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30:祭りの終わり

 広い田んぼに綺麗に苗が並び、緩い風に揺れている。

 夕暮れが近づく空と雲は少しずつ色を変え、それが張られた水に映って美しい。畦で区切られていてもまるで全体で一つの広い湖のように見える。

 空は生まれて初めて見るその光景に、何だか胸が切なくなるような不思議な気持ちを覚えた。

「……たんぼ、きれいだね」

「うん。おれもたんぼすき! そらも?」

「すき……うん、ぼく、すきになった」

「わたしもー! わたしもすき!」

 明良と結衣と並んで、空は飽きずに田んぼを眺めた。

 広場では人々が集まって酒樽やら何やらを中央に運び出し、祭りの締めの準備をしている。

 結局田植え競争の優勝はやはり伊山良夫だったらしい。空はそれもちょっと嬉しかった。

「たんぼかぁ……ぼく、なにかできるかなぁ」

 空はぽつりと呟いた。村人達は誰もが皆すごくて、空にはまだそんな将来は想像できない。

 そんな気持ちから出た言葉だったが、それを聞いた明良はあはは、と笑った。

「あんね、なんもできなくてもいいって、とーちゃんいってたよ!」

「そうなの?」

「うちのおかーさんもいってたー。おかーさんなんて、りょうりしかできないわぁって!」

 空はその言葉に昼に食べた料理の数々を思い出した。確か結衣の母は空に味噌汁を勧めてくれた人だ。

「おみそしる、おいしかったよ」

「でしょー! おかーさんのごはん、おいしいの!」

 結衣は母の料理を褒められてニコニコと嬉しそうに笑った。

「うちのとーちゃんは、たうえとかあんまとくいじゃないって。だからせわやくのてつだいすんだっていってた」

「おかーさんはりょうりしたら、あとはけんぶつだよ!」

「……それでもいいの?」

「うん! できるひとができることするのが、うちのむらのやりかただって」

「だからおなじことできなくても、べつにいいんだよ!」

 二人に交互に励まされ、空は嬉しくなって笑顔を見せた。明良も結衣も同じ顔で笑っている。

「あたまがいいとか、じがうまいとか、そんなんでもぜんぜんいいんだって。そらもおれもゆいも、きっとなんかみつかるよ!」

「わたし、みずがんばるんだ! あとねー、おうたがうまいのとかもいいよね!」

「いい! あ、ぼく、おいしいものつかまえるのとかいいな……ざりがにおいしかった!」

「いいなー! いっしょにやろーな!」

 そう言って空も明良も結衣も、けらけらと声を上げて笑う。

 三人で色んなやりたいことを並べていくと、もっと楽しくなった。

「子供達、そろそろお神楽だよー」

 準備が出来たらしい広場の方から、雪乃が呼ぶ声がする。空達は顔を見合わせて笑うと、手を繋いで走り出した。走って行く先には皆の家族がそれぞれ待っている。


「さぁ、お祭りの仕上げよ。空は初めてだから、皆の真似してみてね」

「うん!」

 明良達と並んで戻ってきた空に、雪乃はそう言って舞台を指し示した。いつの間にか楽隊もまた楽器を持って並んでいる。

 揃って舞台を見つめていると、奥からフラフラしている弥生が上がってきた。

 あれから大分飲んだのか、顔は真っ赤で足取りも怪しい。しかも手にはしっかりと新しい一升瓶を抱えていた。

「弥生ちゃん、しっかりー!」

「よっ、酔いどれ巫女!」

「仕上げをよろしくなー!」

 慣れっこらしい村人が陽気に声援を送る。弥生は瓶を高く掲げてそれに応えながら舞台の真ん中に進む。

 それから彼女はおもむろに一升瓶の蓋をきゅぽんと開け放った。まさか飲むのだろうかと空が思っていると、彼女はそれを掲げて傾け、くるりとその場で一回転した。瓶からぴしゃりと酒が飛び、舞台に円を描く。

 描いた円を確かめてから瓶に蓋をした弥生は、立ったまま楽隊の方をチラリと見た。

 その合図を受け、楽隊達はそれぞれ楽器を構えた。

 ピィー、と甲高い笛が鳴る。ドン、ドン、カラリと太鼓が打ち鳴らされ、鈴や鼓の音がそこに混じった。朝の神楽よりもテンポが少し速く、そして音が明るい。

 盆踊りのお囃子のような陽気な音色が広場に響く。

 そしてそれに合わせて、人垣の中からハァー、と大きな声が響いた。続けて、サーハレ、ヤハレ、と村人が揃って歌い出す。


 サーハレ、ヤハレ、今日はハレの日、くわさもて

 くわさもったら、たへおりろ、ハァー、

 サノカミさまがおめざめだ、ハァー、サーハレ、ヤハレ


 歌と囃子に合わせて、一升瓶を片手に持った弥生がくるくると回る。一升瓶を両手に持ち替え、鍬で田を耕すかのような動きをし、ダン、ダン、と強く足を踏みならした。それは朝よりもずっと力強く、泥臭く、どこかコミカルな踊りで、見ている皆が歌いながら手を叩く。


 サーハレ、ヤハレ、今日はハレの日、たをおこせ

 たのつちおきたら、みずいれろ、ハァー、

 サノカミさまもおよろこび、ハァー、サーハレ、ヤハレ


 空はその歌を聞いているうちに体がゆらゆらと揺れるように感じた。村人の沢山の声が集まって、一つの楽器になっているかのようだ。誰もが笑顔で大きな口を開け、弥生に合わせて手をひらひらと動かして調子を取っている者もいる。


 サーハレ、ヤハレ 今日はハレの日、みずいれや

 みずさいれたら、なえをもて、ハァー、

 サノカミさまはおまちかね、ハァー、サーハレ、ヤハレ


 空にはまだ歌詞はわからない。けれど曲調もリズムも単調で、手を叩くくらいは簡単にできる。皆に合わせて手を叩くだけで不思議と心が浮き立ち、顔が笑ってしまう。隣では普段が嘘みたいな朗々とした良い声で幸生が歌い、雪乃も声を合わせて楽しそうに手を叩いていた。


 サーハレ、ヤハレ 今日はハレの日、なえうえろ

 なえさうえたら おどりだせ、ハァー、

 サノカミさまのおでましだ、ハァー、サーハレ、ヤハレ


 苗を植えるように弥生が腰をかがめて歩を進め、そしてくたびれたと言うように背を大きく反らした。そしてまたくるくると楽しげに回り出す。

 空はその姿を見ながら、手拍子をふと止めて目を擦った。何か視界がぶれた気がしたのだ。

「……?」

 歌はまた一番に戻り繰り返している。弥生もまた一番を踊っている。しかし、空の見ているその姿がゆらゆらとぶれる。

 空は目を細めてそれをじっと見つめた。

 巫女服の袖や裾がゆらりと長く尾を引いて回る。まるで金魚の尾びれのように、ひらりひらりと。

 手に持った一升瓶が鍬になり、もう片方の手には稲穂の束が揺れる。

 頭に付けた天冠の飾りはいつの間にか弥生の背まで伸び、シャラシャラと賑やかな音を立てた。


 空は驚いてポカンと口を開いた。もはやそこで踊っているのは弥生では無かった。

 それは弥生と同じ長い黒髪だが、もっと年上にもあるいは少女のようにも見える不思議な印象の女性だった。美しい顔に輝くような笑みを浮かべ、回る度に鈴を鳴らすような笑い声がくすくすと聞こえる。

 女は楽しげに両手を高く挙げて大きく回る。そしてその刹那、空の方を一瞬見た。

 目が合い、女が笑った、と空は確かに思った。

 その次の瞬間、踊る女から突然大きな光の柱が立ち上った。

「ひゃっ!?」

 空は驚いて、すぐ側にいた明良にしがみつく。明良は不思議そうに空を見た。その視線に答える事も出来ぬまま、空はただ伸びてゆく光の柱を見つめていた。

 やがて天まで伸びた光は、消える瞬間も突然だった。空が驚いている間に柱は一瞬更に強く輝き、そしてパンッと破裂したかのように霧散した。粉々になった光はまるで無数の蛍か、花火の火花のように散り散りになってゆく。

 それは何かに導かれるかのようにすぅっと田畑の方向へと大きく広がり、そして地に吸い込まれるように消えていった。

 後に残ったのは、一升瓶を枕に舞台の上で大の字になっている踊り終えた巫女の姿だけ。

 囃子も歌もいつの間にか途切れ、村人は皆パチパチと拍手をして笑っている。

 空は何だか夢でも見ていたかのような心地で、明良にしがみついたまましばらくぼんやりしていた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 神々しいじゃねえか…!
[良い点] ステキなお祭り♪参加したい。
[良い点] 皆んなが見えてるのか、空だけが見えたのか、一部の人に見えるのか次回が楽しみです
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