43:優しい神様
赤ちゃんを連れた夫婦は順番にアオギリ様と何かしら話をしている。空もちょっとドキドキしながら順番が来るのを待つ。待っている間に空はアオギリ様のことをそっと観察した。
アオギリ様は一見すると割と普通の人間に見える気がする。腰まである白銀の髪が随分と目立つが、この村には何故か派手な髪色の人が多かったりするのでそこまで変でもない。
背は高く、年の頃は二十代後半くらいに見える美丈夫だ。紺地に青い線で鱗模様が描かれた着物に黒い袴を履いている。その色合いがまた容姿に良く似合っていた。
(イケメンだ……銀髪だし、着物だけど何だかファンタジーの登場人物みたい)
そんな感想を抱きながら眺めていると、不意に幸生が後ろから空をひょいと持ち上げた。そのまま太くたくましい腕にちょこんと座らせられる。どうやら順番が近いらしい。
「アオギリ様、ありがとうございました」
「うむ。健やかにな」
すぐ前の若い夫婦が頭を下げて去って行き、場所が空いた。空を腕に乗せた幸生と雪乃は前へと進む。
「おはようございます、アオギリ様」
雪乃がそう言って、幸生と共に深く頭を下げた。空も真似をして抱っこされたままぺこりと頭を下げる。
「おう、米田の。息災か?」
「ええ、おかげさまで、何事もなく過ごしております。アオギリ様、この子が春からうちに来た孫の空です。よろしくお願いします」
「は、はじめまして、そらです!」
空がそう言って挨拶すると、金色の目がくるりと向いて面白そうに見開かれ、キラリと光った。瞳孔が縦長なその瞳はヤナと良く似ている。間近で見るとアオギリ様の顔立ちは怜悧に整い、確かに人ならざる美しさを感じさせた。
さっき弥生に詰られるのが好きだと言って酒を飲んでいた姿が幻だったかのように思えるくらいには、神々しいような気がする。
空がそんな事を考えていると、アオギリ様は空をまじまじと見つめ、それからパッと破顔した。そんな風に表情が動くと途端に人懐っこい印象に変わる。空はその顔を見て、自分の中からわずかに残っていた緊張が消えるのを感じた。
「うむ、よう来たな! 孫というと紗雪の子か? 可愛い顔が良く似ておるなぁ。ずっとここにおるのか?」
「ええ、紗雪の三番目の子なのですが、この子だけ魔素が多く必要な体質らしくて。大きくなるまではうちで過ごす予定です」
「そうか、それは難儀だな。ならば新たな村の子に言祝ぎをやらねばな」
そう言ってアオギリ様は幸生に抱えられた空の頭にそっと手を伸ばした。大きな手が空の頭を優しく撫で、それから額にそっと人差し指が当てられる。
「この村の子は、皆我の愛し子よ。健やかに育て、空」
微笑みと共に告げられた言葉を聞いた途端、空の体の中にふわりと涼やかな風が通り抜けたような気がした。触れられた額がじんわりと温かくて心地良い。空は目をパチパチとさせて、目の前の金色の瞳を見つめる。アオギリ様もまた空の瞳を覗き込み、そして一つ頷いた。
「ふむ。体の方はまだちと弱いようだが、いずれ育つであろう。魔力の気質は……紗雪や幸生にはあまり似ておらんかもしれぬな」
「あら、じゃあ私と同じ魔法寄りでしょうか……」
「雪乃ともまた違うかもしれん。まぁまだ定まってはおらぬゆえ、今後の成長や精進によるがの」
そう言ってアオギリ様は空の頭をまた一つ撫でて微笑んだ。
「空、そなたはこの村は好きか?」
空はその問いに反射的にこくりと頷いて、そして考えながら口を開いた。
「ぼく……びっくりするし、わかんなくてこわいこと、まだいっぱいあるけど、すき、です」
何となくこの目の前の神様に嘘を吐きたくなかった空は、正直に思うところを口にする。些細な事でもまだまだびっくりしたりちびりそうになったりするが、それでも空はこの村がすっかり好きになっている。そう言うとアオギリ様は嬉しそうに目を細めた。
「それは重畳だの。だがこの先もずっと村で生きるなら、何か一つでもうんと好きなものや、したい事があると更に良いのだがの。空は好きなものはあるか?」
そう問われれば空の答えは一つだ。
「おいしいもの! ぼく、おいしいものすき! おいしいものとりたい!」
勢いよくそう言うとアオギリ様は目を見開き、それからけらけらと楽しそうに笑った。
「そうかそうか、それは良い。美味いものは良いな。生きているということだからな! 我も美味い酒を飲むと鱗の色艶が良くなるぞ!」
空の答えに雪乃も近くにいた大和も皆優しい笑顔を浮かべている。空を抱き上げている幸生はいつも通りの無表情だったが、何故か天を仰いでいた。
「空、好きなものを沢山作り、生きる事を楽しめ。それがそなたを強くするだろう」
「あい! ありがとーございます!」
「ありがとうございます、アオギリ様」
「うむ。また遊びに来るが良い。いつでも待っておるでな」
「うん!」
アオギリ様にぶんぶんと手を振って、空は幸生らと共に舞台を下りた。元来た道へと向かう途中で、雪乃が不意に足を止める。
「ほら、空、あっちを見てごらん」
雪乃がそう言って池を指さした。空はそちらを見て大きく目を見開き、息をのんだ。
「……ふわぁ、きれい! おはなさいた!」
さっきまで白い蓮が真ん中にぽつんと一輪咲いているだけだった池は、いつの間にかその景色を一変させていた。池が蓮の葉と花でいっぱいになっていたのだ。
池一面を大きく丸い蓮の葉が覆い尽くして緑色に染め、水面はもうほとんど見えない。そしてその葉の間から天に向かって伸びた沢山の白い花が、眩しい日差しを浴びて花開き、美しく輝いている。
わずかな間に現れた美しい蓮池に、空は目を輝かせて見入った。
「すごい……かみさまのおかげ?」
「きっとそうね。神様が目を覚まして、蓮も嬉しいのかもね」
「かみさま、やさしかったもんね!」
ふと気づけばどこか遠くから蝉の声らしき音も聞こえてきている。空はその声に耳を澄ませた。
青い空と降り注ぐ日差しが空気の温度を少しずつ変えてゆく。吹く風は朝よりも温く、その風に揺れる白い花も聞こえる蝉の声も、全てが夏が来たのだと空に訴えかけていた。
「すごい……きょうから、ほんとになつになった!」
「そうよ。楽しい事いっぱい探しましょうね、空」
「うん!」
(田舎の夏……いきなりだけど、何かすごい!)
梅雨の終わりと夏の始まりの、不思議な日。
この村には優しい守り神がいるという事を、空は今日新しく知った。
そしてまた少し、この村が好きになったのだった。