42:一番強い人
「いやあ、つい寝坊してしもうた。すまぬすまぬ」
真っ青な空の下、眩しい日差しと暑い空気に当たって乾きつつある舞台の上に、鱗模様の紺地の着物を身につけた髪の長い男がけらけらと笑う。
その隣には弥生がぶすくれながら立っており、その弥生に辰巳がくどくどと説教をしていた。
「アオギリ様に何という事を! 御祭神様を何と思うておる! お前はいつもいつも不敬が過ぎる!」
「もう、お祖父ちゃんうるっさい! 悪いのは毎年毎年寝坊するこいつでしょ!」
「これ! こいつとは何だ!」
辰巳が弥生を怒鳴りつけるが、弥生はフンとそっぽを向いて頬を膨らませた。それを見たアオギリと呼ばれた男がひらひらと手を振る。
「よいよい、気にするな辰巳。我の寝起きが悪いのは確かにいつもの事だしの。それに我は弥生のその傍若無人なところに惚れておるのだ。妻の気ままを許すのも夫の甲斐性というものよ」
「誰が妻よ! お断りだって毎年言ってるでしょ!」
「アオギリ様! 貴方様がそうやって甘やかすのもいかんのです! 保つべき威厳や品位をなんとお思いですか!」
「そうは言っても、我の好みは我を平気で殴り飛ばすような女子なのだぞ。弥生に詰られると背の鱗がぞわぞわして心地良くてな。まぁ威厳や品位とやらは我はいらぬからお主が保ってくれ」
弥生と辰巳にギャンギャンと噛みつかれても鷹揚に笑う男の片手には酒の入った一升瓶が握られて揺れている。多分弥生が投げた物だろう。男はそれを持ち上げてきゅぽんと蓋を開けるとぐいぐいと豪快にラッパ飲みをし始めた。それを止める二人の声にもお構いなしだ。
「っはー、久しぶりの酒は美味いな!」
雨もすっかり止み、合羽を脱いで雪乃に下ろして貰った空はその騒ぎをぽかんと眺めていた。
空はついさっきまで、魔法のように雲が消えて急に現れた夏空を呆気にとられて見つめていた。そこからようやく視線を下ろしたらもう舞台の端にあの男の人が立っていて、弥生に絡んでぐいぐい押しのけられていたのだ。そしてこの騒ぎだ。
(あのお兄さんがちょっと変な人なのはわかった……人じゃないかもだけど)
聞こうとしなくても聞こえてしまうやり取りに、空はそう結論づけた。
放っておいて良いのかと心配しつつ視線を巡らせれば、舞台の端では我関せずといった様子の大和が世話役に指示を出してテキパキと片付けをし、親子連れに声を掛けて集めている。
「はい、じゃあ赤ちゃん連れが最初に並んで下さい。今年生まれたのは安野さん、大村さん、井川さん……あとは……あ、米田さんいます?」
「ここよ、大和君」
名を呼ばれて雪乃が手を挙げる。手元の紙を見ながら赤ちゃん連れの親子を確認していた大和は、それに気づくとこちらに歩いてきた。
「こんにちは、雪乃さん」
「こんにちは。相変わらず大変そうね」
「大丈夫です、慣れてますから。それよりも、米田さんとこは今年お孫さんが一人新しく村に来たんでしたよね?」
空はその言葉に顔を上げ、手を伸ばしてぴょんと跳ねた。
「そらです、はじめまして!」
「お、元気良いな。初めまして空くん。俺はここの禰宜の龍花大和です。よろしくね」
「ねぎ?」
「禰宜ってのは……あそこで姉さんと怒鳴り合ってる祖父さんの下っ端ってことかな?」
そう言って笑う大和は弥生とどこか似た面立ちの爽やかな青年だった。神官装束がよく似合っていて、落ち着いた雰囲気も相まって弥生よりも年上に見えた。
「空くん、今年生まれた赤ちゃんとか、外から来て初めてこのお祭りに参加する子は龍神様に最初に挨拶するんだ。あそこの列に雪乃さん達と並んで待っててね」
そう言って大和は空の頭を優しく撫でてくれた。
「りゅうじんさまって、あのおにいさん? さっきの、あおいうろこの、おっきくておそらにいったの……あのおにいさんだったの?」
「え、見えたの?」
空の言葉に大和は目を丸くしたが、その大和の言葉に空も目を丸くした。
(普通は見えないもんなの!? あんなにでかかったのに?)
驚く空の肩に手を乗せ、雪乃が大和に頷いた。
「空はどうもそっちの方面の才能があるらしくて、よく見えるみたいなのよ」
「そうなんですか……好かれる方なんですかね?」
「多分ね。だから気をつけてるんだけど」
「それは大事ですね」
そう言って頷くと、大和は空の目の前にしゃがみ込んで目線を合わせて微笑んだ。
「空くん、あそこにいる銀髪のお兄さんが龍神様なんだよ。何かちょっとさっきから酒飲んでるし、子供に聞かせたくない感じの話してるけど、気さくな人……神様だから、あんまり気にしないで仲良くしてやってね」
さらりとそう言われてもかえって気になる。寝坊の常習者で酒飲みで若干M疑惑までもうすでに出ている。しかし空気の読める空は子供らしく首を傾げ、最初の一つだけ口にした。
「かみさま、おねぼうなの?」
「はは、ちょっとだけね。本当の姿はさっき空くんが見た青い鱗の大きいのなんだけど、あれじゃ大きすぎて神社で暮らせないから普段はあのお兄さんの姿なんだ。子供が好きな優しい神様だから怖くないよ。安心しててね」
「あい!」
空はその言葉にホッとして笑顔で頷いた。それを見た大和も同じように笑う。それから大和はまた立ち上がり、並ぶべき列の後ろを指し示した。
「じゃああちらで待ってて下さい。あ、雪乃さん、良かったら後で社務所に寄って下さい。お守りを授けますから」
「ありがとう、寄らせて貰うわね」
雪乃は礼を言って頷き、空を連れて赤ちゃん達の後ろに並んだ。幸生も後ろをのしのしとついてくる。空は雪乃と手を繋ぎながら、その顔を見上げて首を傾げた。
「ばぁば、さっきの、みえたらだめなの?」
「駄目じゃないわよ。空は皆よりちょっとよく見える目を持ってるってだけだし、良い事だから大丈夫」
「みんなは、どうみえるの?」
「大きな光の柱に見える人が多分一番多いと思うわ。ばぁばが見たのは多分空と同じ……青い鱗の龍の姿、見えた?」
「あおいうろこ、きらきらきれいだった……でも、おっきすぎてなんだかわかんなかったよ。とーきょーでみた、びるみたいだった」
窓ガラスがキラキラ光るのと鱗が光るのは結構似ていたし。そう言うと雪乃がクスクスと笑う。
「そうね、ビルみたいに大きいかもね。アオギリ様は……そう言うお名前なんだけどね、夏になると目を覚まして、冬にまたお眠りになるの。寝てる時はこのお池に住んでるのね」
「おきてたら、あっちのおうち?」
「そう、あそこの神社の御祭神だから……でも大体はその隣にある神主さんちに入り浸ってるわね」
「かんぬしさんち……なかよしなんだね」
あの調子だと賑やかそうだな、と思いつつ空が視線をそちらに向けると、子供らを並べ終えた大和によって辰巳と弥生はげんこつを貰って引き離され、アオギリ様は酒瓶を取り上げられ、自分の前に来た親子連れに微笑んでいた。
どうやらこの神社で一番強いのは大和らしいと空は悟った。




