25:強敵と書いて以下略
「はっは、やりやがった! 約束を果たしたな!」
そう言って幸生を見ながら善三が楽しそうに笑う。空はその楽しそうな声を聞き、不思議そうに善三の頭を見下ろした。
「やくそく?」
空が首を傾げると、善三は肩を揺すってまた笑う。
「ああ。あの腑抜けが突然うちに来て、孫のためにとびきりの草鞋を編めとかいきなり言うからよ。忙しい俺の手を患わせんだ、じゃあお前もその孫とやらにいいとこ見せろってな」
「じぃじ……すごい」
「おうよ。孫馬鹿もここまでくりゃあすげぇもんだ」
その言葉に空は何だか胸が温かくなるのを感じた。幸生の見せた大技にびびってちょっと恐ろしく感じていたが、それも空のために頑張ってくれた結果だと言うのだ。空は幸生の方を見た。周囲の興奮も覚めやらぬ中を、幸生が悠然と戻ってくる。それを善三と共に迎えると、幸生は善三に肩車された空を見てちょっと眉を上げた。
「じぃじ、すごい! かっこいい!」
空がキラキラした目でそう叫ぶと、幸生がふぐっというおかしな音を立てて顔を手のひらで押さえ、天を仰ぐ。それを見て善三がぶはっと吹き出した。
「お前のんなとこが見れるなんて、孫ってヤツは最強だなおい」
「ほんとそうねぇ。珍しい物みたわぁ」
善三の言葉に、後ろから美枝も面白そうな声を上げた。
空が後ろを振り向くと、美枝と、その脇で手を振る明良達の姿が見える。いつもより高い視点が面白くて、空は明良と結衣に手を振った。すると二人も笑顔で振りかえしてくれ、それから明良が田んぼの方を指さした。
「そら、タケちゃんいくよ!」
「ゆきのおばちゃんも!」
「えっ?」
空が慌てて幸生の背後の田んぼの方を見ると、近所の若者や子供達に交じって雪乃も田んぼに下りて走り出すところだった。
今日は雪乃も草鞋を履いている。七分丈の細身の青いパンツと素朴な草鞋は余り似合っていないが気にした様子もなく、その足が掘り起こされた土などまるで無いかのように、跳ねるように軽快に進む。ひょいひょいと先を目指して小走りしながら、雪乃は片手をひらめかせ、空中に細い銀のナイフのような物を何本も浮かべた。
「ありゃあ氷だ。雪乃の得意な魔法だな」
空が疑問に思ったことを察したかのように、善三がそう教えてくれた。氷、と呟いて見ているとその氷の刃がひゅっと時折四方八方に飛び、次々地面に突き刺さる。そしてまたふわりと浮かんだが、その時には大半がもがく何かを串刺しにしていた。
「あれ、なにさしたの?」
「ああ、ありゃあドジョウとか、ザリガニとか取ってんのよ。あとは、この辺で好かれるのはカラスガイとかヌマエビかな。カエルなんかもまぁそれなりに美味いが、田んぼのヤツは小せぇから、もっと別のとこのが人気だな」
「ドジョウ……ザリガニ?」
視線の先の雪乃は嬉しそうな笑顔で、特大のウナギのような生き物を何か魔法で処理して袋に放り込んでいる。別のナイフは暴れる巨大なロブスターのような生き物を串刺しにして浮いていた。ついでに足下の泥の中から大人の顔より大きい二枚貝も拾っている。
見回してみれば、田んぼに散った他の者達もみな手に手に似たような生き物を捕まえていた。雪乃が獲っているのは特別大物だけのようであれほどのものは少ないが、それでもどれも空が知っているサイズではない。
武志も自分の顔くらいあるような大きなタニシを拾いあげて嬉しそうに笑っている。そしてその片手間に愛用の鎌でさくさくと何か謎の生き物を切り捨てた。
よく見ると田んぼのあちこちに、大人の手のひらくらいある蝉のような生き物が飛んでいたり、目に見えるサイズのミジンコみたいなものがかさかさと泥に潜ろうとしていたり、アグレッシブに人に襲いかかる細長い蛇のようなものがいたりと賑やかだ。それら飛び出してきた大きな虫や細長い何かを、田んぼにいる人達が切り捨てたり焼いたり凍らせたりしている。
「ぜんぞーさん、みんながやっつけてるの、なぁに?」
切り捨てられた大人の手のひらくらいある虫を指さすと、害虫だ、と善三は教えてくれた。
「ウンカとかヒルとか色々だな。出てくるもん全部が害虫って訳じゃねぇが、なんせどれもでかいし数も多いから、土を掘り起こす時についでに適当に減らすのさ。増えすぎても困るしな。若いのとガキどもの遊びみてぇなもんだ。けどこの田んぼはちぃっと幸生がやりすぎたから、害虫も獲物も数が少ねぇか?」
「田んぼはまだまだあるから、構わないわよ。次の田んぼではちょっと加減して貰えばいいわ。頑張りすぎないよう空くんにお願いして貰わないとね」
そう言って美枝が固まったままの幸生を見上げて笑う。
どこの田んぼでも若者も子供らも楽しそうに散らばって全体に広がり、わぁわぁ言いながら害虫を駆除し、食べられる生き物を捕まえて袋に詰めている。まだ耕している最中の田んぼも沢山あるが、その後をのんびりと追っているようだ。雪乃だけが足早に真っ直ぐ奥を目指しながら、器用に獲物を捕らえつつ走ってゆく。
「雪乃ちゃんはいつもながら器用よねぇ。上手に大物だけ探して拾ってるみたい」
「全部獲っちまうと他の奴らの楽しみがなくなるからな。良かったなチビ。ありゃあ美味いぞ」
「ウン、タノシミダナ……」
若干棒読みになったのは許して欲しいと空は思った。幸生はまだ天を仰いで固まっていた。
そんな話をしたあと、ドォンと一つ太鼓が鳴らされ、全ての田んぼが耕された事を知らせた。
「終了ー! 一着米田、二着田村、三着山野、四着谷中、以下結果発表は後ほど! 狩りの終わった田んぼは畦作り班作業開始して下さーい! 溝の点検もよろしく! 出場選手と他有志は残りの田んぼを北東方面の残りから順に田起し続行でー!」
実況の人の声かけで観客の多くがガヤガヤと動き出す。鍬を手にして耕された田んぼに入っていく人とまだ耕していない方面に向かう人の二つに分かれているようだ。どうやらレースが終わったら皆で手分けして無くなった畦を修復し、他の田んぼをどんどん耕していくらしい。しかし幸生はまだ固まっている。
空が声を掛けようとすると、田んぼの向こうから田村が走ってくるのが見えた。
「幸生てめぇ! やりやがったなこの野郎!」
田村は幸生の前に来るなり口調も荒くそう怒鳴った。しかし顔は満面の笑顔だ。幸生が復活したのが嬉しいらしい。
(こっちもツンデレだった)
空がそんな感想を抱いて眺めていると、天を仰いだまま固まっている幸生に気づき田村は怪訝な顔でこちらを振り向いた。
「善三、こいつどうしたんだ」
「ああ、孫にカッコいいって褒められて感動して固まってるらしいぞ」
「はぁ? 孫……おお、さっきの。本当に幸生の孫だったのか。確かに紗雪ちゃんに似てんな……」
「そらです、こんにちは!」
田村と目が合ったので空は手をパタパタ振って元気に挨拶した。
「おう、こんちは……俺は北沢の田村ってもんだ。お前のジジイの幼馴染みだが……くっそ、孫がこっちに来たなんて聞いてねぇぞ! それならまた別の作戦にしたのに!」
「そりゃお前、東の奴らも俺も、知ってたけど黙ってたからな」
「なにぃ!? 言えよてめぇ!」
「わはは、言ったら賭けの配当が変わるじゃねぇか」
幸生のオッズを下げないために空の存在は今日まで秘されていたようだ。田村はぐぬぬと歯がみしながらも負けたのは事実な為、また幸生の方に向き直った。
「おら、幸生、呆けてんな! まだ田んぼは山ほどあんだぞ!」
そう言って田村が肩を揺すると幸生がようやく上げていた顔を戻した。
その顔はいつも通り厳ついままだが、空を見る時だけ心なしか柔らかい。空がじっと見ていると、幸生はおもむろに近づいてきて手を伸ばし、善三の肩から小さな体を持ち上げて自分の肩に乗せた。
「わぁ、じぃじもたかい!」
空が幸生の頭にしがみついてはしゃぐと、また下からぐふ、とくぐもった音がする。それを善三と田村が呆れたように見てため息を吐いた。
「孫はすげぇな……まぁ、そりゃ可愛いのはわかるけどよ」
「俺んとこはまだだが、今から恐ぇな……」
田村と善三がそんな話をしていると、近くにいた美枝から声が掛かった。
「さぁさぁ、優勝者と準優勝者が働いてくれなきゃ日が暮れちゃうわ。幸生さん、空ちゃんは私に預けて田起しに行ってちょうだい」
「……わかった。頼む、美枝さん」
空の体をひょいと下ろすと幸生は名残惜しそうにその頭をそっと撫でる。空はそんな幸生を見上げて、それからさっき美枝に言われたことを思い出した。
「じぃじ、ぼくたんぼの……えび? たべてみたいな! のこるようにしてって!」
本当はあんまり挑戦したい気分ではなかったが、取りあえず一番無難そうなのを選んで強請る。すると幸生は頷き、近くに置きっぱなしだった鍬を手に取った。
「鍬があると加減が効くとか、ほんと腹の立つ野郎だぜ。おら、行くぞ幸生!」
「ふん……道具は大事にしろよ和義」
「かーっ、嫌味かてめぇ!」
なんだかんだで仲がいいらしい二人は連れだってまだ耕されていない田んぼの方へと向かってゆく。
空は楽しそうな幸生の背中を、微笑ましく、かつ何だか少し羨ましく見送ったのだった。
多分小さい頃はゆっくんとかカッちゃんとかゼンちゃんとか呼び合ってた。