の額を撫でた。ふくふくした頬にも赤い跡がついていたが、それは指摘しないでおく。ここに来た当初よりもずっとふっくら丸くなった空の顔を、雪乃は嬉しく思うだけだ。
「おれもさー、よくたたみのあとついてるっていわれるんだ。でもきもちいーよな!」
「うん、ぼく、ろうかひんやりしててすき!」
空は、春の間は日の当たる縁側が好きだったが、夏になったら家の真ん中を通る廊下が好きになった。そうやって好きな場所が増えるのも楽しい。そんな気持ちで笑うと明良も笑って頷いた。
「二人とも、玄関で笑ってないで中でおやつでもどう?」
「おやつ! たべる!」
「おじゃましまーす!」
台所で雪乃が出してくれたのはあんみつだった。雪乃お手製の餡子や白玉、寒天、杏のシロップ漬けや早生の桃などが器に綺麗に盛られて見るからに美味しそうだ。
「明良くん、どのくらい食べる?」
「んっと、おれふつうので!」
空用と思われるどんぶりを見ながら、明良はその隣の中くらいのガラスの器を指さした。
雪乃は頷いてその器に同じようにあんみつを盛り付け、明良に渡す。
「はい、どうぞ」
「ありがとう! いただきまーす!」
「いただきます!」
待っていた空も手を合わせてどんぶりに盛られたあんみつにスプーンを入れた。
つやつやした白玉に餡子をたっぷり搦めて大きく開けた口に運ぶ。雪乃が作る餡子は少し柔らかめで、優しい甘さだ。黒蜜をかけたりするので甘すぎないようにしているらしい。その代わりに多めに盛ってくれて、空にはそれが嬉しい。
日によってこしあんだったり粒あんだったりと違いがあり、忙しいと粒あんになるらしいのだが空はどちらも好きなので気にしていない。それよりももちもちとした白玉を噛むのに夢中だ。
「んん……おいしい!」
「うん、ゆきのおばちゃん、おいしいよ!」
「ありがとう、お代わりもあるから沢山食べてね」
「そんなにたべたら、ゆうごはんはいらなくっておこられちゃうよ」
明良はそう言って笑う。空は多分余裕で入るが、この後明良と遊びたいので今日のお代わりは止めておいた。
「あ、ういた! ぼくの、ちゃんとういたよアキちゃん!」
「ほんとだ! よかったな、そら。おれのもほら!」
おやつを食べ終え、空と明良は庭の小さな池の畔に座り込んでいた。明良が笹舟の作り方を空に教えてくれて、それを池に浮かべて遊んでいたのだ。
空の小さな手ではまだあまり上手く作れなかったが、それでも何個か練習してやっと水に浮かぶものが出来た。空はそれを池に浮かべて、ちょんと指で突ついた。フラフラと揺れて今にも沈みそうだがどうにか持ちこたえている。
この辺の笹は放っておくと広がる以外は安全な植物らしいので、空は安心してもう一つ作ろうかと新しい笹を一枚手に取った。明良は自分の船の上に、近くに生えていた花の花びらを載せている。
自分もやろうかなと思いながら空がそれを眺めていると、不意に思い出したように明良が顔を上げた。
「そういやさ、そら、あしたいっしょにスイカとりにいかない? タケちゃんたちといくんだ」
「すいか?」
「そう、たべたことある?」
空は少し考え頷いた。確か、去年の夏に一回だけ食べたことがある。寝込んでいた空に紗雪が買ってきてくれたのだ。ひんやりして甘くて美味しかった記憶がある。前世でも夏にはたまに食べた気がする。
「とうきょうのおうちで、いっかいたべたよ」
「そっか、じゃあどうかなぁ? あさのうちにいくって」
明良はそう言って側で二人を見守っていた雪乃の方に顔を向けた。雪乃は少し考える。
「スイカね……空には少し早い気がするわねぇ」
「おばちゃんかヤナちゃんがいっしょでもだめ?」
「私は明日ちょっと用事があるのよ。ヤナは東地区のスイカ畑なら行けると思うけど……一緒に見に行くくらいなら良いかしらね」
そう言って雪乃は側にあった植木の葉っぱを一枚ちぎると、ふっと息を吹きかけて風に飛ばした。葉っぱはふわりと裏庭の方へ飛んで行く。それがヤナを呼ぶための魔法だと空は前に聞いたことがあった。
「すいか、じぃじそだててないの?」
そういえば裏の畑にはそれらしき作物は無かったなと思いつつ、空は雪乃に問いかけた。
「スイカは育ててないわねぇ。ちょっと面倒だから、地区で大きな場所を用意してそこに隔離……出てこないようにして順番に世話してるのよ」
「スイカはねー、みがなるまえはにげだすし、あばれるんだってさ」
「……みがなったら、へいきなの?」
「うん。みがなれば、ちくのこならすきにはいって、とっていいんだよ!」
「そ、そうなんだ……」
隔離しないといけないスイカという存在に、空はちょっと引きつつ納得した。裏庭の作物も含め、この村の動植物はいつも空の知らない謎の生態をしている。
そろそろどんなものが出てきても驚かない境地に達したいと思いつつ、その日は遠そうだと空は遠い目で微笑んだ。
そんな話をしているうちにヤナが裏庭からやって来た。今日は雪乃が家にいるのでヤナはのんびりしていたらしい。
「どうした、雪乃?」
「あ、ヤナ。あのね、空と明日スイカを採りに行って欲しいんだけど、大丈夫かしら?」
「スイカか。お堂の手前の辻から南に行った辺りだったか?」
「ええ、塀で囲ってある場所。知ってるわよね」
「うむ。そのくらいなら構わぬぞ。東の地内だし気にするな。ご近所付き合いは適当にしとるしな」
家守には縄張りがあり、本来はあまりそこから離れない。しかし家守同士付き合いがあれば、その範囲内なら出かける事もあるらしい。
ヤナは大丈夫だと気軽に頷いたが、しかしふと空に視線を落とした。
「……着替えがいるかの?」
「タオルで良いんじゃないかしら。夏だし……」
「なら汚れても良い服がよいの」
「用意しておくわね」
その言葉と視線に空はにわかに不安になった。
「すいか……こわいの?」
「べつにこわくないよ? そらはまだちいさいから、さがすかかりやるといいよ! あつくなったからあまくておいしくなったって、じいちゃんいってたよ」
「あまくておいしい……!」
それは聞き逃せない情報だ。しゃくしゃくして瑞々しい甘いスイカを思うと何だかもう喉が渇く気がする。
「むこうでわって、みんなでたべような!」
「家の分はヤナが持ってやるから大きいのを探すと良いぞ」
「うん! ぼく、がんばる!」
美味しい物のためなら空は頑張るのだ。
諸事情あってちょっと更新が遅れています。
せめて週一くらいはどうにか維持したい。