36:雨の日の遊び
村は本格的な梅雨になった。
外に出られなくて退屈するかと思いきや、空は意外と雨が続く日々を楽しんでいる。
あの雨合羽も大活躍だ。あれを着ていると雨でも散歩が出来て、なかなか快適なのだ。そうなると現金なもので、空が何となく苦手に感じていたカエルもそんなに嫌じゃなくなるから不思議だ。まぁだからと言って積極的に仲良くしたい訳ではないのだが。
空は毎日午前中はヤナと合羽を着て庭をうろうろし、午後は昼寝をしてから室内でのんびりする。あまりおもちゃなどは持っていないのだが、ヤナがお手玉や手遊びを教えてくれたり、昔話を聞かせてくれたりするので結構楽しい。
今日の空は縁側でポタポタと落ちる滴を飽きずに眺めていた。
ヤナがどこかから空き缶や使っていない器を持ってきて、軒下に並べてくれたのだ。
それらがパタパタ、カンカン、ピチンピチンと、雨を受け止めて色々な音を出す。それに耳を澄ませているとちっとも飽きないのだ。
「おうたみたいだねぇ」
「そうだな。もっと置くか? 次は何が良いかな」
ヤナは雨音に合わせるように鼻歌を歌いながら外に出て行った。ヤナにとっては雨は特に気にならないらしい。裏庭の方へ回ったかと思えばすぐに戻ってきて、集めてきた植木鉢や水受け皿をひっくり返して追加で並べていく。
大きさや厚み、材質の違いで音が違うのが面白くて、空は縁側に寝そべって目を閉じた。
東京で暮らしていた頃は雨が降っている事などあまり気にしたことがなかった。病弱で寝込むばかりだったし、たまに買い物や病院で外に出る日は紗雪がしっかりと天気の良い日を選んでいたからだ。
うっすらとした前世の記憶にも、こんな風に雨の日を楽しんだ記憶はない。ただ学校や仕事に行くのが憂鬱だとしか思わなかったような気がする。田舎に来てから空は雨が好きになった。
「あめって、きれい」
「ふふ、そうだな。天からの恵みだからな。この雨が米や夏野菜を大きく育てるのだぞ」
「なつやさい……なつのやさいってどんなのあるの?」
空は食べ物の話題に食いつきがいい。即座に目を開けて隣に座ったヤナを見上げた。ヤナは笑ってその丸い頭を撫でつつ少し考えた。
「さて……今年は幸生は何を植えておったかの? 空が来るからと畑を増やしておったから色々あるとは思うが。近年、この辺で育てられる野菜の種類も増えたしの」
「ふえたの?」
「ああ、都会から色々届くようになったからの。この辺ではあまり見かけなかった作物の種や苗も届くようになったようだ。都会の野菜は大人しいから育てやすくて良いそうだぞ」
田舎の野菜は大人しくないのか、と空は突っ込みたかったが我慢した。山菜があれだけアグレッシブなのだから、土地の野菜もきっとそうなのだろう。
そう考えてみれば空は裏庭で育てられている作物にあまり近づいたことがない。網や柵、紐でそれとなく仕切ってあるし、不用意に入って苗などを踏んでは悪いと思ったからなのだが、ひょっとしてあれは単なる仕切りや鳥避けではなかったのかも知れない。
「きゅうりとかとまととか、ある? ぼくすきだな」
「おお、あるぞ。早生ならそろそろ採れるのではないか? キュウリはちと気難しいが……多分子供には優しいだろう。トマトは皆可愛いぞ」
「……おやさいのことだよね?」
「そうだぞ?」
ヤナは頷いたが、何かが噛み合っていない気がする。
田舎の野菜とは一体、と空が考え込んでいると、玄関の方からただいまと明るい声がした。
「ばぁば! おかえりなさい!」
空は急いで立ち上がってパタパタと玄関に向かって走る。
玄関まで行くと、隣の村まで出かけていた雪乃と、近所の手伝いに行っていた幸生が丁度一緒に帰ってきたところだった。
「じぃじもおかえりなさい!」
「ああ、ただいま」
幸生は空の頭を優しく撫でた。隣村で買い物をしてきたらしい雪乃は背中のナップサックを玄関に下ろし、空に笑顔を向けた。
「空、じぃじが近所からお土産貰ってきてくれたから、雨合羽着て外に出てごらん」
「おみやげ?」
「うむ、外にある」
促されるままに雨合羽を着こみ、長靴を履いて空は外に出た。
玄関から出て周囲をキョロキョロと見回すと、軒下に大きなバケツとそこに入った緑色のものが見える。
「はっぱ? おっきい!」
それは空よりもずっと大きく立派な蓮の葉だった。
「蓮の葉か。空、持てるか?」
ヤナも出てきて、蓮の葉をバケツから取り出し持たせてくれる。葉は小さな空には大分大きかったが、持てないほど重いわけではなかった。空は蓮の茎の下の方を両手でしっかり持って、高く掲げて仰ぎ見た。茎も葉も、空の予想よりもずっとしっかりして丈夫そうだ。
「ふふ、妖精みたいね」
「うむ」
カエルの皮で出来た緑色の雨合羽と長靴を身に着け、鮮やかな緑の大きな葉を手に持つ姿は本当に絵本に出てきそうだった。
空は蓮の葉をこんな間近で見たのも初めてだし、手に持ったのも、下から見たのも初めてで、何だかすっかり嬉しくなった。
「ヤナちゃん、これ、かさになる?」
「なるとも。ほら、雨に当たってみたら良い」
ヤナに言われて空は軒下を出て雨の中に飛び出した。
しとしとと降る雨が葉っぱに当たり、パラパラと軽快な音を立てる。
「ぱらぱらいってる!」
嬉しくなってくるりと葉と一緒に回ると、葉の縁から雨粒が飛び出した。遠くまで飛んでいく滴を見送り、それからまた上を見上げる。大きな葉っぱは空を全部隠してもまだ余り、空にはちっとも雨が当たらない。
「空、たまに傾けないと真ん中に水が溜まって重くなるわよ」
しばらく眺めていたが、雪乃にそう言われて空はそっと葉っぱを傾けた。一緒に体も傾いていて、それが可愛くて雪乃もヤナもくすりと笑う。
葉の縁からパシャパシャとまとまった水が流れ落ち、空は何だかおかしくなって思わず笑った。
「おみず、たまってた!」
「そうね。空、楽しい?」
「うん! あめもはっぱもすき!」
楽しいと感じる時、空は美味しい時と同じくらい子供らしい素直な気持ちでいられて、それもまた嬉しい。
「懐かしいな。紗雪もあの葉が好きだったな」
「うむ……」
ヤナの言葉に幸生は幼かった紗雪にも良く蓮の葉を貰ってきてやったことを思い出した。
紗雪は雨の日は大喜びで外に飛び出し、降ってない日に貰ってくると雨が降らないうちから長靴を履いて縁側で空を見上げていた。雨を気にせず雨音に耳を澄ませ、滴にはしゃぐ空の姿は紗雪の幼い頃にそっくりだと、幸生は眉間にぐっと力を込め、緩みそうになる涙腺を引き締めた。
「空、来てみろ」
幸生は玄関の脇にあった水道の蛇口をひねり、ホースから水を出した。
その先を空の掲げる蓮の葉に向ける。勢いよく葉に当たった水流はつるりと弾かれ、傾いた葉の縁から膜のように広がって流れ落ちて行く。
「ひゃあぁ、すごい! じぃじ、おもしろい!」
空は大はしゃぎで葉っぱを傾けたり回したりして水が弾かれていくのを楽しんだ。水が跳ねて顔が濡れたけれど、そんな事もちっとも気にならない。
「あはは、あは、あっ!」
「空!」
はしゃぎ過ぎてくるくる回っていたら、空はついに目を回して水たまりにべしゃりと尻餅をついてしまった。慌ててヤナと雪乃が駆け寄る。
二人に助け起こされ、空はまだくるくると目を回しながら、それでもクスクス笑っていた。
「空ったらもう……ふふ、元気ねぇ」
合羽と長靴に守られていても流石に尻餅をつけばあちこち濡れてしまった。水と泥で汚れたズボンを見ても怒りもせず、雪乃も笑う。
「おしりつめたい……ごめんね、ばぁば」
「良いわよ。そろそろ中に入って着替えましょ」
「うん!」
空は尻餅をついてもしっかり握ったままだった蓮の葉を、また大事に抱え直して頷いた。
立ち上がって歩き出そうとすると、不意に雨の音に交じってポコン、と一際大きな音が葉っぱの上から聞こえた。
「?」
空は首を傾げ、それから葉っぱをゆっくり傾ける。すると雨の滴に交じって何か丸っこいものがころころと葉から転がり落ちた。拾ってみるとそれは雨の滴のような形をした透明な石だった。庭で拾うミケ石に似ているが、それよりも少し小さくて透明度が高い。空はそれを手のひらに乗せて雪乃に差し出した。
「ばぁば、これなぁに?」
「あら、珍しい」
空の手を覗き込んだ雪乃とヤナが笑顔を見せる。
「みけいし?」
「いや、似ているが違うな。これはな、雨石と呼ばれておるものだ」
「あめいし……」
「雨の神様から、雨が好きな子供への贈り物って言われてるのよ。今日みたいな日に外で遊んでいると降ってきたりするの。良かったわね空」
そう言われて空は目を丸くして手の中の石を見つめた。本当にこれが空から石が降ってきたのだろうかと葉を下ろして上を見上げたけれど、灰色の雲が広がり、空の顔が雨の滴で濡れただけだった。
「それは特に何かになったりもせぬが、天からの贈り物だと思うと楽しいから子供らは好きらしいぞ」
「地面に埋めておくと日照りでも周囲の土が乾かないって言うけど……せっかくだから宝物にしたらどう?」
コロンと丸くて天辺だけちょっと突き出た石は、透かしてみるとうっすらと青いようにも見える。
空はしばらくその不思議な石を眺め、それからうん、と頷いた。
「たからものにする! そんで、りくがきたらみせる!」
石をしっかりと握り、空は嬉しそうにそう言って空を見上げた。
まだ雨は続くけれど、手の中には新しい宝物がある。
田舎の雨は楽しい。
空はまた一つ好きなものを増やした。