2-124:祭りの始まり
「あああああ、やりたくねえぇぇぇ!」
稲刈り祭りの日、天気は今年も快晴だった。
まだ日差しは少し暑いが、吹く風の温度は夏よりもずっと爽やかだ。高い青空に響く嫌そうな声が無ければ、もっと爽やかだったろう。
声の発生源を見れば、田んぼの前にしゃがみ込んで頭を抱える忍者が一人。
空が呆れつつその背を眺めていると、足元にいたテルちゃんがテコテコと歩いて行ってしゃがんだ足をポンと叩いて声を掛けた。
「タイゾー、オージョーギワワルイヨ!」
「テルちゃん……そのこえかけ、よくないとおもうんだよ」
「ナンデ? タブンマチガッテナイヨ!」
「まちがってなくても、どうかとおもう……あと、ぼくそんなことば、つかったことないよね?」
「ソラガツカワナイナラ、モッタイナイカラ、テルガツカウヨ!」
全然もったいなくない、と思いながら空は泰造の側まで行き、言葉遣いが失礼な精霊を回収すると、泰造の背をポンポンと優しく叩いた。
「たいぞうにいちゃん、きょうのにんじゃのかっこ、すっごくかっこいいね!」
「……そうか?」
「うん! なんかこう、やみにいきるひーろーってかんじ! よくにあってる! にんじゃかっこいい!」
「ホントか!? いや、俺も実は結構そう思ってたけど、ダークヒーローだなんてそんなそれほどでもぉ!」
チョロい。こんなにチョロくてうっかり詐欺とかに引っかからないだろうか。
空は泰造のチョロさを心配しつつ、少しでもやる気を出させようとなおも励ました。
「そのにんじゃのふく、ぜんぞーさんにいろいろしてもらったんでしょ? きっと、すごくかがやいちゃうね!」
「カガヤイチャウヨ!」
「そ、そうかな、輝くかな? いやぁ、忍びなのに目立っちまったら困るなぁ!」
困ると言いつつその声音は実に嬉しそうだ。
空はやっと立ち上がり、照れたように頭を掻く泰造の姿を下から見上げた。
今日の泰造は去年の田植え祭りの時に着ていたような、古式ゆかしい忍者装備に身を包んでいる。頭巾に装束、手甲脚絆、地下足袋に至るまで真っ黒で、黒くないのは目深に着けた銀色の鉢金くらいだ。
この爽やかな秋晴れをバックに見ると違和感しかないが、それは今は黙っておく。
「たいぞうにいちゃん、ぜんぞーさんに、ふくかいぞうしてもらった?」
「おうよ! 防御力強化に、速度強化に、あと色々……だが攻撃力は諦めろって言われたのは解せねぇ」
「タイゾーニ、ソレモトメテナイカラ、ショーガナイヨ!」
「くっ、うっせぇ!」
実際のところ、泰造の忍者装備はほぼただの服で、特殊な素材などは特に使っていない物だ。魔砕村の布は外の物よりは丈夫だが、それでも出来る付与には限度がある。
善三が急ごしらえで鉢金だけ新しくしたり、あちこちの紐などすぐに取り替えられる部分だけ付与に適した物に交換するなどして、無理矢理対応してくれた。手甲と脚絆も善三からの借り物だ。
間に合わせの物がほとんどなので、役割的に攻撃は諦めろと言われたのも仕方ない話だった。
「こうげきしなくても、きょうはたいぞうにいちゃんが、さくせんのかなめだから、だいじょぶだよ!」
「そうだな……うん、俺が要だ! よっしゃ、やるぞぉ!」
(本当にチョロい……定期的に、何か詐欺とか変な女とかに引っかかってないか確認しようかな。あ、でもそういうのは自分で見られるだろうから大丈夫かな?)
空の心配を余所に、すっかりやる気を取り戻した泰造は屈伸などして体を動かし始めた。
それを何となく眺めていると、そんな空と泰造に向けて声が掛かった。
「あ、たいぞーせんせー、きょうはにんじゃだ!」
「ほんとだー!」
「お、かっこいいじゃん!」
声のする方を見ると明良と結衣、武志が歩いてきて手を振っている。
「あ、みんな、おはよー!」
「おはよー、そら!」
「おはようそらちゃん。そらちゃん、ここでけんがく?」
「うん。フクちゃんとテルちゃんがさんかするから、ぼくそばにいないと」
空がそう言うと、三人は空の肩と足元にいるフクちゃんとテルちゃんを見て不思議そうに首を傾げた。
「空が参加するわけじゃないんだよな? テルちゃんとかが出るのは良いのかな?」
武志の疑問はもっともだが、二匹は一昨日帰る前にこっそり結界に触れて、弾かれず問題なさそうなことは確認している。
「多分、ちっせぇし使い魔なのは間違いないから見逃されてんだろ……」
それを聞いて知っている泰造がそう言うと、明良がふと首を傾げた。
「ほかのひとのでもいいんだ……じゃあ、もっといっぱいつかいまだしたら、だめなのかな?」
「たがめさんちの、キヨちゃんとか!」
バスを引くほど巨大な亀は確かに強そうだ。
「えー、それはさすがにズルだと思われちゃうんじゃない? っていうか、フクちゃんとテルちゃんて、ヌシとどうやって戦うんだ?」
「そらはなにかするの?」
当然の疑問に、空は思わずくすりと笑う。
「さくせんはかんがえてあるけど、まだないしょだよ! でも、だいじょうぶ! ぼくは、おにぎりたべるかかりだよ!」
空はそう言って後ろを振り返った。そこでは雪乃と紗雪が敷物を敷き、大量の重箱を並べて準備をしているところだ。
今空がいる場所は広場から南に向かう道路の上で、ヌシが出た二枚の田んぼのうち広場に近い方の前に空たちは立っている。
ヌシが出た田んぼのすぐ横なので村人たちは参加者の為に少し場所を空け、少し離れた道の上に敷物を敷いたり、周囲の田んぼのあぜ道を利用して観戦したりと散らばっていた。
空は参加者の家族としてこの場で応援する予定だった。実際は密かにテルちゃんに指示を出したいので、田んぼの近くにいたいのだ。
「そらちゃん、あれぜんぶおべんとう?」
「うん! ぼく、いっぱいたべるんだ! おだんごもあるよ!」
朝一で猫西が持ってきてくれた大量のお団子も、巻き紙草に包まれて積んである。
「空は食べる役かぁ……じゃあ、俺たちも応援してるから頑張れよ!」
「おれたち、あっちでみてるね!」
「フクちゃんとテルちゃん、頑張ってね!」
「うん、ありがとう!」
「ガンバルヨ!」
「ホピピピピッ!」
三人は弁当の量に若干引きつつも手を振り、少し離れた場所にいる家族の元へ戻って行った。
話をしている間に、敷物のところではそろそろ準備が終わろうとしていた。
「えーと、お団子はこれで全部ね。お茶も用意したし、これでいいかな?」
「ええ、大丈夫よ。じゃあ私たちはここで応援してるわね。頑張って、紗雪」
「まま、がんばってね!」
「ええ!」
紗雪は任せて、と言って手を持ち上げ、拳をぐっと握って見せた。
今日の紗雪はさながら女武者というような格好をしている。
雪乃が用意した着物に袴、善三が用意してくれた手甲脚絆、鉢金、地下足袋。そして幸生が誂えてくれた打刀。
それらを身に着け、髪を高い位置でポニーテールにし、鉢金を身に着けた紗雪はきりりと凜々しい。
「まま、すっごくかっこいい!」
「そう? ありがとう!」
空に褒められると紗雪は嬉しそうに頬を緩めた。
「そろそろ弥生たちも来るかしら?」
「そうね、そろそろでしょう」
良夫は既にこの場に来ていて、ヌシを見上げてだるそうな顔で立っている。良夫も紗雪とほぼ似たような格好だが、去年より少しやる気と貫禄が出たように空には感じられた。
「おーい、そろそろ始めるぞ-」
不意に遠くからそう呼びかける声が聞こえ、観客の間から大きな太鼓を担いだ幸生と、台を持った和義の姿が見えた。後ろにはバチを持つ善三もいる。
ヌシのいる田んぼがよく見える場所に太鼓の台が設置され、その上に太鼓が置かれた。
その準備が終わる頃、神社の方向から辰巳と大和、弥生が連れだってやってきた。
辰巳と大和は神職としての正装で、弥生もきちんと千早まで身に着けた美しい正装だ。
弥生は長い髪を高く結い上げて奉書紙でまとめ、額には邪魔にならない形の前冠を着けている。目尻と頬、唇を紅で染め、いつにも増して気合い十分という雰囲気だった。
「今日はヌシが二体じゃからの……祈祷は、わしと大和が行うこととする」
そう言って辰巳と大和は分かれ、二枚の田んぼの前まで歩み寄る。
広場から遠い方の田んぼの前には既に狐姫と狐月が来ていて、退屈そうに周りを眺めていた。
彼女らもさすがに最初の祈祷に文句を付ける気はないらしく、辰巳の為に場所を空け、少し後ろに下がる。
「では……大和」
「はい」
辰巳と大和は二枚の田んぼの前にそれぞれ立ち、頷き合うと揃った動作で頭を下げ、口を開いた。
「高天原にかむづまります――」
張りのある声が重なり、青い空へと昇ってゆく。
村人たちは静かに頭を下げ、その儀式が終わるのを粛々と待った。