2-113:思いがけぬ再会
村で虫干しが流行りだしてから数日経った、朝の畑仕事の時間。
空は畑の畝の前にしゃがみ込み、わさっと生えた大根の新芽を眺めていた。
今日のお手伝いは、この新芽をプチプチと間引く作業だ。
葉っぱの形や育ちが悪い芽を優しく摘み取って籠に入れていく。間引いた葉は後でサラダや味噌汁の具になるので無駄にはならない。
空は冬に食べる大根の美味しさを思い出しつつ、丁寧に葉を選んで摘んでいく。
隣にはヤナがいて、しゃがみ込んで空と同じ作業をしていた。ヤナはひょいひょいと手早く草を摘んでは籠に入れ、しばらくしてからふと手を止めて小さなため息を吐いた。
「ヤナちゃん、どしたの?」
「うむ……虫干しの成果がなかったから、次はどうしようかと考えておったのだぞ」
「むしぼし……アオギリさまのこと、かいてなかったもんね」
米田家の倉からは、アオギリ様の真名の手がかりになるような物は結局見つからなかった。今のところ、雪乃がこっそり声を掛けた家からも、何か見つかったという話は聞こえてこない。
「ぼくねー、ほいくしょで、たいぞうにいちゃんにきいたんだよ。アオギリさまのほんとのなまえ、みえないの? って」
「おお、そういえば泰造は色々見える質だと言っておったな。どうだったのだ?」
空は他に何か手立てはないかと考え、先日保育所で泰造と顔を合わせた際にそう聞いてみたのだ。
泰造の能力ならアオギリ様の真名がわかるのではないかと期待したのだが、しかし残念ながら泰造の返答は激しい拒絶だった。
「むりむりむり! っていわれちゃった。かみさまのほんとうのなまえとかって、かるがるしくみちゃいけないんだって。めがつぶれる! っていってたよ」
「あー……それは確かにありそうなのだぞ。力が強い神様ほど危ないかも知れぬな」
納得して頷くヤナの様子に、空も残念に思いつつ頷いた。泰造も同じことを言っていたからだ。泰造はヤナのような各家の守神の名も、うっかり見たりしないよう気をつけているらしい。勝手に知ると怒られたりするのだという。
アオギリ様のような力のある存在になると、『太陽を望遠鏡で見るようなもんだ』と言っていたのでよほど危ないのだろう。その危険を説かれると、我が身を犠牲にして村を救う勇者になってくれとはさすがに言えない。
「もうそろそろヌシも現れるだろうが、今年はどんなことになるのか予想がつかぬのだぞ。それまでにどうにかならんかと思ったのだが……どうも無理そうだの」
「うん……」
二体現れると予想されたヌシはもう大分大きくなっているらしい。それが育ちきれば稲刈り祭りだ。
稲刈りが終われば秋は足早に通り過ぎ、アオギリ様が再び眠る冬もそう遠くない。
このままアオギリ様が眠れば、来年の目覚めはきっと今年よりさらに遅くなるだろう。
「なにかできないかなぁ……」
「そうだのう……」
二人が同じ気持ちでそれぞれにため息を吐くと、不意に頭上からバサッと大きな羽音が聞こえ、空は慌てて顔を上げた。
「あ、おっきいとり!」
音の主は大きく翼を広げた鳥だった。先日見た文鳥のような小さいものとは違う、猛禽類のような大きさの鳥が視界を横切ってゆく。
鳥が飛んでいった方向に慌てて首を回すと、バサバサと羽ばたいて縁側の方へ下りてゆく姿が見えた。
「おや、急ぎの手紙かの?」
立ち上がって空と同じく鳥を目で追っていたヤナが呟く。
「おてがみなの?」
「ああ。あれはハヤブサだったのだぞ。速達の魔法便によく使われる鳥だな」
「そくたつ……」
何の手紙だろうと気になって、空はそわそわと家の方へ視線を送る。少しすると雪乃が家から出てきて、裏庭が見える場所まで来て手を振った。
「空、紗雪から手紙よ!」
「ままから!?」
空はそれを聞いてタッと走り出す。大急ぎで雪乃の所まで行くと、雪乃は手にした手紙を笑顔で指さした。
「空、あのね、紗雪が明日、移住説明会に参加するために県内の街まで来るんですって!」
「ほんと!?」
「それで、ちょっとの時間だけど、良かったら空を連れて一緒にお昼ご飯でもどうかって」
「いく!」
突然の嬉しい知らせに、空はピョンと跳び上がってそう叫んだ。少し前に別れたばかりだが、母に会える機会があるならいつだって会いたい。
「来るのは紗雪だけだけど、それでもいい?」
「うん! ぱぱとりくたち、おるすばん?」
「急に決まった話だし、お休みじゃない日だから隆之さんとお留守番ですって」
移住説明会は大人向けなので子供たちは多分退屈するし大人数での移動も大変だ。なので今回は紗雪だけで、ということらしい。
「ちょっと離れてるから、バスや列車を乗り継いで行くんだけど、大丈夫?」
「だいじょぶ! ぜったいいく!」
空は小さな拳をしっかり握って、絶対行くと言って何度も頷いた。そんな姿が可愛かったのか、雪乃も笑いながら頷いた。
「じゃあばぁばと一緒に行きましょうね。明日は予定を空けておくわ」
「うん! ありがとう、ばぁば!」
「良かったな、空。楽しんでくるのだぞ」
「うん!」
明日が来るのが急に楽しみになって、うきうきして落ち着かない。空はそんな気分を振り切るように畑の奥に向かって駆け出した。
「じぃじー! あしたね、ままにあえるんだよ!」
「そうか……よかったな」
空は幸生に体当たりするかのように駆け寄り、勢いに任せてその足にがっしりとしがみ付いた。ぐいぐいと服の裾を引っ張ると、幸生が微かに笑って空の体をひょいと持ち上げる。
「それなら、紗雪に持たせる土産でも見繕うか?」
「おみやげ……なにかある?」
「秋茄子がちょうど良い頃合いだ」
幸生は畑の一角を指さしてそう言った。それなら自分でも採れそうだ、と空は目を輝かせて頷いた。秋茄子も光学迷彩で隠れているが、空はそれを見つけるのが大分上手くなっていた。
「色々持たせてやりたいが、荷物になる。少しだけ手土産にして後はまた送ってやろう」
「うん!」
少しでも、自分が採ったものをお土産に渡したい。
空は幸生の提案に元気良く頷くと、さっそくナスの育ち具合を確認しに畑に走っていった。
そして、次の日。
空は朝食を食べてから雪乃と共に家を出た。
バスと列車を乗り継いでやってきたのは、魔砕村よりも随分と大きく賑やかな街だった。
「空、母さん!」
「あ、まま!」
駅に下りて改札を抜けると、その側で紗雪が待っていた。手を振る紗雪の姿を見た空は雪乃の手を離してタッと走り出す。紗雪は空に向かって手を広げ、真っ直ぐに駆けてきた小さな体を受け止めて抱き上げた。
「わーい、ままだ!」
「空、元気だった?」
「うん!」
お盆の少し後以来なので、まだそんなに時間が経ったわけではない。それでも紗雪は空を抱えてくるりと回り、嬉しそうに笑いかけた。
「少し重くなったかしら?」
「えへへ、まいにちいっぱいたべてるよ!」
ぎゅっと抱きつけば、紗雪も嬉しそうに背を撫でてくれた。
「ままたち、このまちにすむの?」
「ううん、まだわからないわ。色んな町を見て決めたいと思ってるのよ。ここも悪くないけど、魔砕村までは列車で一本てわけにいかないのよね」
「いいとこあるといいね!」
そんな話をしながら移動し、空たちは駅前にあった食堂に入った。お昼には少し早い時間なのだが、説明会が午後すぐなので紗雪は少し余裕を持っておきたいらしい。空は何時でも全然気にせず食べられるので大歓迎だ。
「空、何が食べたい?」
「んー……ぼく、おむらいすおおもり!」
メニューに載っている写真を見て、空はオムライスの写真を指さした。この店は和食や中華、洋食を区別なくメニューに載せているようで、色々な定食やカツ丼、麺類、オムライスやハンバーグ、カレーなどと定番の品が色々ある。
「足りなかったら追加しましょうね」
「うん!」
多分絶対追加するだろうと予想した雪乃は、自分の分の野菜炒め定食を大盛りにし、ついでに取り分け用の皿も頼んでおいた。