2-125:いざ、尋常に
「――かしこみ、かしこみ、もうす」
やがて祝詞が終わり、また辰巳と大和が深く頭を下げ、ゆっくりと上げる。それに続いて人々もゆっくりと頭を上げ、どことなくホッとした空気が流れた。
いつもと違う、ヌシが二体いるという状況に村人たちの多くが実は戸惑っていたのだろう。とりあえずは無事に稲刈り祭りが始まりそうなことに、皆の気分も軽くなったようだった。
祝詞が終わると、辰巳と大和はその場から少し下がった。
代わりに出場する者たちが前に出る。
しずしずと進み出た狐姫は、弥生とは装いが少し違うが美しい巫女姿だった。
「あらぁ、逃げずに来ましたのね」
「そっちこそ。うちのヌシを前に、尻尾を巻いて家に帰っても良かったのに。ま、その尻尾はないようだけど」
弥生の言葉にカチンと来たように、狐姫が唇を尖らせる。しかし視線を走らせ、弥生の後ろに並ぶ紗雪と良夫、泰造とその肩にいるテルちゃんを眺めると、フッと鼻で笑った。
「随分とまぁ、強そうなお仲間ですこと。勝負が楽しみね」
「あんたたちこそ、二人でいいの?」
狐姫の後ろには狩衣姿の狐月がいるが、それ以外の人影は無い。けれど狐姫は懐からスッと紙の人形を取り出すと、パッと開いてくすりと笑った。
「心配無用よ。私には頼もしい仲間がいますの。さ、おいでなさい。一重、双葉、三ツ星、四つ輪!」
「はいはい、明弧、未唯狐」
狐姫が四枚、狐月が二枚の人形をそれぞれ投げる。それはひらりと舞い散り、地に落ちる前にカッと光ってぼふんと人の姿へと変わった。
現れたのは、それぞれ刀や長刀などの武器を構えた狐耳と尻尾のある式神たちだ。
「うっわ、数多い……」
「ずっる!」
後ろで見ていた良夫と泰造が思わず零す。それを聞いて狐姫はくすくすと笑い、得意げに胸を反らした。
「ごめんなさいね。私、一族の姫としてそれなりに多くの式神を継いでますのよ」
狐姫の式神はどれも男性の姿をしていた。凜々しい偉丈夫や、術士ふうの美丈夫など、全員あからさまにイケメンばかりだ。
それに対して、狐月の式神はどちらも可愛らしい女性の姿で、長刀を装備していた。多分二人それぞれの趣味なのだろう。
「倍の人数になっちゃいましたけど、式神の類いは制限なしっていうのは田の神様がお決めになったことだもの、別に良いわよね? 問題があるなら、そちらも好きに使ってどうぞ」
「ふん、私はそういうのに頼るタイプの術者じゃないから、別に構わないわ。この人数で十分だしね!」
「あらあら、すごい自信ですのね」
確かに見た目で言えば式神たちは数が多いし強そうだ。しかし空は彼らを眺め、それからヌシを眺めた。
(……式神で、ヌシをどうにかできるのかなぁ?)
感じる圧というか、魔力のようなものが、空の肌感覚で言えば大分薄い気がする。空はこの村で最強クラスの祖父母と暮らしているせいか日々の経験のおかげか、最近何となく人の持つそれらの強弱の違いが分かるようになってきた。
様々な魔法や技術があるのでそれだけが人の強さに繋がるわけではないが、一つの目安にはなる。
その感覚で言えば弥生はかなり強いが、確かに紗雪や良夫はそれほど圧が強くない。多分狐姫よりは大分弱いだろう。泰造はそれよりさらに少し落ちる。
しかし紗雪の運動神経や戦闘技術は多分かなりのものだし、良夫もかなりの技術を持っている。それに何より、この村の住人にはヌシという存在への知識があるのだ。
「戦えば分かるわ。さ、もう無駄口叩いてないで行くわよ。もたもたしてたら他の稲刈りが始められないじゃない」
弥生はそう言うと、狐姫たちをその場に残してとんと道路を蹴り、ふわりと軽い動作で結界をすり抜け田んぼへと降り立った。
そのすぐ後を紗雪、良夫、泰造が追っていく。
狐姫はフンと面白くなさそうに鼻を鳴らすと、狐月と式神たちをぞろぞろと従えてもう一枚の田へと降りていった。
「弥生」
ヌシの前に立ち、腰に差していた大幣を抜き取って弥生が構えようとしたとき、紗雪が小さく名を呼んで彼女に近づき肩に手を掛けた。
弥生が動きを止めて振り向くと紗雪はその耳元に顔を近づけ、他の誰にも聞こえないような微かな声で何事かを囁いた。
次の瞬間、弥生は目を見開きぶるりと体を大きく震わせた。口元を手で押さえ、何かを堪えるように俯く。
けれどそうしていたのはほんの数秒で、弥生はぐっと顔を上げた。その表情も雰囲気も力強く、何故か先ほどとはどこか変わっているように見えた。
「……さぁ、行くわよ!」
その声に他の三人が頷き、横に並ぶ。
白い大幣が高く振り上げられ、青い空にひらりと舞った。
「サノカミ様! どうぞ我らが武勇をご照覧あれ!」
弥生の高らかな宣言と共に、ドォン、と太鼓が音高く打ち鳴らされた。
「行きなさい、一重、四つ輪!」
その合図とともに、まず狐姫の高い声が響いた。主の命を受けた体格の良い式神たちが滑るように走り出し、左右に分かれてそれぞれが手にした刀を振りかぶる。
ヒュッと鋭く振り抜かれた刀は、ヌシの太い茎の一本を華麗に切り倒す――かのように見えた。
キンッ、と高い音を立てて刀が弾かれ、式神たちは驚き動きを止めた。
次の瞬間、ざわりと空気が動く。
「え、何!?」
狐姫が顔を上げると、びっちりとくっついて一本の巨木のようになっていた稲の茎がばらりと広がり、鋭い葉がざわざわと動き出したのが目に入った。
「はぁ!?」
「うっわ、何だこれ!」
狐姫と狐月の驚きを余所に、地面がぐらぐらと揺れて二人の足元を傾ける。踏みしめた足が持ち上がり、慌てて飛び退くとそこから太い根が地面を突き破って次々現れた。
「ちょっと待って、聞いてないわよ! 何これ!?」
「何だよ、このバケモンは! 狐姫、言っとけよ!」
「私だって知らないわよ!」
慌てる二人に式神たちもどうしたら良いのか分からないようで、オロオロとうろたえるような動きを見せた。
そこにヌシが太い茎を次々振り下ろし、もはや逃げ惑うしか出来ない。
「ほぴょるるるるるうるぅ!!」
そんな姿を笑うように、ヌシが高らかに可愛い声で鳴いた。
「何なのよこれーっ!!」
「ちょ、ま、ああもう!」
ヌシの可愛い声の後を追うように、二人分の声が青い空に響き渡った。
「あーあ、ありゃ駄目かもな。口だけか」
「だなぁ。後始末はお前らだろうな」
「うむ……」
少し離れた場所で、幸生と和義、善三は狐姫たちの戦いを眺めていた。
狐姫たちは叫びながら無様に右往左往し、それでも意地があるのか、懸命に術を使って式神を補助しようとしている。それによって少しずつ攻撃が通るようになっているが、やはり一撃で稲を切り倒せず苦戦している。
「偉そうだった割に、大したことねぇなぁ」
「この村と比べてやんな。魔力はそれなりに多いみたいだし、血筋も良いんだろうが……」
仕事柄外に出ることもそれなりにある善三は、有名な稲荷の社に耳を持たない狐族の姫がいると聞いたことがあった。
人の姿に変化することの出来る種族は長い年月の間にすっかり人間社会に溶け込み、人と番うこともあまり珍しくない。
そうなるとその血が出るのか、生まれた時から人の姿で獣には変化できず、耳も尻尾も持たない子供がたまに生まれることがあるという。
大抵の場合はそれも承知で結婚しているので、どんな子でも平等に育てる。見た目より能力のほうが重視され、それが足りなければ人として生きる場合もある。
だが一族の中心的な家ではまた扱いが難しい。そういう家では人の血をそもそも入れたりしないはずなのだが、何か事情があるのかもしれないと善三は予想していた。
そんな狐姫の境遇をある程度知っていると、あの必死さがどこから来るものかも何となく理解出来る。
魔力は多く実力もあるのに、ただその姿が違うというだけでどうしても得られないものがある。どんなに強くなっても、一族の娘だといつまで経っても完全には認めてもらえない。
その辛さは他人には想像も付かないことだろう。
「まぁ、だからって……余所の土地に来て勝手をすりゃ、痛い目を見るのもしょうがねぇよな」
「そりゃそうだ。おう、幸生、斧は持ってきてるか?」
「ああ。準備はしておくか」
三人はそんな相談をしながら、もう一枚の田んぼへと視線を移した。




